鉱山労働者を 守る カナリア
最も弱いが故に 一番最初に 死んでしまう
彼が死んでくれるから 有毒ガスの存在が判る

人間は それを見て 危機を知る
人間は そうやって 生き長らえる


カナリアの叫びは 誰にも聞こえないのか?

カナリアの苦しみは 誰にも伝わらないのか?

カナリアは 死ななければ 何も伝えられないのか?

カナリアは カナリアは カナリアは…



カナリアは 死ななければ ならないの?
カナリアは 死ななければ ならないの?

最も弱き者を 死なす ことでしか
    人間は 生き延びられないの?
最も弱き者に 次々と おぶさって
    そうやって 生きてゆくの?

それが 正しい人間の姿 …ということなの?


…そう問うてみても 誰も 答えては くれない
…何度問うてみても 誰も 導いては くれない


それは 私も カナリアだから?


誰も 答えては くれない
誰も 導いては くれない…


ただ 坑道の暗き闇に 消えてゆく…
ただ 坑道の暗き闇に 溶けてゆく…

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

カナリアは死ななければならないのか

その社会にとってのカナリアとは、まず先に「子ども」である。
だから、回転ドアでもエスカレーターでも、まず先に
「子ども」が犠牲となる。

子どもが死ななければ対策は取られないのか?
子どもが大怪我をしていても、対策は後回しにされてしまうのか、それはすでに経済の構成要員ではなくなっているからなのか。


これと同じ問いを問われても、私には
「結果論」という答えしか、持ち合わせていない。

昨今ではその対象として老人も注目されているみたい。

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投稿日:2008/05/05 18:56:07

文字数:455文字

カテゴリ:その他

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