マスターが。と、ミクが泣きだしそうな顔で言った。
「マスターがいま、ひとりなの。ひとりで、泣きだしそうなの」
自分が泣き出しそうな顔で、そう言った。
 タロは「ミク」を無くしたばかりの友人の元に居るのだという。ミクが居なくなった後の、パソコン内の後処理などをしているのだという。だから、マスターはひとりなのだ、とひとりきりでいるのだと、ミクは言った。
「私、酷い事をしてるのに。マスターに対して酷いことしたのに、マスターはもう何も言わなくて、お疲れ様、としか言わなくて。少し笑ってくれて、だけど、違うの。あれは笑顔じゃないの。泣きそうなの」

―ミクと「ミク」を歌わせることを反対していたマスターも結局、歌わせることを許した。歌う予定の曲を覚えさせ、念のためにタロウにプロテクトをかけさせて。そしてミクを、「ミク」のパソコンに行かせた。マスターは「マスター」なのだから、いざとなったらその強制力でもってミクを閉じ込めることも可能だった。知らないままなのはフェアじゃないから。とタロがその事をきちんとマスターに教えていた。
 それでも、マスターは結局、ミクのやりたい様にやらせた。

 嫌だったろう。大切な人を失くす手伝いなど、したくなかっただろう。
 無くす痛みを知っていればなおさら。
 落ち込んでも仕方が無いといえば、仕方が無い。
 けれど。その事に嫌悪感を感じ、落ち込んでいるだけならば、まだましなのかもしれない。
 それよりもなによりも、マスターは自分がなくした時の事を思い出しているのかもしれない。
 大切な人を亡くした時の事を思い出して、その悲しみの海に沈んでしまっているのかもしれない。

 お盆で飾る胡瓜の馬と茄子の牛は、やってくる先祖の霊たちの乗り物なのだという。胡瓜の馬に乗って駆けて来て、茄子の牛に乗ってのんびりと還る。
 帰りの乗り物を用意したくない程に、留めておきたいと願う人は、どんなに大切な人なのだろうか。
 マスターはまだ、その人を無くした人の事を思い続けているのだろうか。
 無くした痛みは、消えないまま、まだその身の内に宿しているのだろうか
 だから、ひとりきりで泣いているのだろうか―

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透明な壁・4

閲覧数:83

投稿日:2011/07/07 19:30:09

文字数:913文字

カテゴリ:小説

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