星空の歌姫  ― "Diva", 14 eternal years old



「やぎ座って忍耐強い性格なんですって。」

いつのことだったか、母が私に笑みを投げかけて言ったのをふと思い出す。
病んでからもう幾年だろう。
私はもう随分とこの白い天井以外の色を見たことがなかった。

「やぎ座はね、孤独に耐えられる強い精神を持った人が多いのですって。リンもきっとそうだわね」

あれは何年も前、私がこの病院に入院した日。
まるで最期のはなむけの言葉でも送るようにして母が放った言葉だった。
気づけばもう14歳。
毎日会う人間といえば、入れ替わり立ち代りの…顔も覚えられない看護師。これといって親近感も抱けない医師。
家族はもちろん来ない。ただでさえ母子家庭で、私の入院費を稼ぐための仕事で忙しいなら文句なんて言えるはずもない。

―いくら胸が苦しくて、今にも息が止まりそうでも、私はお母さんのために耐えなくてはいけないの。耐えなくちゃダメなのよ。

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もうすぐ私の15歳の誕生日。
冬の星座の民、カプリコルヌス族に生まれた私はずっと孤独に生きてきた。
カプリコルヌス族の人間は、「生れ落ちてから成人するまではずっと一人で生きなくてはならない」という掟を持つ。
吹雪の止まないこの星でその掟を守るのはとても厳しいけれど、「生き残れなかったらそれまでというだけの話」。
なんて冷酷な風習だろうといつも思う。顔も見たことのない両親を恨むこともしょっちゅうだった。
けれど、私は次の誕生日で15歳の成人式を迎えるの。
出生の唯一の証拠であるバースディプレートを握り締めながら、私は胸の期待で今までの禍根を忘れようとしている。

成人集落に行く準備はもう何週間も前から済ませてあった。
荷造りの時間がそんなにいらなかったのは荷物が少ないから。
道程は3日とかからない距離だし、一番危険の少ない中央街道を行くから食料もそんなにいらない。
大切なバースディプレートと、護身用のナイフと少しばかりの幼年通貨があれば余裕の旅路。
あ、そうそう。忘れちゃいけないのが私のお気に入り、“流星伎楽団”の立体ミュージックビデオとポスター。
楽しいお芝居、笛や太鼓の妙なる演奏、美しい演舞。
そして私の憧れ、12人の歌姫たちの清廉な歌声と綺羅綺羅しい姿だけはいつもそばにおいておきたいの。
もしかしたら食料よりもずっと重要な私のライフラインかもしれない。

流星伎楽団は星々を渡る宇宙の伎楽団。
この広い世界で、一生に一度会えるか会えないかの奇跡のエンターテイナー、”流れ星”たち。
実は私も生で見たことはない。それでもはじめて彼らの演舞を街の銀河中継スクリーンで見たとき…心の中に確かに暖かいものが灯ったわ。
そして、今でも思い出せるその情景の中でひときわ鮮烈に思い出せるのは―12人の「星座の歌姫」。
中でも宇宙一の歌姫と名高い“おとめ座の歌姫 ミク”は、その時からずっと私の理想であり目標。
市場でやっと手に入れたポスターの中の彼女は常に私を見てこう呟く。

“私のいるステージまで上っておいで”

十年に一度の流星伎楽団入団最終選考会。
最終選考の合格通知を最後に荷物へとしまい込んで、私は幼年期を過ごした住処を後にした。

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「リンちゃん、おはよう。昨日は薬の副作用がきつかったみたいだけど…よく眠れたかな?」
「大丈夫です。」
「そう、よかったわ。」

今朝もまた、ぼんやりとしか見覚えのない看護師が問診にやってきて優しい笑顔を投げかけた。
本当は少しだけ体がだるいのだけど、これくらいならきっと問題ない。
自分の体のことは自分が良くわかっている。
いくら病人だからといって、誰かを煩わせる必要のない病状は告げない方がいい。
けれど、優しさに触れると素直になれなくなって「大丈夫」としか言えない自分がいるのも…少しは関係しているのかもしれない。
「もう少し頑張れる」「もう少し我慢できる」と。

「あなたのお母さんが前に言ってたけど、本当に“やぎ座のリンちゃん”は我慢強くてしっかりしてるわね。」

そう。
私はいつだってやぎ座のリン。
母の言う星座占いなんか信じたりして…自分をしっかり者だと思い込んで、誰にも心配をかけないように振舞った。
いつのまにか周りもそれを鵜呑みにした。
それでよかった。それがよかった。そのことに誇りさえ持っている。
私はお母さんを困らせない“いい子”だもの。
なのに、心のどこかが切なくて歯がゆいのはどうしてなんだろう。

「看護師さん、私はかに座です。」
「あら?でもあなたは12月生まれで…」
「かに座の英名知ってますか?“cancer”って言うんですよ。」
「…リンちゃん!」

看護師は意味を悟って声を荒げる。

「同じ病名の私には、やぎ座よりかに座のほうがお似合いなんです。体の中に星座がある私には。」

……本当はそんな理由でそんなこと思ってるんじゃない。
私、冬の寒々しい星座より…夏の陽気な星座に生まれ変わりたかっただけなの。
なんでこんなこと言ってしまったんだろう。
ただ誰かを不快にさせて、心配をかけるってわかっているのに。
でもこういうのって、強がりって言うんでしょう?やっぱり私は独りよがりのやぎ座のリンだ。

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“15になる者は演者に加えよう!”

全宇宙が聞き慣れた煽り文句は、今日を境にあと十年間は聞かれなくなるはずだ。
それは、今日が流星伎楽団入団最終選考会の七日目、つまりは最終日だから。
この七日間、歌に踊りに演技に楽器、様々な試験が行われ、候補者たちはそれぞれに適した分野で入団できるかを試される。
最終選考に残った者は全部で百名。この中から十年に一度、流星伎楽団に入団できる八人が決まるのだ。
全ての試験が終わり、あとは発表を待つだけ…どの候補者の顔も緊張で歪んでいる。
斯く言う私もそんな顔の一つを並べていた。

「では今年の入団試験最終合格者と、その者の担当を発表する!」

白髭をたっぷりと結わえた団長が候補者の前に立つ。
これから彼の口から、栄光の切れ端を掴む者の名前が叫ばれるのだ。

「やぎ座ダビー星出身、レン!舞楽!」

最初に呼ばれたのは同じ年頃の少年だった。しかも隣の星の!
嬉しさを頬の紅潮いっぱいに出して、彼は一歩前に躍り出る。
あの子、本当に入団できて嬉しそうだな・・・私ももちろん入団できたら嬉しい。
けれど、でも・・・憧れのミクと同じ歌い手としてじゃなきゃ絶対に嫌だと思っている。
ミクは私の憧れ。ミクのようになりたい。ミクのところまで辿り着きたい。
“おとめ座の歌姫ミク”は、その名にふさわしくおとめ座のスピカ出身だ。
スピカは有数の美しさを持つ連星一等星で、宇宙の文化の中心点でもある星。
昔から“才能はスピカから生まれ出でる”と言われる通り、多くの著名人を輩出してきたことでも知られている。
ミクはそのスピカで、彼女の生まれる百年前からその誕生を予言されていた“運命の歌姫”。
予言師から「カオスから星々救う女神」とまで称されているらしい。
正直、私はそれが何を意味するのかわからない。
もしもわかったとしても、私がミクを憧れる理由にそんな予言は入り込めないと思う。
だって、私のミクへの憧れは、第三者の予言の凄さでじゃなくミク自身の歌声で表現される美しさによって湧き起こっているんだもの。
12星座の歌姫たちは全員素敵。でもミクがいるからもっと素敵。
嗚呼、私がその一員になって歌えたらどんなにか。
でも、もうすぐその夢や希望にも終止符を打たねばならないかもしれない。
ちょうど七人目の合格者の名前が呼ばれた。
夢の流星伎楽団に入れるのはあとひとり。
神様……!どうか……

「やぎ座アルゲディ星出身、リン!歌楽!」

う…そ。
いま聞こえた自分の名前が幻聴だったのではないかと何度も疑う。
けれど、ざわめきとともに周りの視線が一気に私へと注がれるのを感じて、怪訝の他に何か新しい感情が上ってくる。
それは、この選考会に当たって持っていた“期待”がもっと膨らんだもの。“流れ星”になって歌う私のビジョン。
それがより強い確信となって目の前をぐるぐると回っている。
まさか、まさか私、流星伎楽団に合格できたの…?

「どうしたね?やぎ座のリン、君が最後の合格者だ。」

団長は間違いなく私を見て笑顔を投げかける。
会場の端から少しずつ拍手が起こり、やがて大きくなるにつれて実感も大きくなる。
嘘…夢?でもこれはきっと本当。私、“流れ星”になれるんだ…!

拍手が終わっても、確信と夢心地は覚めやらない。
そんな私を見て、団長は笑顔をさらに穏やかにして私の前に歩み出た。

「なお、リンについては今回欠員の出た12星座の歌姫の穴を埋めてもらう。」
「え…?」
「かに座の歌姫グミだが、病気療養のため引退することになったのだ。
入団まもない新人に大役を任せることに不安はあるが、君には重責に見合うだけの才があると私は信じている。」

白髭の紳士は、近づいて私の両手をしっかりと握り締める。

「リン、今日から君がかに座の歌姫だ。」

先程の拍手とは比べ物にならない歓声が祝福の号砲となって私に押し寄せてくる。
し…信じられない!私が12人の歌姫の一人に選ばれるなんて!!
頬をつねろうとすると、誰かの美しい手がそっとそれを制止した。
振り向くと、何度も何度もポスターで繰り返し眺めたあの顔があった。

「おとめ座の…ミク!さん…!」

おとめ座の歌姫ミクその人が、翡翠色の瞳で見つめていた。私を、私だけを。
ポスターや映像のミクではない、本物の、生身のミクが私だけにまなざしを投げかけている。
その事実だけで涙が出そうになる。
そんな私の心情を悟ってか、至高の歌姫は私の頭をふんわりと撫でて優しく微笑んだ。

「期待しているわ、リン。おとめ座とかに座に音楽の架け橋がかけられるように。」

どうしよう、涙が止まらない。
目の前の憧れのひとは、もう紙の上の印刷じゃない。映像上の虚像でもない。
本物のおとめ座の歌姫なんだ。
そして、その人と私はこれから同じステージで歌えるのだ。
歌声と歌声を重ね合わせて、星々にメロディを降り注ぐのだ。

「リン、入団後はじめての協奏相手として私を選んでくれないかしら」
「は、はい!喜んで!!」

夢のような申し出に、涙でぐしぐしに汚れた顔をぬぐって私は笑顔で頷く。
すると、選考会の会場に集まった演者たちが寄り来て身を乗り出してきた。

「じゃあ僕は踊ります!」
「では私が笛の音で演奏を。」
「選考には落ちちゃったけど…私もやらせてください!」
「俺も!」
「それじゃああたしも!さぁさはじめましょう!」

みんなが私とミクさんの周りに集まって、まるで私たち、小宇宙みたい。
私たち一人ひとりが小さな星々となって奏でる演奏は、孤独を生きてきた私にとってとても心地よい暖かさを感じさせてくれる。
団長が私たちの楽の輪を眺めて呟く。

「我等は流浪の楽人。されど星々の間で響く音楽は…流離わず観客の記憶に残るだろう。」

私はここで生きていくんだ―。

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「先生駄目です!心肺が停止しています!!どうして…昨日はあんなに大丈夫そうだったのに…」
「親御さんに連絡とって!」
「それが自宅も会社も携帯電話にも繋がらなくて…留守電は入れましたがこちらにいつ来られるかは…」
「明日…明日なんだぞこの子の15歳の誕生日は!!」


―お母さん、やぎ座の私は孤独に強かったかもしれない。
―だけど、いくら強くても一人は誰でも寂しいよ。
―本当はもっとお母さんと一緒にいたかったよ。頭を撫ぜて欲しかったよ。頬にキスして欲しかったよ。ぎゅ、って抱きしめて欲しかったよ。
―15歳の誕生日、お母さんとお祝いしたかったよ。


でも“大丈夫”。もう寂しくないの。
深い眠りの中で、私は星空の歌姫だから。



♪宝石でデコレイトするのよ 十五歳のバースデイケーキ…



ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

星空の歌姫  ― "Diva", 14 eternal years old

mugwortさんの楽曲(http://piapro.jp/content/pim1kez1yto0406d)の、華やかさの中にも切なさのあるメロディから構想を得たものです。

閲覧数:196

投稿日:2010/09/05 05:14:07

文字数:5,138文字

カテゴリ:小説

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