「初めまして、侯爵夫人。お会いできて光栄です。今宵はようこそお越しくださいました。もの慣れぬ身ゆえ、不調法があればお許しください」

淡い薔薇色の唇が開き、細く甘い声が零れた。
控えめにドレスの裾を摘んだ少女に、年かさの貴婦人が強い視線を向ける。

「こちらこそ、光栄ですわ。お名前をお聞きしてもよろしいかしら」

言外にその名も知らぬと告げる彼女に、公女はただやんわりとした微笑を返した。

「ミクレチア・ボカロジアと申します。貴女のお名前は結構ですわ。よく……存じていますから」

その一瞬、深まった微笑みに、女性の返答が詰まった。
儚げにすら見える、まだ幼い少女から反撃されるなど、予想していなかったのだろう。不覚にも気を飲まれたことを取り繕うように、女性はことさら少女を見下すように顎を上げた。

「公子殿下はお姿もその才能も、大公閣下のお若い頃によく似ておいでですけれど、貴女はあまり似ておられませんのね。貴女の血は、お名前のないお母上譲りということかしら」

明らかな嘲りの響きを含んだ言葉に、公女はちらりと隣に視線を送った。
沈黙する兄公子の口元に刻まれたままの微笑を見上げ、思案するようにひとつ瞬く。

いかに侯爵夫人の肩書きを持つといえど、一貴族が己が国の公女へ対して、無礼に過ぎる言葉。
それを咎めても良いだけの、そして咎めるべき身分を少女は有している。だが――。

怒りを覚えるよりも先に、彼女は納得していた。
これこそが、国中の貴族らの内心を代弁する、彼女への評価だ。

二十年前、公国史上最大のスキャンダルと言われたその事件は、あまりの醜聞に公には存在すらしなかったものとして、国史に残らぬよう握りつぶされた。
だが国中の貴族で知らぬものはない。当時、並みいる花嫁候補を差し置いて、現大公その人が見初めた娘の素性が――比喩でもなく姓どころか、定住する国すら持たない、卑しくも貧しい旅芸人の娘であったことを。

娘の存在は大公妃はおろか即妃としてすら認められなかったものの、周囲からのあらゆる非難にも大公は娘を手放すことなくボカロジア家の館に迎え入れ、そうして、館の門は世間から長く閉ざされることになった。――その血を引く子供らが、再び世に姿を見せるまで。

「――私の、血、ですか」

小さな声で公女が呟いた。
その唇が、くすり、と微かな笑い声を立てる。
幼さの残る容貌には不似合いな、それは毒を含んだ笑みだった。

「この身に流れる血の一滴までも、ボカロジアの血に他なりません。ですが、姿を問うならば、私こそが母の写し身と言えるでしょう」

微笑んだ少女は、まるで我が身を誇るかのように胸に手を当てた。
碧の瞳が眼前の貴婦人を見返して笑う。それは勝者の確信を持つ笑みだった。

「かつて大公妃『候補』でいらした貴女も、母の姿はご存じないでしょう。どうぞ、ご覧じられませ。今まで誰も目にすることの叶わなかった、これが大公閣下、幻の花嫁の姿です」

蒼白になった女性の背後、聞き耳を立てていた衆目までもが息を呑んだ。

凍りついたような空気の中、最初に動いたのは、公女の隣で沈黙を守っていた青年だった。
促すように少女の手を取り、周りを取り囲んだ人の輪を抜ける。いつの間にか、その面を再び仮面が覆っていた。
適度な距離を置いて向かい合い、少女がパートナーに習うように仮面を付け直すと、二人は音楽に合わせて踊り出した。

飲まれたようにその姿を目で追っていた彼らは、我に返ると同時に、ひとつの答えを悟った。
否、先刻の言葉を聞いた後では、今や誰もが気付かぬわけにはいかなかった。

少女が身に纏った異国の装いは、淡く色づいてこそいるものの、頭から被いた薄布は花嫁のヴェール、ドレスに重ねた幾重もの羅紗は裾引くトレーンを模したもの。一方、青年の装いもまた暗く沈む色こそ違えど、その形は礼服そのもの。

兄妹としては面差しに似たところのない二人が寄り添う姿は、在りし日に大公とその恋人が晴れて婚礼を挙げていたなら、かくの如くあったろうと想像させるに十分で。

ならばこれは――。ついに現実のものにはならなかった、かつての『その日』の光景を、意図的に作り出して見せたのだ、と。


軽やかに響く音楽。ターンの度に翻る、華やかなドレス。
白い薔薇の招待状。二十年ぶりの夜会。
素顔を曖昧に隠す仮面が作り出す非日常の空気は、まるで時を飛び越えたような錯覚を与える。


周囲が戸惑ううちに一曲を踊り終わった二人は、広間の最奥に設えた席の前に跪いた。
気付いた人々が慌てて居住まいを正し、後に続くように頭を垂れる。
先ほどまで空席だった場所が、いつの間にか埋められていたからだ。

そこには、この国の頂点に君臨する大公そのひとが座り、この様子を眺めていた。

「大公閣下、ご機嫌麗しく存じます」

娘の口上に頷きを返したかの人は、その晴れ姿を見つめ、満足そうに目を細めた。

「お前が踊るところを久々に見たな。昔よりは随分と上達したようだ」
「……お父様」

口端を引き上げた、父特有のからかう物言いに、公女が唇を尖らせる。
せっかく美しく装った貴婦人ぶりに似合わぬ、その子供じみた仕草に、大公が肩を揺らして低く笑った。
それだけのやり取りに周囲がざわめく。日ごろ、かの大公が人前で笑みを見せることなど、まずないと言って良い。
驚きもしないのは、厳格をもって知られる大公が、その実、娘に対してはひどく甘いことを知っている家人ばかりである。

「――私からは、今宵の祝いがまだだったな。何か望みのものはあるか」

そら来た、とばかりに隣に控えた公子が顔を顰めた。いまや完璧に娘に甘い父親の顔になっている大公は、常日頃とのイメージのギャップなど意識の外に違いない。

「どのようなものでも、よろしいのですか?」
「どんな難題を言い出す気だ、ミクレチア。まさか、惚れた男の首などと言い出さなければな」
「ダンスのご褒美に? そんなに腕が上がりましたかしら」

戯れを口にする父親に、娘も軽やかに笑う。
その笑みを収め、ふいに公女は真摯な眼差しを向けた。

「閣下のご所望でしたら何曲でも踊りましょう、一晩中でも。一晩で足りないの言うのなら、明日の晩も、明後日も。閣下が私の手を取ってくださるなら」

大公が娘の真顔を見返す。
少なからぬ驚きを浮かべ目を見張った父親へ、公女は真っ直ぐな瞳は変わらぬまま、どこか悪戯めいた微笑みを向けた。

「お祝いを下さるのでしょう?では、どうか今ここで、私と踊ってくださいませ」

その時、辺りに落ちた沈黙を何と言うべきか。
人々は公女の大胆な発言に耳を疑って固まり、次の瞬間には、身を起こした大公の姿に我が目と正気をも疑うことになった。

恭しく身を屈め、差し出されたその手。
戯れにも誰かに膝をつくなど思いも寄らぬかの人の、傅くように礼を取ったその仕草に、嬉しそうに頬を上気させた初々しい貴婦人が片手を預ける。

見慣れぬ違和感とは裏腹に、意外なほど完璧なエスコートぶりを見せて、彼らは広間の中心、人とぶつからない開いた場所まで進み出た。
様子を見ていた公子が楽団へ向けて合図を振り、奏でられていた音楽が変わる。
先ほどとは打って変わった、ゆったりと、どこか物憂げにも聞こえる旋律の中、二人の足がタイミングを合わせて静かに滑り出した。



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「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【カイミク番外編】 第2話

別キャラが絶賛暴走してますが、カイミクです。一応・・・ええ、一応・・・orz

パパママも、一応ビジュアルはカイミクですしね(20年前は)。

第3話に続きます~。

http://piapro.jp/content/es3khepca1fowslx

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投稿日:2010/02/18 00:35:07

文字数:3,042文字

カテゴリ:小説

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