「想うことも、叶わぬこの身よ」
花乱心中 序
今日も暮六つのお触れが鳴る。ここは花の大江戸、吉原は角町に暖簾を構える幻華楼(げんかろう)。そこにはまさに見世の名前を背負う、売れっ妓女郎が居た。その名は流華(るか)。容姿が完璧なのは勿論、芸事、読み書きに至るまで、何もかも完璧であった。
『聞いたか、幻華楼の流華の話』
『聞いた聞いた。身請けを全部断ったそうじゃねえか』
『どれもこれも富豪の家ばかりそろっていたそうだよ』
『やっぱり俺たちみてえな奴らには、吉原一の女の心なんて理解できねえな』
『そうだそうだ』
そんな会話は、見世の二階で煙管を咥えている流華にも届く。
「わっちは……わっちはそんな大層な人間じゃござんせん」
形の良い唇からは白い煙が吐き出され、それは美しい桃色の髪に絡みつく。
「わっちは汚い人間でありんす……」
男たちに向けられる、蜻蛉玉の瞳が、揺れる。
「だあれも、知りんせん」
鈴のような囁きは、誰に向けられたものなのか。
「……海人」
吐き出される言葉は、誰にも聞こえぬまま、消えていく。
「姐さん?」
その時、襖の向こうから禿の声がした。流華は軽く目元を拭い、いつものように「入りなんし」と声をかけた。するとおかっぱ頭の赤い着物を着た少女が襖の向こうから顔を出した。
「なあに?」
「あのね、簪屋さんが来たから、姐さんを呼んで来いって」
少女は嬉しそうに告げた。流華はそんな少女の顔を見て、ふっ、と笑った。
「そうかい。それじゃ、行こうかね」
流華は腰を上げ、煙管を咥えたまま衣擦れの音だけを響かせながら禿のもとへと向かった。襖を閉め、流華は禿の手を取る。嬉しそうに禿の顔が紅潮する。流華はその顔を見てまた微笑んだ。そして、あるものに気が付いた。
禿の手についた、一筋の赤い糸。
(蚯蚓腫れ……)
記憶をたどれば、何日か前に禿は三味線の稽古中に蚯蚓腫れを作っていた。
「後でお薬も貰わんとねえ……」
「?なあに、姐さん」
禿は無垢な表情で流華に問う。
「なんでもないのよ」
流華はまたあの微笑みを見せた。
諦めたような、哀しんでいるような。
その理由を、
美しい女郎の涙と秘密を、まだ誰も知らない。
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ゆるりー
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