雨は夜明け前に止み、しかし空は暗雲で覆われていた。カイトはその時、屋根の上に登って雨漏りの修理をすべくトンカチを握っていた。ルカは家の中でご飯の片付けをしていて、ミクは家の前で洗濯物を干し、リンとレンは子犬がじゃれ合うように少し離れたところで遊んでいた。
 メイコが丁度、屋根の修理のために板切れを探しにどこかへ行っているときのことだった。
 ふわり、と湿気の帯びた風がカイトの前髪を撫でる。嵐の気配に、カイトは空を見上げた。頭上では、烏が黒い羽をばさばさと羽ばたかせ、これから訪れるであろう雨粒から避難しようと、急いでねぐらに向かって飛んでいた。
 と、四角い四輪車ががたごととこちらへ向かってくるのが目に入った。単車同様、珍しいその乗り物を目にして、カイトは今度は誰が来たのだろう。と屋根の上から眺めた。
 カイトの次に四輪車に気がついたのは双子だった。集落の入り口に車は止まり、そこから降りてきたのは、髪をきちんと整えた黒いスーツ姿の男たち。この場所に全くそぐわない来訪者たちに、リンが何の用?と無邪気に近寄った。
「おじさんたち、こんなところに何の用事?」
そう砕けた調子で尋ねるリンに、身なりからして明らかに上流階級の人間だろう男は、気にする様子も無く、探し物をしているんだ。と言った。
「探し物がこのあたりにあると聞いてね。」
「へぇ。探すの手伝ってあげようか。」
と下心を露に、リンがにやり。と笑って言う。と、次の瞬間、レンが、駄目だ。と叫んだ。
 ぱん。と乾いた発砲音が響き渡った。
 え。と思った瞬間には、リンは突き飛ばされて少し離れたところに転がっていて、リンの居た場所にはレンが居て。そしてレンは、血を滲ませて崩れ落ちるようにその場に倒れ臥した。
「レンっ。」
リンの叫び声に、凍りついた空間が解凍される。
 我に返り、カイトは屋根から飛び降りて、地に臥しているレンに駆け寄った。抱き上げると、レンは痛みに顔を歪ませてうぅ、と呻いた。どくどくと血がその小さな体から流れ出ている。慌ててカイトはこれ以上血が流れないよう、被弾した傷口を強く圧迫した。
 まるで狂った獣のように、リンが叫び声をあげて男たちに飛び掛ろうとした。と、それを駆けつけたミクが取り押さえる。
「離してっ、離せっ。」
そう小さな体中で暴れるリンをミクも必死で止める。
「駄目、リンちゃん。危ない。」
「だって、レンが、レンが。」
そう泣き叫ぶリンの前を、家の中から飛び出したルカが遮った。
 男たちとリンの間を遮るように立ち、ルカは冷たく燃えた目で男たちを睨みつけた。
「お引き取りください。貴方がお探しの物はきっとここにはありません。」
そうルカは静かに言い、一番前に立つ、おそらく男たちの中で一番えらいのだろう、男を見上げた。
「四輪車に乗っていることや拳銃を携帯していることから、貴方の地位の高いことが伺えます。特権階級が子供の一人ぐらい怪我をさせても罪にはならないでしょう。しかし、これ以上、罪なき者を理由無く殺すのは、貴方の品位が疑われるのではありませんか?」
そう厳しい声で言うルカに、男はにっこりと微笑んで、そうですね。と言った。
「貴方のおっしゃるとおりですよ。落ちぶれた名家、巡音のお嬢様。」
メグリネと呼ばれ顔色を変えたルカを、男は手を上げて力任せにその横っ面を張り倒した。
 ざん、と衝撃でルカは地に横倒しになった。倒れ臥すルカに、男はやっぱり微笑んだままで、話しかけた。
「だけどね。品位など、私が探しているものの前では取るに足らない事なんですよ。巡音のお嬢様。」
そうからかう様に言う男を、ルカは倒れたまま、何のこと。と睨んだ。
「巡音など知りません。貴方の探し物も、ここには無い。」
「全て調査済みなんですよ。ここに、メイコ様は居るのでしょう。」
そう男は言い、足を進めようと、した。
 次の瞬間、カイトは男に飛び掛り、男は吹っ飛んだ。
 犬が人を襲うように、カイトは男の喉笛に噛み付く。突然の行動に、痛みに、組み付かれた男が叫び声をあげた。
「何だこいつは、離せっ」
周囲に居た男たちがカイトを引き離そうと躍起になり、噛みつかれた男も、がつん。とカイトの腹を蹴った。衝撃で吹っ飛び、カイトは地に転がった。前日の雨でぬかるんだ土にまみれ、泥だらけになりながらカイトはそれでも男を睨みつけた。
 ぽつり、と雨粒が落ちてきた。ぽつりぽつりと雨粒が落ち、次第に大群になった雨粒がカイトを打つ。
 これが、メイコを狙うやつだ。メイコを守らなくては。
 頭の中にはそれだけしかなかった。ふーふー、と喉から漏れる息がカイト自身の中で響く。駈けろ。と本能が囁く。傍に転がっていた棒を手に取り、カイトは強く降り始めた雨を切り裂くように姿勢を低くして再び突っ込んだ。
 ぱん。と乾いた音が響いた。男が放った銃弾がカイトの肩をかすり、熱い塊を押し付けられたような衝撃が奔る。しかし痛みに臆することなくカイトは突っ込んだ。しかし、カイトの手に持った棒が相手に届く少し前に、別の方向からぱん、と銃弾が放たれた。
 今度は腹に被弾し、カイトは再び地に転がった。
 ぐう、と呻き声をあげるカイトの頭に、冷たくて固い感触があたった。銃口を突きつけられているのだ。と気がついた。
「なんだこれは。犬か。」
そう言ってごりごり、と男は銃口をカイトに押し付ける。
 このまま殺されてしまうのだろうか。とカイトが思ったときだった。
「お止め。」
赤い声が響き渡った。
 メイコが立っていた。ぼろぼろの着物を身にまとうその姿はどこにでもいる女そのもので、むしろ雨に濡れている分、貧相に見えた。がしかし、赤く燃えたその眼差しは強く、ぞっとするほど美しい。こんな状況にもかかわらず、地に頬を着けたままカイトはメイコを見やり、綺麗だな。とぼんやりと思った。
「お止め東堂。これ以上は許さない。」
そうメイコが男に言うと、男はしかし、カイトに銃を突きつけたまま、そうは言いましても。と言った。
「メイコ様がお逃げになるから、こんな事をしているのです。大切なお体なのですから。大人しくお戻りください。」
男の言葉を、メイコは鼻でせせら笑った。
「あんたたちが大切にしているのは、私じゃなく、私の声でしょう。」
「どちらも同じことです。」
そう慇懃無礼に男は言い、交換条件です。と提示した。
「メイコ様が大人しく戻られて、今度の夏至にきちんと扉を開いてくださるのでしたら、もう乱暴は働きません。」
そう言いながら男はカイトの腹を蹴飛ばした。狙ったのだろう、丁度銃弾で傷ついた箇所を蹴られて、カイトはこらえ切れずうめき声を上げた。
「、、、分かった。だからカイトを離して。」
そうメイコが微かに目を伏せて言う。その言葉に、カイトは駄目だ。と吠えた。
「駄目だ。メーちゃん。」
「うるさい、カイト。」
吠えるカイトをメイコがそう一喝した。
 歩を進めたメイコは男の下へ落ち、その瞬間、カイトは再び蹴られて地に転がった。
「メーちゃん。」
地に転がりながらカイトは顔を上げた。再び突進しようと手足に力を撓めた瞬間、メイコが逃げなさい。と言った。
「逃げなさい。」
それはカイトだけにではなく、皆に対しての言葉だった。
「お逃げ。死んだりしたら承知しないよ。」
赤い声が、絶対的な力を帯びて響く。
「嫌よ。姉さま。嫌。」
メイコの言葉にそうルカが喚いた。メイコが、ルカ、あんたはお姉さんでしょう。と首を振った。
「ルカ。あんたが皆の姉さんよ。皆を守りなさい。」
そう諭す言葉に、ルカはくしゃくしゃに顔をゆがめながら、横で泣いているミクとリンと、倒れ臥したレンとを抱き寄せた。
 ふと、メイコは目元を和らげてその様子を見、しかし次の瞬間には背を向けて、男たちに伴われて車に乗り込もうとした。
「メーちゃん。」
喉を震わせて、カイトが叫んだ。その悲痛の叫び声に、メイコは振り返らない。
「メーちゃん。」
もう一度、名を呼ぶ。現実を否定するようにカイトはメイコの名を叫んだ。
 車に乗り込む瞬間、ちらりと見えたメイコの横顔に流れていたものは雨水か、それとも涙か。
 去る車を見つめて、カイトは声を上げて泣いた。守ると約束したのに。何も出来なかった。
 わんわん、とカイトは雨の中、大声をあげて涙を零した。

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QBK・11~野良犬疾走日和~

閲覧数:177

投稿日:2009/11/12 22:45:57

文字数:3,430文字

カテゴリ:小説

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