【私の数学教師:後編】
「…井上先生。」
先日喧嘩というか、なんというか。
一方的に言葉の暴力を投げ続けた所為か、私は申し訳なさそうに井上を呼んだ。井上は、呼ばれた事に気づいた後に鏡音君にちょっと待ってろといいながら私のほうに来た。
「どうした、初音?課題終わったのか?」
「はい…。」
私はそう言って、井上に課題を差し出すとそのまま職員室を後にした。
私はその日の帰り道で、井上のことを少し考えていた。
「井上は…私たちの事好きだからあんなことやってるのかな?いや、ないない。面倒臭いことばっかりやらせるしね。」
自分の質問に自分で答えながら、帰り道を歩いていった。
時は変わり、夏から秋へ。
夏休みが終わり、クラス全体がうだうだしている中、井上だけは掃除をしたり、黒板を磨いたり、丸付けしたりと大忙しだった。
「ほら、お前ら。夏休み明けで学校面倒だといってる暇なぞないからな。
もう高校受験も近いんだ、気合入れろよー。」
井上がそう声を上げた。クラスの全員は少しざわついた。
「先生、受験より先に体育大会などの行事が溜まっているのですが。」
クラスの学級委員長になった鏡音君が言うと、私もつられるかのように、
「そうですよ、先生。思い出作りしないとっ。」
と言う。しかし井上はとても面倒臭そうな顔をして、
「お前らな、受験より大切な物なんかないんだ。またテストの成績下がってる2人組が何を言ってるんだか。」
と、けだるそうに告げた。むっとした私は思わず、
「なんですか、それ。このクラスで思い出を作りたいとか、そんなのは先生には無いんですか!?」
「だからな、初音。いつものお前らの実力を発揮すればだな。」
「またそんな事ばっかり言って、本当は面倒なだけなんでしょ?どうせこのまま、合唱コンクールも、何もかもぶち壊していくんでしょ!?」
まただ。また怒鳴りつけた。井上は凄く悲しそうな顔をしながら、
「一時間目、自習だ。」
と告げて教室を出て行ってしまった。一度も自習にしたことが無かった、数学の時間を自習にして。
「初音ー。いくらなんでも言いすぎじゃないか?」
鏡音君がそう言うと、私は少しイライラしていた所為か、
「何?鏡音君も井上の味方するの?別にいいけど、私は。」
なんて言ってしまった。鏡音君は、そういうわけじゃないけどよー。と告げた後、頭を掻きながら自分の席へ戻った。
案の定。秋の間に行われる2つの行事は、最下位という結果になった。
受験シーズンがやってきて、私立、前期入試。志望したクラスメイトは全員合格となった。井上のおかげと告げる人数が限りなく多く、私もそのうちの一人だった。
そして時が変わり、寒さが肌に染みる冬を越えて、卒業式の日。
卒業式が終わった後、最後のHRを行った。
「…お前達に、最後に残しときたい言葉がある。」
井上は苦笑いしながら、40枚ある手紙を、教卓の中から取り出した。
「大して賛美もできないし、俺自身、そんな性格じゃないってのは全員が知ってることだと思う。でも、一度は目を通し、俺のことを目一杯馬鹿にしてやってくれ。」
そう言って、一人ひとりの名前を呼び出した。
「赤沢。」「はい。」
一人、また一人とクラスメイトの名前が呼ばれていく。そして、私の名前が呼ばれた。
「初音。」「…はい。」
今日が卒業だという事に溜息を一つ付きながら、井上の元へ向かう。
「今まで、すまなかったな。これからは、自由に頑張ってくれ。」
そう言って、私に手紙を渡した。私はまだ、読まなかった。
そして、クラス全員の名前を呼び終えると、井上は涙を浮かべた。
「お前らに送る言葉はない。でも、謝らさせてくれ。一年間、有難う。駄目な先生ですまなかったな。」
にこりと笑って、
「じゃあ、解散。」
と一言言い残して、教室から出て行った。涙を隠す為に。
学校から帰る前に、井上から貰った手紙を開いてみてみた。
その手紙には、こう記されていた。
『初音、お疲れ様。一年間有難う。
別れの挨拶は言わん。成長したお前に又会える日を、楽しみにしているよ。
井上』