「イラストや3DならOKで、本物はNGか?」とか
「じゃぁ、本物を知らずに 間違った意識が廣がっちゃふのはどうなのよ?」とか、
いろいろ思ふことはあってさ、
いや でも、法的に 存在そのものが否定されてるワケでもねぇし、
法律に觸れることをしてるワケでもなけりゃ、
犯罪を助長しようってワケでもないんだけども、
多分、刀ってのは "人殺しの道具"ってイメージが強いから、なんかかう
ややこしいっつーか 面倒臭ぇんだらうなぁ。

多分、こっから先は教育論になるんだらうけど、
刃物が手元にあったら 人を斬りたくなるのかっつーと、その二つが直結するかどうかは きっと別問題で、
ほんじゃぁ、江戸時代以前の子供たちは 刀が身近にあるといふ理由で人を斬ってたかといふと
多分 そんなことは滅多になくて、
命を左右できるだけの力が 己の手にあるとなれば、嫌でもその使ひ樣を考へざるを得なくなるといふか、
危ないから觸れさせないでは 何も學べやしないといふか、
いや、一生を 何も知らずに終はらせられるのなら、それでもいいのかもしれんけども。
さう考へると、單純に、(現代人の)"知らないが故の恐怖" なのかね?

これは 個人的な想像だけど、昔の人にとっては、刀も、包丁やノコギリと大差ない感じだったんじゃないだらうか。
なんといふか、使ひ方を知らなければケガをする、でも だからと言って 世の中から撲滅すべき存在ではない、道具には それぞれの役割があるだけなのだ、ってな感覺かな。

まぁ、現代日本は 治安もいいので、自衞の手段として刀が必要かっつーと 要らないとは思ふけど、
歴史的に見ると、
豐臣秀吉の刀狩りだって、武士以外の刀の所持を一切認めてゐなかったのかといふと そんなことはなくて、
狩りや行事の爲の所有は 登録制で認めてたワケだし、
江戸時代だって 道中差し=旅行時の自衞の爲の帶刀 は認められてたから、
武士以外の農民や町人が 一切 刀を持ってゐなかったといふワケではないし…。
明治の廢刀令(帶刀禁止令)だって、要するに、
外で刀を差すなってだけの話でさ、所有そのものが違法とされたワケじゃなかったし。

じゃぁ 今現在、刀が身近にないのは何故かってのを考へると、
昭和の敗戰しか出てこないんだよね。
つまりアレだよ。日本人が自ら 日本刀を放棄したことは無いんだよ。
なんとか、美術品として扱ふことで 全廢は免れたんだけど、結局、聯合國側の武裝解除の都合なんだよね。
…なんだかなぁ。

戰(いくさ)の主武器が 槍や鐵砲だった事を考へると、
刀ってのは 單なる道具じゃなくて、御守りのやうな意味合ひが強くて、
だからこそ、長い間 大事にされてきたんじゃぁないのかなぁ。

いはゆる "チャンバラ"ってのは、エンターテイメントとしての演出でさ、
さう簡單に 刀は 拔けるもんじゃなかったみたいよ。
まぁ、武士であっても 正當な理由がなければ 拔刀は許されてなかったってのもあるけど、
己の魂たる刀を 血で汚すなんてことは、滅多なことがなければ 出來るもんじゃないって、俺にだって分かるよ。
日本人は、どこか 心の奧底で、「刀は神聖なもの」って意識があるんだらうね。

さァて、
ありのままの情報を與へて個々に考へさせるのか、
それとも、一切の情報を隱して考へる餘地すら與へないのか…。
どっちにします?

ライセンス

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  • オリジナルライセンス

日本刀 考察

詞でも小説でもないけど、まぁ 作品っちゃ作品かね。

前のヴァージョンで現代假名遣ひ。

ver.1:現代かな、
ver.2:歴史かな

閲覧数:96

投稿日:2013/05/06 03:39:52

文字数:1,405文字

カテゴリ:その他

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