ミクとのデートから一週間ばかりが経った。彼女からの連絡は未だない。
あれから僕は四日ほどかけて四つの楽譜を書いてケイにその旨を伝え、あとの数日間はミクからの電話を待ちながら平凡に過ごした。
一時は説得に行こうかとも迷ったけど、僕が伝えられるようなことはもうほとんどと言っていいくらいに無いことに気が付いて止めにした。
ケイは色々と動いているらしい。段取りは俺に任せろと頼もしいことを言って、それ以降は音沙汰なし。主賓が来るかどうかもまだ分からないというのに、必要以上に張り切った声を出していた。あのバイタリティは一体どこからくるんだろう。
兎にも角にも、僕がやるべきことはもう無い訳で、そのうえ創作意欲も湧かないとなれば、バイト以外の時間を持て余すのは当たり前だった。
さりとてここは音楽の都ポリヴォラ。暇つぶしには事欠かない。今日も今日とてボランダストリートをつらつらと歩いて、枯れた作曲への熱を呼び覚まそうとしている僕だった。
ストリートの活気は言うまでもないが、平日の今日はこれでも落ち着いている方だ。ぼんやりと考え事をしても平気なくらいには道が空いている。頭上を舞い踊る音符も空を覆い隠すほどではなかった。
ポリヴォラ名物のホログラム音符は、カラーバリエーションはもちろんのこと、よくよく見れば記号の書体すら曲によって変わる。
角が尖がったものや丸まったもの、斜体になったものや太字で強調されているもの。演奏者の個性を表していたり、曲の質を象っていたりと見るものを飽きさせない工夫がなされているのだ。通りを歩くだけでも暇を潰せる。
左右に聳え立ち、様式の統一された建築物は、レンガのひとつひとつを取っても色褪せた風合いを持ち、その独特の色味は積み重ねた歴史を感じさせた。
そんな風に街を眺め、石畳を踏みしめながら散歩をしていると、僕の目の前の店の扉が勢いよく、とても乱暴に開かれた。
扉を叩く大きな音にびっくりして足を止めれば、とある楽譜屋の中から一人の少女が飛び出してくるところだった。
黄色い髪の、見たところローティーンの少女だ。
彼女は威勢よく出てきたにも関わらず、楽譜屋の扉を背にして悲しげに俯いていた。それが気になったわけではないけれど、僕は少女の横顔を注視する。
あれっ、と思った。つい最近、どこかで見たことのある顔だなと感じたのだ。
黄色いスカーフがアクセントの、ノースリーブの襟付きシャツにホットパンツ。黒いアームカバーを腕に嵌め、足首のだぼっとしたブーツソックスを穿いた少女の服装にも見覚えがあった。
少女が手をぎゅっと握り締めて小刻みに震えるたび、カチューシャと一体化した大きなリボンが揺れる。その表情は怒っているようにも悔しがっているようにも取れ、なんとなく気になる。
何かあったのかな、と思いつつ少女の前を通り過ぎようとしたときだった。
突っ立ったままだった女の子が、俯いたままいきなり僕のほうに向かって走り出したのだ。
突然過ぎて避ける間もなく。結果。
「うどっ!」
少女のつむじが僕の鳩尾にジャストフィッッ!
僕は腹を押さえて九の字に体を曲げ、少女は頭を抱えて座り込む。
「~~~~っ!」
僕らは二人して、声も無く痛みに耐えた。僕は呼吸困難、少女の方は頭頂部へのダメージだ。
なんなんだ一体。
少しだけ早く回復した僕が、そう思いながら蹲る少女を見ると、彼女は目に大粒の涙をこしらえて今にも泣き出しそうだった。というか。
「う……」
まさか、と僕が思う間もあればこそ。
「うわあああああああん!」
なんと少女は人目も憚らず泣き出してしまった。当然のごとく大泣きする声は周囲の人間の注目を集める。なんだなんだとこっちを見る複数の目。
「え、ちょ……。待って待って待って!」
僕は焦った。この構図はやばい。年端もいかない少女を泣かせた(ようにみえる)二十代男性の図はあらぬ誤解を招くには充分すぎる。案の定、こちらを見るご婦人方の目が険を帯びていた。ひそひそと若干軽蔑の混じった眼差しでなにやら囁きあっている。
「え~とえ~っと……」
テンパッた僕は混乱しまくった末、思わず少女をがっしと小脇に抱えて、「戦略的撤退ですから!」と意味不明な言い訳をしつつ、その場から一目散に逃走するという手段を選んだのだった。
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