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神の名前に堕ちる者



ratattuer lesietir miah-shete ratattuer
神、その 名前とは

(reye-leala)
私は、問おう


hua-luetetir viate-siyete,yo
全てを知るというあなたに




ratattier,si-rayah mialuatu layerue-rya
神よ、本当に  その大いなる愛を

tuerettir-lushe,ya via-ruatulaya,lua-ta
生きるもの全てに等しく与えているのか


deyeer-gretuer
(迷える人は)

liolay-reyo
(信じれば良いのか)



持てる者は ”まだ、足りない”と
天を仰ぎその手をかざし
迷える者に塔を積ませ
省みるすべ失くしゆく

”神の御手に命ゆだね、救いを待ち祈れ”
それでもこの両の手が 祈るは我が明日の為

報いし愛の言葉で彼は私包み
そして満ちたりし心よ 歌え人の喜びを!



”持たぬ者は幸せ”という
人を創りし神の詩
いかなる者にも雨を降らせ
罪さえ溶かしゆく



rete-yutinier tayietuah
(等しく幸福は下りますか)

lishe-retia  神の気まぐれに
(悲劇は突然)

飢えを知らぬ者も 風に倒る者も 

自身の中に神の”名”を見る者も・・・



”近し君の為よりも憎む者の為祈れ”
それでもこの両の手が守るは愛しき人

報いし愛の言葉は 神の”名”を堕とした
やがて満ちたりし心よ 歌え人の子の歌を!


巡りゆく時の果てより語り継ぐ物語
在りしすべての者へ 
等しく光あれ

00:00 / 03:52

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

神の名前に堕ちる者

歌詞の補足の内容を書きます。詞の内容に興味を持っていただけた方は宜しければお読みください。主観的な内容なので、興味が無い方はスルーしてください。


















祈ると救われる、神は罪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ雨を降らせる。という概念がカトリックの聖書にかかれているのですが、資本主義社会において、なくなる事のない格差や、産まれてきたにもかかわらず不条理に亡くなる命を考えると祈る事では埋まらない現実があるように思います。

2年前自分が死に面した時に、今ではのーのーと生きているわけですが
神様~!と祈りたくなるような状況の中、実際支えてくれたのは
近い人間達で、そして人はいつ死ぬかわからないので
常に近い人を思って日々生活する事が大事なんだと思いました。
カトリック学校で毎日読んだ聖書の教える、”祈る”という事よりも
近い人間を大切だ、居るんだな、と認識できる事、近すぎると
当たり前になってしまいがちだけど、そんな風に思えればいい、
と思ったりします。

祈る事や、自分自身の中に神という概念を置く事自体は否定しませんが
どんなに平等を思ってもそうならない世の中ならば、つながりを
大切にしてみるという解釈も一つ、そんな事を思い
ダイレクトではありませんが表現したつもりではあります。

30にもなって、いざ人の親として生活してみると
色々と言いたいものなのです(笑
失礼しました。


閲覧数:20,067

投稿日:2010/04/26 02:00:18

長さ:03:52

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カテゴリ:音楽

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