角川アニメ「日常」について
劇画にときたまなる作品である。ただ、一部のキャラクターのみであるが、そこには、この作品の弱さが見え隠れしているように見える。そして、その弱さとは、100%ギャグ用のアニメーションとして機能ができてないところである。劇画のギャグアニメとして、一部分のキャラクターのみの劇画なら人数が少なくギャグをぶつけると弱くなり、ギャグが周りにショックを吸収されてしまうのだ。
また、クールなキャラクターがいるのだが背景のひとつとしかなっていない。『キー』となるセンスのようなものを感じさせるキャラクターと言えるのだが、掛け合いの枠の中での背景の一部であるために喧噪の中で存在がなんとなく消えてしまっていくのだ。加えて、忘れてしまったまま内容が増していくので割り切れないようになってしまうので、弱さが感じられる。また、このキャラクターの曖昧な存在が自らギャグを行うことに憤慨を感じる。なぜ、という気持ちになってしまうのだが瞬間的にこのキャラクターが目立ってしまっても一部のキャラクターに完璧には繋げられていないのだ。
特徴を書くなら、速さのあるギャグなのだがここには自然発生的にキレが存在する。知らない間に次々と様々な変化が目に映る。そして、考えがつかないところにオチがつくのだ。この瞬間には、背景が青色などに変わり一気にモードチェンジが行われる。しかし、その場合は単純な会話のみになってしまう。このことについてはギャグの意味合いであえて浅い設定ならいいのだが毎回となるとあまり見れるものではない。なぜかというと、かぶってしまう部分が少なからず出てしまうのである。何度も見てしまってはあぁ何か起こってるのだなというぐらいでしか見なくなってしまう。
顔の変化も目立つところだ。変化してからは背景の変化も手伝い急激にシリアスになるのだが、あぁ本気で行動しているのだなと感じるのみだ。また、一人のキャラクターに注目することになる。なるほど、全身全霊感はある、しかし、ドキドキするということはないのである。精神が固まるような感じにはなるがキャラクターが本気の顔をしているためか含み笑い的にはならない。しいて言えば、なんとなく時間が過ぎるのである。そして、あぁそうだったのかというオチがつくのである。
このアニメを語るのならタイトルの『日常』というラインと『非日常』のラインの間のグレーゾーンの部分を描いているという感じである。あり得ることもあるし、あり得ないことも描かれている。例えるなら、封筒に貼られている切手が見慣れないようなものである。言い換えれば、生活の中のことが描かれているのであるが目には入ってこない細かい(ささやかな)部分は度が過ぎるくらいに描かれているのである。日常といいながらも珍しいものであったり脚色のされ過ぎたものが多すぎるためにストライクゾーンからは外れてしまっている感じだ。相対的に目立ってしまうのならいいが、出すぎてしまい、度を過ぎて目立ち過ぎるのはいいことではない。目立つことで存在感を超えて違和感を出してしまっているからである。その時に見えるのは、日常というものではなく微妙になってしまった異次元である。
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想