ルカが涙をこぼしていた翌日の晩、バー『whine&wine』に、蒼いマフラーを棚引かせた男が現れた。

　バーテンダーの弱音ハクは、その人影を見て「あら」と声を上げた。


　「カイトさんじゃないですか!珍しいですね。」

　「久しぶり、ハクちゃん。『オンザロック・リキッドオキシジェン』をお願い。」

　「はい。」


　微笑みながら頷いて、後ろの冷凍庫から液体酸素のボンベを取り出すハク。カイトはその間にカウンターに座って、ニコニコしながら待っている。


　「なんだか楽しそうですね。何かいいことでもあったんですか?」

　「ん?顔に出てるかい?」

　「ええ、思いっきり。」


　くすくすと笑うハクに、カイトは少し苦笑いだ。


　「…昨日ね、やっと皆と肩を並べて戦える力を手に入れたんだ。それがうれしくてね…。」

　「良かったですね。…おかげで静かにこのバーを続けていられます。どうぞ、『オンザロック・リキッドリキシジェン』です。」


　ことり、とカイトの前に置かれたオンザロックは、唯のオンザロックではない。液体窒素で凍らせた氷とドライアイスの中で冷やしたウォッカを使った超低温のオンザロック『オンザロック・リキッドオキシジェン』。メイコ愛飲の『カオス・スピリタス』同様、カイトのみが飲むことのできる殺人的カクテルである。


　「…久しぶりだな、この味。だけど前よりおいしいね。」

　「以前メイコさんがいらした時も、同じようなことを言われました。あまり意識はしてないんですけど、上手くなっているのですか?」

　「ああ、前より腕が上がってるよ。さすがだ。」


　ハクの顔に小さな喜びの表情が生まれる。

　しばらくの静寂の後、カイトがグラスの氷をカラン、と揺らしてハクに尋ねた。


　「ところで…ハクちゃん。実はね…明日、マスターの遺した言葉をみんなで見る予定なんだけど、来ないか?」


　途端にガチャン!と音が響いた。ハクが手にしていたグラスを取り落したのだ。


　「おっと、大丈夫かい!?」

　「あ、はい、大丈夫です…あの、いったいどういう…?」

　「あ、ああ、つまりね…。」


　カイトはマスターノートの事を細かく話、そしてそれに書かれているマスターたちの最後の言葉を明日皆で閲覧する予定がある、と言うことを伝えた。


　「ネルちゃんには既に伝えた。『マスターのあたしたちに当てた言葉!?絶対みるみる見る!!』ってものすごいはしゃいでたよ。」

　「そう…ですか…。…でも…私は…。」


　どこか戸惑っている様子のハクに、カイトが小さく微笑んで声をかけた。


　「…その金の装飾のしてあるシェイカー、このバーの開店前日、ハーデス博士にプレゼントしてもらったものなんだろ?」

　「!!…どこでその話を?」

　「昼間ネルちゃんに明日の話をした時聞いた。その時に、ネルちゃんが改造をする時いつもかけてる金のネジの填まった十字架キーホルダーも、『ネルネル・ネルネ』開店当日にハーデス博士に貰ったって聞いたよ。奇しくもどちらも、マスターたちが姿を消す前日だったらしいね。」


　黙りこくったまま、動かないハク。カイトはそのまま話を続けた。


　「…大切に想われてたんだ。ミクたちへの懸念は一時捨てて、明日来てくれないだろうか?」


　金のシェイカーをちらりと見て、ハクは意を決したようだった。


　「…分かりました。行きます。いつ行けばいいですか?」

　「明日の昼、皆で見る予定だ。ネルちゃんと一緒に来るといいよ。…それじゃ、僕はこれで。」


　残っていたウォッカをぐっと飲み干し、席を立った。そしてドアのところで足を止め、振り返った。


　「…また明日。」

　「…ええ。」


　そう言うと、カイトは『whine&wine』を後にした。