22.咆哮 そして 疑問

 冷たい目をして、刀を抜く少女に、さしもの狂人も背筋に悪寒が走った。
その姿に自らの最大の恐怖の対象である、あの女の姿がなぜか重なって見えた。

しかし、金属がこすれる音と共に鞘から解き放たれた刀身を見て、
彼の表情には再び余裕の笑みがこぼれた。
「ふ、ふ、ははは、はぁーあ、なんだ? そりゃ……。それで俺と戦うつもりか?
あーあ、怖い、こわい。ずいぶんとザンシンな獲物だな?」

少女の所持していた刀は、鞘に収まっていた時こそ、立派な柄が見えて、
古ぼけていながらも、貫禄があるようにも捉えられた。
しかし、抜き取られ、それまでかたくなに包み隠していた鞘から放たれ、
刀身がむき出しになってしまえば、その印象もがらりと変わる。

本来なら、きらりと鋭い反射光で相手をたちどころに威嚇するはずの刀身は、
錆びつき、くすみ、刃はボロボロでノコギリのよう、さらに決定的なのは、
その身のおよそ三分の一くらいだろうか、すっかり折れてしまい、とても刀とは呼べない。

――あやつめ!! 全く手入れを怠っておったな? 奴のずぼらな性格が災いしてしもうた。
なんで、あんなモノをミクに渡したんじゃ……
トラボルタは、心底旧友を恨んだ。しかし、それで事態が解決するわけでもなかった。

 狂人の高らかな笑い声が響く中、悪しき獣たちは、ミク達三人のすぐ近くまで迫ってきた。
辺りの空気が熱くなる中で、老人は未だに良い知恵が浮かばずにいた。
ミクは、いつにも増して、無表情で残念な姿をした刀身を見つめている。
そんな中でも、ライムはなぜか全く恐怖を感じていなかった。
感情が狂ってしまったのか? いや、そうではなく、彼には安心がついていた。

「ん? なんだ? 坊ちゃんはずいぶん余裕だな?
自分は傷つけられる心配はない…… と思ってんだろ? 案外薄情なやつだな? おまえ」
ライムの態度を見て、これ見よがしに皮肉めいた言葉を浴びせる。
しかし、デッドボールのこの言葉は、全くに的を得てはいなかった。

ライムの安心の根拠は、そんな所とは全然別の所にあった。
そもそも、少年の心にそのような薄情は考えは、微塵も浮かんではいなかった。

「あっ、左!!」
唐突にライムの口から出た言葉に誘導されるかの様に、
デッドボールは左にちらりと目をやる。しかし、少年への注意も怠ってはいない。
それは、長年の経験により身に染みついた彼の自慢の一品である。

しかし―― しかし、彼は意識から外していた。最も注意するべき存在に……。
なんの予備動作もない、目線すらこちらを向けていない。熱が感じられない……。
最も自分に近い位置に立っていて、最も警戒するべき相手……。

ソレは右から来た。意識の範囲外。かすかに見えたその姿は……棒? いや、鞘か……!!
右の下あごにクリーンヒットしたソレは、意識を飛ばすには十分な威力を持っていた。

かつての狂人は、白目を剥き、その場にがくりと膝から崩れ落ちた。
本能のみの獣にも忠誠心はあるのだろうか? 次の瞬間、周囲を囲んでいた獣たちが、
恐ろしいうなり声を上げながら、主をヤッた者に飛びかかって行った。

獣たちは未だに地面に到達してない。飛びかかって行った獣は、ざっと五匹はいるだろうか。
その全てをミクは、流れるような連続技で、それぞれが元居た方向へと吹き飛ばした。

先程までと違い、弱々しい獣の短い泣き声が、立て続けに色々な方向から聞こえる。
――やった……のか。しかし、なんじゃ? これは……

トラボルタは、あまりに突然の逆転劇に、情報を処理しきれていない。
今目の前で素晴らしい動きを見せた少女は、老人の中にあるミクの情報とは全く合わない。

辺りを包む空気は、急激に弛緩し、事態は終結へと向かっていった。
獣たちは、変わらずこちらを見ているものの、もう交戦するような意思はないようだ。

「と、とりあえず、この場所から離れるとしよう。よ、よいな?」
まもなく迎えの車が来る予定の時刻であるはずだ。老人は、数多くの疑問や想いはさて置き、
ひとまずこの場にいる者たちだけでも、安全な場所へ移らねばという思いに至った。

その場に倒れている男と数匹の獣を残して、三人は、屋敷の出口へと歩き出した。
ミクは息ひとつ切らすことなく、いつもの表情をしている。
それを、トラボルタが横目で眺めている。

 ドンッ と鈍い大きな音が、三人の背後から響いてきた。
三人は、いっせーのっせっで同時に振り返る。
少し遠くにうつむいたまま立っている男のシルエットが浮かんでいる。

男の顔が、地から天へと向きを変えた瞬間――
けたたましい音量の叫び声で、辺りはたちどころに浸食されてしまった。
「ぅおおおおおおお こんちくしょーーがぁぁぁぁ!!」

まだ、恨みを吐き出し足りないのか、凶気の入り混じった叫び声はまだまだ続く。
「俺は、おれわぁぁ、死の使いだぞ? ”デッド”の名を持つ者だぞ?」

「それを…… それを…… たかが”Vocaloid”ごときにぁぃぃぃぃ」

――!!
トラボルタの表情が硬直した。それを見ていたライムは、質問を投げかけてみる。
「”ぼーかろいど”? って、一体なんのことですか?」

その表情を硬直させたまま、トラボルタは、ライムの方を向いた。
「い、いや…… わしも知らん……。聞いた事の無いフレーズじゃ……」
しかし、その様子から察するに、とてもその言葉を鵜呑みには出来そうにないことは、
幼い少年ですら、容易に想像はつく。

発狂した狂人の叫び声は、まだ続いている。
「コロス…… 殺す。皆殺しだぁ。ふひゃぁぁぁぁはぁぁ」
今まさに狂人の名にふさわしい存在になり下がった男は、右肩の禍々しい装身具から
もぞもぞと何かを取り出した。

三人の立っている場所からでは遠すぎて、それが何なのか確認する事はできそうにない。
それがどういうモノなのか、推測する間もなく、デッドボールはソレを地面へと投げつけた。

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紅のいかずち Ep1 ~紅のいかずち~ 第22話 咆哮 そして 疑問

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投稿日:2010/06/26 13:57:02

文字数:2,484文字

カテゴリ:小説

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