こんにちは、蔭山公望です。
人間というのは本当に勝手な生き物だなと、季節が変わるたびに思う。夏が来ると、あの涼しかった冬の朝や鍋料理が恋しくなり、冬になると今度は、日差しの強い夏の午後や冷たいアイスクリームが懐かしくなる。季節の移ろいは、美しい風景や気候だけでなく、私たちの心にも不思議な感情の揺れをもたらす。
たとえば真夏の暑さの中、駅のホームで汗を拭いながら「早く冬にならないかな」とつぶやく自分がいる。湿気でまとわりつく空気、寝苦しい夜、照りつける日差し。どれも体力を削られる厄介な存在だ。しかし、そんな暑さの中でも、ふと頭に浮かぶのはこたつに入って過ごすぬくもりのある冬の時間だったりする。冷えた手を温めるマグカップの感触や、湯気の立つ鍋料理、雪が降る夜の静けさ。そのどれもが、今まさに恋しく思える。
だが、いざ冬が来ると、今度はまるで逆のことを考えている。寒さで手がかじかみ、布団から出るのがつらい朝に、「ああ、夏の方がまだよかったかもしれない」と思ってしまう。カラッと晴れた空、半袖で外を歩ける軽やかさ、冷房の効いた部屋で飲むキンキンに冷えたドリンク。あの夏の眩しさが、今となってはまぶしいほど恋しい。
この感情は、きっと気候だけの話ではない。どこか「今ここにあるもの」よりも、「過ぎ去ったもの」や「まだ来ていないもの」の方が美しく感じる、人間特有の心理なのかもしれない。つまり、季節の中で感じる「懐かしさ」や「恋しさ」は、今の自分を見つめ直すきっかけにもなる。
また、季節ごとの生活習慣や楽しみも、こうした感情を刺激してくれる。夏には海や花火、キャンプやフェスといったイベントがあり、冬にはイルミネーションや年末年始、雪景色など、心を動かすものがたくさんある。季節ごとの風物詩は、私たちにその時期ならではの感情を届けてくれるからこそ、次の季節を恋しく思うのだろう。
私はこの「移ろいの感情」が好きだ。完璧な季節など存在しないからこそ、それぞれに不満を持ちながらも、過ぎた季節の美しさを思い出す。この感覚は、ちょうど人との関係にも似ている。そばにいるときには気づけない大切さが、離れて初めてわかるように、季節もまた「ない」ことでその価値を実感するのかもしれない。
夏は冬が恋しく、冬は夏が恋しくなる。
この繰り返しの中で、私は一年を過ごし、また新しい季節を迎える。そしてその度に、「いま」という時間の愛おしさを、少しずつ学んでいるような気がする。季節に文句を言いながらも、結局私は、そのすべてを好きになってしまっているのだ。
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