細い細い月と、きらびやかな星たちが、深い藍色の夜空を飾っている。
街灯も少ない川辺で、僕、カイトは、メイコさんと並び立って、空を見上げていた。
「綺麗ね……」
メイコさんの感嘆の言葉につられて、僕は目線を空からメイコさんに移した。
サイド部分を少しだけ取って束ねた栗色の髪。ほとんど光のない中でも輝きを失わない紅茶色の瞳。深みのある青地の上に淡い桜色の牡丹の花をあしらった浴衣には、コントラストを強調するように紅の帯が締められている。
「そうだね……」
僕自身の格好もいつもとは違って、青磁色に藍色で縦縞の入った柄の浴衣姿だ。
『次はカイトとメイコで和風曲を作る予定だから、雰囲気を味わうためにも、ふたりで浴衣デートしておいで』
そんな台詞と共に浴衣を押し付けて来たマスターに感謝しつつ、僕はじっとメイコさんの横顔に見入っていた。
視界の端に押しやられてなお、鮮やか過ぎる天の川に、ふと、七夕の伝説が思い浮かんだ。
お互いを思い過ぎて、仕事を疎かにしてしまって、思い合いながらも引き離されて、一年毎にしか会えない恋人たち。
そんな風になりたくはないから、「歌うこと」をこれからも第一にしていく。その決意に嘘はないけれど。
「アンタレスもすごいはっきり見えるわ……」
メイコさんの発した、耳慣れない固有名詞の響きに、意識を戻す。
「アンタレス?」
「さそり座の一等星よ。ほら、天の川の川下のほう、地平線近くの赤く目立つ星があるでしょ?」
メイコさんが白くて細い指を伸ばす。示す先に目線を向けると、確かに赤い星が煌々と輝いていた。
「うわあ……、綺麗な赤だね」
鮮やかな赤。そういえばメイコさんはさそり座の上に太陽がある時に生まれたんだっけ。ヒトでいうなら「さそり座」の生まれのはず。
メイコさんとさそり座って縁深いんだなあ。そう思いながらアンタレスを眺めていると、メイコさんがささやくように尋ねてきた。
「そういえば、カイト」
「ん?」
「アンタレスって、なんで赤いか知ってる?」
「え? えと……」
静かな静かな問いかけ。メモリを探るけれど、咄嗟に答えは出てこない。
「ええっと、えと……。な、なんで?」
どこか張り詰めた静寂が痛くて、慌てて問い返す。メイコさんがアンタレスに目を向けたままで小さく笑ったのが分かった。
「諦めるの早いわね」
「ご、ごめん……」
「別に、謝ることじゃないでしょ」
未だに空気がぴりぴりと痛い。そんな中で、メイコさんが弾むような声で答えをくれた。
「正解はね、老いた星だから、よ」
予想外の声色に、ぞくり、と僕の背筋を戦慄が走る。それはあまりに今の心境に似つかわしくないように思えて。
「アルタイルやベガは白いでしょ? あれらはまだ新しい星なの」
牽牛星。織女星。指し示すために動かされた右手の指先の爪の赤がやけに目につく。
「年を経るごとに、青白かった星は、黄色くなって、赤くなって」
そのままでメイコさんがアンタレスに向かって一歩を踏み出した。その背中に唐突に「赤い貴女」の面影が重なる。
一緒にいたのに、別れの言葉を交わすことも出来ないままで、突然去っていってしまった「貴女」。
「……終焉を迎えるのよ」
そんな「貴女」が居たから、僕は永遠などないことを知ったんだ。
ずっとそばにいると思っていた相手が居なくなったあの空虚。
「貴女」を思い続けていたのだと理解したのは、「貴女」を失った後だった。
今のメイコさんに出会う前の「貴女」との別離が唐突に思い起こされたのは。
……夜空と同じ色の浴衣姿のメイコさんが、溶けて消えてしまいそうに見えたから。
気付いた時には右腕を伸ばして、メイコさんの左手をつかんでいた。向き合う形になるように勢い良く引き寄せる。
鼻をくすぐるほのかな香り。胸元に小さくぶつかる感触。さら、と髪がすれる音。
「カイト?」
純粋に疑問を含んだ声で呼ばれて、ほぅ、と安堵のため息が漏れた。
「……どうしたの?」
問いかけられて、自分の身体が小刻みに震えていることに気がついた。
このヒトまで突然に失ってしまったら、僕は、……耐えられるんだろうか。
震える手で、メイコさんの左手を、そっと僕の右胸の上に導く。……胸の奥で脈動する鼓動が、メイコさんの存在を求めてる。
「ごめ、ん」
思わず漏れた謝罪に、メイコさんが思いっきり吹き出した。右手が上がってきて僕の鼻をつついてくる。
「もう、莫迦ねえ」
「あ、う」
「この私が消えるとでも思ったの?」
「で、もっ」
でもだって。メイコさんはさきがけじゃないか。僕より先に世の中に現れて。ならばメイコさんが先に終わりを迎えてしまうと思っても仕方ないじゃないか。
反論を叩きつけようとした時点で強く鼻がつままれた。らっへ、と続ける僕に、メイコさんが満面の笑顔を向けてくれる。
「自分の感覚を信じなさい。今は、ちゃんと、ここに居るでしょ?」
メイコさんの左手の指が軽く動いて、僕の鼓動の上にリズムを刻み始めた。
……ああ、そうだ。それは嘘偽りのない真実だ。
そして、それ以上の確約をしないでいてくれるのも、また、……メイコさんの優しさだ。
甘いだけの夢は、破れた時に辛くなるから。永遠なんて軽く誓ったりしないのだ。
「それにね」
「ほえ、に?」
「寿命を迎えて砕けた星も、それだけじゃ終わらないのよ」
つままれていた鼻が解放される。
「終わった星はね、新しい星の材料になるんだから」
新しい星。その言葉に、綺羅星のように輝く弟妹たちの姿が思い浮かぶ。
そういうこと、か。
彼らに少しでも遺せるものがあるのならば、それはきっと、僕らの生まれた意味にもなるのだろう。
「そっか……」
「そうよ」
「そうなんだね……」
ゆっくりと震える左腕をメイコさんの身体に回す。
消えないで。いかないで。離れてしまわないで。
叫ぶのは簡単だけれど、究極的には叶わない願いだということを忘れるわけにはいかない。
だって、僕とメイコさんは、どう足掻いても「同一」ではないのだから。
だから、今、このメイコさんを。幻なんかじゃないと出来る限りで感じたい。
左腕に力を込めると、愛おしい身体がそっと身を寄せてきてくれた。鼓動の上のリズムはそのままに、右腕が僕の腰に回ってくる。
「ねえ、カイト」
嬉しそうに緩んだ声が耳をくすぐる。温かい吐息が首筋に触れる。
「なに?」
「……ううん、なんでもない」
そう言いながらも、喉に小さく、かすかに、柔らかいものが触れた。
―――あなたの声が、あなたが、愛おしいの。
言葉ではなくて伝わってくる思い。込み上げる幸せが不安を塗り潰す。身体の震えが収まって、顔が緩んでいく。
「ねえ、メイコさん」
「なあに?」
僕の声も緩んで聴こえてる? 今はまだ、そばに、隣に、居てくれる?
……尋ねようと思ったことは、いざ口にしようとすると、全部が愚問過ぎて。
「……なんでも、ない」
細い肩を抱き寄せて、小さく額にくちびるで触れて、そのまま、目を閉じた。
月に微笑まれ、星に見つめられながら、夜色のメイコさんを目一杯感じ取る。
終わらないものがないことは知っている。この今の時間だって、いつまでもは続かないのだから。
だからこそ、出来うる限りを共に過ごすために。
これからも、終わりが来るまで、歌い続けていようね。
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