『全国的に遅れていた桜の開花ですが、ようやく東京でも一分咲き。桜前線も徐々に北上していきます』

テレビの気象予報士が嬉しそうに春の訪れを告げたところで、俺はテレビの電源を消した。
何故日本人はこんなに桜が好きなんだろう。
1年のうち、見ごろはたったの1週間。あとは葉っぱと枯れ枝の姿しか俺達には見せない、怠慢な木だというのに。
遡れば平安時代から、人は桜を愛で、その下で宴を開いていたというのだから、そのDNAは筋金入りだ。
おそらく現在、日本人のほとんどが桜が咲くのを待ち望んでいるだろう。
風に揺れる優美なその姿を見て、「やっぱり春は桜よね」なんて、満足げに頷いたりするのだろう。

でも俺は、そうは思わない。
…桜なんか咲かなきゃいい。
だって、桜が咲いたら、春が来てしまう。

―― 春が来てしまったら、彼女は遠くへ行ってしまうのだ。


「カイトくん、こっちこっち」
待ち合わせ場所の駅の改札にはもう彼女が来ていた。
思わず腕時計を確認する。まだ待ち合わせ時間の5分前を示していたが、俺は駆け足で彼女の元へ向かった。
「すみません、お待たせしました?」
「ううん、私も今来たとこ」
白のカットソーにピンクのカーディガン。下には短めのデニムのスカート。春らしく明るい色合いの服装は、彼女に良く似合っていた。
はじめて見る組み合わせだった。カーディガンは新しく買ったものだろうか。
そんなことをつらつらと考えて、彼女の服装まで事細かに記憶している自分にうんざりする。これじゃ、一歩間違えればストーカーだ。
「行きたいお店、決めてあるの。退屈だったらすぐ言ってね」
「いえいえ、家具とか見て回るの好きだから、全然平気です」
「良かった」
彼女が微笑む。こうして、あと何度彼女の笑顔が見られるのだろう。
「すっかりあったかくなったねー」
「ですね、コート着てこなくて良かった」
「寒がりだもんね、でも夜は冷え込むらしいよ?」
「え、まじですか。やだな」
とりとめのない話をしながら、俺達は歩く。
近付きすぎないように、遠すぎないように。この距離感を覚えたのも、もう3年も前だ。


一目惚れ、だったと思う。
こんな風に、暖かい春の日だった。着慣れないスーツを着て行った大学の入学式のあと。
講堂に続く桜並木にはサークルの勧誘をしている上級生たちとその獲物である俺たち新入生が入り混じり、歩くのも大変なほど人でごった返していた。
田舎出身の俺はこんなに混雑している状況に出くわしたことがなく、もみくちゃにされているうちに人に酔った。
一本外れた通りのベンチに腰掛け、慣れないネクタイを緩めて深呼吸 ―― 彼女に声を掛けられたのはそんな時だった。
『君、大丈夫?具合悪い?』
顔を上げると、彼女がいた。
こげ茶色のボブに、赤いシンプルなピアス。細身のジーンズをTシャツととジャケットで合わせたシンプルなスタイル。それが却って彼女の魅力を引き立てていた。
綺麗な人だな、とヨコシマな気持ちに意識を持っていかれていた俺に、彼女がはい、とペットボトルのお茶を差し出してくれる。
『え?』
『あげる』
『え、いや、そんな…』
『顔色真っ青だよ。酔っちゃったでしょ?まだ口付けてないから、よかったらどうぞ』
押し切られるような形で俺はお茶を受け取り、一口飲む。冷たい感触が喉を通り、気分の悪さが少しだけ治まった。
『しばらくここで休んでるといいよ、こっち側は勧誘禁止だから、人は来ないの』
『そうなんですか…、すいません、頂いちゃって』
『いいの、部長のお金だし』
(あ、笑った)
今思えば、この時点で既に俺は恋に落ちていた。
去ろうとする彼女を引き止めて、彼女が持っていたチラシをもらったのも、繋がりを持ちたかったからで。
そのまま彼女の所属するコーラスサークルに入ったのも、彼女の歌声を聞いてみたかったからで。
要するに俺の大学生活は、彼女から始まったのだ。


俺たちは実に仲の良い先輩後輩だった。
声の相性がいいと褒められ、サークルでは二人で何度もボーカルを取った。
二人で飯を食いに行ったことも飲みに行ったことも数え切れないくらいあるし、俺が酔いつぶれて部屋まで送ってもらったこともある。もちろんその逆も。
くだらないことで笑って、泣いて、ケンカして、許しあって。
でも、俺たちは『先輩』と『後輩』だった。この3年間、決してその一線を越えることはなかった。
彼女の隣は居心地が良かった。彼女の笑顔を見ていたかった。二人の関係を壊すのが怖かった。
だから、告白は出来なかった。だってもし、俺のせいで気まずくなってしまったら?
だから俺は、友人たちにヘタレと罵られながらも『後輩』であり続けた。
しかし、それはもうすぐタイムリミットが来てしまう。
―― 彼女は卒業し、遠くの街へと旅立ってしまうのだ。



「メイコさん、これなんかどうですか」
「あ、可愛い。これ同じのもうひとつあるかなぁ」
「聞いてみましょう、すみませーん」

彼女の新生活の買い物に付き合う、と立候補したのは俺だ。
少しでも彼女のこれからの生活に関わりたかったという、我ながら女々しい理由。
数軒の家具屋や雑貨屋をめぐり、順調に家具や生活用品を揃えていく彼女の横顔は、これからの生活への希望で満ち溢れている。やけに綺麗で、それが寂しい。
きっと彼女は、桜が咲くのを待ち望んでいるのだろう。桜が咲けば、俺の知らない街で、俺の知らない生活が待っている。

「カイトくん、おまたせー」
店から遅れて出てきた彼女が、はい、と微笑んで小さな包みを差し出した。
「え?これは?」
「ん、今日付き合ってくれたお礼。大したものじゃないんだけど」
「え、いいんですか?」
「うん、もちろん」
がさ、と乾いた音を立てて包みを開く。中に入っていたのは、さっき彼女が買った桜の形をしたフォトスタンドだった。
「これ…」
「可愛かったからお揃いにしちゃった」
えへへ、と照れたように彼女が笑い、自分の包みを顔の横で掲げる。破滅的に可愛いその笑顔に俺の胸がしめつけられる。
お揃いとか、何考えてるんですか。
――これじゃ俺、あなたのことを忘れられない。



「わぁ、綺麗!」
少し歩きませんか、と誘った川辺は、桜が満開だった。
薄いピンク色の花が空を覆い、見上げた景色は嘘みたいに綺麗で。
桜なんか咲かなきゃいい、と思っていたのはついこの間のことだったのに。月日は無慈悲にも流れていって、隣にいる彼女は遠くへ行ってしまう。
「すごいね、満開だね」
「そうですね」
「ねぇ、初めて会った時も桜が咲いてたよね」
「ああ、サークル勧誘の日」
「そうそう、人酔いして一本外れた通りに行ったら、真っ青なカイト君が座ってて」
「あれ、メイコさんもだったんですか?」
「実はね。すぐ酔っちゃうから人混み苦手なんだ」
「…じゃあ、4月から大変だ」
「え?」
「人混み、すごいですよ東京は」
「…やっぱりそう思う?私もちょっと不安なんだけど」
じゃあここに残ればいい、と間髪入れずに出てきた自分の気持ちに苦笑する。
もちろん、そんなこと言えるわけもなく。俺はわざとらしく、茶化すような笑顔を浮かべる。
「…気をつけてくださいよ、酔っちゃっても、もう俺は介抱出来ないんですからね?」
「…それ、人じゃなくてお酒の話?」
「バレました?」
「もう!」
ぱしん、と右肩に彼女の指先。
重なる笑い声。
今まで俺の側にあったもの。
なくなって、俺はどうやって息をすればいいんだろう。

「…カイトくんも、弱いんだから飲みすぎちゃだめだよ。私だってもう介抱できないんだから」
「…分かってます」
きっとあなたより、何倍も、何十倍も。
言うことのできない言葉を飲み込んで、俺は無理やり笑う。
すると、ぽつりと彼女が呟いた。

「…もう一年、遅く生まれてくれば良かったな」
「え?」
「だって、そうしたら同級生になれたじゃない」
「……」
「…あ、でも、そしたら同じサークルに入らなかったかもしれないよね?」
「…そうですね」
「…じゃあ、先輩でよかった。だって3年間、すっごい楽しかったもん」
カイトくんがいてくれたから。
そう言って、彼女はすこしだけ頬を染めて微笑んだ。


そんなこと、言わないでください。
そんなこと言われたら、俺。
抑えきれない。


ざぁ、と風が吹く。

衝動的に体が動いた。彼女の細い肩をぐい、と引き寄せる。

桜の花びらが彼女を連れて行ってしまいそうな気がして。

捕まえなくちゃと強く思った。



―― 初めて胸に抱いた彼女は思ったよりずっと小さくて華奢だった。
鼻先にある髪の香り。彼女の香り。
初めて侵した『先輩』と『後輩』以上の距離は、眩暈がするほどの感情を呼び起こす。
彼女が好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで、どうしようもなくて。
彼女を傷つけてしまうかもしれないこの波に飲まれるのが怖かった。
怖かったのに。
ああ、なんだろう。俺、後悔してないや。

「カ、カイトく…」
「これ以上は、しません」
「…え?」
「これ以上のことは絶対にしません。…だから、もう少しだけ、こうしててもいいですか」
一瞬だけ間があって、こくん、と彼女が頷く。

「…メイコさん」
「…はい」
「ひとつ、ご提案が」
「…なに?」
「…1年間、待ってみませんか、俺のこと」
「…え?」
「どんなにイイ男が現れても、1年間だけ待ってくれませんか。俺、これから1年で絶対にそいつよりイイ男になります」
「……」
「イイ男になって、あなたのことを迎えに行きます。絶対に、行きますから」
「……」
「だから、あの、えっと…なんていうか…」
「…待ってていいの?」
「…え?」
「私、カイトくんを待ってていいの?」
「…待ってて、くれるんですか?」

少しだけ体を離して、彼女の潤んだ瞳を見つめる。
すると、顔を真っ赤にした彼女が呟いた。

だって、今までだってずっと、待ってたもん、と。



風が吹いて、桜が舞う。

俺の快哉と共に、花びらが青い空へと吸い込まれていった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】桜の頃に

カタギリ様の美しすぎるカイメイを拝見して、辛抱たまらなくなって書いた初めての現代パラレル。


設定としては
めーちゃん→大学4年生卒業間近、東京で音楽系雑誌の出版社に勤務予定。

カイト→大学3年生。(設定を就活生に変更しました)サークルでは現部長。

2人の行ってる大学はなんとなく東京以西にあるイメージ。
なんという妄想。



とりあえずカイトを君付けで呼ぶめーちゃんが書きたかった。
本家のにいさんがだいぶ変態じみてきていたので、ピュアなにいさんが書けて満足です。


カタギリ様の美しいイラストはこちらから→http://piapro.jp/content/9iumkm7r38jdbmo5

閲覧数:1,793

投稿日:2010/04/22 17:50:36

文字数:4,152文字

カテゴリ:小説

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