堅い木の扉を通して、抑えたノックの音が部屋に響く。
答える声のない沈黙に、間をおいて更に二度。音が繰り返した後、ゆっくり扉が開いた。
静かに踏み込んだ影は、室内の暗さに戸惑ったように、一度その場で足を止めた。
闇に目を凝らすと、そこへ差し出すように薄明かりが差した。
淡い光源に目をやれば、それは窓越しの月だった。カーテンが開いたままになっている。
視線を移せば、テーブルに置かれた蜀台の上で蝋燭が燃え尽きていた。
物にぶつからず歩き回れる程度には視界が利くことを確認し、彼は部屋の中に足を進めた。特に注意を払わないでも、床に敷き詰められた毛足の長い絨毯は足音を消してくれる。
探すまでもなく、求める姿はすぐにカウチの上に見つかった。
部屋の主である少女がそこで、肘掛に凭れて眠っていた。
さすがにドレスは着替えていたものの、寝衣ではない。ゆったりした部屋着から覗く白い腕が浮くようだった。
髪も解かず、靴を履いたまま床に足を下ろした窮屈そうな姿勢に、彼女が起きて待っているつもりだったことが知れる。
安らかな寝息を確かめて、彼は安堵とも落胆とも取れない吐息をついた。
胸元から抜き取った花を傍らに置き、ブランケット代わりに手近にあったナイトガウンを掛けて、その場を離れる。
去り際、惜しむように髪を梳いていった指の感触に、少女の瞼が震え、ゆっくりと開いた。
「……お兄様?」
ぼんやりとした視界に入った人影へ声を掛ける。
立ち止まった影が振り返るのを確認しながら、少女は目を擦り、身を起こした。
「ん、今、何時……?」
すぐ手の届く場所に置かれた一輪の花に気付き、それを置いたのだろう相手を見上げる。
影の口元に浮かぶ、困ったような微苦笑に、彼女は返らない答えを悟った。
「日付が変わる前に返してって言ったのに」
まだ夢の残滓の残る声は、咎める言葉もどこか稚い。
「ごめん」
部屋の暗さに紛れそうな、微かな声が囁いた。
目元を覆った仮面もそのまま、まだ服を着替えてもいない。なるべく急いでは来てくれたのだろう。
もう休むようにと言ったのは彼で、勝手に待つと告げたのは自分だ。
我が侭だと思うのに、いつだって彼は自分の一方的な願いまで叶えようとしてくれる。
膝の上に落ちたガウンの感触に、嬉しいような悔しいような複雑な気分でうつむく。
来てくれたなら、すぐに起こしてくれれば良かったのに。
たまたま目を覚まさなかったら、彼はきっとこの花だけ返して、去ってしまうつもりだったに違いない。
「ミク?」
黙り込んだ少女に、一度離れた気配が傍へ戻ってくる。
「もう時間も遅い。眠いのならベッドへ――」
「あれから、誰かと踊った?」
突然、脈絡のないことを聞かれたからか、返答には若干の間が空いた。
「……少しはね。さすがに付き合いというものがあるから」
つまり少しどころでなく、だいぶ長いこと捕まっていたということだ。多分、こんな時間になるまで。
やんわりと遠まわしな答えに、ミクはむくれた。
恨めしげに送った視線に、苦笑が返ってくる。
「待たせて悪かった。ご立腹のお姫様は、どうしたら許してくれるかな」
遅くなったことだけを詫びる彼は、他に不機嫌になる理由も思いつかないらしい。
カウチに張られたベルベットの短い毛足を睨んで、彼女は口を開いた。
「この後、ラストダンスを私と踊るって約束してくれるなら、考えても良いわ」
「それなら喜んで」
こともなげに微笑まれて、むっとしたように眉を寄せる。
「今日だけじゃないわ。明日も、明後日も、ずっとよ。夜会で誰と踊っても、最後の一曲は、絶対に私と踊るの。本当に約束できる?」
むきになって言い募りながら、駄々っ子のようだと思う。何がそんなに癪なのか自分でもよく分からない。
さすがに無茶な要求に怒るか呆れるだろうかと見上げると、ミクを見つめる彼の表情は意外にも穏やかだった。
細めた瞳に、歓びにも似た切実な何かが点っている。
「……もちろん。何に誓おうか」
「誓いなんていらない、神様なんていないもの。そんなものより、私と約束して」
ミクが差し出した小指に少し考える顔をした彼は、サイドテーブルに置き去りにされた髪飾りを取り上げた。
一輪だけ抜き取られままになっていた薔薇を止め直し、緩んだ結い髪に丁寧な手つきでそれを挿す。
自らが選んだ花を、捧げるかのように。
薔薇の下の約束――。
懐かしい声が耳に蘇る。
それはね、秘密の約束なのよ――。
幼い頃に聞いた母の優しい声。光のあふれる午後、真っ白な薔薇の咲く庭で、聞かせてくれた昔話。
この薔薇の下で挙げる婚礼は、神に愛を誓うのではなく、神様にも内緒。お互いだけの約束なの。と――。
宙に浮いていた小指に、自分のそれよりも長い指が絡んだ。
それは今日のお芝居の続きのようで、ゆるく締め付ける指の感触に、先ほどの苛立ちが嘘のように消えていく。
「もし約束を破ったら、その度にひとつ、私のお願いを聞いてくれなきゃだめよ」
もしもの時は本当に針でも飲むと言いかねないその人に、譲歩案のつもりでそう言うと、何故だか彼は噴き出した。
「なるほど、本当はそれが目的かな」
「違うったら……もうっ!」
からかうような声音に、ミクが唇を尖らせる。
怒った振りをするその目も笑っている。
収まらない笑いの残滓をひく大きな手のひらが、滑るように頬を覆った。
「……何を願うの?」
囁く声が甘い。
見上げた蒼い瞳が、条件と引き換えでなくても望みがあるなら叶えるのに、と語る。
「そうね。さしあたっては、お兄様が私との約束をちゃんと守ってくれること」
可愛げのない答えに、声のない笑いが空気を揺らした。
ガウンが肩にかけられたかと思うと、それごと腕に包まれ、抱き上げられていた。
「おいで」
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【カイミク番外編】 第4話
後半祭もぎりぎりセーフ…!
書きながら、いちいちこっ恥ずかしさにのた打ち回った第4話ですww
その甲斐あって、お兄様も報われてるかな・・・?
でないと、誕生日プレゼントにならないですしね^^;
第5話に続きます。
http://piapro.jp/content/g8kvfogt97t0d4ds
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