俺は夢を見ていたのかもしれない。

全ての出来事が夢だったのなら、狂気に呑まれることもなかっただろうに。

だがどれだけ足掻こうが、俺はもう壊れすぎていた。




--------




外に出ると雨が降っていた。

ここに来たときは、空模様は怪しくなかったのに。

僅かに浮いている雲の間から見えていた太陽は、すでにその存在を感じられない。

バケツに水をめいっぱい注ぎ、ひっくり返したかのような雨は、誰かの心を引きずり込み、深海へと溺れさせる。

俺と奴との出来事の間に、ここまで酷くなったのか。


もちろんそんな雨に打たれれば、あっという間に濡れていく。

全身ずぶ濡れになれば、体温は次第に下がっていく。

体調はだんだん悪化していくのに、俺の心は清清しくなっていく一方だった。



「…っははは…あはははは……」


乾いた笑いが止まらない。

これで罪悪感なんて欠片もないのだから、余計に笑えてくる。

こんな自分が、社会に紛れて生きていくだって?

とんだ戯言だ。無理に決まっている。

明らかに異常だ。


血に塗れていた手の赤は、消える気配がない。

土砂降りの雨で洗い流せないほど、染み付いてしまっている。

石鹸で隅までしっかり洗えば落ちるかもしれない。

それでも消えなければ、普通の人間の真似事をする為には、いい機会なのかもしれない。

手を見るたびに、嫌でも思い出すのだから。



部屋に戻り、鉄錆にも似た臭いが漂う空間の中で、元々は生命活動をしていた個体を視線で捉える。

雨粒が滴り落ちる手で、拭うのも忘れて、自身のケータイを手に取る。

そして、電話番号を打ち込んでいく。かける場所は決まっている。



「…もしもし?」



今いる場所に死体がある。

そしてそれは、俺が殺したのだと伝えた。


しばらくすれば警察が来るだろう。

それでいい。不穏分子が社会から隔離されれば、世の中は正常に近づく。

自分さえ排除されればいい。

そう思っていたのに――





世間は、俺を許しはしなかった。


周りから下された結論は、『無罪』。




なぜ?

とても不思議だ。腑に落ちない。


だって。俺は、確かに殺した。

現場を調べればわかる。凶器のメスからは、俺の指紋が出てくるはずだ。俺の伊達眼鏡も残っているはず。

そして俺は、奴を壁へ突き飛ばし、首の骨を折った。確か肋骨も折っていたような。

とどめに、メスで何回も刺した。何十個にも渡る刺し傷のせいで、部屋は赤い内装になっていた。


なのに、『証拠不十分』という形で釈放された。

証拠はあるはずなのに。



なのに…「目の前で人が死んだショックで、一時的に混乱してるだけ」と判断された。

心に病気を負ってしまったのだと、友達や家族に心配された。

…部分的には合ってるから、否定はしないけど。

薬も処方された。


一応病気であることは認めているので、薬はきちんと飲んだ。

どうして世間からの判断をあっさり受け入れるのか、自分でもよくわかっていないけれど。



大学を卒業して教師になっても、俺の中のわだかまりは消えなかった。

度々あのときの衝動が甦ることもあった。

でも大抵そのときは、幼なじみのカイトや、妹のグミが一緒だったので、なんとかなった。

それ以外のときは、紙を破くことでなんとかした。

そのおかげで、あのとき以来、俺が過ちを犯すことはほぼなかった。



新しい環境でやることが増えた。

社会人として職場に行き、教師として生徒に教えているのだから当然だ。

俺たちほど黒くなっていない生徒たちは、まだまだ明るい未来が待っている。

できれば何も知らず何も見ず、人に希望を与えるような人間になってほしい。

…俺が言えたことじゃないか。



大変なことも多いが、これまでほど発作がくることもなくなり、少なからずは安心できる日々を過ごしていた。

そして教師として生活し始めて、数年立った春のこと。


俺は彼女に出会った。



その出会いは偶然か必然か。

彼女は誰よりも優しく、いろいろなことによく気がつく。

こちらから触れれば壊れてしまいそうな儚さは、俺にはまぶしいものだった。

そして彼女は、素直で清楚。純粋が故に温かく、反対に何も知らず。

俺が持っていないものを持っている彼女。


だから彼女に惹かれたのだろうか。

今までに彼女のような人間に会ったことがなかったから、こんなに戸惑っているのだろうか。

俺はあの出会いで、初めて「人間」の感情を手に入れたのかもしれない。


その笑顔を見ていると胸が締め付けられる。

その声を聞くと眠れぬ夜がやって来る。


彼女が何よりも大切な存在になった。

校内で起きたとある事件をきっかけに、近くで話せるようになった。

彼女が俺だけに笑ってくれることも多くなった。



思えば、これが一番の「失敗」だったのだろう。

焦がれ続けて手に入れた「日常」も、全てを終わらせる狂気の始まりでしかなかったのだから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Memoria --『Traumerei』--

【Traumerei】ドイツ語で『夢想曲』。トロイメライ。
夢想的な趣のある、器楽用の小曲。
ドイツの作曲家ロベルト・シューマンのピアノ曲。『夢』、『夢想』を意味する。ピアノ曲集『子供の情景』の第7曲。同曲集の中で最も広く知られる。

こんばんはゆるりーです。夜です。寝ろよ私。
最近スランプ気味です。それに忙しくなってきました。うわーい助けてー。

今回全然暗くないじゃん!という方。今回だけです、こんなに明るいのは。これが一番まともです。
だんだん壊れていく感じ。

曲をタイトルにするの最近ハマってます。
なんかかっこいい気がして。
次回は交響曲か夜想曲です。

ちなみにドイツ語表記の「Traumerei」ですが、「a」は間違いです。
ピアプロでは表記されない特殊文字だったので、「a」にしてます。しょぼん。

前回『Preludio』:http://piapro.jp/t/UARx

閲覧数:195

投稿日:2014/04/13 00:36:30

文字数:2,111文字

カテゴリ:小説

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  • しるる

    しるる

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    なーんか、この雰囲気、前にみたような…って思ったのは気のせいじゃなかった
    これ、続き物だったのね
    前回のやつにはアイテムあげちゃったので、ここから換算ですです

    私がかくと、がっくんはかっこよくならない仕様

    2014/04/14 19:42:21

    • ゆるりー

      ゆるりー

      わかりにくくてすみません…

      というか、しるるさんのがっくんを滅多に見ないのですが←
      今回はただのヘタレのような。

      2014/04/16 18:41:34

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