ココロ・キセキ ~ある孤独な科学者の話~
発想元・歌詞引用:トラボルタP様・ジュンP様 『ココロ・キセキ』
……一度目の奇跡は
きみが生まれたこと
二度目の奇跡は
君と過ごした時間……
『ココロ・キセキ ~ある孤独な科学者の話~』
「初瀬 鈴(はつせ りん)です。よろしくお願いします」
レンこと鏡音廉(かがみね れん)は、彼女の声を聴いた瞬間、雷に打たれた気がした。
透き通った印象ながら、芯のある凛とした声に、鏡音廉は一目惚れだった。
「あ、あの、新入生?」
にっこりと笑顔を向ける彼女の前で、レンはやっとのことで声を絞り出す。
「だ、だれかに用事? 教授ならまだ出勤していないけど……」
レンはつくづくわが身の不運を呪った。
昨夜、工学科の院生であるレンは、作業を切り上げることが出来ずに、やむなく研究室に泊まったのだ。
着くたびれた白衣、金髪に染めた髪を無造作に括り上げた頭。
まさかこの男所帯の研究室にこんな春の朝っぱらから女の子が訪ねてくるなどと誰が考え付くだろう。
「あっ、あの、オレ、レンっていう」
「おー! 来たか!」
奥からお茶部屋用のつっかけをぺったんぺったん鳴らして、長身の男が顔を出した。
「か、カイト先輩!」
カイトと呼ばれたその男は、レンなど足元にも及ばない、すさまじい格好をしていた。
長身、すらりとした体つき、やわらかな声音と、レンにとってはうらやむばかりの『モテ要素』を持ったこの男であるが、今の格好といったら、
引っ掻き回したような頭。
研究室のソファで寝るとき、毛布代わりにもなる、ホコリよけの白衣。
おまけにきちんとしていればそれなりに見える顔は、2日分の無精ヒゲがトッピングされていた。
「カイト先輩、ひ、ひどッ……」
思わずレンが女の子のほうを見ると、彼女も目を丸くしてカイトを見上げていた。
「うわ……印象最悪」
焦るレンだが、カイトは意にも介さずに、にこりと鈴に笑いかけた。
「よろしくね、鈴ちゃん! 僕は、始音海人。しおん、かいと。ちょっとめずらしい読み方でしょ?」
はじめの、おとの、うみの、ひとだよ、と、カイトは空中で漢字を描いて指を動かす。
鈴のほうには左右逆転して見えているはずだ。気づいていないカイトと目を丸くして指を追っている鈴を、どぎまぎしながらレンは見やる。
と、にこっと笑ったカイトが、レンの首っ玉をがしっと抱えた。
「で、こいつは、鏡音レン。マスターコースの二年生。僕はドクターの3年生だよ。ようこそ、山波研究室へ!! 鈴ちゃん!」
マイペースな自己紹介を繰り広げ、カイトは鈴に手を差し出した。
目を丸くして固まっていた彼女の口元が、ぴくっと震えた。
そのまま、震えてうつむく。
「せ、先輩! いきなり初対面の女の子に『ちゃん付け』はないでしょう?! しかも、その袖口! また白衣着たままアイス食べてましたね?!
そんな手でよく女の子に握手を求めるなんてできますね?!」
さらに焦るレンの前で、彼女が顔を上げた。
「ふ……」
びくり、と緊張するレンの前で、なんと彼女は吹き出した。
「あはは! 噂どおり、すごい研究室みたいですね!」
そして、ためらいも無くカイトの手を握った。
「初めまして、カイトさん。そして……えっと、レンさん。この春からこの研究室に、院生としてお世話になります、マスターコース一年の、初瀬鈴です。ちゃん付けでも、べつに、かまいません!よろしくお願いします!」
レンは、面食らった。
「え、あ、ちょ……新入生?!」
驚くレンを見て、カイトとリンが、手を握り合ったまま笑っている。
「あはははは。でもカイトさん、正直びっくりしました! ひどすぎますよ、その格好! ……く、靴下もッ……穴、あいてるし……!」
カイトがひょいと足を持ち上げる。
「あ、本当だ。あははははは」
「し、信じられない……」
徹夜明けのカイト、緊張の切れたリン、二人は手を握り合ったまま爆笑している。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。な、なんで? お、落ち着いてください二人とも!!」
無駄に高いテンションに取り残されておろおろするレンを見て、二人の爆笑も加速していく。
「ちょ、ちょっと、え―?!」
それが、レンと、彼女との、出会いだった。
* *
鏡音廉は、いわゆる普通の院生だったが、始音海人は天才だった。
修士課程を一年で飛び級卒業、そして博士課程3年次に入るまでにすでに6本もの論文を発表していた。
しかも、どれも有名な国際誌だ。
「いや~それでも就職はなかなか見つからなくてね」
「カイト先輩ならどこでもひっぱりだこでしょうに」
“いわゆる普通の”院生のレンには、まだ修士課程二年の段階で論文は一本もない。
「カイト先輩がオレと同じころには、もう二本も出版されていたんですよね? 研究職だって、選り取りみどりじゃないですか? ほら、山波先生の紹介とか」
そう口を尖らせるレンに、カイトは困ったように笑う。
「う~ん、でも僕は、やりたいテーマがあるから」
と、そこへリンの声が飛び込んできた。
「そんなの、仕事をしながらでもいくらでも出来るじゃないですか?」
ひょっこりとデスクに山と積まれた本の向こうから顔をのぞかせたリンに、カイトはやさしく微笑んだ。
「僕は不器用だからさ、研究しかできないんだ」
「なにが不器用ですか。解析用のプログラムどころか、こーんなものまで自作しちゃうくせに」
リンが机を回り込んで、カイトのデスクに乗ったものを指差した。
レンが、それを手に取る。それは、本物と見紛うばかりの柔らかな肌を備えた義手で、レンが拾い上げ、手のひらの部分を握ると、ぶぅん、とかすかな音をたてて握手を返してきた。
レンは握手を返す義手を握ったり弱めたりしながらため息を吐く。
「すごいよな、これ。いまのカイト先輩のテーマ。中、見てみる?」
レンがそっとその義手の手首を押さえると、しわのように上手にかくされた皮膚がめくれ、びっしりとこまかな配線が姿を現した。
「う、わー……」
リンが口をあけたままその傷口のようなスキマを覗き込む。
「握った刺激でね、微弱な電流が発生すると、それがこの線を伝ってメインコンピュータに情報が送られる。そして、メインコンピュータから、適度な強さの命令が、この線で降りてきて、握手を返すんだよ」
カイトがつっと線をゆびさしてたどる。
「いま、手のひらから送られる信号パターンをチェックして、動き方の確認をしていたところなんだ。もうすぐ、完成するかな」
カイトが、「ないすちゅみっちゅーっ!」とテンション高く義手を握ると、まるで義手もその感情を受けたように力強く、しかしちょうど良い加減でカイトの手を握り返している。
にひ、とカイトが、レンとリンに無邪気な笑顔を向けた。
「すごいです。カイトさん。こういうの、必要とする人は多いと思います。私は、これだけでも素敵な研究だと思うのにな」
「うん。ここまでなら僕も、すごく必要な仕事だと思うけど、僕はね、もっと……先のことをやりたいんだ。僕の目標はね、」
カイトは信号の再現につかっていたマシンを指した。
「こっちを、作りたいんだ」
レンもリンも首をかしげる。
「なぜ、ただの電気信号なのに、楽しいとか嬉しいとか悲しいとか、思うんだろうって、思ったこと、ない?」
えぇ、と、リンが生返事を返す。
「地球が出来て、僕らが出来た。
ただの元素、ただの物質の集まりなのに、なんで、そんな動きをするんだろう。
本当に、僕らはただのDNAの乗り物なのか、そもそもDNAはなぜ増えようとするのか、……不思議じゃない?」
レンは、とりあえず、うなずく。
「増えようとするDNA、それを守るからだ。からだを守ろうとするだけの、脳。ただそれだけなのに、僕らは、ものすごく、それがすべてみたいに振り回されている。
……僕らを振り回す、そのど真ん中にある心って奴を、僕は、知りたいんだ」
義手の腕を支えていたレンは、カイトに促され、カイトにそっと義手のすべてを受け渡す。
「ココロが動かす、脳。脳が動かす、体。
逆にね、義手だけじゃなくて、からだの全部を作ることができたなら、逆に“脳に宿るココロ”というものも、分かるようになるかもしれない」
カイトのしずかな、深い声音が、部屋に浸みてゆく。
「僕はね、ただ、知りたいんだ」
カイトが、義手を今度はリンに渡す。
リンが恐る恐る、義手にそっと触れ、そして受け取る。
初めて会ったときのように、目を見開きながら。
そして、その重さを確かめるように、腕を支える。
「……うん。よく、分からないけど……カイト先輩の気持ちは、解るような気がします」
「……ありがとう」
メインコンピュータのモニターが、リンの手から受け取ったやわらかなパルスを刻んでいる。
リンがそっと手のひらを握り、目を細めた。リンの優しい瞳が造られた手を見下ろし、それをカイトが見守っている。
……レンにはちっともわからなかった。
* *
カイトが倒れた。
その知らせを受けたのは、秋の深まった夜。
レンが博士課程卒業のための論文を執筆していたころだった。
カイトが卒業した、3年後のことだった。
カイトは、博士号を取得した後、医療系の会社の研究員となっていた。修士課程を卒業したリンと、同棲生活を始めていた。
夜中、研究室の外線のランプが点灯した。面倒だな、と思いながら受話器を取ったレンに、懐かしいリンの声が飛び込んできた。
……パニックの片鱗の窺える、涙声で。
「レン! お願い、すぐ来て……」
レンは佳境にさしかかっていた論文執筆を放り出し、すぐさま自転車にまたがった。夜の構内を走りぬけ、大学から程近い、カイトとリンの住むアパートに向かった。
レンがカイトのアパートに着いたのは、救急車と同時だった。
「カイト先輩! ……リン!大丈夫か!」
担架にのせられ、あわただしく運び出されていくカイトを見て、レンは足元をすくわれる錯覚に駆られた。
「……レン!」
パニックで泣き濡れるリンを、レンはなんとか救急車に押し込んだ。
……気がついたとき、救急車は走り去っていく所だった。
サイレン音が、すでに下降しているのに気がついた。
その音も、だんだんと遠ざかってゆく。
嵐の後のような静けさと、嵐の只中にあったように散らさされたカイトの部屋に、レンはひとり、取り残されていた。
「カイト先輩……相変わらず、みたいだな」
学生のころのカイトの机と変わらない、雑多な様子に、レンはふらふらと引き寄せられる。
「これ……」
ずらりとならんだ、義手のパーツ。義足、骨格、筋肉模型が、この部屋の住人の代わりに、静かにレンを見下ろしていた。
「まだ、続けていたんだ……」
レンの脳裏に、カイトやリンとすごした日々がよみがえる。
「ココロを知りたい、作りたい」と語ったカイトに、リンがうなずいて笑った。そのリンの笑顔がまぶしかったことを思い出し、レンは目を細めた。
一台のマシンが、動いていた。
この部屋のネットワークの中心を担っているらしいそれは、ずらりとならんだコンピュータの中で一台だけ、モニターを光らせて、何かのパルスを紡いでいた。
「これ、」
レンは、そっとモニターに近づいて覗き込む。配線は、すべての義手、義足、骨格、筋肉模型につながっていた。
レンの心に、カイトの声がよみがえる。
『僕は、知りたいんだ』
「ココロ……」
ごくり、とレンの喉が鳴った。
手が、マシンの本体に伸びる。
そっと、キーボードに触れた。
パルスが、止まった。
レンの指が、ポケットの中から、ちいさなメモリを探り出す。
そっと取り出し、マシンのコネクタに差し込んだ。
「……」
トクン。
止まったはずのモニターに、一瞬、波形がふれた気がしたのは、レンの気のせいだったのだろうか。
しばらくの後、レンはそっとメモリをマシンから抜き取り、ポケットに、しまいこんだ。
そして、カイトの部屋を出て、カイトの運ばれた病院へ向かった。
……[2]へつづく!
『ココロ・キセキ』-ある孤独な科学者のはなしー [1]
トラボルタP様、ジュンP様の『ココロ・キセキ』に惚れこみまして、ついに物語を作ってしまいました。
老科学者の素敵なおじさまとなったレンを書きたくて始めた話です。
どうぞよろしくお願いいたします。
全9回+おまけ後日譚「ある晴れた春の終わりに」となります。
原曲様・トラボルタP様
【鏡音リン】ココロ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2500648
原曲様・ジュンP様
【鏡音レン】ココロ・キセキ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2844465
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