小岩井の家の庭に、桜の木があるんだってさ。ミク一緒に見に行かないか?マスターのその言葉に私はこくんと頷いた。本来ならば人工知能を持つ私は電子の海を渡って「ミク」の家に行くのが早い。けれど、崩壊が進んだ私には海はもう渡れなかった。その代わりに、マスターは携帯電話に私を移して連れて行く。と言ってくれた。マスターの友人から借りた、人工知能を入れることのできる容量を持った携帯に私は入り、マスターと一緒に出かけた。

 首にかけられた携帯から外の世界を見る事が出来た。沢山の人、流れる景色、音、空、雲、虫の気配に、風の色。
 それよりも感じるマスターの鼓動の音。
 別に私がマスターに触れているわけではない。けれど、不思議だな。マスターの胸に抱かれている感じがする。
「あ、ミク。公園の桜も綺麗だ。」
そう言って、マスターが少し寄り道しよう、と公園の中に入った。
「ほら。すごいな」
そう言ってマスターは携帯を上にかざした。
 淡い水色の空に霞む白い花びら。その輪郭を微かな薄紅に色付かせ、穏やかなひかりの中はらりとひとひら舞い落ちてきた。
「きれいですね」
そう言うと、マスターは画面を自分自身に向けて、そうだな。と屈託の無い笑顔で言った。
 マスターの笑顔越しにもまた、桜の花霞が見えて。ふふと思わず笑いが零れおちてしまった。
「どうした?」
「うん、なんか桜がいっぱいで、嬉しくて」
ただの花なのに。桜の花が咲いているとどうしてこんなにも嬉しく感じるのだろう。そんな事を思って頬笑みをこぼしていると、マスターも又視線を上に向けて、そうだな。と嬉しそうに笑った。

「桜がいっぱいだな」
「そうですね」
「ミクは幸せそうだし」
「そうですね」
「俺も幸せだし」
「そうですね」
「俺、バレンタインの子ちゃんと振ったよ」
「そうですか」
「あれ、知ってた」
「知ってました」
「なんだよそれ」
「なんでしょうかね」
「なんかさデートみたいだな」
「そうですね」

お互い視線を桜に向けたまま、そんな言葉を重ねた。

 本当に幸せなのに。幸せであることが怖くて不安で泣きだしたくて。信じる事が出来なくて。本当に、私はワルイモノになってしまったみたい。ごめんなさい、マスター。

 桜が散り、鮮やかな緑の葉が街路に濃い影を落とし始めた頃。いつものようにここを訪れた「ミク」に私はお願い事をした。

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微熱の音・14~初音ミクの消失~

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投稿日:2011/07/01 20:42:50

文字数:997文字

カテゴリ:小説

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