本日の教科書
ジェラシー契約/白百合と雨
リリックライター:LanaMay
参考書(前編)
シュガーコート /DAZBEE
雨とカプチーノ/ヨルシカ
HERO/影山ヒロノブ
参考書(後編)
勘冴えて悔しいわ/ずっと真夜中でいいのに。
いきもの失格/あさきのくりむ童話
僕が最近注目している音楽集団は二つあって、一つは花譜を擁する神椿スタジオ、もう一つが最近地下アイドル界隈で活躍を始めたサークルライチです。僕がドルオタやってるマーキュロというグループを運営してるところですね。アイドルである彼女達の楽曲製作には界隈では麺という通称で呼ばれがちなヴィジュアル系バンドマンだった人たちが多くかかわっていらっしゃいます。サークルライチの音楽性は、かつてアーバンギャルドの松永天馬がその消失を嘆いたサブカルチャーの形成するシェルターを再び現代に顕現させるポテンシャルを秘めてるんじゃないかなと僕は勝手に期待していたりするんですが、マーキュロを含めたサークルライチのリリックライティングの中核を担っているであろうYUSAは勿論の事、エース格としてキラーチューンを綴ってきたYoshito Abe、xxxの両輪に加え、kazuhiro Sinome、そして芥タマキ(僕の推し)を始めとしたメンバーの綴るリリックに僕は何時も驚かされていたりします。そして、彼らとは全く違うベクトルから度肝を抜かれたのがマーキュロの姉妹グループの楽曲で活躍されているLanaMayさんです。何者なんだLanaMay。いったい何処で拾ってきたんだサークルライチ。
閑話休題。さて、本日の教科書であるジェラシー契約を紹介させていただきましょう。白百合と雨はサークルライチの中では末妹となるグループで、サークルライチの中では比較的正統派アイドルに近いコンセプトのアイドルグループです。正統派アイドルは耳噛んで卍固めとか歌わない。正統派アイドルってなんだっけ。
0⃣歌詞は極力短く区切ろう
これはわりと歌詞の基本的なところですが動画を見ればわかるように、基本的に1つのメロディブロック、最長でも2つのメロディブロックで文節が区切られています。これは歌として聞いた時にかなり重要な要素で、長い文節はそれだけで印象が散漫になり、下手をすると文脈を理解して貰えません。メロディにもよるので絶対2ブロック以内に完結させなければいけないというわけではないですが、ラップミュージックのようにひたすら手数で押し切る楽曲ならいざ知らず、一般的な歌もので特筆すべき意図もなく文脈が曖昧になるリスクを負うのは悪手です。というかあれだけ手数の多いラップミュージックですら文節の区切り自体はかなり短いです。細かくジャブのように最短の道筋で一撃一撃を完結させつつも、それを積み上げて大きな文脈を構成していけるのが理想です。ジャブを細かく刻みつつも、それをコンビネーションとして繋げていく感じですかね。
短く書くというのは無駄を省く道筋でもあります。短く書けるとその分違う要素を詰め込む事もできます。基本的には速く鋭く無駄なく意思と人格の表明で刺して、その細かな表明の連動によって物語を積み上げる。それは結局、楽曲を通してのテンポ感の良し悪しに通じます。また、これができるようになると歌詞のキャンバスを動き回る上での様々な選択肢を取れるようになってくるのです。
例えば僕が勝手に「リバース」と呼んでいる技で、メロディの切れ目を利用して一つの文節に対して文章の始まりと真逆の印象を与えるフレーズの構築なんかも可能になります。これは狙ってできるようなものでもなく、そもそも狙ってやるようなものでもないので、サンプルはあんまり無いんですが、例えば笹川真生がソングライターとして参加しているDAZBEEのシュガーコートの一節「とびきり甘いのは嫌い?」のところですかね。「とびきり甘い」で一度自身の心象の印象を完結させて、「でもあなたは甘いのは嫌いなのね?」という落胆を繋ぐ。「このまんまどこか奪われてく:夢を見てる」のところもそうですが、これをやる事によってテンポ感を損なわずに長い文脈を捻じ込む事ができるようになるばかりか、印象の往復ビンタをする事によって独特の浮遊感をリスナーに与える事ができるようになります。意識的にそれに気が付くリスナーはあんまりいないとは思いますが、リスナーの無意識にそれを叩き込めるのは大きく、リリックとして大きな魔力を持たせる事のできる技法となります。機会があれば挑戦してみましょう。かなり稀ですが世の中には一つの文脈の連なりで二連リバースとかする人もいたりいなかったりします。オセロかな。
1⃣技巧的なフレーズを用いる際には構成で緩急をつけよう
ジェラシー契約は単純に歌詞としての完成度が高いです。キャッチーでいながら毒のあるサビ頭、静かな立ち上がりをしながらも攻撃的な情動の表明が印象的なAメロ導入、顔の良さを表現した「顔面」という現代的な表現を惜しむことなく練り込む時代の流れに対する感度の良さ、「泳ぐ目マジか」で表現されるようなストレートな感情の吐露でAメロを締める構成のバランス感覚、「シナプス解離」みたいなみんなが知っているようで知らない言葉をアクセルとして勢いを高めていくBメロ、それでいてサビではある種の清涼感を感じるほどのストレートな言葉が続きます。
導入のAでは分かりやすく、弾みをつけるBでは技巧的に、主題となるサビではやはり分かりやすく、つまり技巧的なフレーズの与える印象の緩急が素晴らしいのです。これだけでも相当に練度の高いプロット能力が垣間見えます。テクニカルな事はやればやるほど良いというものでもないです。全体的な緩急を意識して、そこで技巧的なフレーズを用いるというのはどういう事なのか、リスナーの印象に対してどんな印象を与えるかを踏まえられるかがどうがか楽曲としての完成度に深く関わってきます。楽曲の持つ緩急と歌詞の緩急をどのように連携させていくか、或いは連携させないでおくのかという判断能力の精度は一夕一朝で身につくものではありませんが、意識して書くのと書かないのでは雲泥の差となります。感情の表明を行う時には、それを見せる順番とそれを見せる方法というのは案外大切なのです。
例えば、ヨルシカの「雨とカプチーノ」はかなり極端な例ではありますが、この技巧的緩急が最も印象的であったなと個人的に感じる作品です。冒頭のAメロの後は2コーラスを丸々使い切って詩的で丁寧な描写を積み上げてから、続くDメロでは荒っぽさすら感じる口語的なアプローチを仕掛け「本当にわかんないんだよ」という他責的な強い情動を吐露する事でそれまで積み上げてきた物語に対してのカタストロスを与え、そのカタストロスフから生じたエネルギーのまま詩的な大サビへと繋げる。この緩急のバランス感覚の高さひとつとってもn-bunaのリリックセンスの高さが伺い知れます。というかこんな極端なバランスを取っていながら作品を崩壊させないでいられるのは単純にn-bunaの技術が高いからであって、普通にこんな極端な事をしたら普通に爆死します。何処でどういった感情をどのように描くか、そう描く事によって全体の印象がどのように流動していくかを捉えるのには歌詞全体を俯瞰してみる空間把握能力の訓練が必要です。そしてこれは実践を通してでしか身に付きません。意識しなくてもこういった緩急の構築を行う事ができるぐらい練度を高めていけるようになるのが理想です。
2⃣音に対する感度を高めよう
音符を読めるようになれと言ってるわけではないです。けれど、音楽における歌詞というのはやはり音楽を構成する要素ですから、音として楽しくなければ話になりません。そういった意味でメロディの持つキメの部分というのは意識的に活用していく事が求められるのです。これはメロディをフロウとして捉える事ができるようになった上での話ですが、必要を感じるのであれば前後を調整し、時には文脈をそっくり入れ替えてでもキメの部分でしっかりと印象的な言葉を当てる必要があります。一昔前のアニソンでやたらと英単語がサビ頭冒頭に嵌められたのはこのためです。最近では逆に古臭さを感じる手法となってしまったので英単語サビ頭みたいな曲は全然見なくなりましたが、サビ頭が印象的であって悪い事はあまりありません。何故ならサビ頭というのは楽曲の看板であるからです。サビ頭に限らずAメロやBメロでやサビの中盤でもキメを作るメロディはごまんとあります。楽曲をよく聞き込んでコンポーザーの意図したフロウの流れにしっかりとついついていきましょう。聞き込んだ上でその意図を活かすも殺すも自由ですが、殺す時は何故殺すのかを明確にした方が良いです。理由もなくただ書きやすいからコンポーザーの意思に背くのでは良い歌詞は生まれません。限界まで苦悩の万力で脳味噌をねじ切って下さい。芸術はその苦痛からしか抽出されません。
そこをいくとLanaMayの書く歌詞というのはあれだけ奔放な躍動を見せながらも、要所要所での伸びやかさや歌っている時の気持ちよさなどが聞いているだけで伝わってきます。具体的に言うなら伸びやかなところで「あ母音」を意識的に配置しているような感じします。別に伸びるところでは絶対に「あ母音」を使えというわけではないですが、音としての歌詞を追求するのであればそれぞれの母音がメロディフローにどういった影響を与えるのか、その影響を与える事にどういった意図を与えられるのかを含めた意識を持つことが肝要です。そういった意味でヴォーカルの人が書く歌詞と言うのは侮れません。彼らは自分が歌を歌う際の快感を知っているのでこの感覚を本能的に理解しています。歌詞専門の人にとってはその時点でこの感覚の有無は大きなディスアドバンテージとなりえるのです。
これを最もわかりやすく体現しているなと思う人は影山ヒロノブです。影山ヒロノブはアニソンの大御所として名を馳せている御仁ですが、個人的には森雪之丞チルドレンの一角として目しているリリックライターでもあって、どちらかと言うとX-JAPANのHIDEみたいな感じで動向を見守ってるアーティストであったりもします。そんな影山ヒロノブの作品群の中から言うとワンパンマンのOPだった「HERO」なんか凄くわかりやすいですが、HEROの末尾の音である「お母音」に対する物凄い執着が見えます。さくっと切り捨てて次のフレーズに続ける時には「い母音」、両面で使える「え母音」などを用いて音としてのフロウに緩急を与えつつ、「お母音」を引き立てる。歌詞は歌われた時に初めて完成します。歌う時の快感の想定というのは決して無視していい要素ではありません。何故なら歌う時に音として感じる快感はそのまま音を聞く時の快感にも通じるからです。積極的に意識を高めていきましょう。
(後編に続く)
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