「あの薔薇はボカロジア家だけが育てている薔薇よ。美しい純白だったでしょう。一族が誇る最高の美、そして親愛なる共犯者よ。一族に嫁いでくる花嫁を祝福して、結婚式で贈られる花でもあるの」
「共犯者というのは?」
何気なく問いかけたレオンの腕に、蔦のように伸びた細い腕が絡みついた。
動きを止めた男の肩に顔を寄せ、微かな声がそっと秘密を打ち明けた。
「薔薇と並んで、私の一族には代々伝わる、ある薬があるわ。その薬を溶かした水に薔薇を挿しておくと、いつまでも色褪せず枯れないまま時を止めるの。その花は特別な贈り物に使われるわ」
「――・・・毒か。暗殺に使われてきたんだな」
レオンの低い声には答えずに、ただ微笑む。
「そうやって作る花の中にはね、ごく稀にどういうわけか花弁の色が深い蒼に変わるものがあるの。千にひとつ、万にひとつの確立で、ボカロジア家の薔薇と毒薬だけが幻といわれる色を作り出す。一族のものしか知らない、門外不出の秘密の花よ」
するりと腕が解かれた。
睦言を囁くように寄せた身をあっさりと離し、少女が悪戯っぽく小首を傾げる。
「だから、今の話も誰にも秘密、ね?」
存外に子供じみたその仕草に、レオンは大きく息をついた。これが無意識なら、まったく性質の悪いことこの上ない。
「そんな物騒な使い方をする花を花嫁に贈るのか?」
「それがボカロジア家に嫁ぐということよ。母もそうやって迎えられたわ。私の一族らしいでしょう」
誇らしげに答えてみせる少女に、レオンがぽつりと呟く。
「君のことを知るたびに、近くなっているのか、遠くなっているのか分からなくなるな」
そう言いながらも、怯むことを知らない視線はミクを真っ直ぐに見つめている。
それが嬉しいのか、苦しいのか、答えを曖昧な笑みにぼやかして、ミクは手の中の花束へ目を落とした。
「・・・あなたがくれたお見舞いの花も、この花束も私は好きよ。とても温かくて、・・・優しい花ね」
彼が見舞いによこした花は、気持ちの慰みになるよう色は華やかに、体調を気遣って香りは少ないものを選んであった。
ろくに会おうともせず、話もしたことのない、結婚式の後でさえも見え透いた嘘で相手を拒むような娘相手に。
その気遣いは彼の、人そのものに対する態度を端的に表していた。
誠実で優しい人だと思った。
国王からと銘打って贈られた花なら、ミクは一顧だにしなかったろう。
人知れず差し出された気遣いだったから、ミクはその人となりを気に入ったし、そういった気遣いの出来る人を見殺しにすることを惜しんだのだ。
今なお、ミクが純潔を保っていられるのも、彼がミクに譲歩してくれているからだ。
嫁いだ身でありながら他の男に気を取られている女の我が侭など無視して抱けば良いのに。そうしても誰も責めないだろうに。
彼は無言のうちにミクの我が侭を汲んでくれる。
本当に、兄の言うとおりだ。
自分はもう少し無知であれば良かったのだ。
そうしたら花束に篭められた気遣いにも気付くこともなく、一度の見舞いにも来ない薄情な結婚相手など早々に見捨てられただろう。
そうしたら・・・今なお、この身は兄の従順なだけの人形でいただろうか。己の中の嵐のような激情にも、叶うべくもない想いの絶望にも気付くことなく。
「良いのか」
いつの間にか足を止めていたレオンが、ミクを正面から見つめた。
大切な話をするときはいつもそうやって、真っ向から相手を見る人だ。
「いつか故国を敵に回しても、君は良いのか。故国を、家族をまだ愛しているんだろう。何よりも、兄である男を」
「レオン」
言葉の続きを遮るように、ミクは男の名を呼んだ。
「ねぇ。私はこの国の王妃として、きっと誰よりも適任だと言えるわ。あなたに足りないものを補い、共に戦い、この国を導いていける。どんな大国にも引けを取らない、豊かな国へ。いずれ、その時が来れば世継ぎを生み、育て、そして、いつか誰も見たことのない繁栄を誇るこの国をその手に委ねるでしょう。私たちは共に老いた姿で、きっとその輝かしい日を迎えられるわ」
歌うように語られる眩しい未来に、レオンが微笑む。
「そうだな。君と一緒になら、きっとそんな素晴らしい未来を掴めるだろう。・・・君が心の中で本当は他の誰かを愛していたとしても」
最後にはっきりと告げられた言葉に、ミクが肩を揺らした。
少女の手を取り、彼は穏やかに続けた。
「ミク、私はそれを受け入れている。政略結婚で結ばれるのが当たり前の王族達の中にあって、私たちの関係はとても恵まれたものだ。私たちは、同じ未来を目指す同士として、互いを信頼し、尊敬し、手を取りあうことが出来る。私はこの国を愛する王としてそれを喜ぼう」
白く華奢な手の甲へ敬愛を示す接吻を落とし、真っ直ぐにその目を上げる。
「それでも、王としてではなく一人の男としての私は、君の嘘偽りのない本当の気持ちを知っていたいと思う。例え、その結果、望むものが返らないとしても」
決して耳触りの良い言葉でごまかされてはくれない、愚直で不器用な男を見つめ、ミクは泣き笑いのように顔を歪めた。
「・・・本当に損な人ね。あなたにそれを言うのが残酷なことだと判っているのよ」
私が愛しているのはあなたではない、他の男なのだと。
このまま、本心を告げてしまうのは、誠意だろうか、贖罪だろうか。
全て答えを知った上で、それを許している男なら、なおのこと彼の前でミクがその想いを認めることは、してはならない選択だ。
男の胸に額を押し当て、ミクは隠すように顔を伏せた。
「・・・そうよ。誰より愛してるわ、憎いほど」
背中を抱くように回された男の腕の中で、別の男への想いを囁く。
「あの人が他の誰かを選んで、指輪を捨てたように私を捨てたとしても、私を忘れるなんて許さない。あの人の中に、私が何ひとつ残らないなんて許せないわ。だから、私があの人から全てを奪うの。この国を武器にして、いずれあの国を継ぐあの人を追い詰めたいの。裏切って、追い詰めて、そうしたら、あの人は私を憎しみで見るでしょう。そうやって今度こそ、あの人の中に私を深く刻み付けるの」
甘く熱を帯びた声音で、呪いのような言葉を吐きながら、ミクは今更ながらに己の業の深さを嗤った。
こんな狂気のような醜い感情を、人はとても愛とは呼ばないだろう。
わかっていながら、それを恥じることも、ましてや止めようとも思わない、この傲慢さこそが、『お前もボカロジアの娘だ』と告げた父の言いたかったことに違いない。
ただひとつ、誤算があるのなら、それは今も緩まないこの腕の存在だった。
この告白を聞いて、いっそ見切りをつけてくれれば良いのにと願う。
「自分勝手な女でしょう。だから、レオン、・・・約束してね。この先、もしも、あなたに危険があったら、私が守るわ。だけど」
言葉を切り、ミクは祈るように告げた。
「例え、私の命が危なくなっても、あなたは動いては駄目よ」
「出来ない」
「お願いよ。あなたは生きて、最後までこの国の王であるの。私が死ぬときは、きっとそれは私の意志だわ。それが私の我が侭なの。だから、私を顧みないで」
「・・・死は耐え難いんじゃなかったのか」
レオンの声は怒っているようだった。
それも彼はミクの勝手さをではなく、己の命を軽んじることを怒るのだ。
きっと、この人を愛せていたら幸せだったのだろう。
ふと思い、ミクは苦く笑った。
詮無いことだ。
それが出来れば誰にとっても幸いなのだとわかっていても、なお心が望むのは彼の人ただ一人。
彼の人に破滅を捧げるためだけに、地位もこの人の気持ちさえも利用して、まるで呪詛のような愛だとしても、それが自分の全てなのだ。
それを貫くためになら、自分はどんな醜い真似もするだろう。
「何も残さずに忘れられるのが耐え難いのよ。だから、逆らうの。抗って、裏切って、抜けない棘になって、あの人の中に残るの。他の誰よりも深く、二度と忘れられないくらい」
――そうして、いつかその手で殺しに来てくれればいい。
声には出さずに胸の内で呟く。
「私は私の意志で終わりを決めるの。それがどれほど愚かな選択でも」
コメント2
関連動画0
ブクマつながり
もっと見る「メイコは行ったようですね」
背後からひっそりと掛けられた声に、彼は静かに応えを返した。
「終わったか?」
「ええ。・・・少し歩きませんか」
音もなく横に並んだ影に、黙って頷く。
一斉に、歓声の聞こえたほうを目指そうと流れる人々の間を抜け、さりげなく人気のない方へと足を進め、彼らが向かった先は閉ざさ...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第25話】後編
azur@低空飛行中
戦況が動いたのは、それから間もなくのことだった。
『クリピアの本国で、民の暴動が起きているらしい』
どこからともなく、そんな噂が聞こえ始めた。
それはシンセシスの明暗を分けると言っても良い、重大な一報だった。
日夜もたらされる前線の報告に加え、巷に流れる埒もない噂までもつぶさに集めて、レオンは報告に...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第21話】前編
azur@低空飛行中
王宮は斜陽の内にあった。
窓から差し込む西日は目を眩ませるばかりに輝き、幾つもの広間や回廊に立ち並ぶ無数の柱、その表面に施された細かな彫刻のひとつひとつまでも照らしながら、その後ろに迫る終わりを暗示するかのような長く黒い影を作り上げている。
その最後の輝きのような眩さに怖れながら息を潜める人々、各々...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第24話】前編
azur@低空飛行中
「指輪を返してくれないかな」
そう言った男の顔には、常と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。
まるで紅茶のお代わりを頼むような気軽さで、この王宮に数多ある中庭のひとつに据えられたテーブルセットに寛いだ様子で頬杖を付いたまま、彼は呼び止めた召使の少年に声を掛けた。
「何のことです」
前置きもなく告げ...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第19話】中編
azur@低空飛行中
深夜。控えの間で休んでいたローラは、鋭い叫びに眠りを破られた。
俄かには夢か現かわからず、暗闇で目を開いたまま、ほんの一瞬前の記憶を辿る。
高く響く、若い女の声。場所は壁をはさんで、すぐ近く。――隣の部屋にはミクがいる。
一気に繋がった思考に、彼女は跳ねるように身を起こし、主人の部屋へ通じる扉へ駆け...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第15話】前編
azur@低空飛行中
「・・・・・・これから、どうするの?」
「どうとは?」
何事もなかったように襟元を正しながら、青年が首を傾げた。
掴み掛かられたことを気にした様子はない。鷹揚というよりも無関心に近い、手ごたえのなさだった。
「国を挙げて動けないあなたが、ここまで密かに私達を支援してくれたことには感謝するわ。でも・・...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第25話】中編
azur@低空飛行中
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想
azur@低空飛行中
ご意見・ご感想
はじめまして、kuzuha_hd様。ご感想ありがとうございます!
蒼い薔薇、ニヤリとして頂けた事に私もニヤリです。せっせと伏線を張った甲斐がありましたv 何しろ複線は気づいてもらえないと哀しいので・・・。^^;
ここまで読んで頂いて、お兄様と王女様の会話を見直して貰うと、お兄様が実にしれっとタヌキなことがわかりますw
レオンさん、惚れて頂けましたか。書き手としては冥利なお言葉です。
そ、そんな、何だかそんな嬉しい期待をして頂けると、つい報われさせてあげたくなるじゃないですか・・・!←
いやいや・・・、でも、この話はカイミクがメインのはずなのですよ。今度はkuzuha_hd様をカイミクに引き戻せるようにがんばります。^^;
ラストでは多分ご想像通りの展開になるかな・・・と思うのですが。
今度はお兄様の毒に侵されて頂けるか、さもなくばブーイングの嵐か、非常にドキドキです(笑)
励みになるお言葉ありがとうございます~。
続きもがんばります。^^
2009/09/07 23:41:50
kuzuha_hd
ご意見・ご感想
azurさん初めまして。いつも楽しみに読ませて頂いています。
21話、ここにきてこんな形でボカロジアの蒼い薔薇が出てくるとは。
しかも毒薬との関連まで。
ハクが商人に姿に身をやつして再度リンの前に現れた時の蒼い薔薇のくだりは
ニヤリとしたのですが、今回はやられた!って感じです(笑)
それから、レオンさんとミクについてなんですが、こちらの作品を読み始めた当初は普通に
カイミク押しだったのですが、レオンさんが出てきたと思ったらそのあまりの格好良さに
惚れてしまいました。
この作品がカンタレラと悪ノ~がベースとなっている以上、ミクとレオンさんが結ばれる
事は無いと諦めつつも少しだけ期待していたのですが、やはり無さそうですね(笑)
最後レオンさんも少しは幸せになることを願いながら続きを楽しみに待っています。
お身体に気を付けつつ頑張ってください!
2009/09/07 02:44:41