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 時刻どおりに列車はA―へたどり着く前に停車場で停った。予定通り30分停車をするとの内容のアナウンスが車内に響き、ほかの乗客たちは乗り換えのためか、はたまた時間つぶしのためか、列車を降りていく。
「どうする?」
そうサハラがハツネに声をかけると、少し降りてみる。との返事が返ってきた。コートは置いたままで、小さな鞄の肩掛けを斜めにかけている。
 停車場にあるのなんて大概、売店かコーヒーショップぐらいなもので目新しいものは期待できないのだが、なんとなくサハラもハツネについて列車を降りた。
 大きく天井の高い駅舎の中、昼間だというのに薄暗く常備灯が点々と灯っていた。磨きぬかれた床の上を無数の人たちの足音が響き渡る。どこか規則正しい音で進む人々の足音の合間を、ハツネは気まぐれな足音で進んでいく。
 長く続く階段を物珍しい様子で見上げたり、足を止めてコーヒーショップで一服する紳士たちを、不思議そうに首をかしげながら眺めたり、壁にはめられたステンドグラスをじっと見つめたり。どこか子猫のような好奇心いっぱいの様子は遠くから見ていても微笑みを誘うものがある。
 大人びた口調で話しているけれど、案外ハツネは幼いところがあるのかもしれない。彼女が話してくれたミクのように、ハツネも無邪気な性質なのかもしれないな。そんなことをサハラは思った。

 がらんがらん、と時を告げる鐘の音が高く低く響き渡った。

 おや、と近くにあった柱時計を見上げると、出発まであと少しの時間だった。売店で、何かを買うつもりなのだろう。色とりどりに包装されたキャンディーやガムが並ぶ棚をじっと覗き込んでいるハツネに、そろそろ列車に戻ったほうがいい、とサハラが声をかけようとしたその時だった。
「ミク、さん?」
訝しげな口調でハツネをミクと呼ぶ、壮年の男性がいた。
 きっちりとした身なりで紳士然とした様子の、人品卑しからぬ男性だ。呼ばれて顔を上げた少女は男性の姿にはっとした表情になり、逃げるように微かに身を引いたが、そんな少女を咎めるように早足で少女に近寄ってきた。
「こんなところで一人で何をしているんですか、学校はどうしたのですか?」
落ち着いていながらもどこか有無を言わせない丁寧な口調でそう少女に問いかけてくる。その喋り方から、男性は学者か先生かなにか何かもしれない、とサハラは思った。
 少女は返事をせず、下を向いて唇をかんでいる。さらり、と長い髪が顔にかかりその表情は見えない。けれど、微かに少女の肩が震えているのが目に入った。
「もしかして、ハツネに会いに行こうとしているのですか?」
男性の言葉にびくりと少女の方が大きく震えた。
 それでも押し黙ったまま、無言の抵抗を見せる少女に男性はひとつため息をつき、言った。
「ミクさん。ハツネが死んで辛いのはわかります。けれど、そろそろ立ち直らないといけませんよ」
冷酷なほどに冷静な声で、その男性は、そう言った。
 ハツネは死んでいる、と。そもそもこの少女はハツネではなく、ミクだと、そうその男性は言う。二人のあいだに割ってはいることもはばかられ、しかしその場から離れることもできず、宙ぶらりんな位置でサハラはその事実を耳にした。
 ミクという少女が死んでしまったハツネのふりをしているということなのだろう。けれど、なぜ?
 疑問を抱えたままサハラが少女と男性に視線を向けていると、男性が再びゆっくりと口を開いた。
「ミクさん。ハツネは死んだのですよ」
男性の言葉に、こらえきれない、といった様子でミクと呼ばれた少女は叫んだ。
「そんなことないわ」
悲鳴にも怒声のようにも聞こえるその小さな叫びは、がらんどうの駅舎の中にこだまし、そして消えた。怒りと悲しみが入り混じった表情で、少女は男性を睨みつけている。けれど、男性は臆することなく少女を諭すように口を開いた。
「ハツネは、もう、死んでいるんですよ」
聞き分けのない子供を言い含めるように、ゆっくりと言う。けれど、その言葉を聞き入れないように、いやいやするように少女は首を横に振った。
「冗談はよして」
すべてをはねつけるような硬い声で少女はそう言った。首を横に振るたびに、はらりと、二つに結った長い髪が揺れ、肩からこぼれ落ちる。
 頑なな少女の様子に男性は小さくため息をつき、とにかくミクさんの両親に連絡を入れます、と言った。
「学校をさぼってこんなところにいるなんて、ご両親が心配していますよ」
そう言いながら男性が少女の方に手を伸ばす。が、しかし。ぱしりとその手を払い除け、少女はくるりと踵を返し、走り出した。
 ふわりと少女の着ているスカートの裾が翻り、残像を残す。
どうしたものか、とサハラはあとの残された男性に視線を向けると、男性は追いかける気配はなく、痛ましいものを見るような眼差しで少女の背中を見送るばかりだった。男性に事情を聞いたほうがいいのだろうか、とも思ったが、不審に思われそうだしそろそろ列車の発車時刻だと、と思い直しサハラはその場をあとにした。
 ホームにたどり着いたところで出発を知らせる鐘が鳴り響いた。慌ててサハラが列車に乗り込むと、汽笛を鳴らして列車はゆっくりと動き始めた。
 扉のはめ殺しの窓からホームが後ろへと流れ去っていくのを眺めていると、乗り遅れたのか見送りなのか、ホームに立ち尽くす人の姿が目に入った。まるで大きな影法師のようなその姿は少し不吉であり、それと同時になぜだか郷愁を誘う。
 見送る側も見送られる側も、列車というものはどこか取り残されたような気分にさせてしまう、と、とりとめなくそんなことをサハラは思ったりもした。
 旅もそういうものなのかもしれない。見送る側と見送られる側。見送る側は旅立つものに取り残されて、見送られる側である自分は、旅をすることによって日常から取り残されてしまう。
 あの少女もまた、取り残された人間なのだろう。
 停車場が消え去りしばらくしてから、サハラは車内に入り、席へと戻った。かたんかたたん。規則正しく振動しながら列車が進んでいく。揺れる列車の中、窓際の席には少女の姿があった。時間がたって少し落ち着いたようだ。そう思いながらサハラがゆっくりとした動きで少女の斜め前の席に座ると、ちらりと少女がこちらに視線を向けてきた。
 なんとも気まずい空気が二人のあいだに流れる。少女と男とのやり取りをサハラが聞いてたことは明白だったし、少女がそのことに触れて欲しくないと思っていることも明らかだった。
 いつものサハラだったら相手の気持ちを汲んで、何事もなかったかのように振る舞うのだが、今回はできなかった。愚かで馬鹿なことだとわかっていたが、出会ったばかりできっとすぐに別れてしまう、この少女に対する興味の方が優った。
 訊いてもいいか、とサハラは前置きをして口を開いた。
「さっきの男は、誰なんだ?」
低く静かな声でそう問いかけると、少女はうつむき、ややおいてから返事を返した。
「…ハツネの、お父さん」
ハツネの父親、なのに少女は、自分のお父さん、とは言わなかった。嘘を突き通すことのしない少女が悲しかった。
「…本当は、ミクっていう名前なんだな」
「ハツネ」という少女はもう死んでいるんだな。とは、サハラは言えなかった。
 少女は一瞬、瞳を見開き、そして伏せた。泣き出すのではないかと思ったが、泣きはしなかった。はらりとひと房、前髪が揺れる。
「ハツネが、私を置いていなくなるわけない」
か細い声で少女はそう言った。それが返事だった。
 そうか、とサハラはつぶやくように言った。もうほとんど答えは出ているようなものだった。現実が追いかけてきて少女の築き上げた絵空事を壊してしまった。
 何も知らないサハラでも分かる。状況は「ハツネ」の死を指し示している。それが事実なのだろう。
 だって、と堰を切ったような様子で少女が口を開いた。
「だって、本当に最後だなんて言わなかった。これでおしまいだなんて言わなかった、だから、私は」
信じない、と少女は震える声で言った。
 少女が泣き出すことはなかった。「ハツネ」が死んだことを信じていないのだから、泣く必要もないのだろう。だって生きている人のことを思って、泣く必要がなぜあるのか。
「ハツネはいるわ。だって、ここにいるじゃない」
そう言って、少女は自分のことを指し示した。
 そんな少女に、サハラはただ悼むようにそっと目を伏せ、けれど、と口を開いた。
「けれど、そしたら君は、ミク、はどこに行ってしまう?」
至極当然なサハラの問いかけに、少女ははっと息を飲んだ。
 この少女が「ハツネ」になるということは「ミク」を捨てるということだ。
 盲目的なまでに崇拝し愛しみまるで空気のように隣り合わせでいた相手が、いなくなってしまったのだ。ずっとひとりきりで過ごしてきたサハラにとってその痛みはいかほどか計り知れないものがあった。
 けれど、と思う。自分が「ハツネ」だと言って、自分自身である「ミク」を探しに旅をして。嘘を本当だと信じ込んで、本気で実行して。
 そして痛みから目をそらして現実を受け入れなくて。
 けれど、そしたら。「ミク」はどこに行ってしまう?
 きっと少女にとってもわかりきったことだと思う。けれど言わずにはいられなかった。
「誰も、自分以外の誰かにはなれない」
そう静かに、サハラは言った。
 何かに裏切られたような、そして自分が信じるもの以外は受け入れないような。そんな表情で少女はサハラを見つめ、そしてそっと視線をそらした。

 列車は目的地に向かって進んでいた。

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蒼の街・5~Blue savant syndrome~

閲覧数:152

投稿日:2012/09/17 17:37:06

文字数:3,956文字

カテゴリ:小説

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