病室に戻った私は、ベッドの上で彼の手紙を眺める。


何度も何度も読んだ文章。
それでもその度に心が温かくなってくる。


何だか頬まで火照ってきたみたい。


貴方の事を考えると、いつもこうなるの。きっとこれが、“恋”というものなんだよね。


私は手紙を口元に当て、小さく笑みを零した。


――――バッ。


「パパ…!?」


すると彼の手紙が強引に掴み取られる。


パパはその中身を読むと、今までに見た事の無い微笑を浮かべた。


「ふんっ、馬鹿馬鹿しい。今日、偶然囚人がお前に紙飛行機を飛ばしてるのを見たから、少し気になっていたんだが……」


何故だろう。私の心がパパの言葉を拒んでいる。


これ以上聞きたくないと、もう何も言わなくていいと、本能が警鐘を鳴らしている。


しかし私は耳を塞ぐ事さえ適わず、パパは続きの言葉を口にした。


「……奴らは一生出られない。出してやる訳がない。たとえ今研究している治癒法が見つかったとしても、また新たな実験の為に使われる存在なんだからな」


――――!


……嘘だよ。そんな……そんなの、嘘だよ……。


だって、彼は約束してくれたもの。


いつか自由になれる日が来るんだって。
いつか私に会いに来てくれるんだって。


グシャリ。


手紙がパパによって握り潰される。


彼の望み(ユメ)を打ち砕くように。


私の想い(ユメ)を掻き消すように。


グシャグシャに丸めた手紙をゴミ箱に投げ捨て、パパは私を睨みつける。その顔は、あそこの入り口にいた看守のものとよく似ていた。


「あいつらは野蛮で低能な動物に過ぎない。高貴な私達とは全く違うんだ。だからもう二度と会いに行くな! ……絶対だぞ」


バタン。


ドアが閉められ、一人残された私は、ゴミ箱の中に視線を落とした。


「ねぇ……どう違うの…?」


野蛮って言ったけど、あの人の笑顔は誰よりも優しい輝きを持ってたよ。


低能って言ったけど、あの人は誰も誉めてくれなかった私の帽子を似合ってるって言ってくれたよ。


「ねぇ……どうして違うの…?」


パパの言った事、私には分からないよ……。


捨てられた手紙を拾い、元の形に戻す。皺だらけになってしまったけれど、辛うじて文字は読めそうだ。


「……っ…ぅく…!」


遣る瀬ない気持ちから込み上げてくる涙。それはいくら拭えど、次々と溢れ出して止まらない。


未来(ヒカリ)の射さない病室で、私は何もかもを諦めていた。
暗闇の中を彷徨い続けたところで、何も見つけられはしないのだから。何も感じられはしないのだから。


だけど、貴方のくれた紙飛行機(テガミ)が灯りとなって、この暗闇に未来(ヒカリ)を灯してくれた。


貴方との繋がりが、生きる意味の無かった人生に、その意味を与えてくれた。


ありがとう。


こんなに沢山の温かい気持ちを与えてくれて、本当にありがとう。



 ◇  ◇  ◇



紙飛行機(テガミ)のやり取りを始めてから早数か月。


充実した日々。
私の世界は輝いていた。


「………てる…か。おい、………返……しな……」


「……あぁ、ごめんね、パパ。ちょっとボーッとしてただけだから」


「な……いい……が。……うは……寝……い」


「うん」


何を言われたのかよく分からなかったけど、私はとりあえず頷いておいた。


やはり自分の体は悪化の一途を辿るのみ。


今もまだ治癒法は見つからない。私はそれまで生き延びていられるようにと、身体のあちこちに管を取り付けられた。最初は痛くて辛かったけど、少しずつその管を増やされていく内に慣れてしまい、もう今では何ともない。


無理矢理に繋ぎ止められた淡い命。


――――でも、それがもう長くない事、分かってるんだ。


日に日に聴力が弱くなっていくし、あそこへ行くのも段々に苦しくなってくる。実を言えば、立ってるだけでもやっとという状態だった。それでも行けるのは、貴方とこの紙飛行機のお陰。


明日も絶対に行くよ。
絶対に会いに行くからね。



 ◇  ◇  ◇



次の朝。


私は自分の体に起こった異変に気が付いた。


「……っく…ぅ…!」


全身が熱い。全身が痛い。起き上がりたくても、身体が動かせられない。


胸が苦しいよ。息が上手く出来ないよ。頭の痛みも酷くて、少しでも気を抜けば意識を失ってしまいそう。


…………もう、ここから出られないのかな……?


突然私が来なくなってしまったら、きっと貴方は心配をする。ただでさえ辛い身だというのに、そんな余計な心配をかけさせちゃいけないよね……。


「――――……い…っ!」


激痛を我慢して机に向かう。





……だから、別れの前にこの紙飛行機(テガミ)を届けるよ。





私は倒れそうな体に鞭を打ち、全力で走り出した。



 ◇  ◇  ◇



紙飛行機が空(クウ)を舞い、柵の向こうへ通り抜ける。


その数分後にやってきた彼は、紙飛行機の中身を読むと、不思議そうな顔でこちらを見つめてきた。


それに対し、私は微笑みで答える。


サヨナラ――――と。


もう会えない。それは真実(ホントウ)だから。


あぁ……駄目だ。目頭が熱くなってくる。ここで泣いたら、結局貴方を悲しませちゃうよ。


私は後ろを振り返り、小さく震える両足を動かした。


そして数歩と進んだ瞬間(トキ)――――





「待つよ!」





凛とした声が私の耳にはっきりと響いた。


「いつまでも待ってるよ! 君が来る、その日まで。手紙を大事になくさずにいられたら、また会えますよね……」


どうしようもないくらいに胸が痛い。今朝の激痛とは比べものにならないくらいに心が痛い。


だけど――――それ以上に嬉しい気持ちが沸いてくる。


私は目の端に浮かんだ涙をそっと拭い、彼の方に振り向いた。


その顔は必死に泣くのを堪えているようで、酷く歪んでいる。引き結んだ口からは、今にも嗚咽が漏れそうだ。


…………そんな、悲しい顔しないで。
私も、泣き顔なんて見せないから。


最後だけは、笑ってほしいな。


だから私は精一杯の笑顔を浮かべてみせる。今までの感謝と喜びを全て詰め込んで。


すると彼も最高の笑顔を返して、その手に持っていた紙飛行機をこちらへ飛ばした。私はそれを受け取り、中の文章に視線を落とす。


「……!」


やっぱり…………これ以上ここにいたら、涙を止められなくなる。


もう帰ろう。


私は紙飛行機を両手で大事に抱え、この場から走り去った。





【僕も、君と会えるのが唯一の喜びだよ。
 ここに来てくれてありがとう。
 いつも来てくれてありがとう。】



 ◇  ◇  ◇



その日の夜、私の体は急激に悪化した。


お医者さん達が慌てた様子で私を別室に移動させる。その場面に丁度出くわしたパパは、焦燥した様子で何かを叫んでいたけど、何を言っていたのかは分からなかった。


苦しい……苦しいよ……。


涙が幾つも零れ落ちる。


どうして?
どうしてなの?


どうして…………





……貴方との思い出がこんなにも胸を締め付けるの……?





最後に貰った紙飛行機を左手に握り、私の意識は暗闇の淵に沈んだ。



 ◇  ◇  ◇



あれから幾月の時を経た現在(イマ)。


身体はもう動かせられない。意識を保てるのも僅かで、一日の内、30分程しか起きていられない。そしてその時間も徐々に減りつつあった。


眠りに就く度、また起きられるのかが不安で怖くなる。もしかしたらそのまま起きる事なく、永遠の眠りに就いてしまうんじゃないかって、そう思うと凄く心が不安になってくる。


前に読んだ本で、死んだ人のところには天使がお迎えに来るって書いてあったけど、私のところにもやってくるのかな……?


薄れゆく意識の中で、過去の景色が脳裏を駆け巡る。


絶望していた人生。
貴方に偶然出会えた日。
手紙を読んでいる時の幸せ。
手紙を書いている時の喜び。


そして――――最後の別れ。


あの時、もし帰らずに、涙を見せてまでもあそこに留まっていたら、私達はお話出来たのかもしれない。色々な想いを貴方に伝えられたのかもしれない。


そう、私が強がりさえしなければ……貴方と、もっと…………。


しかし、今更こんな後悔をしたって何にもならない。どうせ過去に戻る事など、出来やしないのだから。その後悔は私の胸を更に締め付けるだけでしかない。


貴方は今も何処かで笑っていますか?
私の事を今も待ち続けてくれていますか?


もう一度だけ、会いたい。
あと一度だけ、会いたい。


貴方に、会いたい!


……ピッ……ピッ………ピッ…………。


昏い闇に閉ざされた世界。


光に恵まれない花は、ただ枯れていくのを待つのみで。
逃れられない運命(サダメ)だと思ってしまえば、何も望めず、何も想えなくなる。


そんな凍てついた花に、貴方が紙飛行機(ヒザシ)を与えてくれた。


それはとても心地好く、とても暖かな希望(ヒカリ)となって、その花を優しく溶かしてくれたんだ。


だけどね……………もう、その紙飛行機(ヒカリ)も見えなくなったみたい。


少しずつ霞んでいく視界。天井に取り付けられた電灯さえも視認出来ない。


貴方の文字、読めなくなっちゃったよ。これじゃあまた手紙を貰っても、書かれている言葉(キモチ)が分からない。


そんなの嫌だよ。そんなの悲しいよ。


だから…………貴方の声で、貴方の想いを伝えてほしい。


……ピッ………ピッ……………ピッ………………。


静かな部屋に、たった一つだけ響く無機質な電子音。


これでもう、最期なのかな……。


でも、彼が待っているから。
待つと約束してくれたから。


だからどうか、お迎えが来る前に、彼の……ところ……へ……―――――。


瞼がゆっくりと閉じられる。


――――ぽとり。


左手に力無く握られていた紙飛行機が床に落ちた。


……ピッ……………ピッ……………………ピッ……………………




……ピー―――――――――



 ◇  ◇  ◇



――――ここは何処…?


真っ暗で何も見えないよ。


……?


ずっと先の方に、小さな光が浮かび上がった。


それはどこか懐かしい光。
私はあれが何か知っている気がする……。


近付いていくと、その予想が確かなものに変わった。


“やっと……会えたね。私、約束を果たせたよ……”


すると『彼』はこちらを振り返り、申し訳なさそうな顔で口を開いた。


“……え? あぁ、そっか。まだ言ってなかったものね”


久し振りに込み上げてきた喜びが、心を優しく包み込む。気が付けば自然と笑みが零れていた。





“私の名前は―――――”


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

紙飛行機  ~PartⅢ~

囚人Pさんの『紙飛行機』第三部。
第四部までにしようかと思っていたのですが、囚人と同じく三部で完結させる事にしました。
長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さった方にはとても感謝します!

<リンク>
<a href="http://piapro.jp/t/eF3P">囚人P【鏡音リン】  紙飛行機 カラオケ</a>

閲覧数:179

投稿日:2011/11/29 20:46:38

文字数:4,566文字

カテゴリ:小説

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