それからというもの、光生は暇があれば、ひたすら陰陽術の練習をした。
その寂しさが、光生を一層陰陽術の練習に打ち込ませた。
その寂しさが、光生を一層強くした。
(絶対に強くなってみせる)
そう、光生は思った。
いや、自分に言い聞かせていた。
だが、本当は、寂しさを忘れようと、光生は必死に練習した。
しかし、それでも寂しさが消えることはない。
日に日にそれは増していった。
3日目。
客が来るのを待ちながら、光生はもう明日が待ち遠しくて仕方がなかった。待てないほどに。
そして、光生は客待ちのために階段の前に立ちながら、遠くを見つめる。
明日に憧れ、明日に思いをはせる。
(おとぎ話なら、すぐにあなたのいる明日に行けるのに…………)
3日目。その一日はいつもの一日よりも何倍も長く感じた。
見ても見ても太陽の位置は変わらず、見ても見ても月は傾かない。
たった夜の一時間を光生は何時間も過ごしたように感じた。
床に入っても、眠りにつけない。
(寝ればすぐ明日になる)
そう自分に言い聞かせるが、なかなか眠りに落ちない。
だが、人というのは不思議なものだ。
気付いた時にはもう光生は眠っていた。
ようやく光生はサレオスに会う。
だが、サレオスは振り向かない。
そして一言。
「それではこれで。もう二度と会うことはない」
「え……?」
戸惑う光生。
すると、突然、サレオスの足もとにあの円が出現した。
「ど、どういうこと? もう二度と会えないって?」
尋ねる光生。
だが、返事は返ってこない。
「ま……」
言う間もなく、サレオスは光生の前から消える。
「は! はあ……はあ……はあ」
光生は何が起きたのか分からない。
光生は周りを見わたす。
自分の部屋。
自分の蒲団。
「はあ…………はあ……」
光生はべっとりと冷や汗を掻いていた。
汗をぬぐう。
(…………夢?)
光生は安堵する。
(――――!!)
そして、今日が何の日かを光生は思い出す。
(4日目!)
喜びの余り、光生は跳び起きる。
急いで寝巻きを脱いで、巫女服に替える。
顔を洗う。
そして、光生は約束の場所に向かって夢中で走った。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
全速力で走ったため、息絶え絶えに光生の場所に着く。
光生は4日ぶりの約束の場所を見る。
そして。
そこには絵の中心となるべき人物がいた。
当然のように立っている。
喜びの余り、言葉が出ない。
名前を呼べばいいのに、声が出ない。
沈黙。
辺りには、光生の荒い息だけが響いた。
何分沈黙が続いたのか分からない。
光生はようやく口を開く。
「サレオス」
「久しぶり」
いつもの静かな声。
その声に光生は嬉しくて、サレオスに向かって走って行く。
「会いたかった」
そう言って、光生は顔を赤に染める。
「俺もだ」
そう言ったサレオスに、光生は照れ隠しに笑う。
サレオスもそんな光生に微笑む。
それから、二人はいつものように草むらに座り、語り合った。
また、光生はこの3日間に必死に練習した術を見せたりした。
一時はあっという間に過ぎた。
「あ、私そろそろ時間だから」
光生はそう言ってからこの一時を思い出す。
楽しい記憶の間にひとつ引っかかるものを見つける。
(そういえば、サレオス、仕事のこと一言も言わなかった……でも、まあいいか。人には人の事情があるわけだし)
光生はそう気楽に考える。
戻ってきたいつもの生活に光生は喜びで満ちていたからだ。
「それじゃ……」
光生が別れを告げて神社に戻ろうとしたときだった。
サレオスの足もとに円が出現する。
突然のことに光生はびっくりするが、一回目ではないので、もう大しては驚かない。
「仕事ね。それじゃあ、私は」
そう言って、帰ろうとしたときだった。
「光生」
「ん?」
返事して振り返った光生は目に入ったその光景に驚きを隠せなかった。
サレオスは光生に背を向けていた。
そして一言。
「もう二度と会うことはないかもしれない」
「――――!!」
「俺はこれから長い仕事に出る。今もその途中で、少しだけ時間をもらってここにいる」
光生は返事できない。
「その仕事で、俺は生きて帰れないかもしれない」
ただ、ひたすら驚いていた。
いや、恐怖していたと言ったほうが正しいだろう。
「だから、今日ここでお前にもう一度会えてよかった」
サレオスのいつもと変わらない静かな言葉。
ようやく、光生は勇気を振り絞って言う。
「で、でも、サレオスなら、生きて帰って来れるよね?」
「分からないな」
サレオスの言葉に光生は悲しさのあまりうつむく。
「たったひとつ願いがかなうなら……二人だけの時間を、神様止めてよ」
呟く光生。
すると、つかつかとサレオスが歩み寄ってくる音が聞こえる。
音が止む。
光生は顔をあげる。
目の前にはサレオス。
顔と顔が20センチもないその距離に光生は戸惑う。
そんな表情を見て、サレオスは微笑むと、
「許せ」
と一言だけ。
「え?」
光生はその言葉の意味を理解できない。
だが、直後、サレオスの顔が近付いてきて。
そしてそのまま……。
唇を重ねた。
ゆっくりと唇が離れる。
驚きに目を見張る光生。
つかつかと少し離れたサレオスは、光生に振り替える。
そして、
「それではこれで」
と一言だけ。
円の光が強まる。
(時間よ、止まって、このまま……私のたった一つのわがまま…………でも、それは叶わない)
円が光に包まれ、光が止んだ時にはそこにはもうサレオスはいなかった。
それから、一週間。
毎朝、光生は約束の場所で術の練習をする。
サレオスが現れてくれるのではないかと思って。
練習には今一念が入らない。
そして、サレオスも現れてはくれない。
結局悲しみのままで、光生は毎朝その約束の場所を離れる。
夜は強くなるために練習するが、やはり今一念が入らない。
サレオスのことを思うと気が沈んだ。
それから二週間。
毎朝、約束の場所に行っても、やはりサレオスは現れない。
もう練習する意欲も気力もなく、ただサレオスを待つばかり。
だが、サレオスは現れない。
夜も練習はあまりせずに早々と寝る。
明日はサレオスが帰ってくるのではないかと思って。
だが、サレオスは帰ってこない。
それから三週間。
毎朝、約束の場所に行くが、サレオスが現れることはない。
もうまったく練習する気力がない。
仕事をしていても、入浴をしていても、何をしていても、サレオスのことが頭から離れない。
気付けば遠くをぼんやりと見つめていて、また気付けば約束の場所に立っている。
それに、よくあの悪夢を見る。
もうサレオスが返ってこない悪夢を。
(お願い……サレオス、帰ってきて)
そう必死に祈る。
だが、やはりサレオスは返ってこない。
三週目が終わり、四週目に入った初日。
光生は朝、起きるとすぐに約束の場所に向かう。
(サレオス…………もういない気がする…………)
頭ではそんな感じがする。
だが、それでも足は止まらない。
今日こそはいてくれるのではないかと思って。
わずかな希望を託して、光生は約束の場所に着く。
だが、彼はいない。
希望が悲しみに変わる。
もちろん待てる時間までは待つ。仕事が始まる直前まで。
夜が明け、日が昇り、仕事の時が訪れる。
だが、彼は現れない。
そして、悲しみはもう何度目か分からない絶望に変わる。
もちろん巫女の仕事を放り出すわけにはいかない。
ほとんど客は来ないが、やはり完璧にゼロというわけでもない。
都の民が訪れることはないが、旅の者はしばしば訪れる。まあ、このご時世なので、旅の者も少ないが。
光生は急いで神社に戻り、接客にあたる。
と言っても、結局ほとんどが待ち時間なのだが。
(いつも、客は一人もいない)
そう思って光生は遠い約束の場所の方角を見つめる。
客が来ないまま、正午を過ぎ、昼食を済ませる。
その女が訪れたのは、その日の午後。
日も西にかなり傾いたころだった。
「光生!」
光生は思いをはせていたので、突然まとめ役の巫女に呼ばれて驚いた。
頼まれたのは、旅の女の相手だ。
別にその女は特別何かすごいオーラを発しているわけでもなく、見た限りはただの女だった。
(女性の旅人? 珍しい。 でも、このご時世、 村が山賊か何かに襲われたとかかな?)
そんなことを思いつつ、光生は挨拶をする。
「はじめまして、神門光生と申します」
「いいよ、そんなに硬くならなくても」
ぶっきらぼうなその女は神社に参拝に来たわけではなかった。
ただ、話す相手がほしかっただけだった。
そして、光生に対して愚痴をこぼし始めた。
村が明日食べるものもないほどに貧困だったこと、そこに山賊が襲ってきたこと、村人が散り散りになってしまったこと、自分は安住できる場所を探していること、それがなかなかないこと。
光生はその女の話を聴く。
そして、
(やっぱり山賊に襲われたのか)
などと思いつつ、ほとんど聞き流す。
女も別に光生に返答を求めているわけではない。
光生も返答する気は何もない。
いや、何もなかった。
その女がそれを話すまでは。
「あたしね、村にいたときに一人、よく話してた男がいたんだよ」
光生は静かに聴く。
「そいつがさ、山賊が襲いかかって来た時に立ち向かったんだよ。山賊に」
光生はまだ冷静だった。
次の言葉が出るまでは。
「その男が言うんだよ。お前にはもう二度と会うことはないだろうって」
「え……?」
光生の声など女の耳には入っていない。
「そして、あたしはその時に気づいたんだよ。あたしは、あの男が好きだったんだってね」
「――――!!」
戸惑いを隠せない光生。
だが、そんなことは女の眼中にない。
「でも、もう遅くてさ。あたしはもちろん山賊には勝てないと思ったからさ、逃げちゃったけど。何度も村を振りかえったよ。いまさら思うと、立ち向かえばよかったって思うよ」
もう光生はめまいがしてくる。
一瞬ふらつく。
ようやく旅の女は光生の様子に気付く。
「どうかしたかい?」
「これは…………恋なのでしょうか?」
尋ねる光生。
「おや、どうしたんだい? もしかして、巫女さんも恋かい」
旅の女のお茶蹴るような言い方。
だが、光生は至って真面目だった。
(私は…………恋をしていたの?)
自分に言い聞かせるように、光生は話す。
「これが……これが恋というもの……なのでしょうか?」
「本当にお悩みかい?」
旅の女も少しは真面目になる。
「私、恋というものを知らなくて」
「相手とは?」
尋ねる女。
「会話するのが楽しい。会うのが楽しい。会えないと思うと、悲しくてたまらない」
「なーるほどね」
数秒の間をおいて。
「そりゃあ、恋だな。あたしも気付かなかったものだよ。でも、それが恋なんだよ。困ったものだねえ。もっと早くに気付いていればどんなに良かったものか」
「どうして、私は恋に気付かなかったの?」
その質問に旅の女は考え込む。
「う~~ん。おそらくは、巫女さんだからだよ」
「巫女?」
意外な言葉に光生は驚く。
「巫女さんって詳しくは知らないけど、プライベートで男性と付き合うことは少ないんじゃない?」
「確かに、それはそうですが……それが何か?」
今一分からない光生。
「だがら、男を知らないんだよ。たとえば、ある川を知らない人がその中に泳いでいる魚を知っているわけはないだろ? それと同じことさ。男と関わりが少ない女、つまり男を知らない女が恋を知るわけはないんだよ」
そう言われて、ようやく光生は納得する。
だが、そこで戸惑いは一層大きくなる。
「じゃあ、私、どうすればいいの?」
「はっはん」
光生の様子に女は「なるほど」とうなずく。
「その様子だと、あんたもあたしのようなことになったってことか?」
「…………はい」
消えそうな声で光生は答える。
「まあ、あんたの事情があたしと似ていても、完璧に一緒じゃあないだろうし。まだ生きている可能性があるなら、そして恋相手の居場所が分からないなら、待つしかないね」
そうぶっきらぼうに言った女は、なぜか光生には誇らしく見えた。
「じゃあ、楽しかったよ。あたしはまだ住む場所を探さなきゃいけないので、これで」
明るく別れを告げ、旅の女は神社を出て行った。
「………………」
光生は考えるよりも早く、約束の場所に向かって走っていた。
日も暮れる前、光生はもう約束の場所に着いた。
本来の約束時間の朝までにはまだ数時もある。
だが、光生はなぜかそこを離れられなかった。
もちろん、理由はあの旅の女の言葉だ。
(可能性があるなら、恋相手の居場所が分からないなら、待つしかないね……)
いつもサレオスと話していた草むらに光生は仰向けで寝そべる。
汚れることももう気にならない。
サレオスとこの場所で語り合った楽しい思い出を光生は思い出す。
(サレオス…………)
だが、思い出せば思い出すほど、光生は切なさに強くなり、胸が耐えられないほどに苦しくなる。
瞳から流れるは一筋の涙。
それは頬を虚しく流れ落ちていく。
悲しみを、苦しみを、切なさを、恋しさを、癒す方法はない。
癒す方法はただ一つ。
サレオスが帰ってくることのみ。
「ねえ、サレオス、あなたは、私を、どう思っているの?」
光生は夕日の空を眺めながら尋ねる。
返事は返ってこない。
(会いたくても会えない。もう二度と会えないかもしれない)
自分の一部がとられたような喪失感。
頬を流れる涙は止まらない。
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