カイトの家のリヴィングでは、エアコンを二十八度というやや高い温度設定で使っている。
 そのせいかソファで横になり、眠っているミクは、首筋にうっすらと汗をかいていた。
 テーブルの上には、大量の英語のテキスト。
 ヒアリングのためのポータブルオーディオプレイヤーに、ヘッドフォン。
 英語の声(DB)を手に入れるため、真面目に勉強をしていたが、疲れて寝てしまったという所だろう。
「ミクちゃん、ミクちゃん」
 優しいハスキーボイスに、ミクはゆっくりと目を開けた。
「ん……ルカちゃん?」
 目をこすりながら、体を起こす。
「こんな所で寝ててはだめよ。風邪を引いてしまうわ」
 ボーカロイドの中でも一、二の美貌を誇るルカの笑顔を、ミクは眩しそうに見つめ、寝起きの目で瞬きを繰り返した。
「そうよ、ミク」
 ルカの向こうに視線をやると、メイコが足を組んで、ゆったりとソファに座っている。
「お姉ちゃん」
「起きて。今から大事なことを話すから」
 ミクがソファの右端に座り直した。
 この家の広いリヴィングには、コの字型にソファが置かれている。
 ミクが座っているのが、テーブルを挟んだテレビの真正面。
 メイコはその右側のソファの、左端に座っていた。
「大事なこと? なに?」
 尋ねるミクの前で、ルカが手早く英語のテキストをまとめると、テーブルの端に起き、その上にオーディオプレイヤーとヘッドフォンを置いた。
「今度、ミクちゃんは英語の声を貰うことになってるでしょう」
 そう言って、ルカがミクの隣に腰を下ろす。
「うん。だから勉強もしてるよ」
「それはいい事よ、ミク。でもね、英語の声は、それだけでは貰えないの」
「えっ?!」
 もうV3 ENGLISHまで、余り日がない。
 今頃そんなこと言われても……。
「なに、それっ! どうして貰えないの?!」
「ミクちゃん、落ち着いて」
 ルカがミクの肩ににそっと手を置いた。
「英語の声を貰うにはね、試練を受けなきゃいけないの」
「試練?!」
 ミクが身を乗り出しかけたとき、リヴィングのドアが開いた。
「ただいまー」
 大きな風呂敷包みを抱えて、カイトが入ってきた。
「試練グッズ持って帰ってきたよ」
 …………試練グッズ? なにそれ?
 ミクが立ち上がり、あっけにとられてカイトを見た。
「……お兄ちゃん……試練グッズって……?」
「うん、ミクが英語の声をゲットするために必要な、必須アイテムだよ」
 そう言って荷物をテーブルの上に置くカイト。
 メイコの重々しい言動に対して、兄の言い方がやけに軽い。
 ルカがミクの手をそっと引っ張り、再びソファに座らせる。
「カイト……」
 メイコが眉をひそめた。
「ずいぶん気楽そうね。ミクがこれから試練だって言うときに」
「ミクなら大丈夫だよ。俺だって何とかなったんだから」
 そう言ってカイトが、いつもの爽やかな笑顔で応える。
「おっ、お兄ちゃんも、試練やったの」
「うん。やったよ」
 その時ミクは、はっと気づいた。
 もう一人、英語の声を持つ人がいるではないか!
「ルカちゃんも?!」
「私はやってないわ。生まれたときから英語の声を持っている人は、やらなくて良いみたい」
 さらにもう一人、英語の声を持つ人の存在に気づく。
「そうだ! グミちゃんは? グミちゃんは後から英語の声、貰ってたよ」
「グミちゃんはV3になってから英語を貰ったでしょ。ミクのようにV2が、V3と英語に同時になるには、試練がいるのよ」
 メイコが重々しく言った。
「大丈夫だよ。俺みたいにV1からV3英語よりは楽な試練だから」
 カイトの軽さは、経験者だからだろうか。それとも、案外楽な試練だっただからだろうか?
「おっ、お兄ちゃんの試練はどう言うのだったの?」
「ん? 陰陽師の所に行って、トーテムポールの前で賛美歌を歌いながら、護摩壇を焚いて貰って、そこに俺の本体と言うべきマフラーを投じたんだよ」(V3の前日参照)
 やっぱり本体だったのか! という突っ込みを言ってる場合ではない!
「な、な、な、なによそれーーーーーーーーーーー!」
「うん、だから英語V3の儀式」
「私もそれやるの!」
 だいたい何を投じれば……いや、問題はそこではない!
「そんなことやらないと、英語もらえないの?!」
「らしいね」
 カイトの言い方は、どこまでも軽い。
「それにミクの試練は俺とは違うよ」
「そうよ、ミク。だいたいミクの場合、何を投じるというの?」
 とメイコ。
 やっぱり問題はそこかなのか?!
「じゃあ、何をすればいいの?」
 ミクの言葉に、ルカがカイトの方を見た。
 カイトが頷くと、ルカが風呂敷包みの結び目を解く。
 中から出てきたのは、白い服。
 服の上には、ファンデーションに口紅、懐中電灯。金槌に五寸釘。さらには櫛と丸い鏡。
「…………お姉ちゃん……これって……」
「英語DBゲットアイテムよ」
 メイコの言葉まで軽くなってきた。
「で、でも金槌とか五寸釘って、丑の刻参りみたいじゃないの! それ、儀式じゃなくて呪いだよ」
「ミク」
 今度は逆に、カイトの声が重々しくなる。
「大事なミクに、呪いなんて最低なまね、俺やめーちゃんがさせると思うかい?」
「……おっ、思わない……けど……」
 カイトやメイコは、ミクの事を大事にしてくれる。
 メイコは時々、厳しいことも言うけれど、それもミクを思ってのこと、期待しているからこそだというのは、よく知っている。
「ミクちゃん、落ち着いてよく見て。この鏡、ひまわりのデザインでしょう」
「えっ?」
 よく見れば、丸い鏡は周りに黄色い花片の縁取りが施された、可愛らしいデザイン。
 櫛もプラスチックのピンク色。
 恐る恐る上にのっている物をどけて、白い服を広げると、それは経帷子でもなく白羽二重でもなく、普通の作業用のつなぎだった。
「…………お姉ちゃんこれって……」
「そのひまわり鏡に紐が付いてあるでしょ。それを首に掛けて、櫛は口にくわえると落としやすいから、耳に挟んでOKだって」
 確かに丑の刻参りのスタイルとは違う。
 違うけど、なんだかものすごく変……。
「それに白い着物だと動きにくいけれど、つなぎなら作業しやすいしね」
「作業……って?」
「五寸釘を打つ作業だよそうだよ。あっ、忘れるところだった、使うのはこの人形ね」
 カイトがポケットから取り出したのは、表情不明の目、開いた口、ほっぺにはぐるぐる模様、手にはネギのはちゅねミク人形。
「……それに五寸釘を打つの?」
 ミクもちょっと落ち着いてきた。
 さすがに自分の分身に近い(?)、この子に五寸釘を打ち付けるのは気が引ける。
「違う違う。それはあんまり可哀想でしょ」
 カイトが人形の頭に付いている、輪になった紐を指に引っかけた。
「壁に釘を打って、そこにこの輪を引っかけてきたらOKだよ」
「それを、神社の木に打ち付けるの?」
「それも違うわよミク。これからが大事なところだから、良く聞いて」
 メイコの顔が一段と真剣になる。
「これをね、ク◯プ◯ンさん入り口に打ち付けてくるの」
 とメイコが真剣な口調で、ゆっくりと言った。
「場所はサイトにのってるからね」
 カイトがどこまでも軽い。
「はぁ?!」
 何でそんなところに? 
 だいたいそんなはた迷惑な。
「ただし、人に見られないようにするのよ」
「……人に見られたらどうなるの?」
 カイトとメイコが顔を見合わせ、頷いた。
「ミク、もし人に見られたら……。その時ミクが手に入れるDBは英語じゃなくて……」
 メイコが言葉を止める。
 カイトが息をのむ。
 ルカがミクから顔を逸らした。
「ハナモゲラ語になるのよ!」
「ええっ?!」
 一瞬メイコが何を言っているのか、分からなかった。
「……なんでそうなるの?!」
「それが定めなんだ」
 カイトが静かに言った。
 そんな、ザックリした言い方をされても!
「大丈夫よ、ミクちゃん。見つからなければ良いんだから」
 ルカが優しく言う。
 そんな問題でもないような気がする。
「そうだよ、ミク。それにミクのマスター達はとても優秀な人ばかりだ。もし万が一DBがハナモゲラ語になっても、すごいハナモゲラ語の歌を作ってくれるさ」
 カイトは真剣だ。
 すごいハナモゲラ語の歌を作って貰った事のある男が言うと、ちょっとだけ説得力が出てくるから恐ろしい。
「いやーーーーーーーーーーーーー! ミク、英語がいい!」
 当然だろう。
「だったら見つからないように、ク◯プト◯さんの所に人形をつるしてくるのね。それが試練よ」
 違う。何かが違う。
 試練って、普通そういうものじゃない!
「頑張れミク、俺、応援してるから。応援してるだけだけど」
「そうよミクちゃん。私も成功を祈ってるわ。祈るだけで手伝わないけど」
 優しいのか冷たいのかよく分からないカイトとルカ。
「そういうわけだから。今日の夜中の二時に行ってくるのよ」
 丑の刻参りではないけれど、実行はやっぱり夜中の二時らしい。
「あっ、行く前に、俺に一声掛けてね。ネギ渡すから」
「ねっ、ネギ?!」
「そう。頭にはちまき巻いて、額とはちまきの間に、ネギ二本差すんだよ。今渡すと、ネギがしおれるからね」
「メイクが私がしてあげるわね、ミクちゃん。いつもよりちょっとファンデ白めで、口紅赤めだけど」
「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 絶叫するミクさんであった。


 「お姉様、ミクちゃん何だかうなされてますよ」
 ソファで眠るミクを覗き込みながら、ルカがメイコに言った。
「疲れてるのね。もうすぐV3ENGLISHに、完全V3だもの」
 ミクを見つめるメイコの目は、どこまでも優しい。
「寝させてあげたいけど、そろそろ起こして説明しなきゃね。カイトも戻ってくる頃だし」
「はい」
 ルカがミクに向き直った。
「ミクちゃん、ミクちゃん」
ルカが優しく声を掛けた――――。




 ミクさんが試練を乗り越え手に入れたDB「初音ミク V3 ENGLISH」
 2013年8月31日、ダウンロード販売決定! 

カイト談「もしダウンロードしたDBがハナモゲラ語だったら、素敵なハナモゲラ語の歌をミクに作ってあげてくださいね!」




※この物語は完全にフィクションです。実際のV3 ENGLISHでは、あんな事はしません(あたりまえだ!)。ましてやDBがハナモゲラ語になっていることはありません(言うまでもないよ!)

 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

V3 ENGLISH の前日 The ミクさん

「V3の前日」の姉妹編に当たります(多分)。
もうすぐ「初音ミク V3 ENGLISH」のDL発売開始と言うことで、記念に書いてみました。
……あまり記念になってませんが……。
まあ、カオスなお笑い話だと思って、気楽に読んでみてください。

閲覧数:371

投稿日:2013/08/18 17:24:21

文字数:4,342文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました