陛下に出会ったのは、こんな雪の降る寒い日だった。
当時人買いに売られた私は、剣の使い方を叩き込まれた。そいつは私を奴隷闘技場へ売るつもりだったらしいが、その前に殺した。逃げた私はその後、道行く傭兵に挑んでは金を賭けて勝負するという生活を送り始めた。私の腕は確かだったらしく、けして負けることはなかった。
そんな日々がずっと続くと思っていた。そんな時だった。
『見事な腕だな』
その日もまた、とある傭兵を倒した後だった。声に私が振り向くと、妙に身なりの良い少年がそこに立っていた。私よりも幾分か年上の彼は、傍に立っていた男に「なあ?」と笑いかける。
『…何か用?』
自分とは正反対の、いかにも大切に育てられたという雰囲気を見るだけで感じれる少年。正直、嫉妬していた。
『その腕を生かせる職に就きたくないか?』
…何を言っているのか分からなかった。首を傾げると、その少年はとんでもないことを言い出した。
『お前、騎士にならないか?』
『………は?』
ものすごく間抜けな声を出した。そんな私とは対照的に、自慢げに少年は胸を張る。
『お前のような凄腕がいれば、国も安泰だ』
『……い、いや。待て。ちょっと待って』
混乱しながら、私は両手を顔の前で広げた。
『…騎士になれって…そう簡単になれるわけがないでしょう。私は女だし、まだまだ子どもだ。それになんのツテもないのに…』
『例え女子どもだろうが、実力があれば自然と認められるさ。ツテだって、俺が父上と騎士団長に直談判してやる』
『馬鹿言わないで。あんたみたいな子どもを一国の主達が相手にするわけ――』
『こら娘!無礼を申すな!』
それまで黙りこんでいた男が堪りかねたかのように大声を上げた。
『この方はこの国の第一王位継承者様であられるぞ!言葉を慎め!』
『………っ!?』
思わず言葉を失う私の前で。
『そんな大声を出すな。見ろ、人が集まってきたじゃないか…』
せっかくお忍びで来たのに、と王子は大きく溜息をついた。
その後、結局私は騎士団に入団。最初は反発もあったものの、腕を認められるのにそんなに時間はかからなかった。
そして現在。当時ただの孤児だった私はこの国の軍を任せられる者に。王子は国王となった。
「――です。対し、我が方の騎士隊の損害は五人。魔術師隊の損害は十人前後。魔術で攻撃を受けた後折り悪く吹雪に合い、魔力が尽き弱っていた者が犠牲になったと思われます」
「例の魔道具は役に立ったか?」
「それなりには。しかし、魔石の消耗が激しく長期戦には不利かと」
「……そうか。皆に休息を与える。しばし休めと伝えろ」
「は」
「もうひとつの件の方はどうなっている」
冷えた眼が私を見つめる。翠玉色の、冷たい瞳。先程少女に向けた優しさなど微塵も感じない。
「…断ったそうです。魔道具の作成書を送る代わりに、二度と関わらないでほしいと……」
「………」
陛下は黙り窓の外へ視線を向けた。沈黙が部屋に満ちる。かつては、こんな沈黙も心地よい日があった。けれど今では、この沈黙が苦痛でしかない。
長い長い沈黙の後、唯一言陛下は言った。
「奪え」
「…承りました、我が主」
兵達に休みを言い伝え自分の部屋に帰る途中、歌声が聴こえた。小鳥のような、美しい歌声。視線で声を辿ると、あの少女と陛下が庭園にいた。歌う少女を優しい微笑みで陛下は見つめている。
「………」
あの少女と陛下が出会ったのは、陛下の即位式の時。祝いの席に現れた彼女の歌は、“国一番の歌姫”と称されるに相応しい美しい声だった。私と同じ年頃の少女。二つに纏めた長い髪と宝石のような輝きを持つ瞳は、陛下と同じ若草色。同性である私でさえも、その容姿と歌声に目を離せなかった。
だからこそ、気付かなかった。その時、陛下がどんな表情で少女を見ていたのかを。
『素晴らしい歌声だったな』
少女が帰った後、陛下が言った。あの頃は、まだ私にもよく笑いかけてくれていた。
『また城に呼ぼう。城の外の話も聞きたいし』
『親交を深めるのもよろしいですが、ほどほどにしてくださいよ?ご自分の立場というものを理解して―』
『はいはい』
『真面目に聞いてください!もう…』
その時は、陛下が気に入った人物を城に招くなんていつものことだったから、気にしていなかった。
けれどいつの間にか城に来るのは少女だけとなり、陛下は少女と二人きりでいる時間が多くなった。その頃だ。城に国中の医者が招集された。日毎に月毎に、医者が城にやってきては帰っていった。ある者は無念そうに。ある者は憔悴しきった表情で。またある者は、二度と城から出てこなかった。
『参りました、陛下』
そんなある日、私は陛下に呼ばれた。玉座の間。陛下はひどく疲れたような顔をしていた。
『……よく来たな』
『…随分お疲れの様子。何があったのですか?』
愚かなことに、私は陛下が何をしているかをこの日までまったく理解していなかった。誰よりも身近な所にいたはずだったのに、いつの間にか私と陛下の間には深い溝が出来ていた。
『……見つからないんだ』
『え…?』
『彼女の治療法が、見つからない』
まるで要領を得ない陛下の言葉を解読すると、こういうことだった。
もはや城にいない日が珍しくなったあの少女は、病に冒されているらしいこと。その治療のために陛下は国中から医者を集めたこと。しかし、治療法は見つからなかったこと。
『これでは彼女は…死んでしまう……また私は…俺は…独りに……』
『陛下…』
止める時があったのならば、きっとこの時だったのだろう。
けれど私は愚かで、ひどく怯えるこの人の為にしてやれることはないかと思ってしまった。
それは長い間仕えていた臣下として当然の感情。
…けれど、その奥にあるもっと深い想いに、この時の私は気付いていなかった。
『陛下。私を呼んだということは、私にやるべきことがあるからでしょう。命令を』
私の言葉に、陛下は俯いていた顔を上げた。
その時の陛下の表情を、私は今でも忘れられない。
まるでこの国を覆うような、冷たい雪のような表情。
氷のように、凍てついた瞳を。
『他国へ侵略する。何処かに彼女の病を治す術があるはずだ』
或る詩謡い人形の記録『雪菫の少女』第二章
あくまで自分の解釈です(もう一度念のため)
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