放課後。一人で教室に残って進路調査票とにらめっこをしている。
 西日がだんだん夕日に変わってきた頃だ。
 吹奏楽部の個人練習の音色が、全体演奏の音色に変わり、大嶺中唯一中体連生き残り組みの野球部は練習をヒートアップさせて、熱が入っている。油蝉の声が蜩の声に変わってきて、そろそろ夕方が迫ってくる時間帯だ。
 私は一人で唸りながら進路調査票を眺めていた。
 この紙切れのどこを見ても答えなど書いていないのに、三十分くらいこれを眺めている。
 それまでの時間は、図書室でエノヒロ君と勉強をしていたけれど、エノヒロ君は用事があり、先に帰ってしまった。当ても無く、バッグを探っていたら進路調査票が見えたので、これと格闘している。
 やはり、この紙切れのどこを眺めても答えは無く。ただただ時間だけが過ぎていた。

 もう、先生の資料を待つしかないのかな? と思っていたら、教室の扉がカラカラと乾いた音をたてて開いた。
「あれ? 誰かと思ったら、加治屋さんだ」
 入ってきたのは、佐古田先生だった。佐古田先生は入ってくるなり、私を見て目を丸くした。
「何してんの?」
 佐古田先生は、こちらに寄ってきて椅子を引き、椅子に座る。私が返事に困っていると、佐古田先生が口を開く。
「進路調査票かぁ。俺は苦い思い出しかないなぁ」
 そう言って苦笑いを浮かべる佐古田先生の横顔は、少年のようだ。
「先生も、悩みました?」
「うん。中学校じゃないけどね。相当悩んだよ」
 先生は遠くを見るような目でそう言った。

 あぁ。同志だったんだ……。そう思うと少し気が緩む。安心したといった表現の方が正しと思うが、なんとなく気が緩むという言葉を遣う。
 もう、聴くのは今しかないかな。
「先生は、何で学校の先生になろうと思ったんですか?」
 私は少しだけ心の準備をして、先生に質問した。
「俺が、学校の先生になろうとした理由は単純明快だよ」
 先生はそう言ってアハハと笑う。
「少し昔の話になるけどね」
 笑った後に顔色を変えて含み笑いを浮かべた真顔になる。目ははっきりと外を眺めていた。
「俺は、正直中学の頃なんて進路は頭になかった。ただ願っていたのが、この時間が一生続けばいいのにってことぐらい。そのくらい中学は楽しかったんだよね」

 先生は、私に照れ笑ってみせて頭を掻いた。そして、続きを語る。
「で、結局友達が行く高校に一緒にいったんだ。そのときちょうど学力が足りてたからいけたんだけどね。高校はもっと楽しかった。一年生のときなんかすっごく楽しんでたよ。でもね……」
 係助詞を口にしてまた顔色を暗くする先生は、進路調査票を指差して言う。
「高校二年の秋ごろに、こんな進路調査票を渡されたんだよ。この紙切れが俺に絶望を与えたんだよね」
 先生は苦虫をつぶしたような顔をして、話を続ける。
「まだこの紙切れを重要視してなかったとき、適当に書いて出してた。二回目の進路調査票を配られたとき、周りの皆は夢の話とか、大学の話で盛り上がってた。そのときの外様感といったら並のもんじゃなかったよ」
 そう言って苦笑する先生の顔つきは凛々しくていっそう大人っぽく見える。

「一人で結構悩んだ。こんな大事なときに人に相談できないなぁって一人強がってた。今思えばそんな自分が何でいたんだろうって思うよ」
 ケタケタ笑う先生の顔を見て思う。先生は私と似ている。どこかが似ているのだ。はっきりとしたことは判らないけれど、どこかが似ている。
「やっぱり、他人に迷惑はかけたくない?」
 先生は私に問いかける。私は静かに頷き、「はい」と言った。
「そうだよねぇ。うんうん。わかるよ」
 腕を組んで頷き、先生は夕日に顔を照らされる。西の山に沈んでいく夕日は茜色の光を放っていて、とても直視できない。
「でも、今は迷惑をかけてもいいと思うよ」
 先生は右の親指を上に突き出して、「グッド」の合図を送る。

「迷惑はかけるもんだよ。今かけないと大人になって苦労するだけだし、大人になってかけると理不尽で自分勝手な奴だと思われる。あの時、俺もわかっていれば相談して我侭言って迷惑かけれたんだけどねぇ」
 先生は涼しい顔をしても、昔は結構辛かったのだろう。汗が額を通っている。暑いせいかも知れないが、私には冷や汗にも感じた。
「話を戻すね。元は進路の話だしね。俺は焦ったよ。焦ってうえに絶望も感じた。紙切れに絶望を覚えたのは初めてだったよ。当たり前だけど」
 そうだったんだ……。
 たぶん、青年時代の先生は私よりもっと悩んでいたはず。
 でも、ここが一番聴きたい。そう思ったことを言葉に出した。
「そこからどうやって進路を決めたんですか?」
「加治屋さんは、そこを今悩んでるの?」

「……はい……」
 私がそう言うと、先生はフッと大人な笑いを浮かべる。
「なぁんか、加治屋さんは俺と似てるな。昔の俺に」
 先生はそう言うと、大きな口を開けて笑った。
「進路をどうやって決めたかは、単純明快でね。加治屋さんみたいに教室で悩んでたときに、一人の女の子が来たんだよ。で、どうしたのって言われて。現状を話したら、なるほどーって顔されて、白紙の紙をくれたんだよね。それを持ってきて、これにしたいことを書いてみたら? って言ってくれた。俺はもうやけくそで言いやりになって、紙に書いたよ。そしたら、内容の中に学校関係が多くてね。自分って学校が好きなんだってわかった。だから、先生になったんだよ」
 先生はここまで一気に話して、アハハと笑う。

「そして、ただ単に国語が得意だったから国語の先生になったの」
 そこまで言って、また笑う。
 私は先生の話を聴いて少し拍子抜けした。もっと、悩んで考え出したのがそれだと仮定したからだった。
「なんか、納得いかないって顔してるね」
 先生はそう言ってニヤッとする。
「自分の夢なんかさ、足元に転がってるものなんだよ。幸せと一緒。転がってるから見つけにくいわけで。ちょっとしゃがんでみたら答えがわかるよ。だから、落ち着いたときでいい。少ししゃがんでみよう。しゃがむ前に、今、自分が何をしたいか考えてしゃがむこと。そうした方が夢への焦点が絞れるよ」

 そっか……。そうなんですね……。
 あんまり重荷に考えなくていいんだ。少し気を楽に持てば周りが見えるから落ち着けばいいんだ。そっかそっか。
 少しずつ、少しずつでいい。たまに立ち止まることがあったら周りを見渡して深呼吸。そして、少ししゃがむと夢とか幸せが埋まっている。そういうことを先生は言いたかったのだろう。

 国語の先生なのに、口下手な先生のアドバイス。
 自分なりに納得したので先生に一礼した。
「ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして」

 先生はそう言って、ニコッと笑い腕時計を見て「あっ」と声をあげる。
「会議だ会議。ここの鍵もって帰るけど、もういい?」
 先生が椅子から立ち上がって言う。
「じゃあ、お願いします」
 私はそう言って、バッグと希望と言う名の進路調査票を持って教室を出た。

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13、進路調査票2

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投稿日:2014/04/26 21:02:45

文字数:2,921文字

カテゴリ:小説

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