その日、雪子と帯人は大学病院を訪れた。
両手いっぱいの花を持って、真っ白な扉を開ける。
「よお、久しぶり」
部屋にはメイトが立っていた。
「あ、メイトさん。お久しぶりです。もう調子はいいんですか?」
「調子? ああ、麻痺してたやつか。大丈夫だよ。
用心して検査とか、いろいろやってただけだ。至ってケンコー♪
毎週お見舞い、ありがとな。この子も喜ぶよ」
メイトは微笑んだ。
雪子は花瓶の水を換えて、持ってきた花を入れた。
部屋の窓を開けて、三人とも椅子に座る。
「どうよ。学校は」
「……楽しいです。……いつも、雪子と一緒にいられるから」
「幸せそうな面しやがって。このやろおー」
メイトは帯人の頭をぐりぐりいじる。
帯人は笑いながら、為すがままになっていた。
「ホント、おまえらいい恋愛してんだなぁ。うらやましいくらいだ。
俺にも一つ分けてくれよ」
「……だぁめ…」
「にやつきやがって、このやろー(ぐりぐり」
「…あぅう…」
雪子はくすくす笑っていた。
ふと、メイトは手を止める。
どこか遠い場所を見るような目で、じっとミクを見つめた。
「この子も、もっと、幸せな恋を経験できたら良かったのに…さ…」
メイトは、ミクの頬にかかる髪の毛を丁寧に払い、話を続けた。
とても悲しい声だった。
「初音ミク。こいつ、まだ元気だったころ、よくここに来ていたんだ。
学生のくせに、音について研究しているらしくて、
音楽療法ってやつの研究をアカイトと一緒にしていた。
元々、ミクも音が好きだったんだ。
自然と二人は仲良くなっていった。
……でさ、こいつ、アカイトのことが好きだったんだよ。
口に出さないが、見りゃわかる。
アカイトを見るときの目は、そりゃあ輝いていたから」
「それで…ミクちゃんは、思いを告げたんですか?」
首を横に振る。
「結局、片思いで終わっちまった。
二人で教会の合唱団に参加したり、聞きに行ったり、
はたから見りゃ、もうカップル同然なのに。
あの聖夜の悲劇を境に、二人は変わったんだ。
…おまえらだけは、変わるなよ。絶対に」
「メイトさん…」
「あー、はい。おっさんの昔話はこれにて終わり。
俺は仕事があるから、そろそろ行くよ。
どうする? ここにいる? それとも、俺の部屋に来るか?
アイリッシュ・コーヒーを出してやってもいいぜ」
「ありがとうございます。でも、やっぱり、ここにいたいから」
「そっか。
ありがと。それじゃあ、また」
メイトは部屋を後にしてしまった。
カーテンがなびく。風が、雪子の髪をもてあそんだ。
頬にかかった髪を帯人が払う。
「…僕は変わらない。
君がいる限り、僕は……君を愛す…一生」
「ありがとう、帯人」
「……あの人…」
「ん? メイトさんが、どうかしたの?」
「………なんでもない」
暖かな日差しを浴びながら、二人はミクのそばにいた。
部屋に入る風が心地よかった。
◇
アルコールの匂いが鼻を刺すほどきつい。
書類を持ってきた子が、あからさまに険しい顔をした。
「教授。勤務中に飲酒はやばいですよ。アルコールきつすぎです」
「るっせー。いいんだよ。今日は担当じゃないから」
「いいわけないですよ。
医者が酒臭かったら、それこそ大問題なんですから。気をつけてください」
「あいよー」
部屋を出て行くのを確認して、コーヒーを一気に飲み干した。
ブランデーの味しかしない。
アルコールが、のどと胃を焼いた。
「ボーカロイドは、なんで、酔えないんだろうな…」
こぼした言葉は、静まりかえった部屋に溶けて消える。
乳白色のカップをテーブルに置いた。
机の上には一枚の写真がある。
そこにはにこやかに微笑む、かつての助手と、若かりしころの俺自身。
そして――優しげな笑みを浮かべる、彼女がいた。
そっと彼女の輪郭を指でなぞった。
アルコールの熱で、目尻が熱くなった。
「そういえば…」
アカイトが残していった書類の中に、こんなメモがあった。
《ノイズ》
何のことだか、さっぱりだ。
だが、なにか関係があるのかもしれない。
メイトは立ち上がり、残された書類を棚から引っ張り出した。
もう一度だ。
もう一度、手当たり次第調べよう。
あいつが何をやらかそうとしているのか、を。
◇
(――だれ?)
生まれた瞬間を、覚えている人はいない。
それはボーカロイドだけじゃない。人間も同じ。
だから、ここにいる意味を見いだせないのは当然のことだった。
(――だれか、そこにいんのか)
水底に沈んでいた。
目を開けば、水面が輝いていた。
頭から足先へ、撫でるように水が流れていく。
ふわふわと浮かぶように、ただそこに存在していた。
(――なあ、答えろよ。聞こえないのか)
あるとき、少女が水面をのぞき込んだ。
初めて自分以外の人と出会った。
嬉しいのか、驚いたのか。自分でもわからない。
感情を表現する方法を、俺は知らない。
(――きれいなのか、そこは…)
明るい世界で、少女は微笑んだ。
でもそれは悲しい笑みだった。
(――そっか。)
彼女のために何かしてやりたい。
してやるのが、俺の使命だとさえ思った。
(――でも)
見えない枷が、手足を捕らえて放さない。
声を出そうとしても、気泡となって消えていく。
元々、存在自体が曖昧だった。
気泡のように消えてゆく運命だったんだ。
それなのに、突然引きずり出される。
無理やり、枷を引きちぎられて、血がにじんだ。
痛みを感じる前に、俺は光を見た。
まぶしい光。
これが日の光か。
彼女が見た世界を知った。
でも、そこに彼女はいなかった。
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ブクマつながり
もっと見る翌日。
雪子と帯人は一緒に学校へ行った。
その日は休日だったから、私服で入校できた。
休日だというのに、人々は多く図書館を利用していた。
私の背の三倍もある本棚に、ぎっしりと敷き詰められた本の数々。
貴重なものまであるらしいけど、あんまり詳しくない。
彼は目をぐるぐるさせていた。
思わず笑ってしまっ...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第01話「伝言」
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その日は雨だった。
雪子と帯人は、いつものようにコンビニで買い物をして帰っていた。
傘にはじかれた雨が単調なリズムを刻む。
その音はとても好きだ。
でも、帯人は「雨は苦手」だと言う。
…おそらく、あの日も雨だったから。
受け入れたはずの過去。
でも、どうしても心にわずかな傷を与える。
ときどき疼くそ...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第00話「プロローグ」
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雨の中、私は走っていた。
鞄を頭の上まで持ち上げて傘の代わりにしているつもりだけど、あんまり意味はない。
頭のてっぺんから足の先までびしょ濡れだ。
なんで傘を忘れちゃったんだろう。
こういうとき、ボーカロイドっていいなーなんて思ってしまう。
傘を忘れても、気を利かして持ってきてくれるんだもの。
本当...優しい傷跡 第01話「傷だらけの青年」
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「ぼくは、あなたのことを愛しています」
そう言った、彼の瞳は虚ろだった。
けれど温もりのある声だった。
だから、私はそっと手を伸ばして彼の頬をなでた。
私の行為に彼は驚いているみたいだったけど。
「帯人」
「……」
帯人の頬は暖かい。
ボーカロイドと人の境目なんて、ずっと昔から、ないのかもしれないね...優しい傷跡 第12話「家族」
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郊外は町よりも、より闇が濃かった。
暗すぎて肉眼ではよく解らない。
でも怖くはなかった。
私の手をちゃんと引いていてくれたから。
井戸が見えてきた。
ざわ、ざわ、と木々が騒ぐ。誰かが歩いている。
帯人は咄嗟にアイスピックを構えた。
「動くな…」
雲間から月の光が差し込む。光に照らされて、その輪郭がは...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第20話「悲劇の渦、終わらない歪み」
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光を抜け、帯人と雪子は地上へ降りた。
そこはなにもない海岸だった。
これが最後の悲劇の舞台なのだろうか。
「…うん…ぅ…」
雪子がやっと目を覚ます。
しばらく茫然としていたが、自分の置かれている状況を理解すると
いきなり顔を真っ赤にして暴れ出した。
「…どうしたの?」
「な、なんでもないからっ! だ...優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第18話「後悔の手紙」
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ご意見・ご感想
とと
ご意見・ご感想
きました!第一話!
すごい国語力とこった話作りには、毎回本当に感心しています^^
どうか私にもその一部を分けて欲しいぐらいです;
どうかこれからも頑張ってくださいね♪
2009/05/05 19:22:33
まにょ
ご意見・ご感想
第一話!!早速!更新お疲れ様です。。アイクルさんは仕事が早いですねぇ・・。
GW中だけでも何でも、楽しませていただきます!!本当に嬉しいです!
タイトルのことなのですが・・・。胎動・・。一度みて、あれ?っと思ったのですけど、
ハナシの内容に合ってて、納得しました!!そぅいうところ考えてあって、尊敬してしまぃます。。
では。短いですが、ここで。 頑張ってくださいね!
2009/05/04 23:54:09