待ちかねた勅使の帰還を告げる報告に、ミクは謁見の広間へと駆け込んだ。
いきなり飛び込んできた公女に勢いよく詰め寄られ、驚いた顔の勅使が後ずさる。
「こ、公女殿下・・・!?」
「お兄様は、何て!?」
「は、いえ、詳しくは大公閣下に・・・」
「お父様は今、臥せってるのよ!言葉なら私が伝えます!」
それこそ巷では病弱と言われているはずの公女の有無を言わせぬ気迫に、勅使は口篭り、けれどそれ以上は逆らえずに口を割った。
「その、殿下は引き続き、かの国にご滞在のご予定です」
ミクは一瞬耳を疑い、悲鳴のような声を上げた。
「戻らないというの!?お父様が倒れたのに!?」
私がいるのに、と叫びかけた言葉をすんでで飲み込む。
「ご、ご伝言を承っております」
勅使が恐れをなしたように顔を伏せた。
「『都合により今すぐに帰国することは叶いませんが、大公のご容態を心から案じております。御身をお大事にご静養ください』と・・・」
「・・・それだけなの」
僅かに落ちた沈黙に、ミクが呻く。
今にも倒れそうなほど、その頬が青褪めていた。
「本当にそれだけ?私がボカリアに帰っていることは伝えたの?」
「お伝えいたしました。公女殿下が閣下のお側にいるのであれば、閣下のお心も休まることだろうと。公子殿下ご自身のお気持ちとしても安心だとの仰せでした」
「嘘よ・・・!」
睨みつけるミクの視線に気押されて、勅使は慌てたように懐を探った。
「で、殿下より、お言葉と共にお預かりしております」
突き出すように差し出されたそれに、ミクは愕然と目を見開いた。
サファイアが嵌った、小さな指輪。
震える手で受け取り、ミクはそれを光にかざした。石の底、深い蒼を通して蛇の絡みつく薔薇の紋章が浮きあがる。間違いようも無い、ミクの指輪だ。
ミクは服の下に隠した銀の細い鎖を探り、そこに通されたものをもどかしげに引っ張り出した。
転がり出たのは、同じ意匠の指輪だった。大きさと石、そして刻まれた印章だけが違う。エメラルドの嵌ったそれは、兄のものだ。光にかざせば同じように蛇の尾を持つ獅子の紋章が浮き出る細工になっている。
シンセシスで手渡された、本来のミクの指輪はあの服毒騒ぎの後すぐに取り上げられた。
代わりのように、彼女は対になる兄のそれをボカリアを発つ晩に持ち出した。指に嵌めるには大きくて、こうして隠し持っていた。初めて兄の意に逆らうことは恐ろしく、気休めでも何かしら繋がっていられるものが欲しかったのだ。
ミクが指輪を持ち出したことに、恐らく彼は気が付いているはずだ。同じように、彼女の紋章を刻んだ、彼女自身を象徴する指輪を異国へ携えていったのは、まだ彼も何がしかの繋がりを求めていてくれたからだろうか。
その指輪が、送り返されてきた。
戻るつもりは無いという意思と共に――。
足元が、砂のように崩れていく。
「お兄様・・・」
「――・・・先だってはお前がと思えば、次はあれか。全く、お前達ときたら、何をやっている」
呆れたような低い声に、ミクは顔を上げた。
「お父様」
大公、その人がそこに居た。
気が付けば、既に辺りに勅使の姿は消えている。
「部屋から出るなと言っておいたはずだ、ミクレチア」
「でも・・・お兄様が」
掠れた声で呟き、ミクは縋るように父へ懇願した。
「お願い。お父様、もう一度・・・、きっと文の意図が上手く伝わらなかったんだわ。今度は私が手紙を書きます!それなら・・・!」
「ならぬ。読み違えたなら、それはあれの力量不足だ。あえて戻らぬというなら、それなりの成果を手に入れてもらわねばしょうがない」
冷徹な父の声に、ミクは息を飲んだ。
成果、と、わななく声が呟く。
「それは・・・それは、クリピアの王女をということですの」
「そうでなければ何のために、放っておいてもシンセシスとの共倒れが狙えたものを、わざわざ止めさせてまで余計な口を出したのだ」
「それは・・・」
目の前が暗くなるような息苦しさに、震える指で手繰り寄せた指輪を握りしめる。
ハクが言ったように彼がクリピアへ渡ったのがミクのためだというのなら、彼女がボカリアに戻っていると知ってなお、留まる理由があるだろうか。他ならぬ彼女の分身である指輪を送り返す理由が、何かあるだろうか。
――王女への求婚が本気であるという以外に。
ぐずりと、崩れていく足元が抜けた。
胃の浮くような浮遊感はほんの一瞬で、脆くも砕けた足場ごと、真っ逆さまに心が落ちていく。
冷たい風の吹き上げる、闇色の虚無の穴の中へ。
見開いた碧い瞳から、光が消えた。
「お前はもう部屋に戻れ。このところ、お前もあれも、勝手な振る舞いが過ぎる」
「戻ります・・・今だけは」
ぽつりと落ちた返事に、大公がいぶかしむ様な声を上げる。
「何」
「レオンが迎えに来たら、私はシンセシスに帰ります。あの人と一緒に。この先、私のことは見捨てて下さい」
「ミクレチア!!」
鋭い叱責が飛んでも、ミクは頑なに首を振った。
「私はもうこの国の公女ではありません。もう二度とボカリアのために動くことはない」
大公が苛立たしげに舌を打った。
「愚かな。あの男に惑ったか」
「本当に愚かね。どれほど愚かと分かっていても、恋に惑えばどうすることも出来ないの・・・お父様は良くご存知のはずだわ」
自嘲するようにミクは微笑んだ。
「お兄様にお伝えください。私はもはやあなたの妹でもありませんと。私はシンセシスの王妃、あの人の妻です。万が一、戦争が起ころうとも、あの国を守り、共に戦います。クリピアにも、ボカリアにも良いようにはさせません。もし戦い敗れるなら、その時は王妃として潔く死にますわ」
初めて聞く、激しい感情を込めた声音に、大公は驚いたように娘を見下ろした。
鋭い瞳がじっと娘を見つめ、ふいに声を漏らす。
「・・・もう16になるのだったな」
どこか遠い声が呟く。
「初めて出会った頃のあれと同じ歳か・・・」
大公は小さく息をついた。
諦めたように瞼を伏せる刹那、その瞳に深い哀しみに似た色が幻のように過ぎたように見えた。
胸を突かれ、動揺したように、ミクは瞳を揺らした。
この人は君主としては厳格であり、けれど父としてはこの上なく家族を大切に愛する人だった。その人を、たった今、ミクは切り捨てたのだ。
「お父様・・・」
「ミクレチア」
再び彼が瞼を開いたとき、そこには常の揺ぎない君主の姿があった。
「お前がそう心を決めたなら、もはや止めはすまい。お前もボカロジアの娘だ、何があろうとも一度欲したものは諦めず、決めた心は覆らぬだろう」
ただ一人の娘を見下ろし、重く厳しい声で宣告する。
「この先、例えシンセシスが窮地に立とうとも、たとえ滅びようとも、ボカリアを捨てたお前に情けはかけぬ。もはやこの国にお前の戻る場所はないと思え」
「・・・はい」
詰めていた息を吐き出し、やっとのことでミクは声を振り絞り、頷いた。
「ミクレチア、泣くことではない」
ややもすれば冷たく見える眼差しを緩め、父は唇の端に微かな笑みを浮かべた。
「お前は私の愛する娘だ。私と、彼女の。それだけは、いつまでも変わらぬ。どこで生きようとも、誇りを持って自らの想いを貫くがいい」
「お父様・・・!」
深い愛情を伝える静かな声音に、堪えていた涙が零れ落ちる。
たまらなくなってその腕に飛び込めば、幼い頃のように揺るがぬ身体が抱きとめてくれた。
「愛してるわ。ずっとあなたの娘でいたかった。でも、もう帰れないの、あなたの娘に帰れないの。ごめんなさい、許して・・・ごめんなさい・・・!」
明かせぬ罪を深く心に秘めたまま、ミクは父の胸に涙の伝う頬を埋めて、子供のように泣き続けた。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第17話】後編
予想GUYな閣下登場。
今話限りの登場につき、名前や外見設定はありません。
役をアカイトさんに振るか、ぽっさんに振るか、別な亜種を探すか迷って、結局、一切の描写を省いてしまいましーた。お好きな姿で想像してやってくださいまし。
第18話に続きます~。
http://piapro.jp/content/faefwwreh48mi0rn
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