*
傷つけるように言ったわけじゃない。ただ、口が滑っただけだった。
ばあちゃんをあんな顔にさせてしまったのは初めてだった。
ばあちゃんだけは傷つけたくなかった。
今日の朝は、ばあちゃんはいつもの顔で朝ごはんを用意してくれていたけど、お母さんはいなかった。早くから仕事に出ていたらしい。私はばあちゃんとあまり会話をせずに、学校へきてしまった。
今はもう放課後で、愛理と一緒に帰ろうとしている。靴箱に寄りかかって愛理をまっている。
「お待たせ。帰ろう」
愛理が隣から来て、自然な流れで靴箱にむかった。私もその流れに乗って靴をとる。なかなか足が大きくならないので、まだ中二のときに買った靴を履いている。多少汚れているが、まぁ履けるから気にしない。
「今日、松江は?」
私がそう言うと、愛理は上から見下ろしてニコッと笑う。
「今日はね、お姉さんが来るからこないんだって。でも、亮の姪が幼稚園にいるから、私が迎えに行くことになってるの」
「なんで、愛理が行くの?」
「どうせ宗助もいるし、宗助も亮の姪を気に入ってるから、うちに呼ぼうと思って」
「それで、松江も来ると」
私が少しだけ鋭い言葉を投げかけると、愛理ははにかんで笑う。
「わかっちゃった?」
愛理は変わった。
松江は最近愛理の家に出入りしているらしく、松江のことが好きな愛理にとっては好都合らしい。毎日が生き生きしている。
いいなぁと少しだけ思ったけれど、私と愛理は絶対に交わらない平行な直線を歩いている。まぁ、反れたとしても愛理とは反対の方向に反れると思う。
私は愛理が好きだ。好き故に、嫉妬もしている。高身長で社交的な愛理がうらやましい。愛理みたいに毎日キラキラしていたい。
「じゃあ、私、幼稚園行くから」
愛理とは朝霞町の大交差点で別れた。歩道橋をのぼり、栄えている朝霞町とは少し離れた早並山の麓にある家へ足を向ける。
家の近くまで行くと、隣の家の坂田さんが血相を変えて寄ってきた。
「どうしたんですか?」
顔色を伺って、思わず言葉が飛び出す。坂田さんは一語一句ゆっくり喋り始めた。
「あなたのおばあちゃん、救急車で運ばれたよ」
言葉の意味がわからなかった。けれど、坂田さんの言葉を聴いて体が反射的に家へと向かった。玄関を開けると家の鍵がかかってなかった。乱雑に靴を脱ぎ捨てて家の中に入る。誰もいなかった。坂田さんの言うとおり、運ばれたらしい。
「五十鈴ちゃん、おばあちゃんね、四ヶ所病院に運ばれたみたいよ」
玄関で坂田さんがひょっこり顔を出している。私は急いで自転車の鍵を取り、家を出た。坂田さんに一礼をして自転車に乗り、四ヶ所病院まで自転車を走らせる。自転車をこいでいる途中で、嫌な考えが頭をよぎる。私の悪い癖だ。嫌なことがあると連鎖で色んなマイナスなことが浮かんでくる。
病気だったらどうしよう……。
死んじゃったらどうしよう……。
木枯らしが吹く中、私は目の前がよく見えない状態で自転車をこぎ続けた。
*
四ヶ所病院について、受付でばあちゃんのことを訊く。ばあちゃんは066室にいるらしい。病院独特の消毒液の臭いが鼻につく。その臭いが余計私の心配をかきたてるようだから、私は急いで病室にむかった。
病室の前に着き、深呼吸を一つする。どうか、大事に至りませんように。
病室のドアを開くと、白いタイルがまず目に入ってきた。顔を上げてばあちゃんを探すと、声がした。
「五十鈴かい?」
奥のほうだった。私は急いで声のしたほうにいく。そこにはばあちゃんがベッドの上で座っていた。少しだけ不安が解けたような気がした。
「どうしたの?」
私は不安と共に声を吐き出した。ばあちゃんは言葉を聞くと、笑いながら腰の辺りを叩く。
「ちょっとぎっくり腰でね。動けなくて救急車呼んで。なんで五十鈴はわかったの?」
はにかみながら話すばあちゃんの顔を見て、不安と焦りの感情が幻覚だったかのように消え去った。胸の奥からじわじわと熱い物がこみ上げてきた。
ばあちゃんは私の顔を見て、心配そうな顔をした。
「ごめんね、心配させちゃって」
そして、私の頬をつたる涙をシワシワの人差し指で拭った。
「昨日、ごめん」
私は一呼吸ついてからばあちゃんに話しかける。近くにあったパイプ椅子に座って、ばあちゃんの顔をよく見る。七十年近く生きている人の顔だから。苦労とか悲しみが顔に表れている。
「本当はね、ばあちゃんに当たることしたくなかったんだ。でも、お母さんから癪に障ること言われて、すっごくイライラしてたの。それで今日一日、ばあちゃんに当たったことを後悔してた。家に帰って、ばあちゃんが救急車で運ばれたって聴いてから、余計悪いことしたっていう気持ちがこみ上げてきた。ごめんね。本当は大切な人なのに」
ばあちゃんは私の言葉を頷きながらしっかり聞き入れてくれた。私が話を終えると、苦労と悲しみを覚えた顔がニッコリと笑った。
「そんなこと、ずっと前から知ってるよ。一緒に住んでるから判らないって思っていたかも知れないけど、全部知ってる。知ってるから安心していいよ」
ばあちゃんはそう言って私の手をぎゅっと握った。
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