クリスタル・メロディ
chapter1-2
ホテルの庭園はまるで絵画のように色とりどりの花に溢れていた。
池を彩る蓮の花々。ステージ上のダンサーのように並ぶ色鮮やかなタチアオイに、地上を照らすような向日葵の群れ。
ガラスの温室も、美しく咲く南国の花や植物が透けて見えて鮮やかな色彩を放つ宝石箱のよう。
リリィはグミ、がくぽ、イアの3人と共にゆったりと庭園を散策していた。
「リリィおねーさんお花きれいだね」
イアがぽーっと頬をピンクに染めながら池に浮かぶ蓮の花を指さした。
「ああ」
リリィはイアに視線の高さを合わせながら言った。
柔らかく開いたいくつもの桃色の花とまあるい葉っぱが並ぶ様子は、まるで妖精達の遊び場のよう。
目を凝らせば葉っぱの上を跳びまわったり、花の上でのんびりとくつろぐ小さな人影が見えてきそうな程に美しく可愛らしい。
「あっちには南国の花もあるみたい」
グミが蓮の池を渡る橋の向こうの温室を指さす。赤や黄色の極彩色の花や色濃い緑の葉がガラスの向こうから透けて煌めいていた。
「こちらは大方見ましたし、そろそろ向かいませぬか?」
がくぽが温室を見やりながら言った。
「ふむ。そうだな。では行こうか」
リリィは頷いた。
4人は温室へ向けて歩き出す。
「しかし予想以上に見事なものでござるなあ」
「ああ、どの子達も大切にしてもらっているのがよく分かる」
「だね。あっちのお花も楽しみだなあ」
「ういい…。リリィおねーさんどんなのあるかしってる?」
「ええと、確かハイビスカスにプルメリアやサボテン、それから…」
他愛もない話をしながらゆったりと歩みを進めていく。
柔らかな風が時折花々を揺らす。
温室が目前まで迫った時、ふとリリィの視界がぼやけた。
ー?
錯覚かと思い目を瞬かせる。しかしそうではない。
周囲の景色がまるで水彩絵具を水で溶かしたようにぼやけていく。滲んでいく。
色と形が失われ真っ白に塗りつぶされる。
そうして世界がすっかりと溶けていってしまった後、リリィは見たことのない虹色に輝く空間にいた。
「ここは…?」
首を傾げつつ、リリィはきょろきょろとあたりを見回した。
ふと前方にぼんやりとだが、何かが見えてきた。
誰かが立っている。
身長はリリィと同じくらいで、丈の長い優美な衣装を身に纏っていた。
頭から真っ白なヴェールを被っていて顔はよく見えない。
ヴェールから覗く桃色の唇がゆっくり動いた。
『助けて』
「え…?」
リリィは瞳を瞬かせた。
『あの方を…助けて…どうか』
ヴェールを被った何者かがリリィの方へ手をかざした。
その瞬間リリィの頭の中に何かの映像が流れ込んできた。
まず見えたのはこのホテルの外にある森だ。
バスに乗っている時に窓の外から見えた木々の群れが、鮮やかで目に眩しい。その中を誰かが歩いている。
ーミク…?
ツインテールにしたミントグリーンの髪をぴょこぴょこ揺らして楽しそうに歩くミクの姿に、リリィは空の色の瞳を瞬かせた。
場面が切り替わり今度は白百合の花畑を幸せそうに眺めるミク。しかし、しばらくするとミクは驚いたように空を見上げた。なんと先程までの青空が幻だったかのように、天はすっかり黒い雲に覆われているではないか。
リリィは目を見開いた。
ミクの背後から禍々しい気配を纏う巨大な何かが近づいてきている。
ー危ない!!
思わず叫びそうになったところで映像が唐突に終わり、周囲の景色は晴々とした庭園に戻っていた。
リリィは呆然としていた。
「今のは…」
夢だったのだろうか。
しかしリリィの中の何かが絶対に違うと告げていた。
それにあのひとは言った。
『あの方を助けて』と。
リリィは咄嗟に駆け出していった。
勝手口から出るのももどかしく、高く跳躍するとひゅうっと庭園の柵を乗り越える。
「リリィちゃん!?」
「すまない!!3人とも先に行っていてくれ!!」
走りながら森の方に目をやる。そこだけ夜になってしまったかのように黒い雲が広がっている。嫌な予感が止まらない。
「ミク…!!」
*
ミクはぽかんと口を開けながら目の前の存在を見つめた。
それはゆうに15メートルはあろう人型の怪物だった。
なんて大きいのだろう。
まるで鎧が意思を持って歩いているみたいだ。全身が真っ黒で金属のように硬そうな光沢を放っている。手も足もあちこちが盛り上がり巨大な岩石のよう。
口も鼻もない代わりに顔の真ん中にはギョロリと大きな一つの目玉。
ミクはじりじりと鎧の怪物から後ずさった。
お話の中でしか見たことのない存在と出会えるなんて本来なら大喜びするところだが、今はちっともそんな気持ちになれなかった。
なんだかすごくいやな感じがする。
くるりと背を向け駆け出すものの、この化物は獲物を逃す気はないらしい。
怪物は弓の弦を引くように大きく腕を振りかぶると、そのまま勢いよく地面に叩きつけた。
地面がひび割れゴゴゴと大きな震え。
「っあ…!!」
ミクの身体が宙に浮きそのまま地面に叩きつけられそうになった。
「ミク!!」
金色の閃光が目の端でちらついたと思ったら、何者かが空中でミクの身体を抱きとめそのままごろごろと地面を転がった。
「大丈夫か?」
自分の下から声が聞こえて、ミクは両手をついてさっと半身を起こした。
安心したような空の色の瞳と目が合う。
「リリィちゃん…」
仰向けになっている大切なひとにどうしてと聞こうとしたが、リリィは素早く身体を起こすと微かに首を振った。
「後で話す。今は…」
リリィはミクと共に立ち上がると、しっかりとミクの左手を握った。
「逃げるぞ!!」
「う、うん!!」
ミクはリリィに引っ張られるようにして駆け出した。
*
2人で森の木々に紛れ怪物から少しでも遠ざかろうと駆け抜ける。
ミクは正直目が回りそうだった。
リリィはものすごく足が速い。対してミクは身体を動かすこと自体は好きでも運動自体はあまり得意じゃない。横っ腹がめちゃくちゃ痛くてたまらない。
しかし鎧の怪物はのそりと緩慢な動きであるものの、身体が大きいため進む距離も大きい。立ち止まれば、あっという間に2人揃ってあいつの餌食になること請け合いのため必死で足を動かす。
ふと怪物がぴたりと足を止めた。
怪物が右手と左手それぞれで拳をつくる。手の隙間がちかっと光る。
そのまま両腕を振りかぶりブウウゥンと勢いよく振り下ろす。
2人の走っている方向目掛けて、放たれたのは無数の石礫。
尖った石のかけらが流星群のようにミクたちめがけて容赦なく降り注ぐ。
「伏せろ!!」
リリィがミクを庇うように覆い被さり、茂みの中に飛び込んだ。
弾丸がリリィの右肩を掠める。
鮮やかな深紅の液体が薔薇の花弁の如く宙を舞う。
「怪我はないか…?」
「うん…ありがと…リリィちゃん!!血!!」
「かすり傷だ」
リリィが身体を起こしながらなんてことないように言った。
しかし傷は見るからに痛々しい。腕にもあちこち切り傷がある。
ミクはぐっと唇を噛み締めた。
リリィが怪物の方を見やった。相変わらずミク達を狙って、ゆっくりとだがズシンズシンと歩を進めていく。
リリィはミクに向き合うと真っ直ぐに空の色の瞳を向けた。
「ミク…私があいつを引きつける。だから、その間に逃げるんだ」
一瞬、何を言われたのか分からなくてミクは瞳を見開いた。
理解すると同時に激しく首を振った。
「何言ってるの…!?そんなのいやだよ!!リリィちゃんを置いてくなんて!!」
リリィは首を振った。
「大丈夫。私も後で必ずみんなのところへ戻るから。それにミクにはお願いしたいことがあるんだ」
「おねがい?」
「ああ。もしかしたらあの怪物はホテルの方へ向かうかもしれない。ミクには、みんなやホテルの人たちにあの者のことを伝えに行ってほしいんだ」
ミクはぐっと唇を噛み締めた。
あの怪物が沢山の人たちがいるところに行けば、自分達と同じような目に合うひと達が必ず出るだろう。リリィが守ろうとしているのはミクだけではなかった。
「いってきます」とリリィはくるりと背を向け駆け出そうとした。
しかしぎゅうっと左手を握りしめられ、とっさに立ち止まった。
ミクがリリィの手を掴んでいる。両の手で包み込むように。何が何でも離すものかとでも言うように。
「ミク…放してくれ」
「嫌だ!!」
リリィの手をさらに強く握った。
「リリィちゃんがおとりにならなくても、わたし達2人でみんなに伝えに行けばいいじゃん」
「しかし…少しでも時間を稼がないと」
「それは1人じゃないとできないこと?」
ミクがリリィの手をますます固く握った。
「わたし達2人であいつを足止めしてから逃げるのだってできるはずだよ」
「……危険だ。ミクには一刻も早く安全なところに行ってほしい」
「悪いけど聞けない。リリィちゃんを1人にしたくない」
ミクはぐっとリリィを見つめた。大きな瞳が勇気に満ちて燃え上がる。
「どうやってかなんてわかんない。でも探せば一緒に助かる道がぜったいぜったいあるよ。だから…自分を犠牲にしようとしないで」
「ミク…」
リリィの空の色の瞳が煌めいた。
すると予想もしていなかったことが起きた。
ミクの斜めがけバックからミントグリーンの光が漏れ出た。
「!?」
ミクはとっさにバックのファスナーを開けた。
あのコンパクトが輝いている。
「な…!?」
「ふおわあぁ!?」
あまりの眩しさにミクは思わず目を閉じる。
すると身体がふわりと浮かび上がるような不思議な感覚に襲われた。
To be continued…。
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