東の国はいつ滅ぼしただろう。

 西の国はいつ滅ぼしただろう。

 世界を全て手に入れたその先、求める答えが見つからなければ彼はどうなるのだろう。

「騎士隊が三十人前後、魔術師隊が五十人前後の損失です」
「……約半数、失ったか」
 野営のため張ったテントの中で、私は部下達の報告を聞いていた。
「団長、一度引き上げましょう」
 一番古参の部下が声を上げる。
「勝てぬ戦ではありませぬが、同時にこちらも多大な被害を被る。悪戯に兵を消耗することはありません」
「………いや」
 次の言葉を紡ぐには、さすがに少し覚悟を決めねばならなかった。
「夜襲をかける。そうすれば、こちらの犠牲も減るだろう」
 その場にいる全員が「信じられない」という表情で私を見た。
「本気で言っているのですか!」
 魔術師隊の隊長が身を乗り出す。
「先程の戦いで、魔術師達はかなり魔力を消耗しています!この上夜襲など!」
「ならば魔術師隊は待機しているといい。騎士隊のみで攻める。向こうは防御を固めているから、攻めてくることはないだろう」
「騎士達も疲れております!中には体調を崩した者も…!」
「ならばその者だけ休ませればよい」
「団長!」
「黙れ!」
 大声に、全員黙り込む。息をついて私は部下の顔を見渡した。あえて無表情に、冷たい声を出す。
「ここで敵に討たれるか、帰って負け戦の見せしめとして陛下に処刑されるか。どちらがよい?」
「………!」
 空気が凍りつく。皆も言葉には出さないだけで、分かっているのだろう。陛下が、もう昔とは違う存在になってしまったことを。
「……致し方ない、か」
 誰かがぽつりと呟いた。それに呼応するように皆が頷く。
「都合がいいことに今宵はちょうど新月。注意深く進めば、雪が足音も消してくれるだろう」
 段取りを確認した後、解散。各々の指揮する部隊へ通達するため歩き出す背を見送って、空を見上げる。夕暮れを迎えた空は紅く染まっていた。
                     #
 長い戦は人の心を擦り減らす。

 力を持つ者は、奪う者に。

 力を持たない者は、奪われる者に。

 かつて平和だった国。今ではその面影すらもなく。

「…よかろう。そこまで言うなら、休むといい」
「……ありがとうございます」
 陛下の顔を直視出来ないまま、私はその場を去った。そのまま兵舎へと向かう。
「団長…」
 扉を開けると、数人の視線と血の匂いが私を迎えた。
「…休息を戴きました。皆しばらく休みなさい」
 声もなく全員頷く。生気のない目。まるでその場に横たえられている多くの死骸のように。
「何時までこんなことを…」
 誰かが呟いた。咎める声はなく、代わりに呼応するような声が広がる。
「何時までこんなことが続くんだ」「もう嫌だ」「帰りたい」「死にたくない」「誰のせいだ」「誰のせいでこんなことに」「あいつのせいだ」「あの女のせいだ」「あの女さえいなければ」

「あの歌姫さえ、いなくなれば」

 勢いよく扉を閉めて駆け出した。誰もいない廊下を抜け、庭へ飛び出す。

 白き雪の中に咲く一輪の花が見えた。

「あ……」
 少女は突然現れた私を見て呆けていたが、慌てて一礼する。優雅な仕草、まるで昔と変わらぬ微笑に、内に燻る蒼い炎が揺れた。
「……御加減は、如何ですか」
 平静を装いながら訊ねる。
「今日は調子がいいんです」
 陽だまりのような笑顔。それが不意に翳る。
「……先日の戦で、大勢亡くなったと聞きました」
「………」
 誰のせいだと思っている、と叫びたいのを必死で堪えながら頷く。少女は更に表情を暗くした。
「陛下は変わってしまわれました。以前と同じように見えますけど、まったく違う。笑っていても、どこか無理をしているような……」
「………」
 私は俯いた。
 そんなこと。そんなこと、随分前から分かっている。
 随分前から陛下が変わってしまったことに、私は気付いている。
「…陛下に、何故と訊けばよろしいではないですか」
 冷ややかに告げる。悲痛な表情のまま、少女は首を振った。
「陛下は何も仰ってくれません。ただ『私に任せておけ』と言うばかりで…」
 自らの病を治す為に行っていることだと、彼女は知らないのか。
 陛下がそれを言わない理由も察しがつく。心優しきこの少女が、自分の為に犠牲になった者がいると聞いたらどうなるか。唯でさえ病に冒されているその身。受けた衝撃で容態を悪化させるとも限らない。

 それほど大事なんですか。この娘が。

 自らが治めるべき国の平和と引き換えにしてでも、守りたいのですか。

 それほどあなたは、この人を愛しているのですか。

 嫉妬と悲しみの感情が心を掻き乱す。ぎり、と両手を握り締めた。

 お前のせいで、民は苦しんでいるのに。

 お前のせいで、大勢死んだのに。

 お前は何も知らぬまま、陛下に愛され続けるのか。

 お前は何も知らぬまま、陛下を狂わせるのか。

 そんなこと

「させない」
「え?」
 低く呟いた言葉は彼女に届く前に風が掻き消した。それでも欠片を捉えたか、少女は首を傾げる。
「何か仰いましたか?」
「…いえ、何も」
 俯けていた顔を上げる。燃え上がる炎を隠して笑みを浮かべた。
「ここは寒い。お体に障りますから、私の部屋へ来ませんか?」

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或る詩謡い人形の記録『雪菫の少女』第五章

そろそろ佳境です。

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投稿日:2009/03/04 15:55:37

文字数:2,211文字

カテゴリ:小説

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