「ばあちゃん、あげはちゃんたちが来たぞ」
画面の向こうからマスターの友人であり、「ミク」のマスターの孫がそう声をかけてきたのが聞こえてきた。その言葉に画面脇にある時計に視線を向けた。
「じゃあちょっと買い物に行ってくるわね。今日は誰が付いてくるのだっけ?」
「レン君だよ、マスター」
「そっちも花火大会をするの?」
「うん。もうね、がくぽさんとルカちゃんとぐみちゃんでお買い物に行ってるよ」
「ええ?ルカはまた迷子にならない?大丈夫?」
「大丈夫だよ、がくぽさんもぐみちゃんも一緒だから」
そんなやりとりを自分のマスターと交わして、「ミク」はくるりと私の方に向き直った。
「今日ね、皆で花火をするんだよ。ミクさんも一緒にやって行かない?」
そうわくわくとした眼差しで言う「ミク」に、私は胸のあたりをきゅと掴みながら首を横に振った。
「ううん、もう帰るね」
「え、もう?」
花火に参加するしない以前に、私がもう帰ってしまうとは思っていなかったのだろう。「ミク」は驚いた様子でそう声を上げた。
「ごめんね。マスターに用事を頼まれていたのを思い出したの」
そんな小さな嘘をついて、私は帰り支度を始めた。
 あらもう帰っちゃうの、と声を聞きつけた「メイコ」がお土産に梅ジュースなるものを少しもたせてくれたり、もっと話をしたかったなぁ。なんて残念そうな「ミク」と、また来るね。と名残の会話をしたり、画面の向こうで、あれミクさんが二人いる。と驚いた声を上げる子供とあいさつをしたり。また来るからね。と何度も約束をして。

私はマスターが待っているであろうパソコンに向けて、電子の海を渡った。

 きらきらと、ゼロとイチがきらめき繋がり離れ崩れ落ちて、そうして循環していく無限に広がる電子の海。その中を私は走った。とんとんとん、軽やかに壁を越えて、柵を潜り抜けて、門を幾つか通り超えて。
道に迷っってしまうと抜けだすことが困難だと聞いたことがある。迷子になるなよ。と出かける時にマスターは少し心配そうに私に言った。
 だけどそんな心配はいらないよ。マスターのいる場所を見失うなんて、ありえないもの。

 よく知っている気配に満ちたパソコンに辿りつき、私は、はやる気持ちを落ちつけようとひとつ深呼吸をした。ゆっくりと、デスクトップに向かって歩を進める。画面上にネット検索が映し出されている気配があった。何か、調べ物でもしているのかな。そう思いながらそっと画面に近づくと、案の定マスターは真剣な顔で画面を見つめていた。

 じっとそんなに何を探しているのだろうか。というか私が帰って来ていることにも気が付かないなんて。こっちは早くマスターの元に戻りたくて走ってきたというのに。

 全く私の存在に気が付かないことが面白くなくて、わざと大音量で、マスター、と声をかけた。
「マスター、ただいまっ」
「うぉうっ」
私の大声に、マスターが変な声を上げた。心底驚いた様子で胸元を抑えながらマスターはあたりをきょろきょろと見回して、そしてようやく画面の中に居る私の存在に気が付いた様子だった。
「ただいまもどりました」
むっつりとした態度で私がそう言うと、マスターはなんだか取り繕うような笑顔を見せながら、おおおおかえり。と言った。
 というか動揺っぷりが隠されていないし。
 苦笑しながらそう思っていると、ばつん、とマスターは今まで見ていたネット閲覧を切ってしまった。あんなに真剣に見ていたのに。何で急に消してしまったのだろう。もしや見せたくない画像とかなのかしら。と更に面白くない気持ちになり、何を見ていたんですか。と私はむっつりとした態度のまま訊ねた。
「今まで何、見ていたんですか?というかそもそも今日は用事があったのでは?」
「あいやいやいや、大したもの見ていなかったし。用事は、あの、もう終わったんだ。というかミク、帰ってくるの早かったなあ」
あはははは。なんてわざとらしい笑い声をあげるマスターに、先ほどまで胸の内にあった筈の柔らかな気持ちがどこかに飛んで行ってしまった。
 なにそれ。早く帰って来てはだめだったということか。私が思うよりもマスターは私を必要としていないってことか。折角走って帰ってきたのに。私がいない方が都合いい事でもあったのか。何それ。すっごい腹立たしいな。
「…まあいいや。「ミク」ちゃんのマスターさん、マスターのアレンジ喜んでいました。違う曲面白いわね。って素敵って言っていました」
仏頂面で私がそう言うと、怒ってるのか?とマスターは慌てた様子で言ってきた。
「いやあの、本当に大したものは見ていなかったんだ。それにまだ帰ってこないと思っていたから不意打ちだったというか」
「別に、言い訳しなくても良いですよ。私はもう奥に引っ込むので。邪魔しないから、存分にマスターは好きな事していてください」
つん、とそっぽを向いて刺々しい口調で私がそう言うと、ミクが怒ってるのはいやだ。とマスターは駄々をこねるような口調で言った。

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微熱の音・5~初音ミクの消失~

閲覧数:82

投稿日:2011/07/01 20:27:44

文字数:2,065文字

カテゴリ:小説

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