そして一時間後。

 少し帯の形がおかしいが何とか形になっている着物姿のミクと、同じくぎこちない着こなしながらも羽織袴姿のカイトと、一人普段着のままのメイコが、それぞれ沈痛な表情で録音室に現れたのだった。それこそ大喜びで姿を見せてくれるものだと思っていたマスターは、テンションの低い三人の姿に驚き、目を丸くした。
「何、何事? メーちゃんは着物、気に入らなかった? 正直、喜んでもらえる自信があったのだけど……」
暗い表情で、なおかつラフなニット姿のメイコに、不安になりながらマスターは声をかけた。もしなんだったら他の着物を一緒に選びましょう、と提案するマスターに、メイコは力なく首を振った。
「……大丈夫です、マスター。ものすごく気に入ってます。できる事ならば私も貰った着物を着て登場したかったです」
そう言う声の調子にも張りが無い。
メイコは何かあっても、その情動を元に切磋琢磨するタイプだ。ここまではっきりと落ち込むのは珍しい。一体何があったのか、と驚くマスターに、あのですねマスター、と沈痛な表情のままメイコは言葉を続けた。
「私の体型では、着物、なんどやってみても胸が邪魔でちゃんと着れないし、帯も結べなかったのです……」
「あぁ、うん、そうね。メーちゃんの体型はグラマラスだからね」
メイコの悲痛な言葉に、マスターは納得したように頷いた。
 女性らしい曲線を持つメイコは着物を着るのに向いていない体型だ。初めて着付けをするにはかなりの難易度だったろう。先にコツを教えておけばよかったわね、とマスターは反省しながら、だけど、と首をかしげた。
「着付けができなかったメーちゃんはともかく、ミクまで落ち込んでいるのはなぜ?」
マスターの素朴な疑問に、同じく沈痛な表情で視線を斜め下に落としたままのミクが答えた。
「……私は、お姉ちゃんとの胸囲の格差社会を見せつけられて、落ち込んでいるのです」
「ああ、ええと、そうね。ミクは少し細すぎるけど着物を着るのには適した体型だから」
「つまり寸胴ってことじゃないですか……」
マスターのフォローもむなしく、自虐的にそう言ってミクは深いため息を吐いた。
 胸が大きくて着物が上手に着れないメイコに対し、自分はすんなり着付けできたことがミクにはかなり痛い打撃だったようだ。まさに胸囲の格差社会。
「ええと、それでカイトは? どうしてそんなに暗い顔をしているの?」
「おれは、二人になんて言えばいいか分からなくて……」
「ええとね、それは何も言わないのが一番。そっとしておきなさい」
この格差社会を理解するのにカイトはまだ役不足だ。そんなカイトが何か言ってフォローしようとしたら、特にミクは更なる負のスパイラルに陥っていただろう。うちのカイトが不器用な子でよかった。
 なんにしろ、三人とも選んだ着物は気に入ってくれたようだ。勝手に着物を決めてしまって強引だったか、と少し不安だったマスターはそっと胸をなでおろしたのだった。
 
 改めて三人は録音室にてマスターから着物の着付けを教わることとなった。ミクとメイコ、それにカイトの間に衝立を置き、マスターからは両方の様子が見えるようにしてもらう。床には敷物を敷いて着付けに必要な小物を並べていった。着付けの手順自体は既に調べて知っているので、その通りに着付けを最初から行っていき、それに加えてマスターが着やすいコツを教えてくれる。メイコには着物に適した体型補正を真っ先に教えてくれた。
 補正用の下着などのおかげで、最初の時とは比べ物にならないほど楽に着物を身に着ける事ができた。胸が邪魔で緩んだり皺になったりしてしまった衿の合わせがすんなりと決まる。それだけでかなりの感動である。おぉ、と感動の声を上げるメイコの横で、ミクも、間仕切りの向こうのカイトも、おぉ、と感嘆した様子で声を上げていく。
「なんかさっき画像で見た着物の人っぽくなってきた」
「さっきよりも全然、動きやすい、です」
そんな感動の声を上げる面々にマスターが笑った。
「コツさえ覚えれば着物を着るのは簡単。着物も大振袖じゃないから、帯もそこまで難しい締め方をしなくても大丈夫」
続いてマスターは帯の締め方を教えてくれた。教わるのは桜の名にちなんだ結びの形。枝垂桜の枝のように帯の端が細やかに揺れるような形だ。結ぶ、と考えずに、形を整えて締める気持ちで行うのがコツなのだと言う。
 だがそこで問題が発生した。
 メイコとミクは、それぞれ相手の帯を締める事としたのだが、ミクは帯を締めることがどうにも苦手なようだった。
「……ミク、もう少しきつく締めて大丈夫よ。これじゃあ解けちゃう」
帯の形を作る前の段階からすでになんだか緩んでいる帯にメイコがそう言うと、無理だよ、とミクが非難の声を上げた。
「これ、固くて無理だよ。これが限界」
「そんなことないよ、もっと力いっぱいに締めてごらん」
「そんな、無理して千切れちゃったらどうすんの、おねえちゃん」
「そんな簡単に帯は千切れたりしないからだいじょうぶよ、ミク」
画面の向こうからマスターが声援を送る。二人からの励ましの言葉に、再びミクは出来る限りの力で帯を締めた。そして言われた手順通りに帯を形作る。
 だがしかし。案の定と言うべきか。ミクが締めてくれた帯は緩く、動き回ったら簡単に解けてしまいそうだ。
「……うーん、着物を着ている時はできるだけ動かないようにする、とか」
「せっかくのお着物なんだもん。初詣は、皆この格好でいきたいよ」
そうミクが駄々をこねるように言った。電子の世界にも神社は存在する。マスターに新年のあいさつをしたら、皆で行ってみようか、と話をしたのはつい先日の事だ。
 先に教わったのでメイコは帯を締める事が出来る。力加減のコツもなんとなく学んだ。こうなったら自分で帯を締めて、手前で帯の形を作ったものを背中に回そうか。一瞬メイコはそう思ったが、胸がつかえて回らない、なんていう更なる大惨事が起こりそうな気がして止めた。
「あ。お兄ちゃんが締めるのはどうかな」
と、ミクが大名案だとばかりに手を打ちながらそう言った。その言葉にそれはいいかもしれない、とメイコは頷いた。ミクに比べてカイトの方が力があることは間違いない。器用さも、多分大丈夫だろう……多分。
 が、しかし。そんなミクの提案を受けて、衝立の向こう側から、ふぉっ、と叫び声が上がった。
「いや、駄目でしょ! そんなメーコ、さん、の着替えを手伝うとか。おれ、男だよ!?」
「いやいや、帯びを締めるところまで来たら別に問題はないから」
そう言いながらメイコは相手に姿を見せるために衝立の向こう側に回った。メイコの不意の行動に、再びカイトは、ひょっ、と情けない悲鳴を上げた。
 着物自体を着つけた後は伊達締めを締めているから、胸元がはだけるとかそういう問題は起こらない。まさに帯が無いだけの状態である。両手を広げて自分の姿を見せながら、ほら大丈夫でしょ、とメイコは言った。
「あれ、着物、着てます、ね」
「そうよ。だから言ったでしょう。帯を締めるだけなら問題はないって」
全くこの男は一体何を心配しているのか。そんな呆れ顔のメイコをまじまじと見つめ、カイトは拍子抜けした表情で頷いた。
「……おれ、悪代官が町娘に無体を働く映像が浮かんでました」
「あー、くるくるしたら着物がはだけちゃう、あれね」
と、メイコもイメージ映像を思い浮かべながら頷いた。着物をはだけさせた姿の自分がやって来ると思ったら確かに慌ててしまうのも仕方がない。けど、いくら露出が多めの衣装を着るメイコであっても、あんな状態の姿を身内に見せたりはしない。
「そんなアンタ、人を露出狂みたいに思わないでよ」
「カイト、現実は、あんな風にはならないってことを学んだわね」
「もしかしてお兄ちゃん、お姉ちゃんの姿でそれ、想像しちゃった?」
呆れ顔のメイコ、くすくすと笑うマスターに続き、衝立から顔をのぞかせたミクが追い打ちをかけるがごとくそう言った。ミクのからかいの言葉に、カイトの顔が瞬間的に真っ赤に染まる。
「こーら、ミク、からかわないの」
振り返りメイコはそう言って。カイトも、と再びカイトに向き直った。
「アンタもお兄ちゃんなんだから。もっとしゃんとしなさい」
そう発破をかけるように声をかけると、ゆでたことなったカイトから、ふいぃ、と何とも間の抜けた返事が返ってきた。その情けない声にミクがまた明るい笑い声をあげる。メイコもまたマスターと視線を合わせ、ふ、と吹き出した。
「もーカイトはしょうがないなぁ」
呆れながらも、そう赤い声が笑えば、青い瞳ははにかみながらも嬉しそうな光を帯びる。
 全くお兄ちゃんと呼ぶにはまだまだ情けないことこの上ないが、今はこれで十分。
 来たばかりのこの青い青年は、まだ少し、自分たちに遠慮があるような感じがするけれど。まだまだ頼りないけれど。けれど同じままではない。一緒に笑って慌てて呆れて、そうやっていけば、日々を重ねていけば、きっと彼は彼のペースでここに馴染んでいくだろうから。
 それまで、いつか肩を並べて歩く日を楽しみ、待つとしよう。
「よし、じゃあカイト。私の帯、ちゃんと締めてちょうだいね」
任せたわよ。
 メイコの言葉に、カイトは少しくすぐったそうな表情で頷いた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

着物くるくる 2

ここまでお読みいただきありがとうございます!

そんなわけで、ばあちゃんマスターの昔の話でした。現実のお正月はいつの間に過ぎちゃったんでしょうね。
ばあちゃんマスターのカイトは初期の頃は迷子の子犬っぽいイメージでした。この頃はまだ人見知りの壁を築いているに違いないなぁ。と思いつつ書きました。ちなみにこのわんこ兄さんは懐いた相手には全力で心を開きます。本編の時間軸では成長してりっぱな成犬になっているはず…なってる?

ちなみに迷子と言えばルカさんは、今も昔も方向音痴の猫。迷子になってもあんまり不安にならない。そしてあまり成長しない。それ以外のメンバーは基本的に迷子にはならない。リンとレンはあえて迷子になる道を選びそうだけど、勘がいいからちゃんと帰ってくるんだろうな。
という、どうでもいい設定でした。

前のバージョンでおまけ。気になる方はどうぞ~。
まだよくわかんない会話劇。この会話劇がつながってくれる日が来るように、今年こそ頑張りたい…です!!

閲覧数:314

投稿日:2015/01/13 16:12:29

文字数:3,834文字

カテゴリ:小説

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