物心つく前から登園していた先も、
お母さんが当直明けの朝はお父さんが送り出すけれど。
お父さんの日は毎回変わらずに泣いて困らせてた、記憶..笑
で、ちゅってしてくれるまでぐずり散らかして。
だからいつだって、お父さんは保育士さんに申し訳なさそうにしながら宥めてくれた。
小学校1年生に、まだ自分ではハーフアップ結えなくて。けど、やはりお母さんの居ない朝にどうしてもハーフアップにしたくて、散々お父さんを手こずらせて困らせて。けど、頑張ってくれて。


けどね、お父さんがいちばん大好きなのは
わたしが成人して就職して結婚して、孫が生まれても。
やっぱり、お母さんだった。


わたしがお父さんの言葉でいちばん好きだったもの。




「おまえたち(わたしと弟)よりも、お母さんが大事。だから結婚したんだ。
お父さんにとってお母さんは、死ぬまで、死んでも、いちばん大事な"友達"なんだよ」

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『おもひで』

おもひで。

誤解されたら困るので追記します。
わたしも弟も、とても大事にされていました。


けど、自身の配偶者を永遠に大事な存在だと言い
そしてそれは、現実でした。



何よりも
'いちばん大事な友達なんだよ"
が、シンプル且つお父さんらしくて。


事故に遭う日まで、貫き通しました。


お父さんが一級障がい者を受ける事故の日
お母さんは当直明けで休んでいました。


だから、買い物へ出掛けた。


帰りに、大きな過失ゼロの事故に遭いました。

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投稿日:2025/03/22 09:14:14

文字数:393文字

カテゴリ:その他

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