ノー‐プロブレム (no problem) と云いたいのですけれど・・・・・
未だ暫くの間は無理でしょうねぇ。
華島さん。
第一次世界対戦に連合国として参戦後戦勝国となった日本の海軍は
大正 10年 (1921) から大正 11年 (1922) 02月迄 アメリカ合衆国の
ワシントン DC開催されたワシントン軍縮会議終了後でも『大艦巨砲主義』
と言う 巨大な主砲 ( 30㎝から最大 46cm迄の戦艦に搭載された大砲) を
装備した巨大な船体を有した戦艦を中心に海軍の軍事力を整備、増強していく
『魔力』 に取り憑かれた人達が大勢いたと推測された昭和初期のことです。
その当時世界の航空関係の出来事の一つに チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ氏
(Charles Augustus Lindbergh 1902年02月 04日 ー 1974年 08月 26日)は
当時アメリカ合衆国の民間航空の郵便飛行士で 1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」
と命名されたパラソル単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク ルーズベルト飛行場 →
パリ ル・ブルジェ空港間 (飛行距離 5,810km 飛行時間 33時間29分30秒で飛行し
大西洋単独無着陸飛行に初めて成功されました。
其の後 1931年には北太平洋横断飛行にも挑戦して成功されました。
「もう何で目先のことしか見えていないんだろう ?」
「しょうがないなぁ。まったくもって、軍人さんと言う人種は。」
「『生姜』 だったら本庁舎 1階の大食堂に 『紅生姜』 としてご用意致しております。
尚お新香と同じ様に 『銀シャリ』 のお供におかわりは自由となってます。」
「よっ、お大尽様 !! 今日も冴えてるねぇ。よしっ、今日は奮発して座布団三枚をご進呈致します。」
「あららっ、三枚目の私が一枚取られましたね。処で何の話でしっけ ? 華島さんって、 ?! ・・・」
「おっ、たまに出てくる華島さんの 『沈黙』 が始まった様ですねっ。皆様方。」
「処で何の話をしていたんでしたかの、もし ?」
「そうです。 未だに 『大艦巨砲主義』 に洗脳されている方々に 『噴進式発動機』 と言っても
到底理解して貰えないですよねぇ。華島さんっ ?!」
「う~~~~~んっ ?! はいっ !? あっ、之は如何も失礼を致しました。
一体如何すれば 『噴進式発動機』 のことを理解して貰えるのでしょうか ・・・・・」
華島孝一氏の苦悩は解消されることなく続いていました。
時は昭和 05年 (1930) 華島孝一氏と数人の海軍技術仕官のとある技官室での ワンシーンでした。
ノー‐プロブレム (no problem) と云いたいのですけれど・・・・・
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