ぜんまい猫

ある港付近の工場町に一匹の猫が住み着いていた。猫は野良だったが、以前飼い主がいたらしく首にりぼんを括られていた。『ぜんまい』と人々は呼んだ。何故なら以前の飼い主がぜんまい仕掛けの人形屋だったから。ぜんまい、可哀想なぜんまい。ぜんまいを残し以前の飼い主はどこへ行ったのか、誰もわからない。ただぜんまいは一途に汚い工場町に残り、飼い主の言葉を忠実に守っていた。飼い主は100年も200年もぜんまいを置き去りにしたまんま、ぜんまいは港から海を見るのも飽き飽きしていた。丘なりになっている坂のてっぺんから、ぜんまいは町を見て港を見て海を見ていた。町全体をずっと見てきたぜんまいには知らない事など一つもなかった。それ故にぜんまいには話し相手がたくさんいた、みんなぜんまいの情報を頼りにしているのだ。

「ぜんまいや、うちの坊が一人でどこかへ行ってしまったんだよ。どこかで姿を見なかったかい?」

一人の老婆が杖を器用に使ってぜんまいのところへやってきた。

「お静さん、あんたんとこの末っ子坊ちゃんなら楽しそうに三番街を駆けていったよ。オイラ見えたんだ、そらぁパタパタ愉快そうに駆けていったさ。」

ぜんまいは自信満々に答えた。

「それはいつごろだい?もうずいぶんと家に戻っていないんだよ」

「ついさっきさ、オイラこの眼でしっかりみたよ。そうだなぁ、ちょうどお日さんが真上にあがった時だよ。」

今は正午を少しばかり過ぎた時分、老婆はきつく握っていた包みとお礼の言葉を残して家に帰った。家族に伝えて坊やを連れ帰るそうだ。こうした様にぜんまいのところには人が絶えず、ぜんまいには暇などあってないようなものだった。それでもぜんまいはいつもぽっかりと空を眺めてこう考えた、ぽっかりお天道様はぽっかりオイラの心と似ているなぁ。ぜんまいはいつも丘なりになっている町のてっぺん坂の塀の上で座っていた。ここ何百年この場所を動いたことはない、お日様が顔をだしたって、ぜんまいにさよならを告げたって、ぜんまいはずっと此処にいる。それはこの町の景色もすっかり変わってお船がたくさん港に並び始めた年だった。ぜんまいは少しずつ町のみんなに置いていかれるようになった。情報屋だったぜんまいのかわりに、町だけではなく、町のお外の情報までもが記された紙が出回るようになった。そりゃぜんまいはこの町のことを一番良く知っていたがお外の事になるとまっさらなほど知らなかったのだ。そしていつも同じ場所に座って何年も何十年も何百年も動かないと聞くと誰もが気味悪がったものだ。今ではじいさんばあさんしかぜんまいのところにやってこない。そしてその世代までもがお空に還ってしまうと、ぜんまいの話し相手は一人もいなくなった。それでもぜんまいは町全体を見下ろして、今日も何かを考えていた。

「オイラもお天道様みたいにもっと大きかったらなぁ」

ある日ぜんまいが繁華街を見ていると、人々の中に変わった服を着た女の子が見えた。その女の子が通る度に町人は少女を振り返り見て、振り返り見ていた。少女はそんな視線も気にしない様子で上を見上げた。ぜんまいと目が合った。少女は目を見開いて、まるでおもちゃを見つけたかの様に爛々と走り出した。気候は暖かく、冷たい飲み物が欲しくなるほどお日様は元気だっていうのに、少女は首にマフラーをつけていた。変な奴だなぁ、とぜんまいはこぼした。そこから数分もしないうちに息を切らせながら少女はぜんまいのもとまでやってきた。

「ねこちゃん!」

大声でそう叫ぶと少女はぜんまいのしっぽをぎゅうぎゅうと掴み始めた。本当に変な奴だ、とぜんまいは不愉快そうな表情をした。

「オイラはぜんまいだよ、猫だけど猫じゃあないんだ。もう数えるのも飽きる位此処に座っている。気味が悪いだろう、さぁどこかへお行き」

「君の製作者はぜんまい人形職人だろう、僕知ってるよ。君の設計図を持ってるんだ。古い字でぼかぁ読めないけどね!」

「それでもこれはまだ使えそうだと思って持ってきたんだ、君の製作者の物だろうか。君にわかればいいんだけど。ほら、これは今ではバンダナといってねなかなか洒落てるだろ、まぁただの布きれさ」

おもむろに取り出したその布きれを少女はぜんまいの首に巻いてやった。ぜんまいが付けていたりぼんは古くなっていたのでぼろぼろと崩れてしまった。崩れてしまったりぼんと、その布きれからは同じ匂いがした。ぜんまいは猫じゃあないけれど猫だったので、嗅覚はとても良かった。遠い昔になってしまった鮮やかなセピア色の大切な思い出がぜんまいを通り抜けた。

「オイラ、捨てられちゃったのかと思ったんだ。でもね、今やっと人形屋の言ったことがわかった気がするんだ」

「彼はオイラにこう言ったんだ、お前はずっと此処にいろって、そう言ったんだ。だからオイラ待ってたんだ、帰ってくるって待ってたんだ。」

「でもね、気づいたさ。それはきっと帰ってくるよって意味じゃあないんだね。オイラは此処でなにが出来たんだろう、気づくのが少し遅かったみたいだ、もう誰もオイラの事は必要にしてないんだ。」

ぜんまいは自嘲気味にぽつりと呟いた。少女はそれを無表情で見つめていた、そしてぎゅうと自分のマフラーを巻き直すとにっこりと笑った。

「僕ははんぺん屋だ、いつも誰かの半片を探しては届けてるんだ。お前も誰かの半片だな、お前が誰かの半片ということは誰かの半片がお前なんだ。だから届けてやるよ、もうお前の半片がどうなっていたとしても関係ない。お前は確かにそいつの半片だったんだよ。」

「もしお前の半片が見つかるまではお前は僕の所有物だ。いいかい、僕ははんぺん屋、お前は半片を失くして困っているね?そうだろう?よし、僕についておいで、それともそこはそんなに居心地がいいのかい?」

ぜんまいの体はその名の通り無数もぜんまいでできていた。ぜんまいが動き出したその瞬間、ぜんまいの中の無数のぜんまい達は音をたてて回り出した。はんぺん屋が鼻唄を歌いだす、それに合わせてきぃきぃとぜんまいが鳴る。町人はみんな、はんぺん屋が来た時と同じ様に不思議そうにぜんまいとはんぺん屋を見る。だけれどぜんまいもはんぺん屋も気にしてはいない。

「あぁそうだ、君の名前はなんだっけ。そういえば僕聞いていなかったね。まぁいいや、そうだなぁねむたそうなねこちゃんだからねむ太でいいか。ねぇ、ねむ太これから僕達はどこへ行って誰の半片を探そうか。」

「そうだなぁ、オイラお外の景色を見たことがないんだ。はんぺん屋、オイラの見たことのない所へ行こうよ。きっとたくさんの人がいるだろうねぇ」

ねむ太はやっぱりこいつは変な奴だなと思った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ぜんまい猫

半片屋です。

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閲覧数:47

投稿日:2010/11/27 11:33:47

文字数:2,770文字

カテゴリ:小説

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