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  • 初音ミクが増える あきおかこうきさん 2022/05/13
    19:59

    初音ミクが増えました

  • 夏の詩(し) knchさん 2022/04/24
    10:40

    夏の詩
    どうやら、夏は終わったようだ。
    乱立するビルが空を突き刺している。

  • 春の傍-かたえ- StarTrineさん 2022/04/23
    20:59

     ランドセルを背負うのも最後の年、大好きな桜が咲く季節。
    喧噪に包まれた放課後、今日も同じように見慣れた男の子の下へ行く。
    小さい頃から一緒に育ってきた、いわゆる幼馴染という間柄だ。

  • マスターが死んだ……?(現実逃避(?)Ver.) 漆黒の王子さん 2022/04/15
    18:01

    ミクの場合
    マスター?マースーター!
    どうして返事してくれないの?

  • 土岐明調査報告書「函館書肆物語」第1章 調査依頼 nomanomaさん 2022/04/12
    07:02

    第1章 調査依頼
     土岐が函館に来たのは2回目だった。1回目は中学校の修学旅行だった。高田屋嘉兵衛の像、土方歳三最期の地碑、五稜郭公園ぐらいしか記憶に残っていない。千賀と二人で、集団行動をとらず、集合写真に遅れて、記念写真に写っていないのが、共通の思い出だ。
    羽田からANAで80分で夕方近く到着、空港からバスで、函館駅に向かい、千賀が店主を務める久遠堂書店のある東雲町に向かった。

  • 土岐明調査報告書「函館書肆物語」エピローグ nomanomaさん 2022/04/12
    07:00

    土岐明調査報告書「函館書肆物語」野馬知明
    エピローグ
     上野の桜の散った頃、高校時代の同級生からメールが来た。

  • 桜色-小説 月みかんさん 2022/04/24
    00:34

     目が覚めると青空が窓から覗いていた。窓を開け、外を見ると桜の花びらがひらひらと舞い落ちている。突然だが、私には密かに想いを寄せる人がいる。決して仲が悪いという訳ではないのだが、自信が無くて想いを伝えられないまま長い時間を過ごしているので桜の花びらに想いを乗せて相手のもとまで飛ばせたらとまで考えてしまう。
    そんなことを思いつつも、窓を閉めて部屋に戻る。今日は日曜日、特に予定がある訳でもないので家でゆっくりとするつもりである。ふと椅子に座ってぼーっとしていると日常生活についてのことが思い起こされる。
    色んな人と仲良くしたい為にいつも相手のことを考えて行動するのだが、心から楽しいと思えたのはいつが最後だっただろうか。本心はいつも自分の狭くて、暗くて、深い部分にあり、その事に気付く人は誰一人としていないのが現状である。いつも行動と心が乖離しているのだ。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」エピローグ2 nomanomaさん 2022/04/08
    07:13

    ■海野と別れ兜テニスクラブに着いたのは六時過ぎだった。ロッカーに百万円をしまった。ビジターフィ―を支払ってコートに出た。朝方の雨のせいかコートが湿っぽい。厚化粧の智子が声をかけてきた。「時山さん。おひさしぶり」妙になれなれしい。土岐が手首の関節を回し始めるとリストサポーターをはめ乍智子が近くに寄って来た。「あなた本当は土岐さんって言うんでしょ?仁美に全部聞いたわよ」「全部って」「仁美のストーカーやってる事」そう言い乍コートに入って来た仁美に胸の辺りで小さく手を振る。前回同様三十分ばかり準備練習した後ゲームを始めた。メンバーは前回と同じだった。違ったのは仁美の態度だった。自分がミスをするとパートナーに謝り、パートナーがエースを決めると弾んだ声で「ナイスショット」とほめた。全く別人に見えた。薔薇の棘の様に体中から突出ていたよそよそしい態度がビロードの様な温かで滑らかな態度に変わっていた。顔も体も一週間前と全く変わっていないのにこの上もなく愛らしい女に見えた。練習が終わった後仁美をインサイダーに誘った。智子も付いてきたので店の前で目配せして帰って貰った。仁美がバッグを小脇に抱えてフード付きの撥水コートを着た儘席に着くと「九時迄ですけどいいですか」と中年の女店員が聞いてくる。時計を見ると八時半になる所だった。アメリカン珈琲を注文して店員が去ると土岐は百万円の入った茶色の紙袋を仁美にぎこちなく差出した。「これ受取ってほしい」仁美は、何にという様な眼をして顎を引いて紙袋の中を覗込む。仁美の視線が瞬きをした後硬直した。「こんな物受取れません」と責める様な目線で土岐を捉える。土岐は縋る様な面差しで言う。「お願いだ。受取ってほしい」仁美はやんわり断る。土岐を傷つけない様にという思いやりが感じられる。「受取る理由がありません」土岐には仁美の思いが分かる。分っても尚、言わずにはいられない。「だって民事で事故の現場を目撃してないと証言したらUSライフからの介護保険金は停止するでしょ。特養ホームの入所費用が払えなくなるでしょ」「大丈夫です。こんな物貰わなくても裁判では本当の事を話します。母は特養ホームから出して引取ります」仁美が躊躇しているのはカネの出所らしい事は推測できる。しかしそれが言えない。カネの出所を言わないで仁美に受取らせる事は困難だと感づいてはいるが言えば尚更仁美は受取らないだろう。「引取るってあなたが会社に出たら誰が面倒みるんす」「祖父が見ます」「おじいさんだってリウマチで身動きできないんしょ」「糸魚川の家を処分してバリアフリーのアパートを借りて三人で暮らします。祖父と母の年金と私の給料で何とかやってけます。それに祖父のリューマチはそれ程の重症ではないんです」と言う仁美の口調にはこれ迄の人生の苦難と持って生まれた利発さが滲出ている。そう言う仁美に抱締めたくなる様な愛おしさを覚える。「そんな事言わないで受取ってくれ。あなたには受取る権利がある」土岐の申出を仁美は聞いていない。「それに母が廣川の娘である事がDNA鑑定で分れば、少し遺産を分けて貰えるかも知れないし」「それはお母さんの当然の権利だ。DNA鑑定の手配は僕に任せてくれ」そこに珈琲が運ばれてきた。珈琲豆を焙煎したアロマが鼻の奥を擽る。仁美は店員の姿が見えないかの様にストッププモーションの様に首を横に振続けた。その動きを制止する様に土岐が言う。「分った。それじゃこのカネでおじいさんの骨董品を買わせて貰う。それならいいでしょ」仁美は何も答えない。土岐はポケットからサイコロを取出して仁美に見せた。「いいかい。これからこのサイコロを振る。よく見といてくれ。もし偶数が出たら黙ってここでこの百万を受取っておじいさんに渡してくれ。糸魚川の店にある掛軸でも壺でも何でもいいから百万円分売ってくれと伝えてくれ。もし奇数が出たらこれ迄の事は一切なかった事にしよう。僕は僕の依頼人の為に民事で勝訴を得る為に全力を尽くす。君は君で君のやりたい様にしてくれ。君の周りから僕は完全に消え去ろう。いいね」と言い乍仁美の瞳を覗込んだ。仁美は土岐の言っている意味を理解できない様でうろたえている。「そんな」と言うのがやっとだった。「よしサイコロ振るぞ。その前に一つ教えてくれ。帰宅の時茅場町でいつも会社に近い7番出口でなくて十番出口から帰るのはなぜ」「昔はその日の気分で7番だったり十番だったりしたの。去年だったかしら。この喫茶店の前で車に乗込むおじいさんを見かけて何となくどこかでみた様な人だと思ったの。どうしても思い出せなくって、それからこの1年はいつもこの喫茶店の前を通って帰っていたの。時々乗込む所を見かける事があって、その都度思い出そうとしたんだけど。この夏頃におじいさんに古い写真を見せられてそれが廣川だと知らされて。多分別の写真だったと思うけど子供の頃に母が見ていた写真を覗込んだ時の記憶じゃないかと思うの」「ふうん。よし仕切り直しだ。サイコロ振るぞ」土岐は中腰になって傍らの窓を開けた。右の掌の中にサイコロを封込め軽く振る。カチカチと二つのサイコロが触合う音がする。窓外には兜町の闇だけが蠢いている。土岐は窓外の暗夜に向かって思いっきりサイコロを投げつけた。投げる手に打算に流されやすい自らの生き方を戒める思いも込められていた。サイコロが道路に落ちて微かにカチンカチンと軽く乾いた音が聞こえてくる。遠くから大通りを駆抜ける車の排気音が聞こえてくる。仁美は今走って来たかの様な荒い吐息を漏らしている。首を伸ばして土岐が投げつけた暗闇の方角に眼を凝らしている。冷たい夜気が窓から徐々に侵入してきた。土岐はぞくっとして徐に窓を閉じた。「どうサイコロの目を見に行くかい」仁美は黙って土岐の顔を凝視する。土岐も仁美の眼を凝視する。土岐の本心を教えてくれと訴えている眼だ。土岐は惑う思いを断切る様に自信ありげに言う。「僕はサイコロの目は偶数だと確信する。君はどう」仁美は黙っている。今にも泣きだしそうな目で土岐の次の言葉を待っている。もっと仁美を焦らしてみようかと仁美の潤みかけた眼を覗込み乍土岐は言う。「自分の運命のサイコロの目は自分で造るものだ。相手や周囲に流されていたらきっと後悔する。自分の選んだ道の結果がどうであれ自分で選んだ事に意味がある。自分で選んだ事に責任を持てばたとえ結果がどうなろうと後悔する事は絶対にあり得ない。君も偶数だと思う?」仁美の瞳孔が激しく揺れている。土岐は身を乗出して仁美の肩に手を置いた。「どう?偶数だと思う」仁美は肩に置かれた土岐の手の温もりに促される様に小さく頷いた。セミロングの髪が頬を覆う。土岐は仁美の肩を軽く揺すった。「それじゃ、この封筒をおじいさんに届けてくれ」土岐は百万円の入った封筒を仁美の目の前に置いた。仁美はその封筒の上に目を落とす。土岐はテーブルの上に眼を伏せている仁美の黒髪に声をかけた。「君がこれ迄恋人を作らなかった理由はおばあさんとお母さんが認知症だったからじゃないの?自分もそうなると思込んでるんじゃないの?君は相手の人生を不幸にしてはいけないと勝手に思込んでる。しかしおばあさんとお母さんが認知症である事が知れた時に相手の男に捨てられる事を恐れてる自分を認めようとしてない。認知症になるとしても五十を過ぎてからでしょ?そうならないかも知れない。二十年も三十年も愛情を育めばたとえそうなったとしても恐れる事はないじゃないか。かりにお母さんの認知症の事を知ってその男が逃げて行ったとしてもそれはそれでいいじゃないか。そんな男は本当に君を愛してるとは言えない。寧ろその事がリトマス試験紙になるじゃないか。相手の男の本心を知りたければおばあさんとお母さんの話をすればいい。君を本当に愛してない男なら尻尾を巻いて逃げて行く。少なくとも僕は逃げて行かないけど。僕は君の認知症も愛したい」そう言い乍土岐は身を乗出して仁美が座席の横に置いた大きなリボンのついたバッグの中に百万円の入った封筒をしまってやった。甘酸っぱい沈黙が流れた。俯いている仁美の眼の真下辺りのテーブルの上に間欠的に熱い滴が落ちてきた。滴はテーブルの上に落ちると室内を漂う僅かな明りの全てを吸取って思いのたけを話したげにきらきらと輝く。仁美は下を向いた儘、薄いアイボリーのレースのハンカチを取出して瞼を閉じ、涙を押しだす様にして眼の辺りを拭う。込上げてくる様なグスンという鼻音がハンカチの中でくぐもる。涙声を堪えて仁美が言った。「私もお願いがあるの」仁美は俯いた儘ハンカチをテーブルの上に置き珈琲に砂糖とクリームを落としてスプーンで小さな円を描いている。時々スプーンがカップの縁に触れて仁美が言いだすのを励ます様な音がする。土岐には歳の差以上に仁美が可愛く見える。「何?」と土岐は身を正して嬉しそうに聞く。前髪で隠れている仁美の顔を顎の下に手を差し伸べて見つめたい衝動に駆られる。土岐は仁美の前髪に軽く手を触れた。そうされる儘、甘えたい戸惑いを隠して仁美は呟く様に言う。「私とミックス組んでくれない」「勿論」と優しく言い乍土岐はスプーンを持つ仁美の手をとって強く握締めた。「さあ笑って。口を横に引くだけでいい。顔は心を映し出す。相手の笑顔を見たければ自分も笑顔を見せないと。相手の笑顔で自分の心も笑顔になる。その自分の笑顔が、更に相手の笑顔を引出す。笑顔と笑顔の連鎖だ。2枚の鏡の様に相手の笑顔が自分の心に笑顔を映し出し、その笑顔がまた相手の心に笑顔を映し出す。そうやって無限の笑顔の連鎖が映し出される時、心の中が幸せで満ち溢れる」土岐は歯の浮く様な思いで自分の言葉に酔っていた。仁美の眼も土岐のせりふに酔っている様に見えた。背後から「お客さん、すいません。九時です。閉店です」と喫茶店の中年のウエイトレスが無粋に叫んだ。了

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」エピローグ1 nomanomaさん 2022/04/08
    07:12

    ■その晩土岐は痛飲した。二日酔いで翌日は一日中寝込んでいた。二日目になってようやく起出し加奈子にどういう報告書を書くべきか思案を始めた。午前十一時になって事務所のドアの郵便受けをチェックした。月曜日は郵便が少ない。チラシしか入っていなかった。チラシの中に郵便物でない茶封筒が紛れていた。封もされていないので中身をすぐ確認すると使い古した一万円札が百枚入っていた。その中に自殺を思い留まらせる事を目的とするNPOが寄付金集めに印刷したカードが挟まれていた。その薄いピンクの厚手のカードには命を大切にという印刷された文字があった。土岐は少し興奮して震える指で即座に海野に電話した。「一万円のバラ札が百枚、郵便受に投込まれてました。その中に警告で命を大切にというカードが入ってました。どういう意味だと思いますか」海野は暫く考えている様子だった。呼吸音が微かに聞こえてきた。「なる程そうきたか。警告と現金か」「どうします?拾得物として警察に届けますか」「ばかな!投込んできた奴がのこのこと警察に申出てくるか。そんな事が新聞ネタにでもなればそれを読んだ投込んだ奴が土岐というバカ者は命を大切にしていないと受取るだろう。どっちにしても古い札とカードの文字だけじゃ、長瀬と玉井迄辿る事はできんだろう」「じゃどうすんすか?受取れば共犯になるし、返せば何をされるか分らない」「マスコミにリークしないだけなら共犯にはならないだろう。百万は口止という事だ。取敢えず預かっておけ。共同事務所の設立資金とするのはどうだ」「分りました」「多分民事の方は示談で揉消す方針だろう。あの大野のねえちゃんがまたしゃしゃり出てくるかも知れん。あんたらが提訴したら裁判にかける前か裁判長の和解勧告が出る前に示談に持込もうとするだろう。長瀬が恐れているのはこの件が週刊誌やワイドショーのネタになる事だ。廣川の殺害以外、全てが時効の彼方とはいえ雑誌やテレビで取上げられた途端、長瀬の褒章は宙に消える。裁判で審理が行われてジャーナリズムに傍聴される事は避けたいはずだ。保険金の支払自体はUSライフ全体にとっては大した金額ではない。とすると一番割りを食うのは東京メトロという事になるのかな。USライフと殺人で示談が成立したとなれば賠償金請求を引込めるざるをえないだろう。だからといって東京メトロが遺族相手に廣川の自殺を立証して、賠償請求訴訟を起こす事は考えらない」「そうしょうね。そんな話聞いた事ないすね」そう相槌を打って電話を切った後、土岐は札束を事務机の抽斗の中に隠し鍵をかけた。これだけの現金を手にするのは久しぶりの事だった。午後四時になる迄ぼんやりとテレビを見ていた。これからどうするか考えたが思いが空回りするばかりで考えが纏らなかった。取敢えずテニスウエアに着替え午後四時すぎにラケットケースの中に百万円を入れて事務所を出た。朝方降っていた雨は止んでいた。用心の為折畳傘をラケットケースに忍ばせた。茅場署に着いたのは五時過ぎだった。受付で海野を呼出すと数分してつま楊枝を咥え玄関ロビーに出てきた。「ちょっと宜しいすか」と土岐が言うと海野は顎で外に出る様に指示した。署の建物の外に出ると「なんだ」と海野は振向きざまに鷹揚に言う。「ご相談が」「込入った話か」「例のカネの件で」「それじゃインサイダーに行くか。あんたこれから仁美とテニスやるんだろ」そう言われて土岐は頭をかき乍苦笑した。インサイダーのテーブルに着くと「このカネ仁美にあげていいすか」と土岐は切出した。「あんたが受取ったカネだ。どうしようとあんたの勝手だ。俺は関知しない」「すいません。共同事務所の設立資金は来年の四月迄になんとか用意します」「無理しなくてもいいよ。状況によっちゃ四月に設立できないかも知れん」海野は妙に優しい口ぶりだった。土岐にとっては初めて接する海野の優しさだった。その優しさを確かめる様に土岐は聞いた。「長田の件はどうするんすか」「どうするって」「大学生の目撃証言では廣川の転落に杖で止めを刺したとか」「あんな証言あてになるか。目撃証言は目撃者の心象でいか様にも変わる」「実行犯の金井はどうするんすか」「今更告発してもしょうがないだろ。一応やっこさんのアリバイはとった。廣川が轢死した例の時刻に金田と一緒に菊名の店舗にいたという事だ。金田も口裏を合わせてる。しかし菊名の店舗の事務員の話では午後5時に店舗を閉める迄金井は午後はずっといなかったという事だ。この証言をぶつけてみると金井は午後五時を過ぎてから事務員とすれ違いで店舗に入ったと言ってる。しかし向かいの中華料理店のバイトの話では5時以降は店舗は閉じられた儘だと言う。この証言に対して金井は店舗奥の6畳間で金田と二人で酒を飲んでたと言う。だから表の店舗は閉じた儘という事だ。金田の方は不在証明ではなく、存在証明が被疑者の金井の証言だ。金田が菊名の店舗にいたという存在証明がない。金田の自宅は東武東上線の志木にある。マンションの一室だが両隣りの主婦にもあたってみたが彼女らは金田が自宅にいたかどうか分らないと口を揃えて言う。ただ右隣のきゃぴきゃぴした主婦がその日の夕方買物帰りにマンションから出てくる女を見かたと言っている。その女は以前、金田の部屋から出てきた所を見かけた事があるそうだ。その日に見かけたのはマンションの玄関から出てきた所だが多分、それ迄金田の部屋にいたに違いないんじゃないかと言う。風体を聞くと加奈子を思わせる。金田と加奈子はなさぬ仲だから加奈子が合鍵を持っていて一人で金田のマンションにいて出てきた可能性もなくはない。しかしその時金田は自室にいたと見るのが自然だろう。この事を加奈子に雇われてる大日本興信所の澤田に確認したがやっこさん吐かない。三文探偵ごときが礼状をお持ちにならなければクライアントの秘密は守秘義務があるのでとほざきやがった。そこで金田が廣川殺害時刻に自宅にいたとすれば、金井のアリバイは崩れる。と同時に加奈子と金田の密会がばれる。金田は民子との離婚訴訟で不利になる。加奈子は廣川の遺産相続で不利になる。お前さんへの調査費用の支払が困難になるかも知れない。それでもお前さん、刑事告発するかい」「刑事告発しようと思うモチベーションはないんすが、何となくもやもやしたものが」「殺人犯を野放しにしていいのかってえ事か」「いや正義の味方を標榜する程清く正しい人生を生きてきたという訳じゃないんで。そんな事はおこがましくって露程も考えてないんすが」「じゃあなんだ」「後で僕や仁美に累が及ばないかと」「なんだ保身か」「保身と言われればそうかも。と言うかこの儘でいる事が最適な選択かどうか、良く分らないもので」「俺だって分りゃしない。そんな事は後になって分るものだ。その時々でしてしまった事がその人間にとってのその時の最適行動という事だ。人間はそういう風にできてる。その事が後になって不都合になっても過去を変える事はできない。その責任はどうしたってとらざるを得ない。それでいいじゃないか。かりに民事でその事が明らかになればマスコミが騒ぎだして警察が動きだす事になるかも知れない。しかしそれは俺が定年になった後の話だ。それでいいじゃないか。俺達がリスクを冒して柄にもなく正義の鉄槌を下す迄もないだろう。俺達は取るに足らん一般ピープルだ。ヒーローでも何でもない」海野は深い溜息を吐いた。土岐も暫く黙りこくった後、珈琲を一口飲むと思い出した様に話出した。「示談が成立しなかった場合、保険裁判の方はどうなるんしょうか」「加奈子はカネが欲しいんだから示談でカネが入ってくるんだったら応じるだろう。保険金は満額支払われるが訴訟費用の分担でもめる可能性があるかも知れない。示談となれば宇多弁護士は吹っかけてくるだろうしUSライフの背後の人間がジャーナリズムネタにしたくないと思っている事を知ればあの悪徳弁護士は相手の足元を見て示談がこじれる可能性がなくもない。万が一、裁判が始まったとしても保険屋の大野直子の切札は仁美の目撃証言だから仁美が証言を翻せばそれで終わりだ」「保険会社の上告はないしょうか」「どうかな。かりに二審に進むとしても、その頃には長瀬は紫綬褒章を受章してる。長瀬は新聞ネタにならない様に傍聴券をバイトでも雇って独占するかも知れない。他に目撃者がいたとしても、報道されなければ裁判には気付かないだろう。事件は日々起きてる。ジャーナリズムも古い事には興味を持たない。例の男子学生の目撃者は俺が抑込んでる。あの証言が使われると長田が実行犯になりかねない。それは仁美に入れ込んでるあんたの本意でなかろ。刑事告訴された場合、長田は未必の故意を問われるかも知れない。件の学生は廣川が、はっきりとではないが、何となく杖で突落とされた様に見えたと言ってる。かりに長田が廣川を救う為に伸ばした杖を引込めたとしても引込めた事自体が未必の故意になる。公序良俗からすれば長田には廣川を救う義務がある。長田はそれをしなかった。しかも長田が無二の親友であった三田の殺害を画策したと思込み片思いしていた平井圭子を闇金の力で奪去られた事に対する恨みという動機がある。担当の刑事や検事が金井を実行犯としてストーリーを描くか長田を実行犯としてストーリーを描くか、それ次第だが。ストーリーはいか様にも描ける。金井だって実行の直前で躊躇し思い留まった可能性だってある。押した事は押したがそこに逡巡があった。背中を押した相手が長田であれば転落しなかったかも知れない。廣川が転落したのは足の指がなくて踏ん張れなかったからだ。あるいは金井は長田を殺害しようとしていたのかも知れない。背後から押そうとした時に廣川が杖を落とし長田がそれを拾おうとして屈んだ。その弾みで押そうとした手が長田ではなく隣の廣川の背中を突いた。だから学生の証言によれば廣川は金井を確認して咄嗟になぜだという様な表情をした。廣川のその瞬間の思いは何で俺なんだ、殺すのは長田じゃないのかという事だったのかも知れない。何れにしてもその百万を返却しないならこの事件を荒立てると暗黙の約束違反になる。あんたの身に危険が及ぶかも知れん。我々と長瀬グループが相互に後ろめたいものを持ち乍、その重さの微妙なバランスを保ち乍、このまま忘れて行くのが現時点での最適行動ではないのか?尤もあんたにそういう事を超越する様なスパーヒーローの様な正義感でもあれば別だが。あんたはどうだか知らんが俺はそういう英雄的な行動とは縁を持たない心の世界でこれ迄生きてきた。警察官になったのは職業その物が善だから世渡りに便利だと思った程度の事だ。俺自身は自分で言うのもなんだが善ではない。そういう意味では本当は医者になりたかったのだが学力が言う事を聞いてくれなかった。俺にはもうこの事件を徹底的に解明しようという打算を超えた気力が残ってない。金井を自由に泳がせてる事についても耳垢が詰まっている程度にしか感じてない。害者の廣川にも寸毫の同情も感じてない。年も年だし奴のこれ迄やって来た事を調べてみたら自業自得以外の言葉が見つからん。何れにしても民事で勝てば廣川の遺産の一部が愛子に渡る。そうなれば彼女の老後は安泰だろう。仁美にもやっと人並みの青春が訪れるかも知れん」土岐は話を聞くだけで疲労困憊した。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月十日5 nomanomaさん 2022/04/08
    07:06

    「じゃ真実を話そう。昭和二十年七月末、上官の命令で三重海軍航空隊に急遽教官として赴任した。当時所属してたのは海軍の秘密機関で陸軍の中野学校と違ってその記録はどこにも残ってない。久邇政道少佐の特務機関だった。昭和十八年頃から日米の早期和平工作活動を行ってた。七月末頃ポツダム宣言の受諾は不可避的になってきてたので軍部の暴発を未然に防止するというのが新たな任務となってた。当時三重海軍航空隊では一部の若手士官が陸軍と結託して徹底抗戦を画策してるという情報が入って来た。それで急遽香良洲に着任する事になった。実際そうした動きを捉えたので謀議に加わるふりをし徹底抗戦の計画を潰しにかかった。三田は最年少のメンバーの一人だった。結局謀議の壊滅に成功した。三田はその後の軍法会議での訴追を恐れたのかあるいは謀議計画の破綻に絶望したのか。あれが自殺だとすれば動機はそんな所だろ。事故だとしてもグライダーは原形を留めない程に破損してたから原因は究明できなかった。もう少し時間をかければあるいは原因を解明できたかも知れないが終戦直後の大混乱でうやむやになってしまった。終戦の詔勅の後、首謀者だった竹前岬は皇居の方角を遙拝し浜辺で割腹自殺してる。そういう謀議のあった事を知ってる者は今殆どいない。廣川の死については何も知らん」土岐が床のアラベスク文様の絨毯に眼を落してぽつりと言った。「死人に口なしか。戦後の廣川との関係はどうなんすか」「廣川は陸軍と海軍の二重スパイだった。奴は戦後もその影を引摺ってた。俺と馬田と船井は和平工作をやってた関係でGHQから優遇を受け暫くの間久邇政道を頭目として防共の諜報活動をやってた。軍部の隠匿物資を久邇商会を通じて横流したが私的に遊興する為でなく、全て戦後の日本経済の基礎造りに活用した。廣川はダニみたいな奴だった。我々の活動を知って途中から参加してきた。奴は陸軍の隠匿物資を持込んできたので我々も奴を利用した。しかしそれが腐れ縁となった。我々は早々に怪しい活動からは足を洗ったが奴は総会屋の様な裏稼業を始めて我々をやんわりと脅す様な姿勢を見せた。我々は奴の影に怯え続けた。そんな折、長田某が突然現れた。学僧兵という小説を俺は読んでないが、どうもその長田と三田をモデルに書かれてるらしい。戦時中二人は兄弟以上の関係にあり小説の中で頻繁に手紙のやり取りをしてる。それが真実に近いとすれば三田が握った情報は長田に流れてる可能性がある。長田が三田を殺害したのは廣川だと信込んでいる事に廣川は怯えてた。小説の中の二人の関係が真実であるとすれば長田が廣川に復讐する事は十分に想像されたからだ。これは余談だが八十を過ぎた今でも二十代迄の記憶は鮮明だ。年を経る毎に直近の記憶は希薄になって行く。殺人の動機が六十年前にあるとしても何の不思議もない。廣川の死が殺人であるとすれば容疑者はその長田だろう。話はそれだけだ」俯いて聞いていた海野が長瀬の顔を見上げた。「そんな所でしょうかね。夜分失礼しました。先程申上げたマスコミへのリークについてはたとえ今のお話が真実の一部であったとしても廣川の轢死は自殺とせよという警視庁内部の天の声の出所が解明されてないので解明される迄はこちら側がこれ迄得た情報をどこかに漏らす予定です。井戸ポンプの呼水というやつで。マスコミにリークすればどこからか何らかの反応があるはずで。我々がもう少し納得できるその辺の真実をお話し頂ければいつでもストップしますので二、三日中に土岐さんの方に改めてご連絡下さい」と海野は席を立った。
    ■二人はその儘日本橋迄ぶらぶら歩き居酒屋株都に入った。土岐はテーブルに着くなり海野に喰ってかかる様に質問した。「長瀬から連絡があったらどう対処するんすか」「連絡なんぞありはしない。連絡したら疑惑を認める事になる。それに現金授受で解決し、それがばれたら俺は懲戒免職で定年間際で退職金も受取れない。そんな危ない橋は俺は渡らない」「なる程、どっちにしても共倒れという事すか。じゃあ長瀬はどうすると読んでるんすか」「まあ最悪の場合は口封じだが。あんたは兎も角俺を消したら警察が黙っちゃない。上が何を言って来ても現職を始末したら組織を抑える事はできない。同僚がやられて黙っていれば自分もやられる事を意味するからだ。やくざと同じさ。全力を挙げて摘発する。となるとあんただけ始末して俺に対する警告とするという方法も考えられる。それは長瀬が俺の反応をどう読んでるかに依存する。俺がビビると読めばあんたは危ない。俺があんたを同僚の様に考えてると読めばあんたを消す事を躊躇うだろう。しかし俺がすぐ定年で組織内で疎んじられ発言力もなく影響力もないと読めばあんたの始末を強行するかも知れない。だが長瀬は三田については実行犯だが廣川については金井が暴走した嫌いがない訳でない。実際には指示してない可能性もある。そうであるとすれば身に覚えのない事でマスコミにリークされ紫綬褒章を取上げられるというのも面白くないかも知れん」土岐はつまらなそうに言う。「褒章なんて人を殺して迄して欲しい物すかね」「あんたや俺の場合は全く手が届かないから欲しいとは思わんだろうがちょっと策を労せば手が届くとなればどうしても欲しいと思うもんじゃないか。今回の事件のもう一つの発端は平成十五年に褒章の一般推薦制度が始まった事にある。それ迄は政府の諮問委員を長くやってたとか公職についてたという経歴があると賞勲局の役人が勝手に推薦してくれてた。政府の諮問委員の手当なんか僅かな物だから御苦労さんという側面もあった。褒章の欲しい人からすれば安い手当でも諮問委員を率先してやりたいというモチベーションになる。最初に馬田が廣川の画策で久邇の推薦を受けて紫綬褒章を受章した。戦中戦後のスパイ行為や闇行為は調べたのかどうか知らんが結果的に不問に付された。馬田自身は公職を意図的に避けてきたという経緯がある。しかし自分と比較すると大した事のない財界人が政府委員を委嘱されたという経歴で受章している事を面白く思っていなかったのだろう。次に船井が同じ様に廣川が描いた絵図に従って久邇の推薦を受けて紫綬褒章を受章した。商売上箔がつくという思惑があったのかも知れない。そうなると長瀬も廣川に唆されて自分も受章して当然と思う様になった。久邇が推薦者となり既に受章した馬田と船井が賛同者となれば受章は間違いないと踏んだのだろう。しかしそこで長田が登場してその影に長瀬は怯えた。その怯えを玉井経由で金井が察知した」「どっちにしても海野さんのお蔭で高い枕で寝られなくなりました」「俺の読みではあんたの口を封じる為に連絡という形をとらない連絡があるはずだ。それはここ二、三日のお楽しみだ。どっちにしても外に出ない方がいいな。今頃玉井と長瀬が謀議してるはずだ。さっき迄尾行してた人間もこの店の前で消えた様だ」「しかし三田の同期の堀田は陸軍と決起する計画があった事は言ってなかった」と土岐は思い出した様に言うが名古屋の堀田に確認する意味が見出せない。「でも海野さんは、この事件の解明には余り積極的でないと感じてましたが」それを聞いて海野が自嘲気味に鼻先でクスリと笑う。「刑事の沽券という事もないが一応自分の推理の正しさを確認したかった。それだけだ。まだ多少もやもやは残るが。これ以上追及するとリスクの方が大きくなる。下積み刑事の長年の勘で何となくそう思う。実際にリスクに直面してからじゃ遅いんで若干手前で手を引かざるを得ない。それに」と海野は話を続ける。話のトーンがしんみりとしてきた。「盗人にも三分の理がある。犯罪者が犯罪を犯すのは必然だ。しかしその必然は本人の気質に根ざす物と環境の影響による物とがある。本人の気質による物は再犯の危険性が高いので絶対摘発しなければならない。しかし環境の影響による物であれば環境を変えてやれば再犯は起きない。少年犯罪の場合それが環境による物であれば犯罪の性格にもよるが厳罰に処すよりも環境を変えてやる事の方がいい場合もある。これが少年法の精神だ。婦女連続強姦殺人の場合は明らかに本人の気質による物だ。そういう遺伝子を背負って生れ出た本人の不幸もあるが無辜の被害者の不幸の方が遥かに甚大だから絶対に見逃す訳にはいかない。知能犯の場合は人間社会の利益は享受する一方でその社会の犠牲の下に己の利益のみを得ようとする。この犯罪も許せない。廣川はサイドビジネスの所得を殆ど申告してなかった。確定申告時の税理士印が長瀬で脱税規模も年間数百万程度だから税務署も見逃してた様だ。こういう気質は長女の民子が受継いだ様だ。彼女も不動産の競売物件で得た所得の何割かは税務申告してなかった様だ。しかし脱税規模は廣川と同程度だった事と長瀬の税理士印が確定申告書に押印されていた為税務調査が後回しにされ、今脱税で摘発しても過去の巨額脱税は既に時効になっている。気質的にこの父娘に共通しているのは他者との情感の交流のない事だ。民子も昔競売物件でひと儲けした時にその物件にまだ住んでいた債務者から文化包丁で切りつけられた事がある。一般人が持合せてる情感がない事が周囲の人間を苛立たせる様だ。常識的な好意を提供してもその反応や見返りがあの父娘には一切ない。つまり人の好意は全て受ける。しかしその好意に対する感謝もお返しも一切ない。むかつく奴という事だ」「それが殺害の動機になったという事すか」「全てではないが動機の一つになっていると俺は読んでいる。介護殺人の場合、犯人は介護すべき人間が身内にいなければ一生殺人犯にならずに人生を終えたはずだ。これはそういう環境が犯罪の原因となった可能性が七分程ある。実際の刑事裁判でもそうした情状は酌量される。廣川が殺人だとした場合、犯人は金井の可能性が高いが金井は在日四世で本人は在日三世と標榜してる様だが奴の曽祖父が関東大震災の朝鮮人狩りで虐殺されてる。祖父は朝鮮半島に帰る家がなくなって仕方なく川崎辺りに住んでた様だが戦前戦中戦後を通じて一貫して差別を被ってる。金井が殺人を犯したとすれば今回が初犯だ。これ迄格別の善行もしてないが犯歴もない。人間故のない差別を社会から受ければたとえ故のある差別であったとしても社会に対して反抗的になるもんだ。金井の弁護をする訳ではないが廣川は金井に対して非情だった。ある種の差別感情があったのかも知れない。汚い仕事は一から十迄金井にやらせた。その見返りはバイト代程度だった。今回の褒章ビジネスも元々のビジネスモデルを考えたのは金井だったがコネクションを紹介したのが廣川だったという理由で金井が受取った金銭は実費プラスバイト代程度だった。そんな廣川の下で金井が二十年近くもなぜ仕えたのか?理由は本人に聞かなければならんだろうが廣川は金井を目一杯こき使った。その鬱憤があの日の茅場町のホームで偶々爆発したとしか考えられない。どう見ても金井に計画性はない。俺は俺がもし金井だったらと考える。俺と金井は生れも育ちも違うが二十年間も仕えて利用され続けたら、ある日ある時ある状況で俺も金井と同じ行動をとる可能性を否定しきれない。俺には残された時間がない。これがまだ若い頃なら点数稼ぎで金井をしょっ引いただろうと思う。ある意味、俺はこの世界にはうんざりしてきてる。被告人に判決を言い渡す裁判官の顔を幾度も見てきたが、愛情豊かな裕福な家庭に生れ、この世の地獄を見る事もなく生きてきたお前に一体何が分かる、お前がホシと同じ境遇に生れ育った時、同じ状況に遭遇して同じ犯罪を犯さなかったと言い切れるかと、いつも思ってた。だからと言って金井が実行犯だという証拠を探そうとしない俺が正しいとは思ってない」

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月十日4 nomanomaさん 2022/04/08
    07:05

    「同時に廣川も同業の総会屋の情報をあんたに流したから、あんたもそこそこに総会屋を摘発して業績をあげた。ある意味で持ちつ持たれつだった。しかし廣川からの情報だと分かるとまずいから適当にお目溢しもした。その点は職務義務違反だろう。俺はそういう噂を昔署内で聞いた事があった。火のない所に煙は立たない。どんな悪事も九十九%隠した所で一%発覚すればそれ迄だ。だからあんたは定年退職後もボランティアで特暴連に協力する形で悪事が露見されない様にする必要があった。問題は長瀬が一般推薦で紫綬褒章を貰う画策をした事だ。久邇頼道を推薦人、馬田と船井を賛同者とした。本人に犯罪歴がなければ受章は間違いない。実際夏頃にほぼ内定してた。そこで登場したのが長田だ。廣川は長田を知ってる。知ってはいるが深い付合いはない。人生で出会った多くの人物の中の一人にすぎなかった。しかし長田の方は廣川が自分の孫娘仁美の母方の祖父ではないかという疑念を抱いていた。DNA鑑定をすれば一発で分かる事だが長田が廣川に打診した所、廣川にも何となく心当りがあった。愛子の写真を見せられて自分に何となく似てると思った。愛子と仁美が困窮してると聞かされて取敢えず水上の老人ホームから愛子を船橋法典の特養ホームに移動させる手配を船井を通じてとった。そのやりとりの中で長田と三田が極めて近い関係にあった事を聞かされた。具体的な事は塔頭哲斗の学僧兵にモデルとして描かれていると長田に言われて慌てて読んでみた。小説の中では三田と長田は一蓮托生の兄弟の様に描かれている。そうだとすると長田は三田を通じて廣川が二重スパイで終戦末期に海軍の隠匿物資を横領する計画を持っていた事を知っている可能性がある。長田の狙いは愛子への資金援助ではなく、廣川、長瀬、馬田を強請る事ではないのか。特に廣川からその話を聞かされた長瀬は紫綬褒章に内定していた事もあり長田の影に怯えた。これはかつて廣川が一部上場企業を総会屋として怯えさせた手法と同じだ。弱みがある相手は総会屋と聞いただけで、その影に怯え言いなりの賛助金をだす。長瀬も時効とはいえ三田殺害の疑惑と隠匿物資横領の疑惑が明るみに出れば褒章取消しとなる事に怯えた。金井はあんたから、その話を聞きつけた。長瀬に恩を売る絶好の機会と捉えたのだろう。廣川が居なくなれば廣川の利権を手にする事ができる。同時に長瀬、船井、馬田に恩を売って何らかの見返りを期待できる。更には民子と昵懇だった事から民子を通じて廣川の遺産を入手する事もできる。更には褒章の一般推薦ビジネスを独占できる。元々このビジネスを考えたのは金井だ。金井の知合いの不動産屋が紫綬褒章を受章したのがきっかけだ。張本という不動産屋だが人品骨柄の卑しい男で金井自身、金田にもらした。どうして高等小学校しか出てないあのひひ親父が受章できたのかと不思議に思った。調べてみたら平成十五年から褒章の一般推薦制度が始まった事を知った。張本の推薦人は十数年以上後援会長として資金的に援助してきた代議士だ。金井はゆくゆく、これはロットこそ少ないものの立派な商売になる事は間違いないと踏んだ。そこで廣川に話を持ちかけて廣川の顔を利用して褒章を受けてない財界人や芸能人に売込んだ。ついでに受章後の祝賀パーティと胸像の製作をセットにして、一件当たり数百万の利益を生出した。しかしこうしたビジネスモデルは全て廣川のコネクションを利用したもので、その結果金井自身は収益の半分以下の受取りで我慢させられた。金井は長田を殺すと見せかけて廣川を殺害した。あんたらは金井が長田を殺す所を誤って廣川を殺したと思ってた。長田が生きてる限り長瀬が恐れている影は消えない。所が事件後、数日たっても長田の方から何の連絡もない。という事は長瀬が恐れた影は幻影に過ぎなかったと思う様になった。冷静に考えてみるとここ二十年間以上にわたってダニの様に小ガネをせびり続けてきた廣川が死んだ事は長瀬にとっても船井にとっても馬田にとっても、ある意味で清々した所がある。そこで長瀬と船井と馬田が政界コネクションを使って廣川の死を自殺で処理させた。これには玉井さん、あんたも一枚かんでる。その処理で困るのは加奈子程度で他には何の影響もない。全ては丸く収まった。これが俺の推理だ。玉井さん何かコメントはありますか」玉井は静かに含笑いを始めた。「まあ想像するのは勝手だ。真実は一つかも知れないが当事者達の記憶も曖昧になってる。自殺の処理で殆ど誰も困らないのであればそれはそれでいいじゃないか」「それはそうだ。真実を追求しないと職務義務違反になる等と俺なんぞ言える立場じゃないし」と海野が言うと土岐が口を挟んだ。「僕も偉そうな事を言える立場ではありませんが、実行犯とされる金井はこの儘でいんすか?何となくすっきりしませんが」海野が土岐を横眼で見た。「金井をしょっ引いてゲロさせてどうする?奴は絶対吐かないぞ。吐いたら身の破滅だという事は分ってるし吐かなければ長瀬や馬田や船井から相応の見返りが期待できる。玉井さんも金井が吐かなければ、自分の手下の様な者だから、これ迄泥臭い仕事ばかりで多少割りを食ってきたが長瀬や馬田や船井に対して立場上よくなるし」不意に玉井が短い脚で立ちあがった。「話は以上か?俺としては何も言う事はない。まあ勝手に想像してくれ。とてつもない証拠がでてきたら俺に相談してくれ。悪い様にはしない。しかし今日程度の話では何らかの申出があったとしても全く応じられないな。今日は天気がよかったし散歩がてら須田町からやって来たが、まあその甲斐は余りなかったな。何れにしても海野刑事の賢明な判断に期待してるよ。それに来年定年退職だそうで、あてがわれた再就職先に満足してないなら相談に乗ってもいいぜ」そう言い乍玉井は事務室の蛍光灯を順に消し始めた。海野は土岐に目配せして部屋の外に出た。玉井を事務室に残して、土岐と海野はエレベータに乗った。エレベータが降下し始めてから海野が言った。「やっこさん俺達がどこへ行くか確認するはずだ。これから八丁堀に行く気力はあるか」「八丁堀?」「ウォーターフロントの超高級マンションだ」「長瀬すか」「そうだ。在宅は確認してある」土岐はエレベータを降りて海野に従った。ビルを見上げると八階の電気がぼんやりと付いていた。海野の読みが正しければあのブラインドの隙間から玉井が二人の行方を追っている筈だ。海野は上から見やすい様に歩道を車道寄りに歩いている。「多分金井かその仲間の様な奴が俺達を尾行する筈だ。後ろを振向くなよ」土岐は黙って海野の脇を歩いた。
    ■茅場町で日比谷線に乗換えて八丁堀に着いたのは七時前だった。駅を出て東京湾方面に歩いて行くと、ひと際目立つ高層マンションがあった。周囲に場違いな程こんもりとしたLED電飾内臓の植込みがあり、一階全体が煌々とした照明に照らし出されてホテルのロビーの様になっていた。エントランスの自動扉を入ると管理人兼警備員の受付があった。海野が窓口を覗込む様にして申出た。「十七階の4号室の長瀬さんをお願いします」そう言い乍警察手帳を見せていた。「ご訪問ですか」「そうです」「お名前は」「茅場署の海野と言います」「ご用件は」「内閣府賞勲局の依頼できました」警備員は聞き取れない。「内閣府の?」海野は繰返す。「内閣府賞勲局です」「少々お待ち下さい」と言って警備員は17階の4号室に電話をかけ海野の用件を復唱する。暫くやりとりがあり「どうぞ、お会いになるそうです」そう言うとエレベータホールへの扉が開いた。黒い大理石が一面に埋込まれていた。間接照明で足元と天井だけが明るい。土岐と海野の姿が鏡の様な床や壁に亡霊の様に映出されている。海野はエレベータの上昇ボタンを押した。「これだけ警備がしっかりしていれば外から暴漢に押込まれる事もないだろう」踏込んだエレベータの箱に揺られ乍、海野は溜息を吐いた。土岐は豪勢な雰囲気に圧倒されている。「私は、どうしてればいいんすか」「マスコミ関係という事で話を合わせてくれ」「マスコミ関係?」「そっちの方の担当という事だ。イメージとしては雑誌のトップ屋かな」土岐には意味がよく分らない。海野は身震いしている。「どうもすっきりしないな。何となく胸の座り心地が悪い」17階はペントハウスだった。吹曝しのエレベータの出口から右手の東京湾をとり囲む夜景と左手の銀座の夜景が一望できた。髪を乱す風が土岐の襟元を掠めた。4号室はエレベータを出て外廊下を左に進んだ右奥にあった。手摺はあるものの道路を走る自動車が豆粒の様で高所の恐怖に足元が僅かに竦んだ。海野がアルコープ奥の黒いインターフォンを押した。「どうぞあいてます」と言う落着いたしわがれ声が聞こえた。海野はドアを引いた。玄関は三畳間程の広さがあった。エントランスと同じ黒い大理石が嵌込まれていた。靴箱の下に間接照明があり足元が異様に明るく感じられた。廊下の奥の照明を背に受けて老齢の男がホームウエアの上にガウンを着てムートンのスリッパをはき両手をガウンのポケットに突込んで仁王立ちになっていた。「茅場署の海野さん」「そうです。長瀬さんですね」「そうだがそちらの方は」と長瀬が土岐に視線を向ける。「土岐と申します」と言い乍、土岐は名刺を出した。長瀬は受取ったが見ようとしない。その儘ガウンのポケットにしまった。右手のドアを開けて入って行く。「どうぞ」土岐と海野は靴を脱いで十センチ程の高さの上框に足をかけた。長瀬と同じムートンのスリッパが用意されていた。通された応接間は十二畳程の広さがあった。壁一面に百科事典や文学全集が綺麗に並べられていた。書物としてよりも装飾として置かれている配慮が感じられた。全員が本革の黒いソファに腰を下ろすと長瀬が徐に口を開いた。「内閣府賞勲局からどういう依頼で」「身辺調査です」と海野が長瀬の顔色を窺い乍言う。「それはもう終わったはずだが」「追加調査です」「内閣府賞勲局からは今年の夏の初め頃だったか紫綬褒章に内定したが受諾するかという様な連絡があったが。それでもう終わりではないのか」「それは存じてます。新たな件で」「どんな」と言い乍長瀬がテーブルの上のシガレットケースの蓋をあける。洋モクがケース一杯に並んでいる。長瀬は卓上ライターで火をつけた。煙の臭いが土岐の鼻腔を刺した。その紫煙をちらりと眺め乍海野が言う。「廣川殺害への関与の疑いです」「何の事か知らないな」「いやあ廣川はご存じの筈です」「知ってはいるが自殺じゃなかったのか」「金井が実行犯です。長瀬さんが金井に廣川殺害を指示したという疑惑です」「金井とかいう人間は知らない」「直接は御存じではないかも知れないが玉井に廣川殺害を指示し、玉井が金井に指示した」「何の事だか分らん」と長瀬は軽く吸った煙草を深く吸込まず煙を吐出さずに口を開けた儘で煙が勝手に口蓋から出て行くのに任せている。八十歳過ぎにしては顔の色艶がいい。その落着きぶりが演技なのかどうか土岐には読めない。海野は話を変えた。「最近、殺人の時効が撤廃されまして法務省の諮問委員会から、それを更に改正する答申が出される予定です。しかもその時効撤廃の適用は過去の殺人にも及ぶという内容で」「ばかな。それは憲法上あり得ない。新法や改正法は過去には遡及して適用しないのが原則だ。過去の殺人にも及ぶと言っているのはまだ時効を迎えていない事案についてのみだ。それだってまだ解釈が分かれてる。改正法を適用して裁判になれば間違いなく弁護士は控訴審でそれを持出すはずだ」海野がしたり顔でソファに座り直して深く腰掛けた。「良くご存じで。じゃマスコミにリークするというのはいかがですか」「言っている意味が良く分らん。所轄の警察が既に処理した事案について廣川の自殺の処理が誤りで本当は他殺だったとリークする事はありえんだろう」「勿論です。この土岐さんが民間調査機関の立場でリークできます」長瀬が小さくなって畏まっている土岐を睨みつけた。「だからどうしろと言うんだ?カネか?カネを要求すれば恐喝になる。二人共私が告発すれば逮捕される」海野が右手の平を自分の鼻先で激しく左右に振った。「とんでもない。カネなんか要求しないですよ。ただ真実が知りたいだけで」「だから知らないと言ってる」「三田法蔵の件はどうです?なぜ彼を殺害したんですか」「あれは事故だ。かりに誰かが殺害したにしても六十年以上前の話だ。しかも刑法ではなく軍法の対象となるべき物だ。だが帝国海軍は既に解体してる」「それは承知してます。真実をお話し願えないのであればこちらの土岐さん経由でマスコミにリークしてお話を引出すという方法もあります」「それは名誉棄損になるぞ」「真実であれば名誉棄損にはならんでしょう。かりに名誉棄損で告訴されるという事であれば裁判を通じて真実が明らかになるでしょ」長瀬がポケットにしまった土岐の名刺を取出して見た。それから徐に細かい縦皺の入りかけてきた口を開いた。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月十日3 nomanomaさん 2022/04/08
    07:03

    ■船橋法典の改札口からホームへの広い階段を下りている時に携帯電話が鳴った。海野からだった。「五時大手町に来られるか」時計を見ると四時を過ぎた所だった。「丁度五時に着くと思います」「船井ビルの前で五時頃どうだ」「行けると思います」「待ってる」海野からの電話は初めてだった。昨日電子メールで海野に送信した調査報告書を海野が読んで新展開があったのかも知れない。西船橋で東西線に乗換え大手町迄土岐は頭痛に悩まされた。二日酔がまだ完全には抜けきっていなかった。大手町に着いたのは五時丁度だった。船井ビル迄五分あれば十分だった。黄昏時の大手町のビル街の狭い路地に海野が煙草を燻らせ乍待っていた。「おう丁度五時五分だ」「今日は何すか」「ちょっと八階の玉井企画迄付合ってくれ。例の調査報告書読ませてもらった。素人にしてはよく調べてある。民間でしかもたった一人じゃあれが限界だろな。ここんとこつまらん捜査に駆出されて漸く一昨日解放されたばかりだ。お前さんの調査もあってこの事件の全体像がようやく朧げ乍見えてきた。今晩大体決着がつく」古いエレベータに乗った。天井が低い。動いているのかどうかよく分らない程遅い。ワイヤーの微かな軋み音で動いているのが辛うじて分かる。八階で少しリバウンドして停止した。廊下は真暗だった。神田方向の遥か遠くのネオンサインが上空数千メートルを夜間飛行する飛行機のライトの様に小さく点滅しているのが廊下の窓から微かに見える。海野が舌打ちした。「まだ来てないか」「玉井すか」「そうだ」暗くて海野の表情が分らない。腹の底から出てくる声が何となく不気味だ。土岐はじっと黙っていられない様な不安な思いに駆られた。「今日は土曜で休みなんじゃないすか」「呼出した」「どういう名目で」「任意の事情聴取」「でも廣川の件は自殺で処理されたんじゃないすか」「それはそれ、再捜査という名目だ。参考迄にと言ってある。奴もこっちの手の内を知りたいはずだ」「私が同席してていいんすか」「同僚という事でお願いする。刑事は基本的に二人で行動する事になってる。脇にいてくれるだけでいい。尋問は俺がやる」「こんな所で事情聴取するんすか」「任意だから別に署でやらなければならんという法律はない。玉井がここを指定してきた。こっちは署でもいいんだが、やっこさん、顔見知りでもいると嫌だという事じゃないのか。確かに署の取調室は取調べる方だって息が詰まる様な鬱陶しい部屋だ」土岐は海野が聞いてこないので自分の方から話した。「仁美は偽証であった事を民事で吐露してくれると思います。それに現場に廣川と一緒にいたもう一人の老人は長田で彼も事件が殺人である事証言してくれると思います」「確かか?マスコミが注目しなけりゃいいが。注目される様であれば厄介な事になる。どっちにしても示談にせざるをえなくなるだろう。結審迄行かせて貰えない筈だ。いざとなれば双方の弁護士にも、その筋から手が回る筈だ」その時八階に停止していたエレベータが下降し始める音がした。やがて一階で停止し再び上昇を始めた。「来たな。じゃ宜しく。聞きたい事があれば話してもいいが俺の同僚だという事を忘れないでくれ。相手は元プロの刑事だからな気をつけて」エレベータが止まり中からずんぐりむっくりした小柄な男が出てきた。160センチあるかどうかという背丈だ。エレベータ内の照明が光背になって男の顔が見えない。辛うじて黒縁眼鏡をかけている事だけが分かった。「海野さんかい」「そうです。どうもお休みの所ご足労かけます。吉野さんからお噂はかねがね伺っております」「そっちの若いのは」土岐は海野の顔を見た。どう答えていいか分らない。海野が代わりに答えた。「相棒で土岐と言います」「そうかい。まあ中で話そう」そう言って玉井はポケットから鍵の束を取出した。鍵を選り出してドアを開ける。すぐに室内の照明が灯された。入るとすぐ上半分がすり硝子のパーティションがあり、その奥に四人がけの簡単な応接セットがあった。ソファに腰を下ろすと玉井はすぐ聞いてきた。「で、どういう情報」海野は内ポケットから例の似顔絵を出してテーブルの上に広げた。玉井は徐に背を屈め眼鏡を外して似顔絵に見入った。それからぽつりと言う。「何これ」「ご存じでしょ?金井泰蔵ですよ」海野にそう言われて土岐は田園調布駅前の喫茶店で澤田に見せられたゴルフ場での金井、民子、金田のスリーショットのデジタル画像を思い出した。土岐の記憶にある画像の中の金井と似顔絵が重なり合った。玉井はもう一度似顔絵を胡散臭そうに見直す。「そう言われればそう見えない事もないがこんなもの証拠能力ないよ。これがどうしたの」「目撃されてるんです。廣川の殺害現場で」「殺害現場?あれは自殺で落着してるんだろ」「署内的にはそう処理されてますが民事では殺人という事になるかもしれません」「佐藤加奈子か」と玉井は民事で訴訟を起こそうとしている人物の名前を言った。海野が答える。「そうです」玉井は両手を頭の後ろで組みソファに凭れ天井を見る。絡めた太い指が今にも外れそうだ。白い鼻毛がよく見える。「民事でもUSライフに勝てないだろう。いや法廷外の圧力で勝たせて貰えないだろう。まあ佐藤加奈子も提訴すれば何れしなかった方がよかったと思い知る筈だ」土岐が口を挟んだ。「四十年前廣川が総会屋活動の表舞台から引込んだのはなぜすか」玉井が声の方を向いて目を剥いた。しょぼついていた目が大きく見開かれた。「あいつは自力では何もしてなかったんだ。財務諸表位は勉強した様だったがインサイダー情報は貰っていた。奴が派手な活躍をしてしょっぴかれると当然情報を提供した方にも類が及ぶ。それを恐れて奴に表舞台から手を引かせた。そのかわり、たんまりとはいかないがそれなりの金づるが提供された。雑誌広告がメインだった。一社当たりの金額はたいした事はないが上場企業百社位を紹介した」「長瀬と船井と馬田が紹介したんすか」「それ知ってどうする。インサイダー取引は時効だし雑誌広告はまっとうな商取引だ」「廣川の殺害は時効にはなってないしょう」と土岐が突込む。玉井は憮然とした表情で返答する。「殺害じゃない。自殺で処理されてる」「証拠さえ上がればいつでも殺人で立件されるしょう」「証拠はない」と玉井が怒気を込めて断言する。海野が脇からそれを宥める様に言う。「これは仄聞だが、コメントがあればコメントして貰いたい。多少俺の推理と脚色も混ざってる。まず廣川は陸軍中野学校の出身だ。これは証拠も証言もある。戦時中アメリカの牧師と和平工作をしてた京都の清和家に書生として潜込み本土徹底抗戦を考えている陸軍の方針に従って和平工作の妨害を画策していた。ここ迄はよくある話だ。こうした類の戦中秘話はごろごろ転がってる。ここからがどこ迄が本当で嘘で単なる噂なのか分らないが廣川が二重スパイだったという事だ。最初は陸軍のスパイとして養成されたが後に海軍のスパイにもなった。つうか海軍のスパイに協力する様になった。海軍は陸軍中野学校に対抗して久邇政道少佐をトップに据えて同じ様な秘密諜報員養成組織を作った。太平洋戦争に突入してからの話だ。それ迄はスパイは武士道に反するとか大和魂にそぐわないとかいう理由でそうした本格的な諜報機関は造らなかったが太平洋戦争に突入するに至って綺麗事をいえなくなった。そこで長瀬が経理学校から、船井が機関学校から、馬田が兵学校から引抜かれた。他にも何人かいた様だが戦死したか物故してる。海軍の戦略は早期和平にあった。元々海軍は山本五十六を筆頭に日米開戦には反対だった。傷が深くならない内に和平を結び戦後の復興にかけるというのが海軍の方針だった。そこで日米和平工作を民間レベルで画策してた京都の清和家と東京の久邇家を支援した。両家の間で重要な役割を果たしてたのが廣川だった。その内海軍は廣川を長瀬、船井、馬田を補佐するスパイとして利用する事を考えた。ただ廣川が中野学校出身である事を知ってたので裏切らない様に目付を置く必要があった。そこで当時家庭教師として清和家に出入りしてた三田に廣川が中野出身である事を伏せて監視を依頼した。この時三田に会って直接依頼したのが長瀬だ。その時長瀬は交換条件として難関の甲種飛行予備練習生への応募を考えていた三田に合格を確約した。三田は廣川が二重スパイである事を見破った。昭和十九年に入って日本の敗戦は決定的になった。長瀬と船井と馬田は敗戦後の身の振り方を考えた。幸い諜報活動の資金として海軍の隠匿物資の所在を知らされてた。燃料、軽金属、銅、米、味噌、醤油、色々あったが少人数でも横領可能なダイヤモンドや貴金属や骨董品に目を付けた。それらを隠匿物資とは明かさずに捌く為に久邇政道が久邇商会を設立した。隠匿物資は昭和十九年三月に海軍に接収された慶応の日吉校舎の裏手の蝮谷の地下壕に隠されてた。終戦間際のどさくさに巨額の隠匿物資を横領し、自分達の力で戦後の日本の経済社会を立直そうと計画を立て、この計画に廣川と三田を引入れようとした。廣川は応諾し三田の説得を任されたが三田は拒否した。三田は長瀬に隠匿物資は天皇陛下の赤子たる国民全員に等しく配分されるべき物だと言った様だ。それを聞いた馬田は後に長瀬に国民全員で分配したら復興の原資になりようがないと主張し、仲間の数人で分ける事を正当化した。一億円を一億人で分配すれば一人当りたった一円にしかならない。しかしこの一億円を唯一人の経営者に託せば企業を興し、やがて数千人数万人の雇用を生出し、それが数千万人に波及し何れは数兆円の所得を生出すと仲間に説いた。この話は馬田の自伝に出てくる。もっとも隠匿物資を横領したとは書いてはいないが。長瀬に依頼された三田の説得に失敗した廣川は三田の抹殺を画策する。理由は三つあった。一つは二重スパイである事を知られてる事。二つ目は隠匿物資の横領計画を知られてしまった事。三つ目は一目惚れした平井圭子が三田を愛してた事。二重スパイである事がばれれば廣川は中野学校の連中に粛清される。廣川はどうしても三田を抹殺する必要があった。そこで長瀬達に秘密を知ってて共謀に参加しない三田の抹殺を依頼した。海軍の諜報機関は秘密保持のため長瀬を教官として三重海軍航空隊に赴任させた。そこで事故を装って三田を終戦前日に殺害した。死亡の状況に疑念を抱いた上官もいた様だが終戦の混乱でうやむやになった。それから長瀬、船井、馬田、廣川らの海軍隠匿物資の横領が行われた。久邇政道は久邇商会を通してそれらを捌いた。長瀬は終戦の日香良洲にいたので横領の実行部隊は船井、馬田、廣川の三人だった。遅れて駆付けた長瀬は骨董的な隠匿物資を割当てられ、わりを食った。一番分前の多かったのが馬田で、兵学校で学んだ英語力を生かし八紘物産の中興の祖となった。社長就任当時、政府から様々な諮問委員会等の委員就任を打診されたが悉く断った。この事は新聞に連載した馬田の自伝によれば在野の経営者として政府に警鐘を鳴らす意味からも政府とは一線を画すとジャーナリズムからは称賛された様だが俺の考えでは馬田は叙勲の対象となる事を避けたんだ。実際経済団体の中でも重要な役職に就く事をしなかった。政府の各種委員会の委員ともなれば何れ政府の方で叙勲か褒章の対象としてくれる。そうなれば身辺調査が行われる。隠匿物資の横領はとっくに時効だし、戦後のどさくさに紛れたもので戦後名を成した多くの実業家が何らかの形でそれと似た様な危ない橋を渡ってる。馬田が恐れたのは廣川との関係だ。馬田は海外賄賂の裏金作りの為に廣川を利用した。八紘物産の取引先や関連会社のインサイダー情報を廣川に流し表立たない形で企業から資金を集めさせた。長瀬も監査法人の代表社員の立場で入手したインサイダー情報を情報源がばれない様に廣川に流し儲けさせた。廣川が他の総会屋の様に名前を売った上で株主総会に出席し資金を集めるという表立った活動をせずに賛助金や広告協力費を集金できたのはこの為だ。船井はそのカネで衆議院議員に立候補し票を買収し当選したものの元々政治的な野心も理想もなかったので建築土木利権でカネを儲ける事に方針を転換して昭和三二年の総選挙で落選したのを機に政界人脈を利用して口利き利権に奔走し、そうした利権に群がって来たゼネコンの賄賂情報を廣川に流し、廣川が総会屋活動をしないでゼネコンから資金を調達する便宜を図った。こうしたカネのなる木もバブル崩壊と商法改正による総会屋取締強化で尻すぼみとなった。全ては時効の壁の向こうの話だ。そこで玉井さん、あんたの役割は取締まる側の情報を廣川に流す事だった」俯いて聞いていた玉井が顔をあげて海野を見上げた。海野は話を続ける。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月十日2 nomanomaさん 2022/04/08
    07:02

    「前々から愛子は廣川の娘ではないかという気がしてた。愛子の存在は法蔵寺の住職から聞いてた。その住職は先代の長男で、わしが中学校に入る時に使い古しの靴をくれた男だ。先代は法蔵さんと圭子さんを一緒にさせて法蔵寺を継がせようと思っていたので、息子の住職は法蔵さんの死を喜んだくちだ。その住職が宗門の東京での会合に来た時廣川に嫁いだ妹の圭子さんに世話になったそうだ。その時廣川が向島につれて行き、お座敷に和子を呼んだそうだ。その後、住職は東京に遊びに行く度に一人の時でも向島で遊ぶ様になり、その都度和子をお座敷に呼んだ。そこで和子には愛子という私生児のいる事を知った。和子は愛子の様な私生児でも貰ってくれる様な結婚相手はいないかと酒の席ではあるが住職に頼んだ。わしが法蔵寺に骨董の行商で寄った時にその話が出た。わしはできの悪い息子の敦の嫁にどうかと持ちかけた。その時にはもうわしは花江とは離婚していたが敦の事は気になってたんで糸魚川の時計屋を任せてた。しかし敦は店の商品を持出して質入れして駅前でパチンコやったりマージャンの負けを支払ってた。幾度注意しても改まらなかった。糸魚川では放蕩息子の悪名が広まってて結婚相手等見つからなかった。そこで愛子と東京で所帯を持たせ、まっとうな生活をさせようと考えた。愛子にしてはいい迷惑だったかも知れないが、お互いにいわくつきであれば案外うまく行くかも知れないと安易に考えてた。しかし不幸と不幸は足し合わせた所で不幸にしかならなかった。敦はパチンコ店員や新聞配達や牛乳配達やクリーニング店員や日雇い労務者の職を転々として賭事から足を洗えなかった。東京に行商に行く度に愛子に謝り小遣をやったがそれも敦に巻上げられた様だ。愛子はその内、わしと顔を合わせると懇願する様にどうしても敦と離婚させてほしいと言出す様になった。しかし仁美が既に生れてた。わしは敦の事で迷惑をかけて申訳ないが仁美が成人する迄は我慢してくれと頼んだが駄目だった。それでも愛子は敦と別れる際に女手がないと敦の生活が大変だろうと嫌がる仁美を敦に残して家を出て行った。仁美は愛子を恨んだ事だろうと思う。敦は放蕩無頼の人生を貫徹しさっさと死んで行った。それから母子二人のささやかな幸せの生活が始まったが愛子は和子からの遺伝なのか仁美との蟠りが解け始めた頃若年性痴呆になった。安い特養を探したが群馬県の水上の山奥にしか適当なホームは見つからなかった。それでも仁美にとっては経済的に重い負担だった。わしも援助したい所だったが僅かな年金しかない。そこで愛子が後生大事に持っていた和子と廣川が向島のお座敷で撮った写真を思い出した。愛子が廣川の娘であれば仁美は孫になる。廣川はわしより遥かに経済力はある。娘と孫の窮状を助けてもばちは当たらない。その写真を仁美に確認させたら兜町の路上で毎日夕方の五時頃にレクサスを待たせている老人に似てると言うのでそこの会社が開示情報という雑誌を発行し、その会社の会長が廣川である事を確かめてあの日茅場町で会う事にした」土岐は長田の話を聞き乍、喫茶店インサイダーでの岡川の証言を思い出していた。「廣川が船橋法典の特養ホームを見つけたので地元の責任者に挨拶に行くので仁美と三人で一緒に行こうと言うのであの駅のホームで仁美を待ってた。仁美が来る直前にあの事故が起きた。廣川がステッキを落とし、わしが拾って廣川に渡そうとした時背後から低姿勢で突込んでくる男がいた。わしと廣川の間に割込む様にして倒込んできた。わしは咄嗟に避けたが廣川は男の肩にぶつかった。廣川はわしが差出したステッキに手を伸ばしてきたがわしはステッキを差出そうとしなかった。未必の故意というやつだ。廣川はホームに踏張り切れずに転落した。その時仁美はまだ来てなかった」そこで土岐は内ポケットの手帳に挟みこんだ海野から受取った似顔絵を出した。四つに折り畳んだB5の紙を広げ乍長田に聞いた。「その倒込んできた男はこんな顔したか」長田はその紙を受取り目を顰め乍距離を調整し、目の焦点を合わせようとしている。「一瞬の事だが多分こんな感じの男だったと思う。そう言われれば、そうかもしれないと言う程度だ。ただ廣川がその男を見たとき一瞬の事だが、まさかという様な顔つきをした。そんな感じがした」「という事は顔見知りで」「分らん。でもそうかもしれない」「で長田さんが現場から逃走したのは、どうしてすか」「倒込んできた男がわしを殺そうとしていたのではないかと直感的に思った。そうでなくても廣川についてはいい噂を聞いてない。やくざとも関係があるという様な事も聞いてた。わしが愛子をネタに強請ろうとしてると思込んでわしを消そうとするかもしれないという邪推が頭を掠めていた。その恐怖でまず逃げた。仁美と待合わせていたので戻ろうかとも考えたが巻込まれたくなかった。わしも叩けば幾らでも埃の出る人生を生きてきた。警察とは関合いになりたくない。いまだに所得税を払った事がないし詐欺紛いの骨董売りを幾度も繰返してる。訴えられた事もある。貴金属品の行商でも紛い物を幾つも売捌いている。そのせいもあって京都へも湯沢へも小谷へも足を踏入れられなくなった。商売をする場所が段々狭まって行った。そういう負い目から仁美に電話したものの現場に戻る気はなかった。どんな形であれ警察とは関りをもちたくなかった。その後、あの事件は自殺で処理されて落着いたと言うので、こうして愛子に会いに来た」「廣川の他に誰かに殺されるかも知れないという心当たりはありますか」「ない。わしは馬の骨だ。長瀬や廣川の様に稼いでもないし、一度でも表舞台に出た事もない。しがない骨董商で昔は貴金属の行商もやってたがここ二十年程は全く商売にならない。バブルがはじけた後、年金でかつかつの生活をしてる。こんな老いぼれを殺した所で一銭の得にもならんだろう。わしの人生はとるに足らないつまらん人生だった。あってもなくてもいい様な人生だった」「あの時廣川を助けようとしなかったのはなぜす」「圭子さんが自殺した事が頭のどこかにあったのかも知れない。彼女は法蔵さんを愛してた。わしもそうだった。戦後、小ガネを貯めて法蔵寺に行った時には既に廣川と結婚した後だった。それに戦後間もなく誰からか噂を聞いて上野で露天商をしてた廣川に会いに行った事があったが剣もほろろだった。元々智恩寺にいた時ちらりと見た程度の間柄だったが廣川には打解けようという姿勢が全く見られなかった。何人かで一緒に酒を飲んだ時、岩波文庫を持ってたので文学好きだと思って、郷里の相馬御風の話をちょっとしてやった事があった。その時何となくそりの合わない奴だと感じていた。寧ろわしを避けようとしてる様にも見えた。法蔵寺の先代住職の法事の時でもそうだった。殆ど口をきく事がなかった。そうした蟠りはなくなってなかった。愛子をなんとかしようという思いはそれとなく伝わってくる事もあったが、わしに対しては赤の他人でいたかった様だ」「最近になって、廣川が塔頭哲斗の学僧兵を読んだらしいんすが、どうしてすか」「わしが教えたんだ。あの小説ではわしと法蔵さんがモデルになってる。舘鉄人とは智恩寺にいた頃知合った。妙にウマがあった。小説ではわしと法蔵さんの関係が実際以上に濃密に描かれてる。実際はわしの方が一方的に法蔵さんを崇拝してたんで法蔵さんはわしに対しては弟弟子という思い以上のものではなかったと思う。九月初めに廣川に連絡したらわしの事をよく覚えてなかった様なので、戦後智恩寺と上野で顔合わせた事がある、法蔵寺の先代住職の法事でも挨拶した事があると言っても思い出さない様なので舘鉄人の学僧兵という小説を読んだ事があるかと聞いたらにべもなく、そんな物読んでないと吐捨てる様に言うので、わしと法蔵さんがその小説のモデルになってると伝えた。再び顔合わせた時廣川はわしの事を多少思い出した様だった。舘鉄人の小説については愛子が実の娘であればひょっとしたら親戚になるかも知れないと思って読んだんじゃないか」長田は疲切った様だった。体が次第にずり落ちてきて車椅子から下半身が落ちかけている。その体を自分で元に引上げる体力もない様だった。土岐は長田の背中に回り両手を脇の下に差込んで体を引上げてやった。長田は軟体動物の様に車椅子の上で背中を丸めた。土岐は車椅子を押して愛子の部屋に戻った。愛子の部屋では仁美が土岐が持ってきた生花を花瓶に活けていた。愛子はベッドの上で昼寝していた。微かな鼾が部屋の中に流れていた。長田も疲切った様で口を開けた儘茫然としている。土岐は仁美の壊れそうな背中に語りかけた。「今おじいさんに全て聞きました。あなたには何れ民事の法廷で証言してもらう事になると思います。あなたが偽証したい気持ちは僕なりに理解してる積りです。あなたが物心ついたころから諍いの絶えなかった御両親、酒乱癖のあったお父さん、家庭内暴力であなたも殴られた事があったでしょう。そういう家庭環境があなたの幼い心をどれ程傷つけたか痛い程分ります。お母さんが離婚したのも理解できます。お母さんがお父さんの許に嫌がるあなたを残したのはお父さんに対するお母さんの最後の愛情だったのだろうと思います。あなたはその愛情で生まれたんですから。甲斐性のないお父さんの許でアルバイトをし乍あなたはやっと高校を卒業してお父さんから精神的に独立しようとした矢先にお父さんが亡くなられた。入院費用や看護でさぞかし大変な事だったろうと思います。恐らく恋人を作ることすらできなかったでしょう。そうしてやっとお母さんと二人で幸せな生活を築こうとした矢先、お母さんがおばあさんと同じ病気で老人ホームに預けなければならなくなった。入居費用や面会費用であなたは貯金すらできない状態になった。これ迄の人生であたなにとって人並みの幸せを感じた事は殆どなかったんじゃないすか。そのあなたが偽証によって更に人生の重荷を背負おうとしてる。僕も偉そうな事は言えない。保険会社と敵対してる遺族に雇われている身だ。遺族はただ単に保険金がほしいだけで地下鉄会社に賠償金を払いたくないだけでそれだけであなたの偽証を覆そうとしてる。僕もその片棒を担いでる。でも心の底からあなたには偽証によってこれからの人生を穢して欲しくないと思ってる。裁判では本当の事を言ってほしい。まだ人生の残りは長い。悔いのない様に生きてほしい」後ろ向きに花瓶に花を活けていた仁美の肩が小刻みに震えている。花瓶を置いたサイドテーブルに両手を突いて項垂れた。微かな嗚咽が聞こえてくる。「あなたに何が分かるの!」仁美が絞出す様にして出した涙声の中に誰に対するとも知れない底深い怒りが籠っていた。「僕には何も分らない。あなたがこれ迄生きてきた人生はあなただけの物だ。本当の事はあなた以外誰にも分らない。しかしこれからあなたが生きて行く人生はあなただけの物ではないかも知れない。そばに誰かいれば共有する事ができる。喜びは二倍に悲しみは半分になる。子供が二人できれば喜びは四倍に悲しみは四分の一になる。過去はもう終わった事だ。振返って悲しんだり怒ったりしたって変える事はできない。未来に掛けるしかないじゃないか。裁判で本当の事を証言してくれる事を祈ってる。僕が依頼人から受取る成功報酬はあなたにあげよう。お母さんの入居費用にはとても足りないかも知れないがあなたの勇気と将来に僕はかけたい。それにあなたのお母さんが廣川の娘である事がDNA鑑定で立証されればかなりの額の遺産が相続できる。私生児にされた事で辛い人生を味わったあなたのお母さんにはその遺産を受取る権利がある。廣川の遺族は抵抗するだろうがDNA鑑定で親子である事が立証されれば示談に持込む事ができる。そうなる様に僕は全面的に協力する積りだ」サンルーム越しに部屋に入ってくる深まる秋の黄ばんだ陽光がほんのりと赤みを帯びてきた。仁美は背を向けた儘戸惑う様に間欠的に鼻水を啜り上げている。「誰が見てもあなたのこれ迄の人生は辛い物であった事は間違いない。しかし誰だって悲しい事や辛い事は大なり小なりある。自分の経験を絶対化しない方がいい。絶対化すれば他人の悲しみは否定する事になる。自分の周りに塀を巡らせて孤立を招くだけだ。おじいさんの兄弟子だった三田という人は捨子で両親もなく子供の頃から小僧としてお寺で働き勉強がよくできて檀家の評判がよかったという理由でお寺の大黒さんに理不尽な虐められ方をして僅か二十歳になったばかりで戦争で死んでいった。彼にはあなたの様にテニスや飛行機のプラモデルで憂さを晴らすというゆとりすらなかった。自分の悲しみや辛さを絶対化すれば永遠に癒される事はない。自分の過去の嫌な事は自分から突離して見ればいい。そういう事もあった。ああいう事もあった。過去の事はそれでいいじゃないか。これから僕とミックスでテニスをしよう。楽しい事を一杯教えてあげるから」仁美は絞出す様に小さな声で言った。「分ったからもう帰って。お花有難う」土岐は仁美に名刺を差し出した。「僕の本名は土岐と言います」仁美はその名刺を一瞥して興味なさそうに力なく受取った。「知ってます。大野さんから聞きました」土岐は長田に小さく頭を下げてその部屋を出た。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月十日1 nomanomaさん 2022/04/08
    07:01

    十月十日 翌朝激しい二日酔いと喉の渇きで目が覚めた。午前九時だった。どうやって自宅に辿着いたのか記憶がない。久しぶりの痛飲と記憶喪失だった。頭痛を堪えて船橋法典の特別養護老人ホームへ電話した。「すいません。ちょっとお尋ねしますがそちらに入居している中井愛子さんに今日面会の予約が入っているかどうか分りますか」少し間をおいて若い男の声が返ってきた。「さあここは所謂病院とは違うので面会される方は一々予約はしませんけど。一応十時から五時の間ならいつでも入居者と御面会できますが」「そうすか。すいませんが、お名前を教えて頂けますか」「私のですか?」「ええ」「竹中と言いますが」「どうも有難うございました」電話を切ると土岐は階下の合鍵を持って一階の印刷工場に降りて行った。印刷工場の警備を兼ねる事で月五万円の割安家賃を支払っているが警備らしい仕事をした事は一度もない。時々近所のスーパーの急ぎのチラシの印刷があると土曜日も輪転機を動かしている事もあるが今日はひっそりとしている。事務室の固定電話で仁美の携帯電話にかけてみた。固定電話から仁美に電話するのは初めてだった。その電話番号は仁美の携帯電話には登録されていないはずだった。土岐は床に落ちていたチラシの紙を送話口に一枚挟んだ。声音を少し高くする。「見城さんすか」「はあ」疑り深そうな声が返ってきた。「こちら船橋法典の特別養護老人ホームすが今日か明日こちらに面会に来る予定はありますか」「今日か明日かはまだ決めてませんが」「そうすか。実は明日は一日中館内の清掃を行う予定になっておりますので、面会に来られるのでしたら今日の午後にお願いできればと思いまして」「そうですか分りました。それじゃ今日の午後面会に伺います」「どうも有難うございます」「失礼ですがお名前は」「竹中といいます」そう言うと仁美の返事を待たずに電話を置いた。仁美が竹中の声を知っていれば見舞いには来ないだろう。
    ■蒲田駅前のコンビニで菓子パン三個とペットボトルのミルクティーを買込んだ。蒲田から京浜東北線に乗車し新橋で銀座線、日本橋で東西線に乗継いで東陽町に着いたのは十一時頃だった。仁美のアパートを横十間川を挟んだ対岸から見る事にした。小さなオペラグラスで川越しの仁美の部屋のベランダが辛うじて確認できた。レースのカーテン越しに丸い蛍光灯の傘がちらついて見えた。土岐は川の欄干に腰を乗せてパンを食べる事にした。左手でオペラグラスを目に当て、右手でパンを口に運んだ。パンを全て食べ終えてミルクティーを全て飲み干し、三十分位して横十間ハイツの304号室に動きがあり、室内の蛍光灯が消えた。暫くして脇を抱えられた老人と仁美が川沿いの通りに出てきた。老人の足元が覚束ない。土岐は四ツ目通りの橋の袂で二人を待伏せする事にした。二人は四ツ目通りに出るとタクシーを拾った。タクシーは東陽町駅方向に走って行った。土岐は速歩で東陽町駅に向かった。駅のホームに二人の姿はなかった。次に来た西船橋方面の電車に乗った。西船橋で武蔵野線に乗換えて東陽町から三十分程で船橋法典に着いた。前に来た時と同様に土岐は駅前のスーパーで花束と菓子折を買った。船橋法典の特養ホームに辿着いたのは二時前だった。誰もいない受付の面会者リストに備付けの紐付きのボールペンで時山と記入して、その儘二階の愛子の部屋に向かった。晩秋を思わせる淡い午後の陽光が廊下や階段にセピア色に溢れていた。他愛のない笑い声やしわがれた幼児言葉がどこからか聞こえてきた。白衣の療養士と擦違ったが誰何しない。土岐は中途半端な愛想笑いを返した。愛子の部屋にドアはない。廊下から内部がその儘見通せる。土岐は部屋の入口に立った。愛子はベッドに腰掛け、その向かいに老人が車椅子に座り、仁美が入口を背に立っていた。土岐は声をかけた。「今日は」仁美が振返った。ショートヘアの前髪が眉毛を覆う。凍りついた様な驚きが窓から差込む逆光の中で土岐の前に迫ってきた。「時山さん?それとも土岐さん」「すいません土岐す」老人が皺に窪んだ虚ろな目で車椅子から土岐を力なく見上げた。「あんたか色々とわしを探ってたのは」「すいません、ある人の依頼を受けまして」「どうだ調べはついたか」「ほぼ。後は長田さんの釈明を聞くだけす」そう言い乍土岐は花束と菓子折をベッドに座っている愛子の脇に置いた。「つまらない物すが早く良くなって下さい」長田が仁美に言った。「あっちのサンルームにやってくれるか」仁美は長田の背後にまわり、車椅子を部屋の外に押出した。二階のサンルームには面会客のない老人達が弱々しい陽光を全身に浴びてリクライニングシートに寝そべっている。そこだけがどこかの温泉地か観光地の様な雰囲気を醸出している。仁美は大きな一枚硝子の前に車椅子を押してくると愛子の部屋に戻って行った。土岐は部屋の隅の籐椅子を引寄せて、長田の斜め隣に座った。「大分足悪いんすか」「リューマチでね。膝の関節が強張ってる。無理すれば動けない事もないが痛い。ここ数日、日に日に悪くなってる」「最近三重海軍航空隊の記念館に行かれましたよね」「香良洲か」「ええ」「記帳者名簿を見たのか」「ええ。新生印刷にも行かれましたよね」「新橋か」「ええ」「何で今頃と聞きたいのか」「ええ。三田さんとはどういう関係なのか」長田は前方の民家の屋根の上で穏やかに照っている太陽を眩しそうに見ている。雀が無邪気に瓦の上で戯れている。傍らを療養士が足音もなく通り過ぎ、暫くして土岐の為に来客用の折畳椅子を持ってきた。土岐は長田の斜め前に座り直した。長田は遥か遠くを眺める様にして訥々と語り出した。「法蔵さんはわしの兄弟子だった。わしは小学校六年の正月に糸魚川から敦賀の法蔵寺に小僧に出されて筆舌に尽くしがたい困窮の中学生生活を法蔵さんと共に過ごした。和尚は修行に厳しかった。毎朝の勤行、浄土三部経の暗唱、境内や本堂の掃除、朝餉と夕餉の準備、買物、葬式、法事、風呂焚き、写経、中学校の予習復習、自分の時間等全くなかった。中学の五年間を一枚の学生服と二揃いの下着で過ごした。靴下も下着も制服もつぎ当てだらけで河原乞食の様だった。学校行事で街中に映画を見に行く時もカネがないので体調不良と嘘ついて早引けした。弁当は日の丸弁当だった。余りに恥ずかしいので級友に見られない様に手で隠して食べた。靴は寺の長男のお下がりで貰ったばかりの時はだぶだぶだった。靴底は穴だらけで中に段ボールを敷いて学校に通った。体操着も一着しかなかったから体操の授業が連日ある時は洗った後、庫裡の竈の煙突に巻きつけて乾かした。冬の寒さは夏の暑さ以上に堪えた。便所に置いてあった北国新聞を下着と体の間に挟んで一晩中震え乍体を温めた。和尚は酒飲みで冬の豪雪の夜によく酒屋に使いにやらされた。日本陸軍が八甲田山中で雪中行軍で遭難した事に思いをいたし乍、雪の中で遭難死するというのは、こういうことなのかと法蔵さんと語合ったもんだ。法事に檀家回りをすると法蔵さんと二人で行くと法蔵寺へのお布施とは別に小遣をくれる家がよくあった。その儘持って帰ると大黒さんに取上げられるので法蔵さんと二人で隣の神社の本殿の下の石組みの脇に隠して貯めておいた事があった。法蔵さんは捨て子で実家はなかったので、わしがいつか糸魚川に帰る時の汽車賃にしようと協力してくれていた。しかしもう少しで往復の汽車賃がたまりかけた時、このカネが大黒さんに見つかって全額没収され、その上寺のカネをくすねたという身に覚えのない嫌疑をかけられてお仕置きを受けた。この時法蔵さんが全ての罪を被ってくれたので、わしへのお仕置は軽くて済んだ。わしも法蔵さんも何かにつけて大黒さんの虐めにあった。虐めの理由は大黒さんの息子達よりわしと法蔵さんの学校の成績が良かった事だ。それに檀家衆の評判もわし達の方が良かった。時間にもカネにも家庭教師にも恵まれていた息子達よりもわし達の方が全ての点で優れていた事が大黒さんにとっては我慢がならなかったのだろう。わし達を虐める事でその鬱憤を晴らしていたのだろう。京都の浄土宗の専門学校へは法蔵さんがわしより二年先に行った。法蔵さんは中学を四年で終えた。わしは五年かけて卒業してから京都に行った。京都の生活は敦賀の生活と比べれば天国だった。勤行も学校の勉強もあったが自分の事だけをやればよかった。敦賀では和尚さんの家族全員の雑用迄やらされていた。法蔵さんが海軍に志願した後、香良洲に一度会いに行った事があったが海軍は京都の寺よりも天国だ、敦賀と比べるとそれ以上だと言っていた。当時は食糧難だったから寺では十分な食事がなくて一日分の食糧が毎朝一杯の丼飯だけだった。丼飯を朝昼夜に分けて食べようと努力したがいつも午前中にはなくなっていた。その繰返しだった。法蔵さんは海軍ではお代わり自由でおかずもたらふく食べられると本当に嬉しそうに話していた。法蔵さんはわしの目にも美男子に見えた。お寺の長女の圭子さんが法蔵さんに恋焦がれていた事は随分後になってから知った。圭子さんは敦賀小町と呼ばれた程の美人でわしも心を奪われていたが所詮高嶺の花と諦めてはいた。この圭子さんが敦賀の住職と朋輩の関係にあった京都の住職の関係で、その京都のお寺の檀家総代だった清和家の次男と見合いをした。この時書生として潜込んでいた廣川と出会っていた。家格が釣合わないという事で圭子さんが破談になった後、廣川は圭子さんに恋文を送ってる。圭子さんは自分には法蔵という心に誓った男が居るので諦めてくれと返事を出した。そういう話を聞かされたのは戦後になってからだ。貴金属の行商で法蔵寺に出入りする様になって先代の住職が話してくれた。圭子さんが廣川と結婚したのはカネの力だったのかも知れない。とにかく廣川の羽振りは良かった。多額の寄付を法蔵寺に申出て圭子さんの親である住職も大黒さんも結婚を承諾せざるをえなかった様だ。戦後の農地解放で大半の小作地を失い法蔵寺も生活が苦しかった。圭子さんも法蔵さんが戦死したので、親の為に結婚を受諾せざるをえなかったのだろう」長田の口の中が干からびてきていた。声が度々かすれて聞き取りづらくなってきていた。長田の咳払いのやむのを待って土岐は質問した。「三田さんが特攻死ではなく事故死だと知ったのはいつすか」「数年前の事だ。廣川が戦後すぐ圭子さんに会いに来た時に住職に特攻死したと伝えたので、てっきりそう思ってた。全く疑問を持たなかった。しかし香良洲には昭和二十年当時、飛行機は一機もなかったという事を何かの本で数年前に読んで疑問に思い始めた。この八月に香良洲に行ったのはそれを確認するためだった。そこで会報に追悼文を寄せている長瀬の存在を知った。長瀬に会って法蔵さんの最期を聞きたかった。それに長瀬が寄贈した軍刀は骨董品だった。中尉だった長瀬が少将の軍刀を寄贈できるはずがない。名簿で長瀬の住所を調べた。東京の知合いの骨董商にお願いして長瀬の家に出入りしている業者がいないかどうか尋ねたら長瀬は骨董好きで五十年来の付合いのある骨董商が居た。長瀬は骨董好きというか、戦後その骨董商にかなりの貴金属や骨董品を売却したそうだ。中には国宝級の物もあったそうで、その骨董商はもう時効だからと教えてくれたが戦後長瀬が骨董商に売りに来たものは海軍の隠匿物資だったらしい。あの頃は全てが乱れていたから殆どの人間にモラル等なかった。長瀬もヒロポンをやってたそうだ。しかし話はそこ迄で法蔵さんと長瀬の関係は掴めなかった。長瀬の大手町の事務所に電話して本人に聞いてみたが三田法蔵なぞ知らないと言う。だがそれはありえない。奴は戦後、会報誌に法蔵さんへの追悼文を寄稿している。直接面会して聞こうかとも思ったが、その直後に廣川の転落事故があって仁美の部屋にほとぼりのさめる迄隠まってもらう事にした」長田の話の区切りを待って土岐は質問した。「あの日廣川とは茅場町で何をしてたんすか」聞こえている筈だがその質問には長田は答えない。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月九日2 nomanomaさん 2022/04/08
    06:58

    「いいでしょ」と宇多が靴を脱ぎ始めた。女将は玄関に降り二人の下足を整えた。「さあこちらにどうぞ」と暗い畳の廊下を奥へ進む。突当たりに四畳半の次の間付の八畳の客間があった。床の間があり、その右手に壺庭が見えた。床の間には寒山寺楓橋夜泊詩石刻の軸が掛けられている。畳の上には座布団が二枚あるだけで他には何もない殺風景な和室だった。二人が床の間を背に座布団に座って部屋の中を見回していると銘々膳が運ばれてきた。持ってきたのは矢絣の和服をぎこちなく着込んだ少女だった。その後ろから女将が、丸いお盆にビール瓶を二本載せて持ってきた。「最初はビールで宜しいですか」応諾する前に銘々膳のコップを目掛けて女将がビール瓶の口を差出してきた。最初に宇多、次に土岐の順で注いで回る。「市松姐さんはもうすぐ来ますので。それに新内の勘太師匠と幇間の植吉さんにも声をかけました」それを聞いて宇多は満足そうな笑みを見せた。土岐は名前を聞いただけで高そうな平均年齢に気分が少し暗くなった。「さっきこちらの予約をとる電話で確かかもめさんも出払っていると言ってましたが、かもめさんというのは半玉さんの事すか」「いいえアルバイトの女の子の事です。大体女子大生が多いんですが。敷居を高くしてるという訳ではないんですが、きゃぴきゃぴしたキャバクラ感覚の子はお断りしているんですけど」暫くして高齢の三人が料理と共に現れた。浅黄の羽織に三味線を持っているのが新内の勘太師匠、五分刈りで兵児帯にネルの着流しが幇間の植吉、艶々の鬘の下に罅の入る程白いファンデーションを塗りたくっているのが市松姐さんだとすぐ分かった。平均年齢は優に七十歳を超えている様に見えた。「何か踊りましょうか」と市松が言う。間髪を入れず制限時間を気にしている土岐が言った。「お三方に先に話を伺えますか」それを宇多がコップを持つ手で制した。「まあ、かけつけ三杯で取敢えずビールで乾杯しましょう」先刻何かを伝える際に女将をおかあさんと呼んでいた少女を呼びつけて女将はコップを三つ持ってこさせた。芸人三人が土岐と宇多の前に正座しコップを持った手に女将がビールを注いで行った。「折角来られたんだからお得意の十八番でも見せて頂きましょうか」と宇多は三つ揃えのチョッキのボタンをはずしすっかり宴会気分になっていた。土岐は完全に酔いの回る前に話を聞きたかったがスポンサーの意向には逆らえなかった。最初に市松が勘太師匠の三味線でひと舞い見せた。鬘の若々しい艶と顔肌のぼろぼろのファンデーションの不釣合いが際立っていた。しかし扇子の手捌と蹴出の足運びは往年の華麗さを彷彿とさせた。次に植吉が藤八拳の様な滑稽な踊りを市松との掛合いで見せた。二時間が一区切りと聞いていたので土岐は残り時間を時計で絶えず確認していた。最後に勘太師匠が新内をしんみりと流し始めた。土岐は切出した。「お三方にお聞きします。今から五十年位前、この辺りで廣川弘毅という男が芸者遊びをしていて芸者の一人と懇ろになったらしいというんすが聞いた事ないすか」市松が聞いた。「その芸妓さんの名前は」「それが分りません」植吉が市松と顔を見合わせる。「お客さんの名前が広川コーキさんと分ってもお客さんはその頃五万といましたので。何か特徴でもあれば」「その頃多分総会屋をやっていた筈です。だから所謂普通の企業の接待の宴会とは違う雰囲気だったんじゃないかと思うんすが。廣川は接待される側で接待するのは大企業の総務部の社員で。これが顔写真です」と土岐は廣川のパスポート写真を出して女将に渡した。女将はそれを右端に座っていた勘太に渡し、勘太から市松、市松から植吉へ回覧された。最後に植吉が土岐にパスポートを返した。その間BGMの様に勘太の三味線がばち打たれていた。土岐がパスポートを内ポケットにしまった時勘太のばちが不意に止まった。「コーキ、ヒコーキ。ひょっとして、その広川さんのお相手は飛行機さんじゃないかな」市松が勘太の方に膝を向けた。「飛行機さんって郭公姐さんのこと?」植吉が市松に聞く。「何で郭公姐さんの事を飛行機って言うの」市松が植吉と土岐と宇多の顔を交互に見乍説明する。「幾つ位の時だったかしら。郭公姐さんが四十を過ぎた頃から物忘れが激しくなって、その内最後には自分の娘すら分からなくなって。今で言うアルツハイマーっていう病気だったのかしら。水戸街道沿いの二階の欄干から空を見上げては飛行機って呟く様になったのよ。それでいつしか若い芸妓たちがからかう様にして飛行機さんって郭公姐さんの事陰で呼ぶ様になったのよ」勘太がその話に参加してきた。「そう言えばあの郭公姐さんはとびきりのヘビースモーカーで両切りのピー缶を毎日ひと缶すっていて、今で言うCOPDだったんじゃないかな」「何?そのシーオーピーデーって」と植吉が聞く。勘太がばちで煙草を吸う仕草をした。「私もそうだけど煙草を吸いすぎてすぐ息切れがして普通に息をしているだけでもヒーヒ―音がして。私一度だけ郭公姐さんの飛行機と言うのを間近で聞いた事があるんだけどヒコーキと言う時に一瞬息を吸込んで、その時吸込んだ空気が喉で鳴った様なヒーという音がして、その後で深い溜息を吐く様にコーキと言っていた様な気がしたんだけど」土岐が口を挟んだ。「その郭公姐さんが空を見上げ乍弘毅と言ってたんすか」勘太が土岐の血相に上体を捩じる様にして少し身を引いた。「いや、そんな気がしたと言うだけで」追込む様に土岐が質問する。「郭公姐さんの名前は何と言うんすか」市松が答えた。「和子だから郭公にしたと当時置屋のお母さんが言ってました」「姓は」市松は首を捻った。土岐は市松を正面に見据えて言った。「中井和子じゃないすか」「そうそう中井さんだった。娘さんが小学校に上がった時胸の名札が確か中井だったわ。隅田川の土手の桜が満開で。その頃お座敷で一緒になった事があって娘さんの父親に報告の電話を初めてかけたら奥さんが出てきたとか。伝言を頼んだけどその後一切連絡がないから多分無視されたんだろうって悲しい様な情けない様な切ない様なそんな感じでぼやいてたわ」土岐はインサイダーで智子が仁美は飛行機が趣味だと言っていたのを思い出した。郭公姐さんと呼ばれた仁美の祖母が空を見上げ乍、飛行機と叫んでいたのを娘の愛子は聞いていたはずだ。その愛子が何かの折に仁美にその事を話したのかもしれない。幼児期のその記憶から仁美が飛行機に愛着を持ち、それを趣味にしたと考えられなくもない。隣の宇多が土岐に耳打ちした。「どういう事だ」カネを出す自分がツンボ桟敷に置かれている事が不満の様だった。土岐は慌てて説明を始めた。全員がそれに聞き入った。「中井和子の旦那が多分廣川だったんす。和子の一人娘の愛子は私生児で恐らく廣川の子だったんじゃないでしょうか。確証はありませんが。それを苦にしたのかどうか、それも含めた廣川の女遊びを苦にして正妻の圭子は自殺してます。そうであるとすれば愛子の娘の仁美は廣川の孫に当る。仁美は長田の孫でもある。この三人が茅場町で交錯して廣川は轢死体となった。現在痴呆状態にある愛子は全ての事情を知っている筈だが、そういう状態になったのは母親の和子からの遺伝という事になるのかも知れない。その事を廣川は知っていたのかどうか?いや多分知らなかったんじゃないだろうか。愛子が自分の子供である事を知ってれば廣川程の財力があれば仁美に何らかの援助はしてた筈だ」座が一遍で白けた。勘太が一同に聞いた。「郭公姐さんはどこの置屋だった」市松が答えた。「確か隅屋だったと思ったけど」女将がそれを補足した。「隅屋はこの間代替りしたばかり。先代のお母さんは一応引退した事になってるけどまだ隅屋にいる筈。連絡をとってみましょうか」女将が少し首を傾げ、土岐の顔を斜め目線で見た。土岐は呑みかけていたコップのビールを膳に戻した。「お願いします。できたら話を聞きたいんすが」「いればすぐ来ますよ。この裏なんだから」と言い乍女将は手を突いて席を立った。それから十分位して髪も化粧も堅気風の老女が現れた。和服の着こなしと立ち居振る舞いは素人には見えなかった。波屋の女将が紹介した。「隅屋さんの先代の徳子お母さんです。お話は玄関先で伝えておきました」土岐が早速質問した。「中井和子さんと廣川弘毅氏の事についてお話し頂けますか」徳子は辺りを見回し主賓と見立てた宇多に軽く会釈して話出した。「郭公姐さんは終戦から暫くしてこの街に来て最初についた旦那が廣川さんでした。廣川さんはとても遊び慣れた人でしたが薄情で酷薄な人で、それを見抜かれて、余計な事を言う様だけど廣川さんとは深入りはしない様にと先代のお母さんが年中説教してました。廣川さんはいつも接待される側で接待する人は入替わり立替わり、いろんな会社の方が来られました。廣川さんは自腹では一度も来られなかったと思います。ある頃からぴったりと来られなくなって、それと符牒を合わせる様に郭公姐さんが愛子ちゃんを生んで先代のお母さんは口を酸っぱくして父親に認知してもらう様に説得したんですけど結局愛子ちゃんは私生児として育てられる事になって、とっても可愛い子で郭公姐さんがお座敷に上がっている時は隅屋の茶の間でお勉強したりテレビ見ていたりして仲間のお姐さん達のペットみたいな感じで皆に可愛がられたんです。愛子ちゃんが中学を卒業する頃、愛嬌もあるし十人並み以上だし、芸者にしてみないって先代のお母さんが郭公姐さんに聞いたんですけど愛子ちゃんはその気があったけど郭公姐さんが断って、それで愛子ちゃんは高校に進学して卒業後地元のスーパーに就職して、その頃廣川さんが不意に現れて廣川さんの奥様のお兄さんだとかいう敦賀の住職と二人連れで、その時は廣川さんがぎこちなく接待してましたね。それから二、三年の間、年に一回位来る様になって愛子ちゃんが成人した頃、今度はその住職が一人で来られて、その時以来廣川さんは一度も見えてません。で住職さんが愛子ちゃんに縁談があるというので昼間隅屋のお座敷でお見合いしました。お相手が確か見城という方で、その住職の古い朋輩の息子さんだという事で見城さんのお父さんにとって住職の方は主筋にあたるとかで愛子ちゃんがその方と結婚してから郭公姐さんが少しずつおかしくなってお座敷に上がれない様な状態になって愛子ちゃんが引取ってから見城さんとうまくいかない様になったみたいで愛子ちゃんにはお子さんが居られたみたいでしたが離婚されて郭公姐さんのお葬式の後どうなったか愛子ちゃんともお会いしてないんで分りません。でも離婚したのは郭公姐さんの事だけじゃなくって愛子ちゃんの旦那の見城さんにも原因があったみたいで、一度だけ愛子ちゃんから聞いた事があったんだけど見城さんは競輪、競馬、競艇、マージャン、花札、チンチロリン、博打なら何でも好きで働くのは嫌いな怠け者で殆ど正業に就く事がなかったみたいで無頼の人で生活は愛子ちゃんのスーパーのパート店員の給与だけで。そうこうするうちに郭公姐さんも亡くなられて、私は廣川さんに連絡する様に愛子ちゃんに強く言ったんですけど、とうとう連絡もしないで。とっても寂しいお葬式でした。会葬者が十人位で」徳子は声を詰まらせた。座を湿っぽい沈黙が支配した。遠くの座敷から三味の音が微かに聞こえてきた。土岐がその沈黙を破った。「皆さん、中井愛子さんが船橋法典の特別養護老人ホームにおられるのをご存知すか」一同が揃って波打つ様に首を左右に振った。宇多が徳子に聞いた。「その中井愛子さんはご自分の父親が廣川氏だと知っていたんでしょうか」「さあ、当時はDNA鑑定なんていう便利な物はなかったし、郭公姐さんはとうとう最後迄父親の事は愛子ちゃんに言わなかったみたいだし」今度は土岐が徳子に聞いた。「和子さんはどうして父親の事を秘密にしていたんしょうか」「これは私の推測ですが廣川さんのご指名が頻繁にあった頃、一度吉野とかいう刑事さんと玉井とかいう刑事さんに呼ばれて廣川さんの事を根ほり葉ほり聞かれた様です」吉野と聞いて土岐の記憶に保木間の碁会所の片隅でグレーのジャージを着てサンダル履きで左手に弁当箱、右手に箸を持ってぶつぶつ呟いている皺だらけの老人が甦った。同時に玉井と聞いて船井ビル八階の玉井企画というレタリング文字のある事務室が思い出された。徳子の話は続いていた。「それ以来廣川さんが単なる御贔屓筋ではなくなったみたいで。吉野とかいう刑事さんと玉井とかいう刑事さんに何を聞かれたのか最後迄言わなかったけど、郭公さん、廣川さんからまたご指名があったわよって言うと一瞬顔を曇らせる事があるかと思うと、そのお座敷からの帰りは上機嫌で。アンビバレントって言うんですか?そういうの。だから自分は兎も角、愛子ちゃんには廣川さんと関係を持って貰いたくなかったんじゃないでしょうか?寧ろ廣川さんには認知して欲しくなかったのかも知れないですね」土岐の脳裏には焦点の合わない目をした愛子の顔が浮かんでいた。着ている物は紺のジャージに臙脂の薄汚れたちゃんちゃんこ。髪はぼさぼさでフケが砂を撒いた様に散らばっていた。確かな殺意があるとすると愛子の様にも思えたが見た限りでは実行犯の資格はない様に感じられた。廣川が向島から遠ざかったのは総会屋の表舞台から退場した時期に符合する。それを和子は廣川の心変わりと捉えたのかも知れない。会えない時間が次第に和子の憎しみを蓄積させて行ってついにそれが娘の愛子に相続され殺人へと暴発したのか?しかしあの痴呆状態の愛子にそれは不可能だと思える。あの魂が抜けた様な表情が演技であるとしたら完全犯罪になる。殺人を実行できる精神を持合わせていないという事が最大のアリバイになる。そこで規定の二時間が過ぎようとしていた。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月九日1 nomanomaさん 2022/04/08
    06:57

    十月九日 翌朝十時頃、前日書きあげた調査報告書の文書末の調査日誌と経費一覧に木曜日分を付加えた。それから加奈子に電話し昼頃訪問する事を伝えた。午前十一時に事務所を出た。田園調布に着いたのは十二時前だった。駅から廣川邸迄の風景にそれ程の変化はないとは思われるが土岐には紅葉の色づきで推量される時の移ろい以上の変化がある様に感じられた。加奈子は応接室のドアを開けて待っていた。加奈子が珈琲を持ってくる間に玄関脇の固定電話の重量を確認した。僅かに通常より重く感じられた。盗聴器はまだ仕込まれた儘の様だった。加奈子の珈琲を応接間のソファに腰掛けて迎えた。珈琲に手をつける前に土岐は調査報告書をショルダーバッグから取出して、クリアファイルごと加奈子に手渡した。加奈子が目を通している間に土岐は珈琲にミルクとグラニュー糖を落とした。スプーンでかき混ぜるとコンデンスミルクが白い渦を巻いて琥珀色の珈琲に沈み、茶色のミルク珈琲に豹変した。時折ダブルクリップでとめたA4の報告書を加奈子がめくる音がする。その音が幾度か繰返された後、速読した加奈子が顔をあげた。「数日中に結論が出るとなってますがいつ頃に」「早ければ来週早々にでも」「そうですか。それじゃ、結論の出た段階で宇多弁護士と打合わせして頂けますか」「その積りす。調査活動の依頼主が宇多弁護士に移った段階でこちらとの契約は終結という事で宜しいすか」「構いません。御苦労様でした。ではあと数日結論の出る迄お願いします」「今後は廣川氏の女性関係に絞りたいと思うんすが以前にもお聞きした事があるとは思いますが、アイテイの相田社長と開示情報の経理の松井さん以外に関係が有ったかも知れないと思われる女性を教えて頂けますか」加奈子はジャカード編みの利休鼠のプリントニットジャケットの腕を組んで床のアラベスク紋様のペルシャ絨毯に目を落とした。焦茶色のブロッキングレザーパンツの足を組んで右膝の上に組んだ左肘を乗せている。「あの人は私もそうだけど基本的に素人さんとは深い関係を持たなかったと思います。だから相田貞子も事務の松井さんもそれ程深い関係ではなくって仕事関係の延長線程度じゃなかったかと思います」「すると玄人筋ではどの辺で遊んでいたんすか」「随分と前の事で記憶が確かじゃないけど、私と出会う前迄は深い関係があったらしいのは川向うだけだったんじゃないかって所属してたクラブのチイママから聞いた事がある様な気がします。でもそれは廣川がまだ若い頃の話で五十年近く前の話で」「その川向こうというのは?」「隅田川の向こうで、向島の事です」
    ■廣川邸を辞すと土岐は田園調布から目黒線で三田に出た。三田から浅草線で押上で降り徒歩で北上して向島についた。言問橋東詰のコンビニの若い店長に置屋の所在を聞いた。置屋を知らない様だった。「オキヤって何屋さんですか」「芸者を斡旋する所すけど」「芸者?そんな人この街にいたんですか」土岐は聞込みを諦めた。地理的に芸者がこの店で買物をしてもよさそうだがどうも彼女らは私服以外ではコンビニには来ない様だ。水戸街道の交差点の交番で改めて聞いた。若い巡査が壁に貼ってある所轄内の地図を見乍答える。「ここから一番近い墨堤組合の組合長やってる置屋さんでいいですか」警官は地図を指でなぞる。そこだけ地図の印刷が擦れ落ちている。警官の説明を聞いて水戸街道と隅田川沿いの墨田公園に挟まれた南北に延びる街を白髯橋方向に北上した。警官が教えてくれた一方通行の狭い路地の左側に黒い板塀に囲まれた波家という仕舞屋風の木造家屋があった。塀の上から剪定で整えられた松の枝ぶりが見越せた。白木の木戸をするりと開けて土岐は人を呼出した。「今日は。どなたかおられますか」暫くして銀鼠の和服姿の引詰めの老女が出てきた。「はい何ですか」片膝を付けた姿勢にいかにも玄人という風情を漂わせている。「ちょっとお聞きしたい事がありまして。終戦直後の事なんすがこの辺で廣川弘毅という人が遊んでいたと思うんすがそのお相手をした人について聞きたいんすが。お分りになるしょうか」老女は土岐の顔をまじまじと見た。土岐が無表情でいると次第に呆れた様な顔に変貌した。「そういう事はお座敷できいて頂けますか?御座敷でしたら、どんな事にもお答えします」「しかし私馴染じゃないもんで」老女は洗顔料で洗った後、化粧水だけをしみ込ませた顔で土岐の黒い靴紐の付いた茶のスニーカーの爪先からカーキ色のチノパンとコーデュロイのジャケット迄見上げ、それから目線を足先に戻した。その目の移ろいを二回繰返した。「初見でも構いませんよ。昔はうるさかったんですけど。今は、予約さえして頂ければ」そう言い乍老女は帯の間から角のとれた小ぶりの名刺を人差指と中指で挟んで差出した。「こちらに予約を頂ければいつでも御座敷を用意いたします。お尋ねは広川コーキという人のお相手をした人ですね五十年位前の」土岐は渡された名刺を見た。波家という草書体の文字の上に松の枝がデザイン化され、下に川が描かれている。裏に電話番号と簡単なアクセス地図が描かれていた。「それじゃ、出直します」置屋で芸者を呼ぶと幾らかかるのか土岐は知らなかった。調査でカネのかかる時は宇多に頼むしかなかった。土岐は言問橋を渡り乍宇多に電話した。「いつもお世話になってます。土岐ですが宇多先生おられますか」嬌声に近い女の声が返ってきた。「あら土岐さん、お久しぶり。先生は今向かいのホテルでクライアントと面談中ですが、三十分位で戻ると思います。何かご伝言でも」「これからそちらに向かうので一時間以内には着くとそうお伝え下さい」土岐は水戸街道を隅田川沿いに南下し徒歩で浅草に向かった。都営浅草線の浅草駅迄置屋の波家から三十分近く要した。馬喰横山で新宿線に乗換えて九段下で降りた。九段下から靖国通りを靖国神社沿いに坂を登り武道館を左手に見て最初のT字路で横断歩道を渡り英国大使館方向に左折し三つ目の雑居ビルに入った。狭隘な階段を二階に上ると正面に宇多法律事務所と扉のすり硝子にレタリングされた部屋があった。ドアを開けて入ると小さな受付がある。気配を察し隣の部屋から賑やかな秘書が出てきた。「いらっしゃいませ。土岐さんお久しぶりですね。お顔を忘れる所でした」この秘書は宇多の御手つきだと見立てているので土岐は余り愛想良くしない様に努めている。「宇多先生戻りました?」「たった今。なんか計った様ですね」と言い乍秘書は受付脇の応接ルームに土岐を招じ入れる。「今お茶を持ってまいります」と言って部屋を出て行く。それと入替わりに宇多が現れた。深いグレーの三つ揃えが高級そうな生地で仕立てられたオーダーメードである事は土岐にも分かる。「貧乏暇なしだ」と溜息を吐いて転げ落ちる様に本革張りのソファに腰を落とす。土岐は静かに腰をおろし乍嫌みの様な自嘲をもらす。「貧乏の意味合いが、僕とは二ケタ程違いますけどね」宇多は土岐の言う事を無視する。「それでどう?佐藤加奈子の一件は」「ほぼ調査が終わりつつあります」宇多とは一歳しか違わないが力関係から宇多は土岐を見降ろす様に言う。「で勝てそう?」「多分」「でも警察は自殺で片づけたんでしょ?」「担当刑事は自殺と思ってない様です」「でも職務義務違反になるから、そんな事裁判で証言するわけないでしょ」「自殺の根拠は目撃証言でそれは間違いなく偽証です」そこに秘書がお茶を持って入ってきた。テーブルにお茶を置き乍屈み込んでパンティラインが浮かび上がる腰の辺りを宇多はじっと見つめている。「例の見城仁美とかいうOLね。で偽証をどうやって立証するの」「目撃者がもう一人いて、男子学生なんすが彼に仁美の証言が偽証である事を証言して貰います」「どうやって」「仁美の最初の証言は男子学生とほぼ同じなんすが後で自殺だと証言を変えたんす」「最初の証言の記録は残ってるの」「海野刑事が聞いてます」「でもその人自殺で調書をあげたんだからそんな事証言しないでしょ」「いえ大丈夫す。来年定年なんで僕と共同事務所を経営する事になってます。定年後に法廷に立って貰えると思います」「ちょっと待ってよ。裁判の開廷が来年に延びたらその事を相手の弁護士に突込まれるでしょ。共同事務所を立上げたらその海野刑事は利害関係者になっちゃうでしょ」「そうなれば共同事務所の経営は先延ばしにします。ここの事務所からの仕事をもっと回してくれれば海野刑事にとっては証言の励みになると思います」「それも結審してからね。でも一審の後でその事が相手の弁護士にばれない様にしないとね。上告期限後にしてもらわないとね」宇多はテーブルの上のシガレットケースを開けると葉巻を取出してライターで火を付けた。バニラの様な甘い香りが土岐の鼻先を擽る。宇多が煙を吐出す。「物証がないからもう少し状況証拠を積上げないとね。目撃者がいても自殺だと思う思わないでは水かけ論で警察が自殺で処理した事もあるし、保険会社相手ではまず勝てない」「USライフの顧問弁護士とはどういう話になってるんすか」土岐は宇多の表情を注視した。嘘をつく可能性があると踏んでいた。瞬時に姦計を巡らしているのが宇多の表情から滲出ている。「大野女史から聞いたのか?向こうは示談が成立しそうだと勝手に思込んでる様だが」「実際の所どうなんす」「こっちの手の内を見せる訳がないでしょ。向こうがそう思いたければそう思わせておくだけだ」と不愉快そうに言う。土岐にUSライフとの癒着の嫌疑をかけられた事に気づいた様だ。土岐の疑念が図星でない事を宇多は弁解する。「こちらはあんたと違って事務所経費や事務員の給与やら固定費が掛って大変なのよ。思わず知らず、そういう心掛かりが言動を曖昧にさせる事はあるけど筋はいつも通してるから心配しないで大丈夫」それを聞いて土岐は待っていたかの様に身を少し乗出した。「そこで今夜、証拠集めをしたいんすが付合って頂けますか」「また接待交際費のおねだり」「すいません。今回は幾ら用意していいか分らないんで」葉巻煙草の煙を吐出し乍宇多の顔色が少し渋目に変わった。「どこ」「向島す」「へえ、あんな所の馴染なの」「まさか。今日が初見です」「なんだ裏も返してないのに接待」「今夜宜しければ予約をとりますが」「残念乍今夜は他に何の予定もないので付合わざるを得ないな。まあ向島も一度位は行って見てもいいでしょう。銀座も新宿も六本木も飽き飽きしたし、じゃあ向かいの中華料理屋で腹ごしらえして一杯ひっかけてから行く事にするか」土岐はそこで貰った名刺を見乍波家に七時の予約の電話を入れた。五十年前の事を知っている人を座敷に呼んでくれる様に頼んだ。若い芸妓は不要とも伝えた。「そうですか。それは助かります。今日は金曜なんで若い子はかもめさんも出払ってて」昼間会った女将の声だった。九段上の中華料理店で夕食をとり乍これ迄の調査結果を宇多に説明した。二人で紹興酒の中瓶を一本空けてから向島に向かうタクシーに乗ったのは六時半前だった。七時丁度に急ブレーキと共に波家の玄関前に着いた。黒い三和土に二人で足を踏み入れると昼間会った女将が三つ指で迎えてくれた。「どうぞ」と言う。土岐はどうぞの意味が把握できずに戸惑った。「こちらで少し待つんすか」「いえお二人さんなら丁度いい部屋はここにもあります。それに芸妓をあげないと言われるんで、こちらの方がお安く遊べます。ただお料理はお隣からのお取寄せになりますが」と言い乍女将は宇多の承諾を得ようとしている。三つ揃えの宇多がスポンサーである事を既に見抜いていた。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月八日3 nomanomaさん 2022/04/08
    06:54

    「これに似た顔をどこかで見た覚えがあります。これ頂けますか」「ああやるよ」土岐は似顔絵を四つ折りにして、内ポケットに仕舞った。「その学生と仁美を対決させたらどうでしょ」「仁美がそうでないと言い張ればそれ迄だ」「母親の特養移転の経緯の線はどうでしょ」「有力ではあるが民事では民間保険会社に対して捜査権がない。警察の方では廣川は自殺で処理されてるんだ。養護医療保険を偽造したとすれば連番の契約書番号で偽造の証拠を掴めるかも知れんが向うはプロだ。時期的に都合のいい中途解約した番号を使えば偽造の証拠を掴むのは容易でない。民事で廣川の死を他殺とするには膨大な状況証拠を積上げるしかないだろう。それを裁判官がどういう心証で捉えるかだ。宇多弁護士は悪名高いから裁判官の心証はよくないだろうな」海野の宇多評に土岐は思わず頷いた。土岐は自分の推理を吐く。「現場から逃走した老人は長田の様な気がするんす。糸魚川の自宅には暫くいない様なので多分そうじゃないかと思うんす。彼が殺人犯でないとするなら真相を話してくれそうな気がするんすが」「なぜ逃げたかだ。名乗り出てもこない。仁美から何らかの情報は伝わってる筈だ。なんせ祖父と孫の関係なんだから」「仁美のアパートの家宅捜索をできないすかね」「あそこに長田がいる事は調べがついてる。しかし捜査令状はとれない」「任意同行はどうすか」「だから言っただろ。警察の方は自殺で一件落着してる。色んな事情はあるにせよ警察はそうしたいんだ。そういう意志がどこかで働いてるんだ」「玉井のルートすか」「玉井はとっくに定年退職してる。特暴連の大手町支部の支部長を務めてはいるが支部というのは消防団みたいなもんでNGOだ。そんな下っ端の意思じゃない。もっと上だ」「と言うとキャリア組の茅場署長の上という事すか」「何の証拠もないがな。俺の勘だ。組織には意思がある。女の素振りと同じで示された結果で意思を推測できる。廣川の事件は穿ればいくらでも穿れるが早々に上から自殺処理の意思が示された。俺みたいな末端のペイペイにはいかんともしがたい」「長瀬の口を割らせれば事件の大凡の輪郭が掴める様な気がするんすが」「どういう理由でしょっぴくんだ。長瀬はただの会計士じゃないぞ。監査法人の代表社員をやってた頃は日本を代表する一部上場企業と太いパイプを築きあげた。定年で個人事務所を開いてからは政界の大物の税理業務を一手に引受けてる。何社もの大企業の社外監査役もやってる。恐らく元衆議院議員の船井や八紘物産相談役の馬田の口利きだろうと思うが。本当の権力を握ってる奴らは表に出てこないんだ。俺にしたってお前にしたって奴らにしてみりゃ護摩の灰以下だ。しかも最近紫綬褒章の推薦を受けてる。推薦者は久邇頼道だ。しかも賛同者は馬田と船井だ。これだけの大物が推薦したとなると受章は間違いない。この夏内閣府賞勲局からの依頼で形式的な身辺調査をした。ばりばりの現役刑事はこんなガキの使いみたいな仕事はしないが俺は定年間際の警部補だからな。まあ相応な仕事ということなんだろ。長瀬の犯罪歴は駐車違反程度しかない。所轄の八丁堀の超高級マンションに数年前に引越してきて住んでるが初代のマンション管理組合理事長を務めたそうで住民の評価は高い。悪い噂は全くない」「何か突破口はないすか」「仁美しかないだろ。それに同居してる長田。俺はかみさんが居るから駄目だが、あんたチョンガーだろ。仁美は俺の好みではないが目撃者の男子学生がぞっこんみたいだったから蓼喰う虫も好き好きって事かな。あんた仁美を攻めてみたらどうだ」「そんな他人事みたいに。仕事と情は別す」「いやあそういう意味じゃない。偶々仕事と情が一致する事もあるだろうという意味だ」土岐は何となく割切れない思いだった。仕事の為に仕事以上に重要なものを犠牲にはできないという思いだった。海野は土岐に諭す様に言う。「何れにしても馬田、長瀬、玉井、船井の線はとてもじゃないが俺たち風情では太刀打ちできない。かりに真実が分かったとしても週刊誌ネタになる程度でひょっとしたら実行犯が検挙できるかも知れないが警察組織にとっては恐らくキャリア組にとっては何の手柄にもならん事案だ。実行犯はトカゲの尻尾で恐らく本陣には到達できないだろう。かりに本陣が見えたとしても全ては時効の筈だ。こういう事案は五年とか十年に一度お目にかかれるが大体いつも幕引は同じだ。うやむやの内に終わる」土岐は海野の話を半分聞き乍仁美に対する自分の感情を吟味していた。「仁美を落とすにしても彼女は剣もほろろでとりつく島がないんすよ」「そりゃそうだ。お前さん、相手を落とすには相手が一番欲しがってる物を与えなきゃだめだよ。あの子は物欲しげなそういう顔してる」「カネすか」「それもあるがお前さんにはないだろ」「じゃ僕には落とせないという事すか」「愛情だよ。これはカネに代え難い。彼女は愛してやるに値する。どんな女でもそうだ。誰だって愛してやるに値する。ただ一人の男が愛して落とせるのは一人の女だけだ。だから俺にはできない。しかしお前にはできる」土岐は生ビールの底を見つめた。もう一粒の気泡も浮かび上がってこない。土岐が思案していると海野が生ビールとおつまみを片づけ始めた。店は次第に混雑してきた。海野がお愛想をしたがっている雰囲気を土岐は感じ取った。「成功報酬が加奈子からいくらとれるか分からんが俺は協力するぞ」そう言って海野は立上がった。土岐は海野を信じる事にした。「これ迄の調査報告書を添付ファイルで海野さんのアドレスに送信しますのでそれを読んで見た上で後日コメント下さい」

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月八日2 nomanomaさん 2022/04/08
    06:53

    ■銀座線で日本橋で下車し株都に着いたのは六時少し前だった。店内を見回して海野がまだ来ていない事を確認し、出入口に一番近い席についた。二、三名の先客がいた。五十名以上は十分に収容できる店舗からすると閑散としていた。手持無沙汰の店員が早速オーダーを取りに来た。土岐は「相客が来る迄待ってくれ」と伝え手帳を広げた。手帳には関西と北陸での調査メモがはみ出しそうな程に書込まれていた。六時を少し回った所で海野が飄々と現れた。「よう」と人懐っこい様な馴れ馴れしい様な挨拶をする。初対面からそういう人間であった事を土岐は思い出していた。「ごぶさたしています」「どう?調査の方は」「混乱してます」「こっちはもう完全に片付いた。俺は今お宮さん担当だ」「コールドケースすか」「そう。緊急の初動捜査や人手の足りない時には駆出されるが今の所警察組織の威信をかける様な重大な事案がないんでそれ以外は昔の書類の閲覧だ。洟ぶく提燈で居眠りばかりしてる。定年迄あと半年もないから安楽死というか重要な事案は引摺らない様にとのお偉いさんの有難いご配慮だ」注文取りが来たので海野は前回と全く同じ物を注文した。土岐はどうでもよかったので海野に任せた。土岐は待ちきれない様に話出した。「仁美の証言で自殺に処理された様ですが偽証である事が証明できます」「ほう。それはたしたもんだ」と言い放って海野は土岐の説明を待っている。土岐は躊躇している。土岐の情報がUSライフの大野に筒抜けだとすれば民事で隠し玉として使えなくなる。「言ってもいんすが大野直子の話がちょっと気になってまして」「会ったのかあの色っぽいねえちゃんに」「彼女が言うには海野さんはUSライフの嘱託に内定したとか」「その事か。まあ内定は被雇用者が蹴っても企業側は損害賠償請求はできないという判例がある。彼女に対して俺が内定に承諾したと思わせる受答えをしたというのが正確な所だ」「と言う事は」「お前は人を見る目がないな。俺がこの年でなんで警部補だか全く理解してない。定年間際でいまだに警部補なんていう刑事はまずお目にかかれないぞ。懲罰的な意味合で警部補に留めおくというケースもあるが俺の場合は最後迄とうとう組織に馴染めなかったというケースだ。警察に入った頃から上司の意向には悉く反抗してきた。特に自分の手柄を立てようとする上司には徹底的に逆らった。部下のやった事を自分の手柄にして上役にアピールし出世を画策し、部下をどこ迄も利用し平気な面をしている奴を見ると反吐が出た。一将功成り万骨枯るだ。そういう俺がUSライフの様な組織に馴染むと思うか?嘱託であれ正社員であれ組織に属せば命令に従わなきゃならん。それにあのねえちゃんにUSライフの嘱託を了承したと思わせとけば、保険会社の情報も入手できる」土岐は聞き乍、幾度も納得した様に頷いた。「でどんな情報が入手できたんすか」「お前の情報と交換で話してやろう」そこで海野は運ばれてきた生ビールを一口飲み付出しに箸をつけた。「USライフとしては廣川が自殺であれば死亡保険金三千万を支払わないで済む。だから仁美を抱込む事は理解できない事ではないが、そのやり方が少し度を超えている。まず認知症の仁美の母親を費用の安い水上の山奥から仁美の自宅に近い船橋法典の地方自治体の第3セクターが運営する特養に移転させた。この時鼻薬を嗅がせて、地元の市議会議員に斡旋を依頼した人物がいる」「誰すか」「誰だと思う」海野はにやりと笑う。土岐はかぶりを振って生ビールのジョッキを口に運んだ。「長田すか」「あんなフ―テンにそんな政治力はない。船井だ。船井は今は建築士事務所を構えているが嘗て衆議院議員だった時の人脈が太く残ってる。船井は議員であり続けるよりこの人脈を使って公共事業の箱物行政を食い物にして私腹を肥やす事を選んだ。カネはUSライフから出てるが、その圧力は大株主から出てる」「大株主って、USライフは非上場じゃないすか?どうして分かったんすか」「非上場だが有価証券届出書提出会社だ。一億の社債を発行してるんで有価証券報告書を提出する義務がある。EDINETで閲覧したら大株主に八紘物産の名前があった。八紘物産からの圧力があって医療介護保険を捏造し中井愛子を被保険者とした保険契約を偽造した疑いがある。そうでなければ安月給の仁美に月額二十万近い特養の入所費用が支払えるはずがない。そういうリスクを冒して迄、仁美に偽証させるとなると三千万の死亡保険金の支払をけちるというストーリーがやや弱くなる。カネだけの問題じゃない。保険契約書偽造という罪を犯してる。ばれればUSライフは金融庁から何らかの行政処分を受ける。ダメージは三千万どころではないだろう。とすればそれ以上の何かがあるという事になる。廣川を自殺とする事で生じる三千万を超える何かが八紘物産絡みであるはずだ」土岐は海野の真剣な顔と生ビールの泡を交互に見つめていた。海野のシミやイボだらけの老醜に塗れた真面目な表情を凝視する事は土岐には耐えられなかった。土岐は切出した。「それじゃ、私の方からも決定的な情報を。仁美の目撃情報は物理的にあり得ないという結論す」「ほう」と海野はジョッキを傾ける。聞いてやるから言ってみろという様な風情だ。海野は顔を少し斜にして右耳を土岐の方に傾けている。「廣川を轢いた電車は五時三分発なんすがその時間に仁美が現場にいる事は不可能だった」「どうして」「同僚の双葉智子の証言では仁美は五時丁度に三光ビルにある会社の部屋を出ているんすが男の足で走っても五分以上かかるんす現場に到達するには」「だから五時三分発の電車に轢かれた現場を仁美は目撃できなかったという論法か」「そうす」「それはちょっと弱いな」「なんで」「ラッシュの時間帯のダイヤは平気で二、三分の遅れが出る。乗客が扉の締まる寸前でドアに駆込んで挟まれただけで数十秒の遅れが出る。それが何駅も続けば一、二分の遅れはざらだ。それだけじゃない。線路は一本しかないからダイヤの遅れは一番遅れた電車と同じになる。だからラッシュの時間帯には駅の電光掲示で次発の発車時刻は出さない事になってるんだ」「じゃ、その電車は遅れてたというんすか」「かも知れない。公判で覆される惧れがないとは言えない」「そうすか」土岐は肩を落として生ビールを喉に流込んだ。仕方なくもう一つの玉を出した。「それじゃ、こういうのはどうす。廣川が開示情報を郵送でなく手渡ししてた所があるんすが、その中の一つに八紘物産の第二総務部があります。さっきのUSライフの大株主の話と繋がりませんか」聞き乍海野は考込んだ。腕組をしているが腕が短く、しかも太いので組んだ腕が解けそうになっている。海野は自問自答する様に呟く。「現金授受の目的で開示情報を直接総務部に運んでいたとすればその関係を断つ為に廣川を殺害したか?いやそれはありえないな。他殺である事がばれればそのリスクは広告掲載費じゃおいつかないだろう。とすると総務部が自殺を偽装する為にUSライフに手を回したとすればその動機は何か?自らが手を染めてない他殺を隠す為に態々USライフに圧力をかける理由はなんだ」海野はおつまみにも生ビールにも手を出さずに考込んでいる。土岐は海野がUSライフに籠絡されていない事を信じて手の内を見せる事にした。「実は大手町の高層ビルの谷間に船井ビルという雑居ビルがあって、このビルに最近迄開示情報に広告を出し続けていた広告主の事務所があって一つは今話した八紘物産の第二総務部、それからビルのオーナーの船井の建築士事務所、もう一つは長瀬の会計士事務所、最後が海野さんの同業者だった玉井の玉井企画。こいつらを取調べれば事件の全貌が間違いなく明らかになると踏んでます。ただ今の所有無を言わせない様な証拠がないので直接調査する事をためらってます」そう土岐が言っても海野はまだ考込んでいる。土岐は手帳を広げて更に続けた。「ついでに言うとこのビルには八紘物産中興の祖と言われる馬田の事務所もあって、この馬田と船井と長瀬は其々海軍の兵学校、経理学校、機関学校に入学してるんすが三人共卒業してないんす。更に言うと廣川も陸軍予備士官学校に入学してるんすがこちらも卒業した形跡がありません。しかも廣川は入学した一年後に京都の清和家の書生となって松村という偽名で終戦を迎えてます」海野が目を細めてぽつりと言った。「一人でよく調べたな。俺が警察組織を使って調べた事と余り遜色がない」「余りと言うと」「廣川は陸軍中野学校に引抜かれたんだ。両親も兄弟もいなかった。余程予備士官学校の入学成績が良かったんだろうな。格好の人材だ」「と言う事は廣川はスパイだったんすか」「多分清和家の書生として潜込んだのは京都の清和家と東京の久邇家の日米和平工作を潰すのが目的だったんだろう。終戦間際の陸軍は徹底抗戦の方針で本土決戦を企ててた。和平推進派の清和家と久邇家は陸軍にマークされてた」「じゃ、その事が殺害の原因だったんすか」「六十年以上も前の話だ。どんな悪事も全て時効になってる。無関係とは思わないがそれが直接の原因だとしたら廣川はもっと早く殺されていただろう」二人の間に沈黙が訪れた。サラリーマン客が増えてきて酒場独特の喧騒が飛交い始めた。周囲の雑音が二人の黙考を際立たせた。「仁美の口を割らせる材料はないだろうか」と独り言の様に土岐が言うと海野が応じた。「もう一人の目撃証言が得られた。自殺で処理した後だったけどな。あんな安看板でも役に立った」土岐は海野の無精髭に包まれた口元を凝視した。海野はその口を徐に開いた。「男子学生だ。バイトの帰りだったと言ってる。親に内緒で大学さぼってやってたから、ずっと迷ってた。証言内容は仁美の最初の証言によく似てる。本人はエスカレータ脇の狭い乗車位置で壁に寄掛かってたそうだ。前日大酒飲んで二日酔いでバイトしたんで酷く疲れてたそうだ。前に老人二人が並んでた。人の流れはエスカレータを降りてホーム中央に向かうのでそこに人通りは殆どなかったそうだ。学生と老人の間に空間があった。学生は列を詰めて並んでいなかった。そこに電車が入線してくる警笛がした。その時小柄な男が学生と老人の間を擦抜けようとしてよろめいた。正確にはよろめいた様に見えた。学生はホームの端を歩いてた男が警笛に吃驚してホームの内側に歩く方向を変えた拍子にバランスを崩したんだろうと思ったそうだ。その直前に廣川が杖を手から滑らせて隣の老人がその杖を拾った瞬間、よろめいた男が廣川に接触し、ホーム前方に更によろめいた。隣の老人が杖を差出して廣川はそれを掴もうとしたが隣の老人が杖で突押す様な形でホームに転落した。学生は茫然とその情景を眺めていたが気付いた時には隣の老人もよろめいた男もいなくなっていて自分好みのOLが気が抜けた様にそこに立っていたそうだ。そのOLは騒然とするホームに立ち続け、ずっと携帯電話していたそうだ。俺の勘ではそのOLが仁美だ。学生に仁美の写真を見せたら似てるとの事だった」「そうするとそのよろめいた男が殺人犯という事すか」「それが事故だとすればもう一人の老人は逃走する必要はないはずだ。学生の記憶では廣川が落とした杖で線路に押出した様に見えたという事だ。その老人は普段誰も使用しない階段を駆上がって改札を出て行ったと駅員が証言している」「岡田という人すね」「そうだ。しかしよろめいた男の方は目撃されてない。少なくとも目撃者は他に現れてない。多分エスカレータの周りを一回りしてホームの反対側迄ゆっくり歩いて日比谷線の階段を上って行ったんだろう。ラッシュの時間帯じゃ誰も気付かない。ましてや人々は事故のあった日本橋寄りのホームに注意をとられてる。参考迄にこれがその男の似顔絵だ。学生は横顔しか見てないと言うので横顔の似顔絵になった。原画を縮小してある。原寸よりも縮小した方がリアリティがあるのが不思議だ」と海野は懐からB5に縮小された似顔絵のコピーを取出した。斜めにつんのめっている様な男の右の横顔がクロッキーで描かれていた。頬骨が突出て顎骨の鰓がはり、眼窩の窪んでいるのが特徴だ。玉蜀黍の様に細長い顔立ちを土岐はどこかで見た様な気がした。余りに顔が狭いので眼が顔に収まりきらず斜めに吊り上っている。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月八日1 nomanomaさん 2022/04/08
    06:51

    十月八日 翌朝インターネットでロチェスター大学を検索しホームページから問合せメールを書きポータルサイトの無料翻訳ソフトで英文に直し送信した。@ある殺人事件の捜査で昭和初期にロチェスター大学に留学していたヒデヒコ・セイワとマサミチ・クニの両氏について調べています。どの様な事でも結構ですので両氏に関する情報を提供して頂きたくお願い申しあげます。警視庁茅場署警部補モトハル・ウンノ@メール送信してから土岐は明日の金曜日に加奈子に提出する調査報告書の作成を始めた。書き終えてメーラーをオープンにした儘、昼食をとり乍、テレビのワイドショーを見ていると英文メールが届いた。ロチェスター大学からだった。早速メールを開いて、英文和訳ソフトで日本語に翻訳した。@モトハル・ウンノ警部補殿 お問合せの侯爵ヒデヒコ・セイワと侯爵マサミチ・クニの二人について1933年秋学期から1935年春学期迄の在籍が確認されました。但し二人共正規学生ではなく科目履修生としてリベラル・アーツの授業について単位認定されています。成績については個人情報に関する事項なので別途正規の手続きが必要です。授業以外の活動としては長老派のロチェスター教会に所属しキリスト教に改宗した上で日米の友好親睦団体の平和運動のボランティアをしていました。ロチェスター教会の故ジョーンズ牧師と深い親交がありました。ロチェスター大学人文学部事務局キャロル・ディーン@次に土岐はアメリカのウェッブサイト検索でロチェスター教会、ジョーンズ牧師のキーワードで検索してみた。4311件のヒットがあった。その中で人物伝と思われるサイトを開けて日本語翻訳ソフトにかけた。〈ドナルド・ジョーンズ:1888年~1955年:ハワイ州ホノルル生まれ。父リチャード・ジョーンズ、母スミコ・シマブクロ。ロチェスター大学人文学部卒。1933年にロチェスター教会の牧師となり太平洋戦争中に日米平和運動活動に挺身する。多くの日本人留学生をキリスト教に改宗させ彼らの帰国後は秘密結社を組織し、太平洋戦争の早期終結に多大の貢献を果たした〉この記事を読んで土岐は調査報告書に清和英彦と久邇政道を書き足した。報告書作成後、海野に電話し、日本橋の居酒屋株都で午後六時頃再会する約束をとりつけた。まだ三時前だったので廣川が戦後になって居を構えた台東区谷中清水町に行く事にした。
    ■蒲田から京浜東北線で上野で降り上野公園を突切って東京芸大前を通り、上野桜木沿い
    に言問通りに向かった。途中に郵便局があったので立ち寄る事にした。半地下の郵便局に

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月七日2 nomanomaさん 2022/04/08
    06:49

    ■香良洲で手帳に写した三重海軍航空隊同窓会事務所は田町から2駅先の新橋飲食店街の狭い路地裏の文房具店の中にあった。新生印刷というレタリング文字が入口の硝子面にプリントされている。アルミサッシの引戸を開けて店内に入るとリノリウムの床が一段高くなっていた。店舗面積は四十平米程で店の奥に二階に上がる階段が見えた。右手前にレジカウンターがあり、四、五十代の女性事務員が座っていた。土岐はおずおずと声をかけた。「こちら三重海軍航空隊の同窓会事務所でしょうか」中年の女性事務員は目を見開いて土岐の次の言葉を待っている。「こちら何かの同窓会の事務所になってますか」「すいません、ちょっと社長に聞いてみます」と言い乍事務員は内線電話をかけた。二階で椅子の軋む音がして、やがて階段を下りてくる足音が聞こえた。店の奥から六十前後の短髪の精悍そうな男が出てきた。「ご用件は」男は両手を前で組み揉んでいる。「こちらの住所が三重海軍航空隊の同窓会事務所という情報を香良洲で見たんすけど」「親父のやってたやつですね。もう殆どの方が亡くなられて親父が死んだ後は自然消滅の様な形になってるんじゃないでしょうか」「確か同窓会名簿はこちらで造られた筈すが」「ええ昭和の終わり迄は印刷屋だったんですが、パソコンのプリンターが普及しちゃって、今は文房具の出前で食べてます。社名変更すればいいんですが面倒臭いし、お金もかかるんで新生印刷の儘でやってます。和文タイピストにも辞めてもらって今は女房と二人で細々とやってます」と言い乍事務員を顎でしゃくる。この妻は夫を人前で社長と呼ぶ様だ。「同窓会の方でご存命の方をご存じないすか」「さあ存命かどうか分りませんが私が二十代の頃、同期のいろんな方がここに出入りしていたのを記憶してますが」同期と言う男の言葉に土岐が鋭く反応した。「公認会計士の方はいませんでしたか」「さあ。職業迄はちょっと。それから同窓会の方とは違うらしいんですが先々月でしたか古い会報誌のコピーをお持ちになってある記事を書いた方を知らないかと尋ねて来た方がいました」「それはどんな人すか」「ご老人でしたよ。八十は行ってたんじゃないでしょうか。記名の記事だったんで、この店にあった古い名簿でその記事を書いた方の住所を紹介したら、その住所ならもう確認した。その人はその住所にはもういないとかおっしゃってました」「どんな記事すか」「当時の教官の方が書かれたもので、終戦直前に三田という方が、事故か何かで亡くなられたのを悼むという様な記事でした」「三田法蔵すか」土岐は思わず大声を出していた。文房具屋の主人は足を一歩引いていた。「下の名前はちょっと。三田さんというのは確かだったと思います。この近所にそういう地名があるので良く覚えてます」「その老人は長田と名乗らなかったすか」「いえ名前はおっしゃらなかったと思います」土岐は手帳に挟んであった法蔵寺のスナップ写真のコピーを取出した。「この黒い法衣を着て数珠を持っている男ではなかったすか」「こんなに若くはなかったと思いますが」「これ、三、四十年前の物で」男は改めて写真を見直している。遠ざけたり近づけたりしている。「そう言われてみれば面影がありますね」そこに老婆が現れた。二階が自宅になっている様で長い昼寝でもしていたのか、ゴマ塩頭がぼさぼさだ。寝ぼけた様な眼で何事かと土岐の顔を胡散臭そうにじろじろ見ている。店主が声をかけた。「お母さん。三田法蔵って人のこと聞いた事ある?」老婆のしょぼついた目が一気に丸くなった。「聞いたことあるわよ。随分昔の話だけど」そう言い乍老婆は土岐に近寄ってくる。手の触れる距離だ。「昔は海軍の集まりに夫婦で良く参加したのよ。私のことKAって言うのよね。何の事かと思ったらかあちゃんとか、かみさんとかの略なんだって。暗号って程の事はないわよね」土岐が本筋から外れ出しそうな話の方向を修正した。「それで三田という人についてどんな話があったんすか」「とても優秀な人だったって皆そう言っていたわ。惜しい人をなくしたって。それも事故で。中には殺されたんじゃないかって言ってた人も」「なんで殺されたんすか」「嫉みじゃないかって。とっても隊長さんに可愛がられたそうよ。何でもお坊さんの出で。習慣でどうしても朝早く目が覚めてしまうんで何もやる事ないから小僧さんの時そうしていた様に便所や教室や廊下をたった一人で毎朝掃除してたそうよ。それを隊長さんが知って晩酌によく呼んだそうよ。山海の珍味を御馳走になった様で、それを同級生が妬んでグライダーに細工をしたんじゃないかって。皆さん殺人以外には考えられない事故だっておっしゃてました。でも終戦のごたごたでうやむやになってしまって」土岐は脇で頷き乍母親の話に聞き入っている息子に聞いた。「それでさっきの老人が尋ねた人は何という名前で」「なが、なが」「長瀬ですか」「そうです、確か長瀬でした」それを聞いて土岐は新橋駅に戻った。蒲田駅前で買い物をして事務所に帰着したのは七時頃だった。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月七日1 nomanomaさん 2022/04/08
    06:46

    十月七日 翌朝パソコンを立上げて、検索サイトで久邇商会の情報を改めてチェックした。会社概要では設立は昭和十九年で、東証第一部に上場したのは昭和四十四年になっている。主な業務は輸入高級ブランド品や貴金属の販売で、自社ブランドもいくつか持っている。IR情報によると大口の株主構成は信託口が五つ、都銀が二行、生損保が一社で、土岐の目を惹いたのは商社として八紘物産が入っている事だった。八紘物産経由での輸入品もあるとすれば資本関係があっても不思議はない。それから事務所を出て新橋から銀座線で虎ノ門で降り文科省前の交差点の交番で八紘物産の所在を確認した。アメリカ大使館前の桔梗会館五階の久邇商会本社受付で名刺を出して会長の久邇頼道に面会を求めた。大物の場合は予約を取らないのが土岐の流儀だ。事前予約では断られるのが普通だからだ。受付左の二十平米程の豪勢な応接室でかなり待たされた。50インチ程の液晶テレビがあり、それが見やすい位置にカウチソファが配置されている。枕に丁度よさそうな背クッションがあり、センターテーブルにはキャスターが付いていて、大きな抽斗と空洞になっている収納があった。応接空間と言うよりもリビング空間と言った方が相応しい。三人掛けのソファに腰を下ろした。体が深く沈んだ。やがてやってきたのはグレー地の三つ揃えを着たオールバックの中年男だった。土岐が受付嬢に渡した名刺を持っている。「大変お待たせしました。今会長は会議中でちょっと席を外せないので宜しければ代わりに私がご用件を伺います」と言い乍自分の名刺を出してアームチェアに深々と腰かけた。その男の肩書と名前は久邇商会株式会社秘書室次長井上孝雄となっている。土岐は早速、清和カードを切ってみた。「そうすか。実は会長さんの京都のお友達の清和俊彦さんの紹介で来ました」「あっ清和様のご紹介ですか」男の態度が豹変した。弛緩させ切って座っていた下半身が一瞬の内に硬直した。男は深く腰掛けていた腰を少し浮かせて前方に擦り出した。「でご用件は」「清和俊彦さんの御祖父さんと久邇会長の御祖父さんが刎頸の友であったと聞きまして、どういうご交際があったのかお聞きしたいと思いまして」秘書室次長は両手を膝の前で畏まって組み乍、少し首を捻る。「失礼ですがどういった類のお話でしょうか」「話せば長くなるんすが、廣川という元総会屋、別名松村という人物が戦時中京都の清和家の書生をしておりまして、当時の当主からの御使いで、こちらの先々代のご当主に頻繁に会われていた様なんすが、どういう用件だったのか、お話し願えればと思いまして」「戦時中?会長は戦後生まれですが」「ええ、それは存じ上げてます。仄聞の形で聞かれた事がないかどうかという事だけお聞かせ願えればという事す」男の首が捻られた儘元に戻らない。その儘の姿勢でボールペンでメモ用紙に土岐の用件を書込んでいる。「分りました。会議が終わり次第会長に尋ねてその結果をこちらの名刺のアドレスの方に送信させて頂きます。それで宜しいでしょうか」「分りました。それで結構す」土岐はそれ以上粘る気力が失せていた。
    ■早々に蒲田の事務所に帰宅した。その日の昼は事務所に籠って調査内容の整理に当った。陋屋ではあっても住慣れた我家で寛いだ気分になれた。しかし頭の中は聞取り情報が錯綜して混乱していた。二時過ぎに久邇商会からメールがあった。@土岐明様 お問合せの件についてご返答いたします。戦時中の久邇家当主の政道と清和家の交流については会長は全く存じ上げていないとの事です。但し当時執事をされていた宮島敦夫様のご子息がご健在との事なのでご連絡先をお知らせいたします。久邇商会秘書室次長井上孝雄@土岐はメールに記された番号にかけてみた。呼出音五回で携帯電話に転送された。更に五回呼出音が鳴って男の声が出てきた。「はい」「宮島さんすか」車のエンジン音が微かに聞こえた。「すいません。いま運転中なのですぐ掛け直します」数分して土岐の携帯電話が鳴った。「はい土岐す」「先程お電話を下さった方ですか」「そうす」「宮島ですがご用件はなんでしょう」「失礼すが宮島敦夫さんのご子息の方すか」「いいえ敦夫は祖父で私は孫に当たります。祖父は三十年程前に亡くなっておりますが」「それではお父様と連絡を取りたいんすが」返答がない。土岐は事情を説明した。「実は久邇頼道さんのご紹介で電話してます。戦時中の久邇家の事についてちょっとお伺いしたい事がありまして」「父は今入院しております」「面会できるしょうか」「ええ重篤ではないので」「病院はどちらしょうか」「再生会中央病院です」「と言うと田町の」「そうです」「お父様のお名前は」「吉昭といいます」「そうすか。これからお見舞いに伺いたいと思いますので、お伝え願えれば幸いす。土岐と申します」
    ■再生会中央病院は駅から東京タワー方向に1キロ程行った所にあった。受付で宮島よしあきという名前で照会すると病室を教えてくれた。消毒臭が鼻をついた。地下の売店で菓子折を買った。宮島吉昭の病室は四人部屋だった。宮島は右奥の窓際でテレビを見ていた。土岐はベッドの足元に立って自己紹介した。「失礼します。久邇頼道さんのご紹介でお見舞いに上がりました。土岐と申します」宮島は寝ぼけた様な目で上半身を肘の高さだけ起こし土岐を見上げた。目の焦点が定まっていない。「どちらのトキさんでしょうか」「すいません初対面です。先程御子息に電話した者すが。戦時中の久邇家と清和家の関係について伺いたくて参りました」と言い乍土岐は菓子折を宮島の枕元に置いた。先刻電話した宮島敦夫の孫から土岐の目の前にいる父親に連絡があったのかどうか、どうもはっきりしない。「どうも」と言い乍も宮島は警戒心を解いていない。息子から連絡がなかった様だ。「実は京都で清和俊彦さんにお会いして戦時中松村という書生が清和家の用事で幾度か東京の久邇家に伺ってるという話を聞きまして、その事についてちょっと伺いたいんすが」「戦時中ですか。私はまだ子供だったので詳しい事は」土岐はポケットから廣川のパスポートを出し写真を見せた。「これ四十代の時すが見覚えありませんか」手元が暗い様で宮島は頭の上の蛍光灯のスイッチを入れた。テレビを見ていた銀縁の眼鏡を外し目をパスポート写真に擦付ける様にして見ている。隣のベッドの黄色いカーテン越しに男の微かな呻き声が聞こえてきた。「まあ、その折畳の椅子におかけ下さい」土岐は窓際に立てかけてあった椅子を開いて腰かけた。上半身を腰迄起こした宮島と目線が合った。宮島は土岐の顔を一瞥した。「多分松村さんに違いないと思います。でもこのパスポートの名前は廣川となってますね」「多分松村は偽名だと思います。どうして偽名を使ってたのか分らないんすが、その松村が久邇家で何をしていたか分りますか」「さあ私は戦後になってから見かけただけで応接室の方で当主の政道様と話込んでいた様ですが庭の方から見かけただけなんで」「戦中でなく戦後すか」「昭和十五年生れなもんで戦時中にもお見かけした事はあったかも知れませんが松村さんの記憶があるのは戦後だけなんです」「どんな用事だったんしょうか」「さあ小学校に入るか入らないかという頃なので、唯怖そうなお兄さん達という印象がありました」「お兄さん達と言いますと」「松村さん一人だけを見かけた事はなかった様な気がします。いつも二、三人でいる所を見た様な記憶があります。これは噂ですが、その頃当主の政道様はGHQと関係があったらしいです。物資も食料も不足していた時代ですがそのせいか世間と比べると随分豊かな食生活をしてました。私もメイドインUSAの缶詰やらチョコレートやら、そのおこぼれを頂戴した口ですが」そう言い乍宮島は窓外に眼を泳がせる。「久邇マサミチさんと清和英彦さんはどういう関係なんすか」「久邇家と清和家とは遠い姻戚関係があると父から聞いてました。でもそれは江戸時代の話でその当時の当主同士が昵懇だったのは昭和初期、多分昭和八、九年頃に同じアメリカの大学に留学していて、その時に非常に仲良くなったという様な話を聞いてます」「戦時中両家の間で書生を使いに出す用件について何か心当たりはないすか」「これは私の想像ですが戦後父から二人ともアメリカ留学中にクリスチャンになったらしいという様な話を聞いた事があります。二人とも秘密にしていたみたいですがひょっとしたらそれと何かの関係があるのかも知れないです」「アメリカの大学名は分りますか」「ジェーン・エアというイギリスの小説があってそれが映画化されて戦後上映されたんですが、その映画でオーソン・ウエルズが演じていた主人公の名前と同じ大学で」「ロチェスター卿ですか」と土岐が助け船を出した。「そうです。ロチェスター大学の同窓だったそうです。そのロチェスター大学行きを父が政道様と英彦様に頼まれたそうですが当時の両家の当主が執事を引連れてアメリカに行ったら政道様も英彦様も独り立ちできないだろうと判断されてお二人だけで留学されたそうです。尤も父は英語がからきしできなかったから掃除洗濯の手間は省けたかもしれませんが買物も自動車の運転もできなかったのでお二人にとって却って足手纏いになっていたかも知れません。結局お二人は大学の寮ではなくて大学病院の法医学の教授になっていた台湾出身の方の邸宅に居候してたそうです。日本語が自由に使えたから多分何の不自由もなかったでしょう」そう言って宮島は力なく笑った。背後で高いトーンの咳払いがした。振り向くと造り笑顔の看護師が立っていた。「すいません。もうすぐ夕食の用意が始まるので面会は終了です」

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月六日2 nomanomaさん 2022/04/07
    14:33

    ■JR紀勢本線で高茶屋から津乗換えで近鉄名阪乙特急で近鉄名古屋に着き名鉄名古屋から神宮前に着いたのは丁度四時だった。駅から徒歩三分程度で東門の鳥居に辿り着いたが、そこから本宮迄は玉砂利に足をとられて十分近くを要した。夕暮れ前で晩秋間近の日差が弱々しく社の森に漂い、ほの暗い黄昏が木々から零れる秋の空を稠密に埋め始めていた。本宮前の五、六段の広い石段の中央で焦茶のベレー帽を被り後ろ姿でじっと拝礼し続けている老人がいた。土岐は背中から声をかけた。「失礼すが堀田さんすか」振返ると柔らかそうな銀髪が二、三本額に乱れ、黒縁の眼鏡の奥から焦点を合わせる様に土岐の顔を捉えようとしている小さな眼があった。「トキさんですか?」「はい」「態々東京からご足労です。今香良洲から来られたとか」「ええ英霊を懇ろに弔ってきました」「そうですか。私は近くに住んでるんですけど最近は殆ど香良洲には行かないですね。もう同期の殆どが物故した事もあるし」堀田は本宮に一礼すると踵を返して木漏れ日の中を南に向かって歩き始めた。「お帰りはJR?それとも地下鉄で」堀田の言葉には境内で聞くせいか言霊の様な静謐さが感じられる。「新幹線で東京に帰りますので、どちらでも」「今東門から来たんですか」「そうす」「それじゃ西門から出ますか。地下鉄があります」堀田はややO脚気味の矍鑠とした足取りで玉砂利を踏みしめて行く。土岐は左斜め後方から堀田の横顔を窺う様に質問した。「三田法蔵を御存知すよね」「彼の事は第五班のみならず隊員全てが知ってる」「八月十四日に殉職された事今日知りました。その状況はどうだったんしょうか」「ワイヤーのフックが外れずグライダーが滑走路に叩きつけられて即死だった」「事故だったんしょうか」「事故とは考えられない。自殺か他殺だ」「自殺?」「まあ他殺でなければ自殺という事だ。フックをはずすのは本人だからフックに異常がなかったとすれば自殺。心神喪失状態になっていたとすれば事故だろうが」「他殺だとしたら誰が犯人しょうか」「隊員全員が彼に嫉妬していたから嫉妬が動機だとしたら隊員全員が容疑者だ。惚れ惚れする様な美男子でラブレターがよく来てた。それがよく盗まれたらしい。彼は全く気にしていなかった様だが。それに手先信号、航海術、空中航法、滑空機操縦術、飛行機基本操縦術、航空術、運用術、見張術、六十年たった今でも教科を覚えている。記憶は鮮明だ。戦後のぬるま湯の様な人生は薄いベールの掛った様な記憶しかない。彼は何をやらせても満点をとった。それに特攻志願のアンケートを教官がとった時、彼は何の躊躇もなく真先に志願すると答えた。何の迷いもなく特攻志願する者等本当は一人もいなかった。特攻志願すれば間違いなく戦死する。故郷にも帰れないし両親や兄弟にも恋人にも永遠に会えなくなる。心中では誰もが特攻に志願したくなかったが、それでも一人も特攻を志願しないと答えた者はいなかった」「三田は自殺したという可能性もあるんすか」「俺はひょっとしたらと思ってる。嫉妬だけでは殺す動機としては弱い。それに予備学生がグライダーに細工するのは物理的に困難だ。歩哨の不寝番もいるし士官はともかく学生が用もないのにグライダーの近くをうろうろしてたら咎められる」「教官が容疑者の可能性はないすか?例えば長瀬啓志とか」「動機が見当らない。彼はどの教官からも好かれてた。どんな問題を出しても満点をとる生徒というのは教官冥利に尽きるんじゃないだろうか?誰しもが三田は天才的だと評していたが俺はそうは見ていなかった。彼は夜中自転車から懐中電灯を取外してハンモックの中で毛布を被って勉強してたんだ。寝る前に水を飲みすぎて夜中、偶々便所に起きた時に見かけた。朝が白けてくると彼は廊下や便所の掃除を始めてた。だから殆どの隊員は彼が真夜中ハンモックの中で勉強してた事を知らないはずだ」右手に築地塀が見えてきた。信長塀と呼ばれているという説明書きがある。「三田は眠くはなかったんですかね」「彼は良く昼休みに居眠りしてた。他の隊員はお喋りしたり手紙の読み書きをしていたが彼だけは別だった。話が合わなかったという事もある。早稲田や慶応の学生はご飯の中にコクゾウムシが入っていると気持ち悪くて食えないと言って指でご飯茶わんから摘み出して食べなかったが彼はコクゾウムシは米しか食べていないからコメと同じだと言って喜んで食べてた。入隊して余りに激しい訓練で疲れきって食欲をなくし、げっそりと痩せてしまった者が多かった中で彼だけが逞しくなって行った。俺は彼は天才ではないと見てた。類稀な努力家だと考えてた。それが分ったのは彼が死んで遺品の整理をしてた時だ。ハンモックの中から錆びた縫針が出てきた。縫針としては使い物にならない程錆びていたので最初は何で彼のハンモックに錆びた縫針があったのか分らなかったが、少し血の臭いがしたのと湯灌した時に彼の体中に赤い点々が無数にあったので彼が縫針で自分の体を刺していた事が分かった」「リストカットみたいなものすか」「いや違う。眠気覚ましだ。多分真夜中ハンモックの中で勉強している時に眠気に襲われると自分の体を縫針で刺していたんだと思う」「でも何でそれ程迄していい点をとろうとしたんしょう」「教官が学徒兵のモチベーションを高める目的で飛行機が殆どないので成績の良い者から特攻させると言ったからじゃないだろうか。彼は一番になりたかったんだ」右手前方に大楠が見えてきた。説明書きに弘法大師が植えたとある。「でも殆どの人は特攻に行きたくなかったんすよね」「だから彼の優秀さが際立ったんだ。皆うっかり一番になったら特攻に行かなければならないと思ってた。勉学に身が入らなかった。勉学の手を多少ぬいても後ろめたい気持ちにはならなかった」「でも三田はなんでそんなに特攻に行きたかったんしょうか」「奴とは一度酒を飲み乍本音を語合った事がある。禁句ではあったが彼はこの戦争は間違いなく負けると言っていた。それを聞いた時、一瞬辺りを見回した。特高を心配したんだが軍隊には密告者はいても特高のいる訳がない。飛ぶ飛行機もないのに勝てる訳がないとも言ってた。嘆きと言うよりも冷静な判断だったと思う。作戦参謀が特攻を作戦として取上げた時点で負けた様なものだとも言ってた。この物言いには多少、作戦参謀に対する怒気が込められてた。優秀なパイロットから順に死んでったら空中戦で勝てる訳がない。山本大将も言っておられたが近代戦で制空権をとられたら勝ち目はないとも言ってた。それじゃ特攻は犬死かと彼に聞いたら、いやアメリカに二度と日本とは戦争をしたくないと思わせる効果がある。八月十四日には日本が無条件降伏をするらしいという噂が流れてた。誰もが戦争が終わって晴々した様な気持ちになろうとしてたが彼は逆だったのかも知れない。彼の気持ちを推し量る事はできないが平和になる事を悲観して自殺したのかも知れない。あの時彼が生きてた目的は特攻にあった。終戦でその目的が失われる。だから生きてる意味がなくなったのか。ようわからん」柄杓が並ぶ手水舎の脇の鳥居を潜って右手に折れると、西門の鳥居が見えてきた。西門の鳥居を潜る頃には、つるべ落としの陽はとっぷりと暮れていた。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月六日1 nomanomaさん 2022/04/07
    14:31

    十月六日 翌朝九時半頃にチェックアウトを済ませてバスに乗って浄土大学に向かった。浄土大学は北大路通と千本通の交差点近くにあった。土岐は広大な正門前で守衛に聞いた。「すいません。戦前の専門学校当時の同窓会名簿を閲覧したいんすが」守衛は口に手を当て暫く考えた。「それでしたら交差点の斜向かいのあの丸いビルに同窓会の事務室がありますんでそこでお尋ね頂けますか」警察官に似た身なりの守衛の指さす方角を見ると正面が全面硝子張りの丸いショールームの様なビルが見えた。硝子にどんよりとした曇空が映っていた。交差点を渡りビルの中に入った。吹抜けのエントランスに受付があり丸い窓口を覗込むと還暦に近そうな丸顔の婦人が奥の机に座って地方新聞を読んでいた。「すいません、ちょっとお尋ねしたいんすが」婦人は老眼鏡を外して首だけ捻って土岐を認めると若草色のカーディガンのボタンを一つ留め乍立ち上がった。「はい」と柔らかな上目使いで土岐の前に来た。腰が少し曲がっている。「戦前の事で恐縮なんすが専門学校当時の同窓会名簿はこちらにあるしょうか」「あります」「一寸閲覧させて貰えないしょうか」「どうぞ」と婦人は受付から出て土岐を受付脇の別室に案内した。十畳程の資料室の様だった。窓外に裏庭があり壁の両面に書架と書類棚があった。ドアの手前と中央の机の上には未整理の資料の類が足の踏み場もない程に乱雑に山積みになっていた。「あの辺が専門学校当時の同窓会名簿どす」と言って婦人は窓際の一番上の書架を指差した。二段の踏台をその下に置いた。「ごゆっくりご覧下さい」と言い残して部屋を出て行った。校風なのか土岐に誰何すらしない。法蔵が専門学校に入学したのが昭和十八年頃とすれば二年間の修学期間を終えずに戦死したとすれば昭和二十年度頃の卒業者名簿に物故者として掲載されている筈だった。しかし昭和二十年度の同窓会名簿は存在しなかった。終戦直後の混乱や紙資源不足で卒業者名簿どころではなかったのかも知れない。昭和二十一年度の同窓会名簿を見ると百数十名の名前の中に下に括弧書で戦死という記述の者が多く散見された。あいうえお順に辿って行くとマ行に三田法蔵:三重海軍航空隊入隊:戦死という記載があった。ついでに昭和二十二年度の卒業生名簿を見るとア行に長田賢蔵:中途退学という注記があった。一般的に卒業生名簿には在学中に死亡した者や退学した者の名前は記載されないが制作したのが仏教系の同窓会のせいか、茶に変色した模造紙の名簿には入学者全員が載っていた。土岐は資料室を出ると隣のパソコンルームで久邇頼道の会社の住所を調べた。久邇商会という一部上場企業の本社は虎ノ門にあった。住所と電話番号をメモした。ついでに三重海軍航空隊と打込んで検索すると、記念館のホームページが出てきた。火曜日の開館を確認した。東京に戻る途中下車で津市香良洲の三重海軍航空隊址の記念館に立寄る事にした。
    ■十一時前の新幹線のぞみで、名古屋に着き十一時半過ぎの快速みえで津で紀勢本線に乗換え十三時前に高茶屋に着いた。駅員に聞くと香良洲迄は徒歩で四十五分との事だった。土岐は手元不如意で少し躊躇したが、タクシーで行く事にした。十数分で記念館に着いた。三田法蔵とは何者かという思いが、土岐を地の果ての様な松原に導いた。海の近くだった。潮の香りが鼻腔を掠めた。眼前に拡がるのは何もない松林だった。砂地に基地跡の碑が建っているだけだった。近くに二階建の記念館のあるのが眼に入った。入館してみると記帳台があり入口に老女が座っていた。土岐は本名を記帳した。その右に般若心経の写経台があり千円の写経を納める箱と献金箱があった。その傍らに線香が積まれていて一束五百円で脇に入金箱があった。館内には所狭しと海軍航空基地の記念品が展示されていた。最初に掲示されていたのは沿革だった。軍服、制帽、武運長久と大書された日の丸の寄書き、海軍機上練習機白菊の主翼とプロペラの残骸、水上特攻ボート震洋のエンジンとスクリューの残骸、ゼロ式戦闘機の残骸、戦艦・駆逐艦・巡洋艦のプラスチック模型、航空戦の絵画、軍靴、新聞の切抜、集合写真、手紙等の遺品、遺影、遺書等が硝子ケースの中に展示されていた。特攻隊員が家族や恋人にあてた手紙を読んでいると土岐の胸に込上げてくる物があった。展示物の多くには寄贈者の名前が小さく書かれていた。展示物の一つに軍刀があった。土岐は寄贈者の名前を見て体が硬直し、その場から動けなくなった。寄贈者名は長瀬啓志となっていた。寄贈の日付は昨年になっていた。土岐は一階の入口に座っていた老女に聞いた。「そこの軍刀を寄贈した長瀬という人について何か分かる事ありますか」管理人らしい老女は椅子から立上がり、土岐が指さした軍刀の前に立った。「ご家族の方ですか?この方には最近になって大変お世話になっていて去年多額の寄付もして貰いましたし館の運営にもアドバイスを貰いました。維持費が大変だろうからこれを売りなさいって」と言い乍写経セットと線香を見せてくれた。「名簿に記載があると思いますよ」老女が事務所の奥から持ってきたタイプ印刷の古い名簿で索引を引くと長瀬の名前があった。肩書と記載を見ると海軍中尉・海軍手先信号法教官・昭和二十年七月着任とあった。土岐が蒲田の事務所でインターネットとeメールで調べた限りでは長瀬は昭和十八年に旧制神奈川中学校を卒業して海軍経理学校普通科練習生となったがそこを卒業していない。三重海軍航空隊に教官として昭和二十年七月に赴任する迄の履歴は不明だ。しかし、これで三田との接点は確認できた。だが廣川との接点がまだ見えてこない。三田とどういう接点があったのか具体的には分らない。ついでに経年自然劣化の激しい同じ名簿で三田法蔵を検索した。肩書と記載は甲種飛行予科第十五期前期練習生・昭和十九年九月十五日入隊・昭和二十年八月十四日殉職とあった。土岐が聞いてきた情報では三田は特攻死のはずだった。殉職というのはどういう事なのか。土岐は老女に名簿を見せ乍聞いてみた。「この三田法蔵という人は昭和二十年に殉職となってますが特攻とは違うんすか」老女は土岐が開いた名簿を白髪の混じる眉根に皺を寄せて覗込んだ。「昭和二十年八月にはこの航空隊には飛行機は一機もなかったのよ。殉職というのは戦闘機がなくってグライダーで飛行訓練していた時だと十五期の会報誌に書いてあったわね。グライダーは本来、飛行機に牽引されて上空で切離されて、あとは滑空だけで滑走路に戻ってくるんだけど当時牽引する飛行機もなくてグライダーの練習はグライダーをワイヤーでウインチで引張って浮上がった頃にワイヤーのフックを切離して滑空する事をしていたらしいんだけど、そのフックが外れなくなってその儘地面に叩付けられて殉職したと十五期の人に聞いた事があるわ。死ぬには惜しいとても優秀な方だったらしいですよ。戦後に三田が生きていればと、ここに来られたどなたもおっしゃってましたね」そう言って老女は入口脇の椅子に戻って腰を下ろした。土岐はワープロ印字の名簿の三田の同期で同じ第五班の名簿の中から存命の三名の連絡先を手帳に写した。其々鳥取の自営業で薬屋を営んでいる者、仙台の木材商で有限会社の社長になっている者、名古屋の熱田で無職の者だった。他の班員は悉く物故していた。最後に奥付を手帳に写した。同窓会事務所は新橋にあり住所は新生印刷株式会社と同じだった。「そう言えば先々月も三田さんの事を聞きに来られた方がいたわ。まだ蝉が鳴いていた頃だったと思うけど」土岐は誰何せずにはいられなかった。「どんな人した」「ご高齢でしたよ。会報誌の記事を読んで滂沱の涙を流されてコピーを取ってゆかれました。記事に記録者の名前があったのでその名前で名簿で住所を探されてメモを取って行かれました」「その人、記帳したしょうね」「普通の人は入館すると必ず記帳するけど、若い人は冷やかし半分で入館するので中には記帳しない人もいますよ」「先々月のいつ頃すか」「八月末だったと思います」「曜日は分りますか」老女は考込んだ。腕組みをして首を振っている。「すいてたので土日ではないと思うんですが」「すいません、閲覧させて貰えますか」「記帳をですか」なんの為にと言いたげに老女は「どっこいしょ」と掛声を出して億劫そうに立上がり事務室の奥の書類棚から横長の記帳ノートを出してきた。表に黒いサインペンで八月分と書いてある。土岐はそれを受取ると八月三十一日分から記帳された名前に目を通して行った。達筆、悪筆、乱筆、速筆、蚯蚓ののたうち、金釘文字、右上がり、掠れ文字、はみ出し文字、豆文字、様々な署名が並んでいる。その中の一行に土岐の目は釘付になった。長田賢蔵という署名は他の署名と比較すると老獪さが際立っていた。決してうまい字ではなかった。土岐はその署名を老女に指し示した。「この長田という人に記憶はないですか」「さあ会報誌のコピーを取った人の名前ですか」土岐は手帳を出し挟んであった法蔵寺で借りてコピーをとった写真を見せた。「この黒い法衣を着て数珠を持った人じゃなかったすか」「随分お若く見えますが」「ええ三、四十年前の写真す」「そう言われてみればそうだった様な気がしない事もない様な」土岐は記帳ノートを老女に返した。老女はそれを元の書類棚に戻し、入口脇の椅子に座りなおした。老女の傍らに山積みになっている線香の束には飛魂香という名前がついていた。土岐はその線香を買い、火をつけて英霊に手向けた。線香の香りが鼻腔の奥に拡がって行った。特攻者名簿に手を合わせ、その記念館を出た。松風がうるさい程に鳴いていた。土岐の体全体が焦げつく様な熱に包まれた。突然眼の奥に熱く込上げてくる物を感じた。松林の向こうの青い海と白い雲の風景が次第に歪んできた。目に溢れた滴がぽつんと落ち砂地にゆっくりと染込んで行った。海で行止まりになっている広い道路の真中で三田と同期第五班の名古屋在住で無職の堀田という老人に電話をかけた。呼出音六回で出てきた。「堀田さんすか」「はあ」「突然のお電話失礼します。私、東京から来ました土岐と申します。戦時中三重海軍航空隊で殉職された三田さんについてちょっと調べてる者なんすが、お会いしてお話できないしょうか」「今は年金暮らしだから時間は幾らでもありますが」「実は今香良洲におりまして、これから名古屋に向かいますので四時前頃にはそちらに着くかと思うんすが」「それじゃ四時すぎに熱田神宮の本宮前でいかがですか」

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月五日2 nomanomaさん 2022/04/07
    14:29

    ■秋の彼岸も終わり寂しげな店先だった。花立てを店の中にしまい、店内に動きまわるスペースがない様に見えた。半分照明が落とされていた。土岐は草花の青臭い匂を鼻腔に感じ乍大渕花卉店と金文字で書かれている硝子扉を開けて店の外から声をかけた。「今晩は。どなたかおられますか」三十前後の女が座った儘店の奥の茶の間に続く引戸を開けて首だけ出した。「はあなんどすか」「そこの智恩寺で聞いてきたんすがこちらに八十位の御隠居さんがおられるそうで」女は細面の一重瞼の紅いおちょぼ口で言う。「へえ智恩寺はんで。大隠居ならここにおりますが」「夜分すいませんが少しお話を伺えませんしょうか」と言う声を聞いて鰓の張った銀髪の老人が女が引戸に掛けた手の下から皺だらけの顔を出した。眠そうに見えるが瞼が垂れ下がっているだけの様だ。「智恩寺はんがなんどすか」「ちょっと戦時中の事でお聞きしたい事がありまして」と土岐が言うと老人は耳に右手を添えて猫の様に左手で手招きした。土岐は低頭し乍黒い強化プラスティックの花立てを掻分けて店の奥に入った。菊花の謹厳な生々しい香りが鼻をついた。「東京の方どすか?まあお茶でもどうどうすか」土岐が茶の間を伺うと先刻の女がベージュのスラックスの小股を切上げて立ち茶箪笥から湯呑を取出していた。老人に招かれる儘に土岐は茶の間の磨り減った畳の縁に腰かけた。「ちょっと事情がありまして戦時中に智恩寺にいた三田法蔵さんについて調べてます」「三田法蔵」「ご存知すか」「ご存じも何も法さんと家のかみさんを奪合ったのよ。まあ男のわいも惚れ惚れする様ないい男はんやった。おまけに勉強がようでけた。それが海軍予備生徒に合格して詰襟の第二種軍装の純白の軍服で来たもんだからうちのかみさんはイチコロよ。それだけじゃない。街中を歩くだけで若い娘たちが遠巻きにきゃあきゃあゆうとった。今でゆうアイドルやった」女が土岐の前の畳の上にお茶受けを置き、その上の茶碗に急須を傾けた。「へえ。おじいはん、そんな話初めて聞くわぁ」老人は得意げに話を続ける。「智恩寺の檀家総代に江戸の御代に庄屋様だったお宅があってそこの旦那はんに頼まれてわいがほの字だった娘の家庭教師に法蔵を紹介したのよ。そしたらそこの若奥はんと法蔵がでけてしもうて旦那はんにばれる寸前で海軍に行ったからよかったものの。わいは娘の方が目当てだったから密会の茶屋の手引したり、あれやこれや、やったもんよ」「長田賢蔵という人も智恩寺に一緒におられたと思うんすが」「ああ賢蔵はんね。まあ法蔵と比べると影の薄い人やったけど還俗されはって戦後もずうっとこの界隈に貴金属やら骨董の行商に来られはっとったな、一時期やったけど」「それから向かいの駐車場に住んでおられた廣川さんは御存じないすか」「弘毅はんね。文学好きな人やった。いつも円本や岩波文庫ポケットに隠して持たれて」「作家の塔頭哲斗はどうすか?そこの禅宗の清浄寺の小僧でいたそうすが」「そうらしいのう。当時は知らなんだ。本名は確か舘鉄人どしたな。あのお寺は別の花屋が出入りになっとるんで清浄寺とは近こうおますけどあんまり縁がのうて。戦後ようカストリを一緒に呑んだのは弘毅はんと賢蔵はんと、ほんのいっ時やったけど、いや弘毅はんはひと月位しかいなはらへんかったから賢蔵はんとは一緒に呑まへんかったかも知れまへんな。法蔵とはついに一度も呑まなんだな。ひょっとしたら塔頭哲斗とも一度か二度一緒に呑んだ事あったかも知れまへんなあ。あの当時は若かったし、無茶苦茶やっとったし、いつも一人か二人弘毅はんか賢蔵はんのお友達がおったわ」左目が白内障の様だった。入れ歯が齟齬をきたし言葉つきも怪しい。しかし記憶は鮮明の様だった。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月五日1 nomanomaさん 2022/04/07
    14:23

    十月五日 翌朝午前十一時半の特急はくたかで富山迄行き、富山で三十分余りの待合せで特急しらさぎに乗継いで敦賀迄行く事にした。時間が余っていたので駅前の観光案内看板を見て乏しい観光資源の中から駅に近い一の宮にある相馬御風記念館で時間をつぶす事にした。表の固定看板に月曜日休館とあったが、その日は別の日の振替えで偶々開いていた。時間を潰し乍土岐は自分の無知を知らされた。早稲田大学校歌、都の西北や日本初の流行歌、カチューシャの唄や童謡春よこいの作詞者が相馬御風である事を初めて知った。更に戦前の新潟県を中心とした二百校余りの小中高等学校の校歌を作詞している事に仰天した。作詞した校歌の校名一覧には圧倒された。そればかりではない。七十を超える流行歌や百を超える童謡や四十余りの社歌・団歌等、夥しい数にのぼる。土岐が生まれる遥か前、昭和二十五年に亡くなっている事を知って土岐は自らの無知を慰めた。記念館を出る際、土岐の記憶に何か引っかかる物があった。そう言えば廣川も同じ様な事をしていた。糸魚川出身の相馬御風と京都出身の廣川、昭和二十五年に没した御風と昭和二十五年以降、伝説の総会屋として活躍し始めた弘毅。どこかに繋がりがあるのか?二人の共通点は校歌や社歌や団歌しかない。土岐は偶然だと考え事件とは無関係だと断じ記憶の抽斗に仕舞込んだ。
    ■敦賀に到着したのは午後三時半頃だった。夕暮れが近付いていた。急ぎ足で法蔵寺に向かった。昨日と同じ庫裡の玄関で土岐は声をかけた。「今日は。どなたかおられますか?」暫くして昨日の住職が腫れぼったい顔で現れた。昨夜精進落としの会席でもあったのかも知れない。住職は数秒で昨日の土岐を思い出した。「また何か」「すいません度々。実は昨日お聞き漏らした事がありまして」住職は欠伸を噛殺し乍土岐の次の問いを待受けている。「長田賢治さんについてなんすが」「オサダケンジ?」「戦前、こちらに小僧さんでおられたとか」「オサダケンジという人は知りませんね。永田賢蔵さんではないんですか」「いえ長田賢治さんを糸魚川からこちらへ小僧さんとして連れてきた禰宜の身内の方に聞いてきました」「どういう字を書くんですか」「長短の長い田んぼ賢く治めるという名前す。昨日永田賢蔵という人の写真をコピーさせて貰いましたが、その人はひょっとして長田賢治さんではないんすか」「そうですか、そう言われるならそうかも知れません。長田賢治という名前が出家する前の名前だとすると永田賢蔵の賢蔵は出家した時の名前で、永田という姓は私の記憶違いかも知れないです。この寺では僧名に蔵を付けるのが仕来りで長田賢蔵さんは還俗されて元の賢治という名前に戻したんですかね。私は先々代の葬儀の時にまだ小学生でしたが、たった一度しか会った事がないんです。その時に長田を永田と記憶したんでしょうかね」「賢蔵さんはこちらにはいつ頃迄おられたんすか」「戦前は浄土宗の大学がなかったんで多分終戦前後に京都の浄土宗の専門学校に行かれたんじゃないですか。その頃は京都の同門の寺の智恩寺の方丈に寝泊まりして通ったんじゃないですかね。私も僧侶の資格を大学院で取りに京都に行った時は智恩寺にお世話になっていました」「智恩寺というと壱萬遍の」「そうです」と言われて土岐は学僧兵のストーリーを思い出していた。確か京都の専門学校に行ったのは主人公の有部昭夫一人ではなく、もう一人網田雄蔵もいたはずだ。「もう一人、後か、先か、賢蔵さんと同じ様に京都に行かれた方はおられましたか」「ええいた様です。戦争中に亡くなられたんで私は一度もお目にかかった事はないんですが確か三田法蔵という人です。出家する前は法雄と言ってた様です。とても優秀だった人みたいでその方が書かれた香偈、三宝礼、三奉請、懺悔偈、十念、開経偈、勤行で使われた写経を今でも使っています。本堂の南無阿彌陀佛というお軸も法蔵さんが書かれたものと先代から聞いてます。宜しかったらご覧になりますか」「掛軸すか」「本堂にあります」と言い乍住職は手の平を土岐に向けて玄関から上がる様に促す。土岐は何かの役に立つかも知れないという思いで住職に従った。「ミタホウゾウはどう書くんですか」「三つの田んぼにこのお寺と同じ法の蔵です。先々代の祖父は彼を非常に高く買っていた様でゆくゆくは大叔母と結婚させてこの寺を継いで貰おうとも考えていた様です。残念乍終戦の直前に特攻で亡くなられたと聞いてます」長い回廊を軋ませ乍歩いて薄暗い本堂に入ると住職は本堂右奥の抹香臭い壁にかかっている墨痕鮮やかな南無阿彌陀佛という掛軸を指し示した。
    ■京都へは敦賀一六時四二分発の特急雷鳥に乗って一七時三九分に着いた。京都駅で既に二泊しているホテルの予約をとった。予約掛のフロントは土岐の名前を覚えていた。シングルがとれた。近く迄市バスで行った。夕食を一度行った事のある中華料理店で取る事にした。見覚えのある中年のでっぷりした下膨れの女が注文を取りに来た。他に客はいなかった。土岐の事を覚えていた。土岐は前回と同じとんこつラーメンを注文した。コップに水を入れて持ってきた中年女に聞いてみた。「そこのお寺の前に、駐車場がありますよね。あの土地を昔持っていた廣川というお宅の事をご存知すか」「いつごろの事でっしゃろう」「終戦直後だから六十年位前」「そんな昔の話、お父はんに聞いてみないと」と言って女は縄暖簾を掻分けて調理場に入って行った。暫くしてラーメン丼を持った老人が薄汚れた前掛の儘出てきた。「こないだの方や。東京の人でっしゃろ」「終戦直後の話なんすけど戦前からそこの駐車場の土地持ってた廣川というお宅御存じないすか」「何とのう覚えてま。戦時中は誰も住んでおらんかった様だったけど終戦直後、廣川のあんさんが帰ってこられて暫くおられはった思う。裏のお寺の寺男の様な事しておられた」「どんな仕事すか」「戦時中は人が仰山亡くなられはったんでお骨を持って舞鶴港から引揚げてこられる方も仰山おられてお寺は連日の様に葬式やら法事やらで忙しかった。昭和二十二年の農地解放迄お寺も小作を仰山持っておられたし、えらい景気がようどした。廣川のあんさんは多分昭和二十三年頃迄智恩寺の寺男みたいな仕事されはってた思います」「智恩寺に戦時中、三田法蔵という人がいたんですがご存じないすか」「あのお寺には仰山若いお坊さんがおらはった様な記憶はありますがお名前迄は」「それじゃ長田賢治という人、賢蔵と言っていたかも知れませんが御存じないすよね」「長田はん?同じ人かどうか分からしまへんけど他のお寺の人が賢蔵はんって呼ばはってた人からようお菓子を頂きました。戦後の事どすけど。賢蔵はんはその後もようみかけました。仏教関係の骨董品とか観音様の焼き物とか純金の指輪や腕輪とか時計とか高価なお数珠とか盂蘭盆や檀家の念仏の集まりのある時に大きなバッグもって行商に来なはってた。私もそこの檀徒なんで糸魚川産の翡翠のお数珠を買うた事あります。四条河原町辺りにそうしたお店が昭和四十年代頃、仰山出けたころから次第に来なはらへん様になりました」土岐はショルダーバッグから廣川のパスポートを取出して写真を見せた。「この人が廣川という人す。四十歳すぎの写真すが」「ええ確かに少しお年をとらはってる様ですが、廣川はんどすな」ついでに斎藤写真館で複写した写真も見せた。「ここに写ってるのが廣川さんと賢蔵さんすよね」「そうどす。なんと懐かしい。これどこで撮った写真です」「敦賀の法蔵寺で、四十年位前の」麺が太めの素麺の様になっていた。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月四日 nomanomaさん 2022/04/07
    14:21

    十月四日 翌朝十時にチェックアウトを済ますと駅ビルでBLTとアメリカン珈琲のブランチを取り十一時過ぎの特急北越5号で糸魚川に向かった。長田に会うのが目的だった。仁美の父方の祖父になる。廣川が死ぬ直前に区立図書館で貸出カードを作って迄して読んだ絶版の塔頭哲斗の小説学僧兵の主人公と同じ出身地という事が気になっていた。今回の調査のカギとなる目撃者である仁美の証言を搦め手から覆す為の材料を仕入れるのも目的だった。列車は北陸の秋の弱い日差しの中の殺伐とした刈入れ後の田園風景を走り続けた。進行方向の右手に迫りくる白い帽子を被った山肌に圧迫され乍、左手に日本海を垣間見て安らぎを覚えた。糸魚川には三時過ぎに到着した。海側に開けた駅前広場には高層ビルが全くなく、この町の経済力が窺い知れた。改札を出て右手の開いていた観光案内所で横町への道順を教えてもらった。まず駅前商店街を港方向に真直ぐ行った。商店街は五十メートル程ですぐ途切れた。国道に突当たってから左手に折れた。コンクリートの防波堤の向こうから潮の香りが鼻を突いてきた。国道の海側には海岸線しかない。陸側には夏には海の家になる民宿が、点在しているだけだった。町全体が鄙びた白埃に薄らと塗れている。十分程親不知方面に歩くと電信柱の住居表示に横町と書かれた看板があった。家並みの中に梁の少し傾斜した酒屋があったので暖簾を潜った。十坪程の店舗だった。壁際に酒瓶と味噌樽が並び中央にスナックの類が平積みになっている。商品の透明の袋に薄らと灰色っぽい埃が被っていた。地響きを立てて時折通り過ぎるトラックのタイヤを見て、その埃が国道から舞上がってきた物だと想像がついた。土岐は二、三分、漫然と店内を見渡していたが誰も出てこなかった。痺れを切らして「すいません」と奥に続く土間の暗がりに向かって声をかけた。暫くして、ゴマ塩頭の顔のどす黒い老人がどてらを羽織って出て来た。「はい何か」土岐は三合瓶の日本酒美山を手に取った。見た事のない銘柄だった。「これ包んで貰えますか」「おつかい物で」「いえ。何か袋に入れて貰えますか」紙袋を取出す老人の背中に土岐は質問した。「この辺に長田賢治さんがおられると思うんすが、お宅はどの辺すか」「ああ長田さんだったら、その先の路地を左に入った左手の骨董屋さんです」「どんな人かご存知すか」「わしよりだいぶ年上なんで、こまい事はよう知らんけんど戦前の若い頃は寺の小僧さんだったらしくて戦後になってから骨董屋始めた聞いとります」「その小僧さんだったというのはどこのお寺だか分りますか」「いや寺の名前迄は知らんけんど敦賀だか京都だかとか聞いた事があります」敦賀と京都という地名が土岐の頭の中で鳴り響いた。それだけ聞くと土岐は酒瓶の首を鷲掴みにして店を出た。言われた通りに行くと酒屋から五、六軒先に玉砂利の道沿いにそれらしい民家があった。よく見ないと通り過ごしそうな特徴のない住宅だった。骨董屋らしいと思えるのは通りに面して防犯用の鉄柵の奥の硝子越しにいかにも紛い物然とした古いだけの壺が二つ並んでいた事だった。その展示ウインドから薄暗い家の中を覗いても人の気配がしなかった。取敢えず玄関で声をかけてみた。「今日は。長田さんおられますか」屋内からの反応を待ったが一、二分しても返答はなかった。土岐はその家の裏手に回った。隣は住宅を改築した様な民宿で骨董店の裏手は民宿美山という大きな看板のある駐車場になっていた。ブロック塀越しに爪先立ちで家の中を窺うと池のある壺庭が見えた。その庭に面して居間の様な部屋が見えたが人の気配はなかった。「すいません。長田さんおられますか」土岐はもう一度声をかけた。ブロック塀越しに骨董店の屋根を見上げていると、民宿の二階の物干場から中年女の声が掛った。「長田さんだったらおられんみたいですよ」どことなく関西の訛りが聞取れた。そこはかとなく関西の文化の匂いがする。土岐は声の方向に顔を上げた。「何時頃帰ってこられますか」「どうだか。ここ何週間か見かけんけど」「どちらに行ってるか分ります」「ちいと待っとりんさい。家の者に聞いてみっから」土岐が4台ばかり停められる民宿の駐車場で枯れかけた雑草を踏み潰していると駐車場に面した民宿の裏口から着古した木綿の着物を着た猫背の老婆が出てきた。「あんさんかい、長田の父ちゃんに用がありなさるんは」「ええ東京から来た者す」老婆は右手の平を耳の後ろに添え乍土岐が言った東京という言葉に過敏に反応した。「急がん様なら上がって行きんさい」と言い乍老婆は片足を裏口の玄関に踏入れている。土岐はその言葉に従った。裏口から入った駐車場に面した部屋に通された。客室の様だった。八畳位の広さがある。夕刻が近づいた秋の陽光がすり硝子を通して弱々しく室内に落ちている。ささくれ立った畳表が竹林の様な文様に見える。老婆が湯呑を土岐の前に置いた。「一つお茶でも」土岐は手に提げていた日本酒を茶卓の上に置いた。「これ宜しかったら」老婆は眼をむいて酒瓶を手に取った。「長田さんとこへ持ちんさったもんでしょ」「ええまあ」老婆はポットのお湯を急須に入れて湯のみ茶碗に番茶をさした。「長田さんはずっとこちらにお住まいなんすか」「そう、先代からだからもう八十年超えとる。わしが歳をとる訳だ」「見城花江という人と結婚されたんすよね」「そうそう三反田のね。長田の父ちゃんが一の宮の喧嘩祭りで見染めんさって。家同士の折合が悪かったんで、いつだったか別れんさった」「長田さんはずっと骨董商やってたんすか」「終戦のどさくさが収まってから暫くして時計屋始めんさったけんど、客が来んので十年位でやめんさって、それから時計とか指輪とか腕輪とか首輪とかの貴金属の行商を始めんさって、その古物も扱っていなさったから骨董商の免許を取りんさって骨董屋も始めんさって壺だとか掛け軸だとか玉だとか香炉だとか。うちも一杯買わされた。ほれこの床の間の掛軸も長田さんに買わされたもんだて。安かったから多分、偽物だろうけんど」客室の造りの悪い京壁に南画風の掛軸が掛っていた。壁の所々の剥げ落ちて色変わりしている景色と掛軸の偽物風の景色とが妙に調和していた。土岐は離婚後の長田に女がいたかどうかを尋ねた。「見城花江さんと別れてからずっと長田さんは一人なんすか」「いいや、敦ゆうでけの悪い一人息子さんがいなさって店の商品を持ち出しちゃあ下手な麻雀で身上を潰しんさって。時計屋閉じたのはそのせいだとか言っておった。いつ頃だったか四十年位前だったか、とうとう勘当してそれからその息子さんは東京に出て行きんさった。それから一度も見かけん思たら還暦になる前に亡くなりんさったとか」土岐はお茶を啜り乍手帳を開いて仁美の家系図を見ていた。老婆は土岐の一人でという問掛けを一人住まいでと聞き取った様だ。土岐は改めて長田が離婚後、独身でいたかどうかを聞き質す事をやめた。「その敦さんは東京で中井愛子さんと結婚されたんすよね」「それは知らん。でもここ数年、孫だゆう可愛い女の子がちょくちょく、まあちょくちょくゆうても年に一回位だけんども見かける事があった。長田の父ちゃんはえらい可愛いがっとった」「見城仁美という女性ですか」「そう仁美ちゃんとかゆうとったわな」「長田さんは今回の様に年中家を留守にしている事が多いんすか」「うん、しょっ中だ。昔っから。花江さんと別れたもう一つの理由がそれだ。家をしょっ中留守するもんで、花江さんは舅と姑と三人で大変だった」「何でそんなに留守したんすか」「時計屋だけじゃ食えないゆうて行商もやっとりんさった。湯沢や小谷の温泉場で女将や仲居や芸者を相手に指輪やら時計やら掛軸やら壺やらを売り歩いていなさった。業者仲間の骨董市にもあっちこっち顔を出しとるって東京にも行っとると自慢げにゆうとったわな。その内小谷の小便芸者と出来ちまってそれが引き金になって別れたらしい」「話は戻りますが戦前の長田さんは何をされてたんすか」「ようは知らん。ここに越してきんさったのは戦後で戦時中は三反田の方に住んどったらしい。先代のばあちゃに聞いた話では五男がおなかにおった時に先代のとんちゃがのうなって兄弟が六人おって長男のあんちゃが父親代りやっとったけんども生活が苦しいんで一番学校の勉強がようでけた四男を一の宮の禰宜の世話で敦賀か京都の寺に小僧に出したらしい。それがそこの骨董屋の父ちゃんで長男は早うに脳溢血でのうなって次男は三重の久居に養子に出して、三男は満州からソ連に抑留されてかたわになりんさって帰ってきておった」と老婆は巾着の口の様な唇を窄めてお茶を飲んでいる。陽はとっぷりと暮れていた。窓外から冷気が徐々に部屋の中に侵入し始めていた。湯呑み茶碗を持つ手元の影が濃くなってきた。土岐は少し大きめの声で聞いた。「賢治さんが小僧に出されたお寺の名前分りますか」「さあ、一の宮の先代の禰宜の孫がそこの宮司でいなさるんで聞いて見たらどないかな」「ここから近いんすか」「近い近い一里もない」と老婆は梅干の様な眼を見開いてその方角を指差す。土岐は上がらない肩の下で手首だけを蛇の鎌首の様に持上げている老婆の指先を眼で追った。「その先代の禰宜の方の名前分りますか」「高野ゆうたかいな」土岐は今夜の宿をこの民宿に求める事にした。「この部屋今夜あいてますか」意外な質問だったらしい。老婆は部屋の外に声をかけた。「紀子さん」と呼ばれて先刻物干台から土岐に声をかけた女が薄桃のエプロンで手を拭き乍部屋に現れた。老婆が聞く。「今夜この部屋あいとる」「ええ」土岐は泊る旨を伝えて夕食迄一の宮神社に宮司を訪ねる事にした。民宿の若女将の話では一の宮の神社は山の方向に一キロ余り行った所にあり、一本道だから迷う事はないとの事だった。
    ■舗装されているのは道の中央だけで路の両端は砂利だった。時折、車が通る度に砂利道脇の用水路に落ちそうになり乍夕暮れの田舎道を急ぎ足で十分以上歩いた。なだらかな登りになっていた。右手に小学校の校庭を見て突抜けた所にこんもりとしたブナの林があり、その先に幽玄な社が薄暗がりの中に見えてきた。右手に飯場の様な社務所があり明りの灯っているプレハブの様な引戸の前で土岐は声を出した。「すいません。どなたかおられます」すぐに黄ばんだ白装束の若い男がのっぺりとした顔で出てきた。「はい、なんでしょうか」「ちょっと戦前の事で恐縮なんすが高野さんという禰宜の方がこちらのお社におられたかと思うんすが」「ええ祖父です。もうとっくに亡くなってますが」土岐は嫌な予感を覚えた。背後に迫る寒々とした夕闇が土岐の思いを暗くした。「実はそこの横町の骨董屋さんが子供の頃、高野さんに連れられて敦賀か京都のお寺に小僧に行ったという事を聞いたんすが、そのお寺は何というお寺か分りますか」「さあ祖父は戦前、副収入の為、特に昭和初期の不況の時は女衒みたいな事もしてたみたいで戦後も中卒の金の卵を大分東京に連れて行ってたみたいですが」と言い乍宮司は顎に手をあて一重瞼を細め首を捻る。土岐は宮司の返答を促した。「長田という骨董屋さんの事なんすが。分りませんか」「小僧さんに行かれたというお寺の名前はちょっと分りませんが祖父は糸魚川のお寺の檀家総代をしておってそのお寺は浄土宗なんで多分小僧さんに連れて行ったお寺も浄土宗のお寺だと思います。糸魚川のお寺は今もそうですが昔から農地も余り持っていなかった様で檀家数が余り多くないので多分連れて行ったお寺は戦時中は小作が一杯おった様な檀家数の多いお寺じゃないですかね。ここの住職は糸魚川高校の同窓生なんでちょっと電話してみましょう」と言って宮司は社務所の奥に消えた。土岐は薄ら寒い戸口で四、五分待たされた。耳の奥が痛くなる様な静寂が漂っていた。暫くして黄昏の社務所の奥から宮司が目尻を下げてにこやかに出てきた。「住職は敦賀のお寺じゃないかと言ってました。敦賀なら戦前、住職が係累だった法蔵寺じゃないかという話でした」法蔵寺と聞いて薄暗闇の中で眼の焦点が合って来る様な思いがした。簡単な礼を述べて、土岐はその社務所を辞した。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月三日2 nomanomaさん 2022/04/07
    14:20

    「廣川という名前に聞き覚えはないすか」「いらはれたとしても書生はんではないんと違いまっか?三田はんゆう家庭教師の方はおらはれましたが。でもこの方は通いで」老婆はぼけている様には見えなかった。土岐は黒いショルダーバッグから、廣川のパスポートを取出した。「この写真は五十代の物すが清和家の書生の時は二十前すけど、どうす、見覚えないすか」老婆は茶箪笥の抽斗から底の厚い老眼鏡を取出した。顔中の皺を深く刻んでパスポートの写真に見入った。「うーん。松村はんの面影がある様な気します」「その松村さんというのは戦後どうなりました」「とても良く奉公してくれはったのでご当主が親切心から就職の世話してやろう言うのを振切って出てかれました。よう奉公してくれはったゆうのは多分戦時中、幾度も東京にご当主の御使いで行かれた事なのだろう思います。その後、京都駅で一度だけ見かけた事がありました。松村はん、松村はんって何度も呼びかけても振返らないので追いかけて行って袖を引張ったらニヤニヤ笑って、今担ぎ屋してる言わはって、これから夜行で東京や言うてました。それ以来一度もおうとりまへん」「東京のどちらへ行かれたんすか」「さあ私なんかには」そこで土岐はかまをかけてみた。「久邇家ではないすか」「どうでっしゃろ。久邇はんとは懇ろやったので電話はようしてはりましたが」土岐の憶測がヒットした。清和家が東京で昵懇にしていたのは久邇家だった様だ。「どうす、もう一度よく見て貰えますか。その松村という男に間違いないすか」「私の知ってる松村はんを歳とらせたらこないな顔になる思いますけど。でも道でおうても気つかへんかも知れまへん」「他に分りそうな人はいませんか」「どうでっしゃろ。皆いなはらん様になってしもうて、ご当主も奥様もお坊ちゃまも。生きていてもどうでもいい様な私だけがこうして生きさせて頂いて」茶の間はいつの間にか黄昏に染まっていた。老婆が空になった湯呑を持って膝を立てた時、土岐は立上がった。玄関の板の間が激しく軋んだ。その土岐の足を老婆が引留めた。「そう言えば一度だけ廊下を歩いてた時に立ち聞きしたんどすが、ご当主が東京へ出かけようしてる松村はんに久邇さんに宜しゅう言わはってたのを思い出しました。でも東京に行ったついでに宜しゅうゆう事なのか久邇様の御宅に伺って宜しゅう言う事なのかよう分りまへんが。そん時確か三田はんもご一緒だった様な」「三田さん?」「松村はんの御友達の様な人でほんま眉目秀麗な賢そうな顔した人どした。別嬪の御嬢はんの家庭教師やらはっていて。でも戦後になって特攻でなくならはったって京都駅で松村はんに聞きました」と言う声を背中で聞いて土岐は外に出た。三田というのは学僧兵の網田雄蔵のモデルかも知れないという思いがした。今出川通に出て昨夜泊ったホテルに予約の電話をしてみた。割高だがダブルなら空きがあると言うので予約した。割高と言っても普通の旅館の半額程度だ。夕食を今出川通の京都大学近くの大衆食堂でとってホテルに向かった。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月三日1 nomanomaさん 2022/04/07
    14:19

    十月三日 翌朝ビジネスホテルを十時丁度にチェックアウトし、その足で昨夜立寄った郵便局で加奈子からの入金の内五万円を引出し財布に入れた。残金の中から五万円を家賃として蒲田の事務所の大家に送金した。京都駅に着いたのは十一時前だった。北陸本線の特急雷鳥で敦賀迄行く事にして駅ビルでBLTとアメリカン珈琲のブランチを取った。京都を出発したのは十一時四十分だった。十二時半には敦賀に着いた。敦賀のホームに降り立つと東側に急峻な紅葉の山が迫っていた。日本海からの冷風に軽く身震いした。駅前の鄙びた案内所で法蔵寺の所在を確認した。駅前から延びる商店街を通って北国街道に出た。街道に出ると北上し街道沿いの閉店した商家を右に見て暗い雰囲気の道を気比神宮の方角に向かって歩き続けた。ハンチングに黒いインバネスコートの下はタートルネックといういでたちの土岐は駅から十五分ばかり歩いて、この辺から寺の境内で二千坪程あると観光案内所で聞いた事を呟いて復唱した。気比神宮前に出ると街道から左に折れ西に向かった。古色蒼然とした大きな山門に法蔵寺という額が掲げられていた。赤や黄色の枯葉の散乱した参道が五十メートル程続いていた。右手は路地裏道で左手は墓地になっていた。薄っすらと積もった落葉を踏み締めてショルダーバッグに手をかけて黙々と歩いた。境内を時折吹き抜ける敦賀湾からの寒風に背を丸めコートに両手を突込んで前のめりになっていた。駅から三十分近く歩いていた。本堂迄来ると右手に折れ、庫裡に続く細い砂利道を落葉を蹴散らす様に進んだ。庫裡の小さな硝子窓からけたたましいテレビの音声が漏れていた。土岐は庫裡の引戸を開けて土間に入り、「今日は。どなたかおられますか」と大声で叫んだ。庫裡の引戸を後手で閉めて自宅事務所より一メートル程も高い土間の天井の昼の闇を見上げた。外の冷気が遮断され自分の呼気の暖かさにほっとする思いだった。出てきたのは四十代の恰幅のいい赤ら顔の坊主だった。「突然すいません。私こういう者す」と言い乍土岐は一歩踏出して名刺を手渡した。坊主は立った儘名刺に見入っている。「ご用件は」「廣川弘毅という人をご存知すか」「名前は聞いた事があります。確か大叔母の連れ合いじゃないでしょうか」と言い乍坊主は玄関と廊下の境目に爪先を立てて座込んだ。土岐は土間に立った儘だった。「という事はこちらのご住職さんすか」「そうです」「廣川さんが亡くなられた事はご存知すか」「いいえ存じ上げませんでした。そうでしたか。廣川さんとは大伯母が亡くなってから全くお付合いが無くなってしまって疎遠になってしまって」「大叔母の圭子さんと廣川さんについて何かご存じの事はありませんか」「廣川さんとは先々代の祖父の葬儀の時に一回だけお会いした事があるだけで、まだ子供だったんで怖そうなおじさんという印象しかないです」「その葬儀の時のスナップ写真の様な物がありませんか」と土岐が聞くと坊主は重そうな腰を浮かせた。「あると思います。ちょっと時間がかかりますがご覧になりますか」「ええ是非お願いします」と土岐が言うと坊主は奥に引込んだ。待っている間土岐は上り框に腰かけた。四、五分して坊主がスナップ写真を一枚持って現れた。「右が廣川さんで左が永田賢蔵さんです」廣川はパスポートの写真と余り変わらない。永田と説明された男は黒い法衣を纏い数珠を持っていた。肉づき、背丈、姿勢、顔の輪郭が廣川によく似ていた。兄弟と言われても疑いようのない感じだった。「ナガタケンゾウというのはどういう字を書くんすか」「永い田んぼ賢い蔵と書くと思います」「この写真、コピーを取らせて貰えますか」「いいですよ。駅前に斎藤写真館というのがありますから、そこで複写されて現物はそこに置いといてくだされば後日ついでの時に取りに行きますので」「どなたか廣川夫妻の事知ってる人はいませんしょうか」「さあ六十年近く前の話ですからね。ただ、一度だけ父からは大恋愛だったという様な話は、ちらりと聞いた事があります」「大恋愛」「というか、廣川さんが略奪したというか、祖父は余り賛成ではなかったとか、寧ろ反対だったとかそんな様な話です」「反対という理由は何だったんすか」「確か戦時中、宗門の集まりで祖父が京都に行った時、大叔母はある侯爵家の末の子息と見合いをしたそうです。大叔母は大層な美人だったもので。後で分かった事ですが、その侯爵家の書生が廣川さんだったとか。天涯孤独の身上で廣川というのはどこの馬の骨とも分らん奴だと祖父は毛嫌いしていました」「戦時中は廣川さんは陸軍にいたんじゃないんすか」「さあその事は聞いてません」「その侯爵家というのは京都ですよね」「そうです」土岐の頭の中で事件の核心に迫りそうな疑問の渦が回転し始めた。「その侯爵家というのはどちらすか」「清和家です」「まだ京都におられるしょうか」「さあ。どれもこれも聞いただけの話なんで。六十年以上も前の話ですから」「どうもお忙しい所有難うございました。何か思い出される様な事がありましたら名刺の電話番号迄ご連絡頂ければ幸いです」と法蔵寺を辞して駅に戻り乍、住職が記憶の糸を辿る様にして言った清和家という名前をどこかで聞いた様な気がしていた。
    ■土岐は駅前の写真館で先刻のスナップ写真のコピーを依頼した。出来上がったコピーを手帳の間に挟んだ。次にインターネットカフェを探した。見当らないので観光案内所で聞くと旅館の一階の喫茶室にインターネットの設備があるとの事で、その旅館に向かった。北国という旅館は駅前商店街の中程にあった。先刻その前を通過していた。その時は土産物屋だと思っていた。旅館の小さな立て看板が出ていたが玄関の手前が土産物売場になっていた。喫茶室は玄関の右手にあった。フリーの客が相手ではなく投宿している客を対象としている店の様だった。旅館の浴衣とスリッパをはいた客が二人、珈琲を飲んでいた。パソコンは十分百円になっていた。豊橋の陸軍予備士官学校に入学したはずの廣川がなぜ京都の侯爵家の書生になっていたのかと呟き乍土岐は仲居の様な店員に珈琲と千円札の両替を頼んだ。インターネットの紳士録のサイトで清和、侯爵、京都をキーワードとして検索してみた。ヒットしたのは清和俊彦という人物だった。そこで土岐はやっと思い出した。坂本の黄綬褒章の推薦書を書いた人物だ。文化団体とかNGOとか市の委員会とかカネと余り縁のなさそうなお飾りの様な肩書がずらりと並んでいた。交友欄に久邇商会会長の久邇頼道という名前があった。本職は駐車場管理会社の代表取締役の様だった。土岐はその会社に電話をかけ夕方四時過ぎに面会の予約をとり京都に引返す事にした。三時過ぎの特急サンダーバードに乗込んだ。京都に着いたのは四時過ぎだった。駐車場管理会社の事務所は新京極方面の駅前ビル裏手の狭い路地の二階にあった。受付の女子事務員に面会の予約を告げると隣室に通された。八畳程の応接間だった。ブラウンのソファに勝手に腰かけて待っていると、暫くして馬面のどこか間の抜けた五十代後半のなで肩の男が出てきた。土岐は名刺を出し挨拶した。「どうもお忙しい所お時間を頂きまして恐縮す」俊彦は不潔な物を触る様な手つきで名刺を受取り能面の様な顰め面で文字を読んでいる。鼻先で読んでいる様な印象だった。「土岐はんと言わはれると清和源氏の」「そうです。昔からそう言われてます」俊彦の顔がだらしなく綻んだ。眉先が目尻に着きそうになっている。「何百年か辿ればどこかであんたはんと繋がるかも知れないどすな」「いや私の方はどこの馬の骨だか。明治維新の時勝手に土岐を名乗ったのかも知れないす」「そうでっしゃろな」と俊彦は侮蔑する様な笑みをもらす。「お伺いしましたのは戦時中清和家で書生をしていた廣川という男の事で」「戦前の話」と俊彦の締りのない顔が吃驚した様に歪む。「私は生れとりません」「太平洋戦争の頃の清和家の事なんすが、何かご存じの事はありませんか」「その頃の当主英彦は祖父で祖父は昭和初期に米国に留学した事があってアメリカ人の知己が多かったと聞いてます。昭和天皇様と親しかった東京の公爵家に刎頸の友がいて、そこの方とは私も東京に行った折、会食する事がままあります」「差支えなければお名前を教えて頂けますか」「どうでっしゃろ。先方はんにお聞きしてみないと。勝手に紹介したとなると折角のいいお付合いに水が差されますので」と勿体ぶった様な言い方に小さくふっくらとした鮪の赤味の様な唇が盛り上がっている。物欲しげなニュアンスを土岐は感じた。しかし土岐は土産を何も用意していない。「実は戦時中、敦賀小町と呼ばれた女性が清和家のご子息とお見合いをされた様でして、その時廣川という人物が書生をしていた様でして、その廣川が戦後その敦賀小町と結婚し、つい最近電車の事故で亡くなったんす。その事故がどうも殺人の疑いがあって調査してます」「と言わはれますと土岐はんは警察の関係のお方で」と言い乍俊彦はセンターテーブルに置いた土岐の名刺を見返す。「いえ、ある人の依頼で調査してます。殺人となると容疑者がいるはずで、その容疑者がどうも昔関係のあった人物ではないかという事で調べてます」「でもその敦賀小町とかいう女性がお見合いをしたのは叔父ではないでしょうかねえ。敦賀には知合いの華族さんはおられなかった思います。私の父は公家同士で結婚してますから敦賀のお人とお見合いする事はなかった思います。私の家族も容疑者の一人いう事ですか」と陽に焼けた俊彦の顔が情けなさそうに笑っている。土岐はゴルフ焼けだと見立てた。「とんでもない。容疑者になる様な人についてお聞きしたいという事す」と話し乍、敦賀の旅館で検索した紳士録の項目の中の交友関係という項目に久邇頼道という名前のあったのを思い出した。俊彦が東京で会食しているというそれらしき人物である可能性があった。久邇頼道という名前が土岐の喉元迄出かかったが土岐はそこでの聞出しを諦めた。俊彦の気分を害したくないという思いがあった。「そうゆえば、その頃奉公してた及川光子いうばあやが北白川に隠居してる筈どす。そこでしたらご紹介できます」と言い乍俊彦は秘書を呼び年賀状を持ってこさせた。俊彦は一枚一枚差出人を確認している。「律義なばあやで私の父が亡くなった後も私宛に年賀状を出し続けてます。五十年以上も」と俊彦は目当ての年賀状を探し出し、差出人の住所氏名電話番号を読み上げた。土岐は手帳に速筆でメモした。「どうも貴重なお話を有難うございました。今日は急に清和家の話が出ましたもので突然伺ってしまいました。また京都に来る事があると思いますので、その時は何か東京の名物でも持参させて頂きます」と言うと俊彦の顔つきは柔和になった。心の動きが馬鹿正直に表情に出る男の様だった。「所で話は違いますが神州塗料の坂本さんの黄綬褒章の推薦状を書かれたとか」「あれは神州塗料の会長はんに頼まれたんどす。会長はんは東京の社外監査役で長瀬はんとかゆう会計士の入れ知恵だとか言わはってましたけど。でも実際に説明に来たのは東京の金井はんとかゆうお人で」長瀬という名前と金井という名前に土岐の耳が反応した。土岐は金井について確認した。「金井というのは金井泰蔵の事すか」「探せばどこかにお名刺は有る思うんですけど下のお名前迄はちょっと。眼の鋭い人で面立ちは何とのう昔の華族さんの様な感じどしたけど、でもちょっとお品のない様な人どした」「それから坂本さんに浦野さんの胸像の購入を勧めたとか」「浦野はん?」「東京の芸大の方だとか」「あれどすか。あれは金井はんに紹介されて、坂本はんに勧めました。浦野はんゆうお人は知りません」紹介料を幾ら貰ったかと聞きたかったが我慢した。
    ■外に出るとすぐ清和家のばあやだった老婆の家に電話した。本人が出てきた。九十歳近い高齢のはずだがしっかりした口調だった。最初は土岐を警戒していた様な雰囲気だったが「清和俊彦さんの紹介で」と言うとその警戒が解かれた。市バスで北白川に向かった。老婆の家は京都大学の東隣辺りにあった。仕舞屋風の古い民家だった。屋根が低く、玄関の敷居が頭にぶつかりそうだった。玄関に入ると、板の間に老婆が正座して待っていた。土岐が挨拶すると老婆は玄関脇の四畳半程の茶の間に土岐を招じ入れた。畳が波打つ様に歪んでいた。「狭い所でお茶位しかありませんが」「どうぞお構いなく。突然訪ねてきまして申訳ありません」「いいえ、何もしないで年金で細々とお上に暮らさせて貰っていますんで退屈凌ぎになります」「早速すが終戦間際の清和家の書生についてお聞きしたいんすが、その頃廣川という人がいたと思うんすが、その人について何か思い出す事がありましたら」老婆は急須を傾け乍首を捻る。目が皺だらけで考えているのか眠っているのか分らない。「お二人ばかりいらはりましたが太平洋戦争勃発前後は河村倉之助はんゆう方で、すぐ徴集されはりました。次に来られたのは松村博之はんゆう方で、この方は肺病やみで除隊されはった方なので、肺病やみだから召集されはる事はないので書生に宜しいご当主が言わはれまして、確か昭和十九年だったと思います。女中頭の木村麻子の親戚のご紹介だゆうことどした。だから身元は確かだろうゆう事で」と話し乍老婆はスーパーの広告の裏に持つのがやっとという短い鉛筆で二人の名前を書いた。土岐はそれを手帳に写した。

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月二日2 nomanomaさん 2022/04/07
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    「勲章なら大したもんやけどこれは黄綬褒章で」「勲章と褒章とどう違うんすか」「勲章は政府が一方的にくれるもんで貰える人も少ないけど褒章の方は一杯貰えて国民があの人にやろうちゅうて推薦を受けて貰える。わいは一般推薦でもろたんや」「大したもんすね」「大したことないわ。先代の社長、今の会長さんがわいの事思うてくれて京都の清和さんにお願いして内閣府賞勲局に推薦状を書いてもらたんやわ。会長は何も言わなんだけど、それなりのお礼はしとる筈やわ。それに会長自身が賛同書を書いてくれて今の工場長も賛同書をかいてくれたわ。それだけでこれもろたわ。なんやこの道一筋の職人みたいな者が対象らしいわ。清和さんの推薦状が効いたと会長は言わはっとったわ。何でも年八百人位もろとるらしい。平成十五年から一般推薦の制度が出けて、今じゃそれを商売にし出した所もあるっちゅう話や。くれる前に身辺調査があったらしいわ。犯罪歴のある者は駄目やから、わいが吉野と玉井の拷問に屈してしてもない罪を被っていたら貰えんとこやったわ」土岐は坂本の話に何度も頷いた。「私なんか無縁の世界すね」「んなことないやて。あんた今の商売何年目や」「まだ五年もやってないすね」「そうか、何でも二十年以上同じ仕事やってたっちゅうのが目安らしい。あと十五年頑張りいや。それか七十歳以上が条件やから精々長生きするこっちゃ」「でも推薦なんかしてくれる人いないしょう」「そこはじゃの道は蛇やて。わいがもろたんは今の会長さんが関西の経済団体の役員をしとって、そこそこに知名度があってそれに会社の知名度をあげて工場の工員の士気を高めるちゅう狙いがあったからや。推薦状はお礼すれば書いてくれる人が居るっちゅう話や。あと犯罪歴がない事、これが肝心やな。こればっかしは一度やってしもたら消せんからな。わいはラッキーやった。中卒の何の知恵もない者が歳食って偶々理工系の大学院卒の連中を集めた新製品開発チームの取纏め役になって、そこで出けた新製品が爆発的に売れて、それが褒章の理由になった。わいは何もしとらん。定年間際に形だけやけど取締役も二年やらさせてもろたし、何もゆう事はないわ。まあしいて文句言えば受章のお祝い返しで大分持出しになったこと位かな」坂本の話を聞き乍サイドボード上のブロンズの胸像に土岐は気をとられていた。最初はインテリアかと思って見ていたが荒削りな印象派風な彫刻が次第に坂本の頭部に見えてきた。土岐は目線で坂本の了承を得てその胸像に触れた。「これは坂本さんすか」坂本の顔がだらしなく崩れた。「えへへ似とりまっか」「最初は誰だろうと思ったんすが、じっと見てたら坂本さんと瓜二つに見えてきました。不思議すね。抽象的と言う程でもないけど、随分荒削りで、えいやって造った様な感じすよね」「そうでっか。わいもそう思とります。こうゆうのは本人と見間違う様に造るもんだと思とりましたがこういうラフな感じの方が何とのう芸術的でんな」土岐は胸像の裏の作者の刻印を探した。驚く程達筆な筆致で浦野と刻まれていた。「この浦野というのはどこの人すか」「なんか東京の芸大の助手の方だそうです。何れ大家になるだろうから安い買い物だと言われました」「誰にす」「わいを内閣府に推薦してもろた清和はんです。えらい高い買い物でした。これも入れて祝賀会やお祝い返しや何だかんだで退職金の半分位がなくなりました」それを聞いて土岐はそこを辞した。坂本の嬉々とした表情が印象に残った。土岐はその足で千里中央のネットカフェに寄りセンチュリー監査法人をウェッブ検索してみた。該当する件数は少なかった。その内の一つがセントラル監査法人のサイトにあった。その記述は社史の中にあった。センチュリー監査法人は昭和五十五年にセントラル監査法人に吸収されていた。長瀬は昭和五十五年にセントラル監査法人の代表社員になっている。これで繋がった。廣川は粉飾決算を既に知っていたのだ。坂本にインタビューしたのは、不良在庫の情報が工場長から流れたと思わせる事にあったとすれば辻褄があう。警察はその筋書きに沿って坂本を取調べた。坂本は吐かなかったが吉野は嘘をつき通したと思込んでいる。センチュリー監査法人には手を回さなかった。廣川は株取引には一切手を出さずリスクを冒した見返りに第三者が空売りから得た株式売買益の一部を受取ったに違いない。その支払は雑誌の広告か購読で一括払ではなく長期の支払にしたのだ。そうすればカネの流れに不自然さがない。廣川は株主総会に出席する必要も企業の総務部に恐喝をかける必要もない。長瀬も株取引には一切手を出さず何らかの形で報酬を受取り、こうしたぼろ儲けを繰返していたに違いない。
    ■新大阪に着いた時既に三時を過ぎていた。晩秋に追われた陽光は頼りなげに西に傾いていた。京都に着いたのは丁度四時だった。地図を見て智恩寺の場所を確認した。智恩寺の北には隣接する様に清浄寺があった。もしやと土岐は思い立って学僧兵の巻末の年譜で確かめるとやはり塔頭哲斗が出家した禅寺だった。市バスで智恩寺に到着したのは四時半頃だった。東京や大阪と比べると高層ビルの少ない分、空が広く感じられる。既に辺りは秋の夜の帳が降始めていた。土岐の首筋を比叡山からの寒風が掠めた。土岐が東京からウエッブ予約したビジネスホテル大原は壱萬遍の交差点を挟んで京都大学と対角線の位置にあった。先にチェックインをすませ荷物を置いて手ぶらになって智恩寺に向かった。東大路通を渡って駐車場を抜けて山門を潜って庫裡の玄関で声をかけた。暫くして青みがかった坊主頭の若僧が洗い晒しの黒い法衣で出てきた。土岐は手帳を見乍問いかけた。「田中門前町の廣川さんのお墓をお参りしたいんすが、どの辺でしょ」「廣川さん言わはっても仰山おられはりますが」「実家がこの近くにあって三十年以上前に人手に渡って今は駐車場になっているらしいんすが」「そうどすか。ちょっとお待ち頂けますか?調べてみまひょ」と言残して僧は奥に入って行った。大分待たされた。その間土岐は後ずさりして寺院全体を眺めて見た。墓所は庫裡の裏手にある様だった。庫裡と釈迦堂の狭い通路にせり出す様に乱杭歯の様に伸びている卒塔婆の林が望めた。暫くして若僧は小さなメモ用紙を持って現れた。「多分北の隅にあるお墓や思います」北方は比叡山の方角だから庫裡の裏手の左奥だろうと土岐は見当をつけた。釈迦堂の傍らに積まれている桶を取り通路の水道の蛇口で水を満たし柄杓を突込んで庫裡の裏手に向かった。伽藍より少し狭めの墓地がひっそりと佇んでいた。新しい墓石が目立たない程、苔蒸した墓石が多かった。秋の彼岸が過ぎたばかりで真新しい卒塔婆が新芽の様に散見された。北端の北東角に廣川家の墓石があった。近年殆どお参りに来ていない様で周囲に枯れた雑草が散らばっている。三段墓の頭には鳥の白い糞が点在している。黄昏の薄暗闇の中で眼をこらして廣川家墓の裏の墓碑銘を見ると納骨されているのは二人だけで昭和十一年一月八日廣川滋、昭和十五年五月二十二日廣川真子と刻まれているのが辛うじて確認できた。弘毅は昭和十五年十二月に太平洋戦争が開戦となる前に両親を喪っていた事になる。それからどうやって生活していたのか?土岐は墓参を済ませてから東大路通に出て近くの飲食店を覗いて見た。とんこつラーメンを注文して店のでっぷりとした下膨れの中年女に聞いた。「田中門前町の生徒が通っていた戦前の中学はどこだか分りますか」「戦前って六十年以上前の」「ええ旧制中学校で戦後は多分高校になったと思うんすが」「ちょっと待って。お父はんに聞いてみる」暫くしてラーメンの丼を持った薄汚れた白衣を纏った老人が落ち窪んだ眼をしょぼつかせて出てきた。「この辺の旧制中学校やて」「今は何高校になってるんしょう」「門前高校やないだろか、よう分らんけど」「場所はどの辺すか」「今出川通を鴨川に出て南に少し下った所だす」
    ■秋の夜が古都の町を覆い店舗の黄色い照明がくっきりと闇に浮かび始めていた。薄ら寒いせいもあったが土岐は体が火照ってくる程の速足で歩いた。途中郵便局があったのでATMで加奈子からの入金を確認した。門前高校は鴨川の東側の川端にあった。授業はとっくに終わっているだろうと思った。一階の職員室らしき所に明りが見えた。正門は閉じられていたが守衛らしい男が大きな郵便受けから夕刊を取出していた。土岐は頭を下げ乍声をかけた。「すいません。東京から来た者すが旧制中学の同窓生名簿を閲覧したいんすが」守衛らしい男は東京と聞いて目を丸くして素っ頓狂な顔を造った。「旧制中学の?どないやろか。職員室に聞いてみまひょ」守衛が守衛室から職員室に内線をかけ、土岐の申出について掛けあっている。「東京から来なはったそうで」という文句を二度繰返していた。「会うてくれはるそうです」土岐は職員室の場所を教わって走る様に向かった。黄ばんだワイシャツ姿で職員室の扉の前に立っている人影があった。初老の教師の様だった。鬢の銀髪がきらりと光った。「すいません夜分遅く」土岐は職員室の明りを背景にして目鼻立ちの見えにくい人物に向かって五メートル手前から低頭した。そのぼんやりとした人影は土岐が近付くと右に向かって歩き出した。「あるとすれば図書室だと思います。態々東京から来られたそうで」図書室は校舎の二階の階段脇にあった。教師が蛍光灯のスイッチを入れると書架が真暗闇の中に突然現れた。教師は書架の天井に近い場所から踏台を使って古色蒼然とした綴りを取出した。作業テーブルにその資料を広げ乍「終戦間際の物はない様です。ここにあるのは太平洋戦争の初期の頃迄の物で昭和十八年が最後です。でご覧になりたいのは」「大正十五年の早生れで廣川弘毅と言います」「という事は昭和十七年か十八年卒という事になるんでしょうか」教師は同窓会名簿の卒業生一覧で廣川弘毅を探している。右手に眼鏡を持ち資料に裸眼を擦付ける様にしている。「ありました。廣川弘毅ですね。昭和十六年度卒で豊橋第一陸軍予備士官学校が進路になってます」「すいません」と言い乍土岐はその資料を受取り他の卒業生の進路先をざっと確認した。豊橋第一陸軍予備士官学校は廣川以外には見当たらない。遅ればせ乍土岐は名刺を差出した。「こういう者すが、また何かありましたら東京に帰ってからお伺いする事があるかも知れませんので。その時はまた宜しくお願いします」「今名刺を持ってないんで。職員室に戻れば」「いえ結構です。お名前だけお聞かせ願えれば」「吉川言います」「有難うございました」と礼を述べ乍土岐は手帳に踊る様な文字で廣川弘毅、昭和十六年度卒、豊橋第一陸軍予備士官学校とメモした。ホテルに戻ると部屋でシャワーを浴びた。さっぱりした所で部屋の中でパソコンを探したが見当らない。フロントに電話してインターネットのできる所を聞いてみたら一階ロビーのフロント奥にパソコンルームがあるとの事だった。洗髪の儘パソコンルームに向かうとフロント奥の自販機前のテーブルに使い込んだ二台のノートパソコンが置いてあった。椅子もないので立った儘インターネットを立上げ手帳のメモ書きを見乍豊橋第一陸軍予備士官学校を検索した。CPUが古く動作が遅い。余り出来の良くない彩りの悪いホームページがのっそりと出てきた。卒業生一覧があったのでサイト内検索で廣川弘毅という名前を探してみた。一回目は該当なし。廣川を広川に変えて繰返したがやはり該当なしだった。土岐は長瀬、船井、馬田との奇妙な一致に思い至った。しかし長瀬、船井、馬田は海軍、廣川は陸軍だ。卒業生名簿に名前がないのが偶然の一致でないとしたら?

  • 土岐明調査報告書「学僧兵」十月二日1 nomanomaさん 2022/04/07
    14:16

    十月二日 金曜日の朝、インターネットで京都市左京区のビジネスホテル大原を予約した。下着二組と学僧兵と廣川の三十年程前のパスポートをショルダーバッグに詰込んで品川の新幹線ホームに向かった。一〇時三七分発ののぞみに乗った。品川から千里中央の坂本に電話をかけ三時過ぎの訪問を打診した。差支えないという返答を聞いて新幹線に乗込んだ。乗込んですぐ学僧兵を読み始めた。〈主人公、有部昭夫は昭和元年十二月三十一日に生れた。実家は糸魚川横町の半農半漁で街道沿いで細々と判子屋もやっていた。兄弟は六人で照夫は下から二番目の四男だった。生れた時、長男は既に家業を手伝っており昭夫の弟が母の腹の中にいる時に、父が村相撲の最中に心筋梗塞で斃れた。昭夫が数え三歳の時だった。死んだのは昭和四年十月二十四日ニューヨークの株式市場が大暴落した日だった。父の死後、家計は長兄の肩に依存する事になった。最大の働き手を失い父が手がけていた家畜牛のせりの仲買からの現金収入がなくなり家計は苦しくなった。長女は尋常高等小学校を終えると担任が勧めたのにも拘わらず高等科に進まず毎朝酒屋で一升瓶を仕入れ魚市場であらくれの漁師相手に酒の茶碗売りを始めた。次男と三男の兄達も尋常科を終えると家業を手伝う様になったが田畑も狭く漁船も手漕ぎの小さな船だったので生活は一向に楽にならなかった。折から昭和恐慌が農村や漁村にも広がり冷害に見舞われた事もあって家族は生きてゆくのがやっとだった。尋常高等小学校を卒業しようとしていた昭和十三年の暮れ、近所に住む天津神社の宮司から知合の敦賀の寺で小僧を探しているという話が持込まれた。父の死後その宮司は何かと世話を焼いてくれてはいた。宮司の紹介で敦賀の浄土宗の古刹の小僧となる事になった。六年生の三学期の始業式に間に合う様に敦賀に向けて北陸本線に乗込む事になった。蔵妙寺では先輩の小僧、一歳年上の網田雄蔵と同じ部屋で寝泊まりする事になった。四月から敦賀商業学校に進み学年で一番になり糸魚川に里帰りする事だけを夢見る生活が始まった。寺には二歳年上の長男長蔵、一歳年下の次男次蔵、二歳年下の長女恵美、和尚と大黒さんがいた。着いた日の翌日から早朝の炊事と洗濯と掃除、朝夕の勤行、夕食後の風呂焚き、夜中の浄土三部経の写経という生活が始まった。中学校に進学して網田雄蔵と同じ校舎に通う様になると彼が開学以来の秀才である事を知る様になる。お寺の生活は過酷を極めた。慢性的な寝不足で登校中に歩き乍眠りこけ田んぼに転落する事もあった。精神的には大黒さんの陰湿な虐めが堪えた。自分の子供達より昭夫や雄蔵の成績の方がよく檀家の評判もいいのが面白くない様で、食事、着物、勤行、小遣等日常生活のあらゆる面で差別された。僅かな粗相でも厳しく叱責を受け、お布施をごまかしたとか何かにつけて濡れ衣を着せられた。そういう苦しい生活の中、雄蔵は昭夫を励まし二人で力を合わせて理不尽な大黒さんの仕打ちに耐えた。雄蔵は中学校を終えると京都の浄土宗の専門学校に進学した。長男長蔵は出征した。昭夫は蔵妙寺で唯一人の小僧になった。しかし京都に行った雄蔵と日めくりの様な文通が始まる。これによって二人の人生が同時進行で共有される事になる。太平洋戦争に突入し次第に物資が不足がちになり、中学五年の一年間が昭夫にとって一番つらい年だった。この年あと少しで学年で一番になり和尚から里帰りが許される所だったが、大黒さんの意地悪で何かと用を言いつけられ欠席が嵩み学年二番で卒業する事になった。卒業後昭夫も京都の浄土宗の専門学校に進む事になった。京都では蔵妙寺の和尚の兄弟子が住職を務める知経寺の方丈に寄宿し再び雄蔵と同居する事になった。京都での生活は敦賀と比べると天国の様だった。知経寺の住職は独身で寺の作務は九人の僧侶全員で行った。昭夫や雄蔵の様な学僧は五人いた。専門学校でも雄蔵の秀才振りは群を抜いており入学試験が満点であったという話は既に伝説になっていた。それを聞きつけた檀家総代の境伯爵が子弟の家庭教師にと雄蔵を求めた為、雄蔵と明るいうちに接触できるのは早朝の勤行と専門学校の昼休だけとなった。雄蔵は毎晩遅く境家から帰ってくる日常だった。雄蔵は毎夜真っ暗な方丈の布団の中で、寝物語の様にその日あった事を昭夫に逐一話してくれた。こうして二人の青春は重層的に共有される事になった。昭夫が専門学校の二年生になった時、雄蔵は海軍予備学生に応募し、全国第一位の成績で合格し、海軍航空隊に入隊した。再び雄蔵と昭夫との恋人同士の様な文通が始まる。境家の家庭教師は昭夫が引継ぐ事になった。境家での家庭教師生活は物資の乏しくなった終戦間際迄、丸で別世界の様に物資潤沢なひと時だった。昭夫は境家の長女に激しい恋心を抱いたが彼女の心は雄蔵にあった。昭夫は彼女の頼みで恋文を持って雄蔵のいる海軍航空隊を訪れるが雄蔵は既に特攻に志願した所だった。その事を彼女に告げると彼女は境家の当主に泣きつき雄蔵が特攻で死んだら自分も自決すると迫る。境家当主は嘗ての学友で海軍少佐の地位にある人物を通して雄蔵の置かれた状況を確認した。するとゼロ戦は払底し雄蔵が乗れる飛行機は存在しないとの事だった。しかし雄蔵の期の学徒生には不足していたはずの飛行機が前の期の学徒生から回ってきた為、終戦直前に雄蔵は沖縄の海に消えて行った。彼女は絶望の果て闇屋あがりの成金と結婚するが幸福を得る事はなく、やがて自殺して果てた。戦後昭夫は雄蔵戦死の経緯を明らかにしようとするが何者かが前の期の学徒兵を飛越えて意図的に雄蔵に特攻を命じたらしいという噂を知った〉という所で物語は終わる。読終えた時、新幹線は京都を過ぎた所だった。文通を通じて二つの人生を個性の異なる二人の若者が重層的に生きて行くという特徴のある小説だった。手紙の文面から相手の人生を知り手紙を通じてお互いにお互いの人生に関与して行く。一つの人生に対してその対処の視点が常に二通りあり恰も寄席の二人羽織の様な展開が随所にみられた。巻末の年譜で作者の経歴を見ると塔頭哲斗の本名は舘鉄人。小学校を卒業してすぐ京都の禅寺、清浄寺に出家している。そこから一門の中学校に通った。病弱であったため軍隊には行っていない。戦後一貫して雑誌編集の仕事をし三十代後半で作家としてデビューし五十八歳で没している。土岐は廣川がなぜ死の直前この小説を読んだのか、その理由を考えていた。この小説を読んだのは単なる偶然だったのか。自らの死とは無関係だったのか。なぜ態々図書貸出カード迄作って絶版の小説を読もうとしたのか。塔頭哲斗はあとがきの年譜によれば福井県若狭の生れである。敦賀は同県ではあるが主人公の昭夫は糸魚川の生れ、雄蔵は敦賀の生れとなっている。糸魚川という地名をどこかに書いた記憶があった。手帳をひっくりかして探すと長田の生地というメモがあった。小説を塔頭哲斗の自伝的要素の強い作品として読んでいたが昭夫のモデルはひょっとして長田と関係があるのかも知れない。
    ■新大阪には一三時二六分に到着した。駅の食堂で昼食を取ってから御堂筋線・北大阪急行南北線で終点の千里中央に向かった。千里中央で降りてからもう一度、坂本に電話した。自宅は阪急百貨店裏手のJ棟七階714号室との事だった。駅ビルの阪急百貨店で菓子折を購入した。こんもりと色づいた林の中にその棟はあった。侵食される様に紅葉した緑が公園の様に広がっていた。アルファベットのJが北側の壁に表示されていた。エレベータで昇り714号室の前でインターフォンを押すと鼈甲の老眼鏡をかけた、がたいの大きい煌く様な白髪の老人がドアノブに凭れかかる様にして出てきた。「トキはんでっか」土岐は早速名刺を取出した。「土岐と申します。すいません。お寛ぎの所自宅迄押掛けまして」「さあどうぞお入り下さい」玄関の右手が六畳程のフローリングの応接室になっていた。「お邪魔します。これつまらない物すが」と言い乍阪急百貨店の袋に入れた菓子折をセンターテーブルの上に置き応接室の小ぶりの布地のソファに腰かけた。「態々遠いとこを。今家内が出かけておりますんで不調法しますわ。でご用件の向きは」「廣川弘毅を覚えておられますか」「あのペテン師みたいな人。忘れ様にも忘れられしまへんわ」「先々週亡くなったというのをご存知すか」「そうでっか。そうゆえばわいよりも十近く年上だからいい年といえばいい年でんなあ」「電車の事故で亡くなったんすけど」「それは知らんかったわ」「その事について廣川の昔の事を調査しているんすが、先日、吉野さんに会う機会があって。吉野刑事を覚えておられますか」「吉野幸三!それに玉井要蔵」坂本は怒りとも驚きともつかない様に目を剥出して大声で叫んだ。「忘れたくっても、忘れられしまへんですわ。危く嘘の調書とられて、犯罪者にされる所でしたわ。わいは、ほんまに何も知らんちゅうセリフを何萬遍言わされた事か。仕舞には声がよう出ん様になりましたわ」「その嫌疑の詳細をお聞かせ願えますか」「おう何ぼでも話したる。今でも思い出すと腸がちょちょ切れるわい。あれは昭和五十四年の四月頃の事やった。廣川が夕方吹田工場にふらりと現れて開示なんたらっちゅう雑誌の記事にしたいんでインタビューさせてくれちゅう事で、こちとらそんな雑誌の事よう知らんけど中卒のわいにお話を伺いたいっちゅうんでまあ悪い気はせなんだな。吹田で一番高級な料亭で接待されて、いい加減酔わされたがてめえの言った事はよう覚えとる。工場長ゆうたかて使いっ走りみたいなもんで重要な決定は何でも梅田の本社で決めて、こちとらは言われた通りにやるだけの事で。そんなわいを接待してくれたんだからええ気分やったわ。その頃東証一部に上場したっちゅうんで本社を東京に移転した思う」「その時廣川にどんな事聞かれたんすか」「新製品の事やった思う。雨曝しになっても百年は持つっちゅう塗料で。でもそれはもう本社の方で記者発表しておったからそれ以上の事を知りたいのかと気ィ回してどうでもええ様な事をべらべら話した思う。他にも工場内の問題とか従業員の就業態度とか出入りの業者の事とかあれこれ聞かれたが適当に答えとった。要するに重要な事は何も知らされとらんので気楽に知っとる事くっちゃべってやったわ」「で吉野刑事と玉井刑事の嫌疑はどういう事だったんすか」「身に何の覚えもない事で同し事何遍も何遍も、不良在庫の事吹田の料亭でぺちゃくちゃと廣川に教えただろうちゅう事でしたわ」「不良在庫というのは」「さっきもゆうた様に新製品が出けたもんで半値以下でも旧製品は売れん様なった。新製品は研究開発の結果出けたもんと違うて、ひょんなことから偶然出けたもんで、そんなもん出けるとは知らんかったから旧製品大量に生産してた。三月初めの棚卸の時は新製品はまだ発表しとらんかったんで三月期の決算の時旧製品は簿価で評価したらしい。その事吉野と玉井は廣川に教えただろうっちゅう嫌疑や。新製品の発表で暴騰しとった株価が大量の空売りで反転大暴落した。それで億単位のカネぼろ儲けした連中にわいが加担したっちゅうて拷問みたいな取調べ受けたわ」「その不良在庫の事知ってたのは誰すか」「取締役は大かた知っとったんちゃうか。工場では工員は皆知っとった。じゃがそれが株取引で大儲の材料になるっちゅう事は学もないカネもないわしみたいなしがない工員には知る由もないこっちゃ」「坂本さんが情報漏らしていないとすると廣川がその頃にインタビューにやってきたのは偶然だったんすかね」「さあ知らん。悪知恵のごっつう働く奴らが何考えとるのか、こちとら学がないから訳が分らんわ」「では外部の人間で不良在庫の事知ってるのは誰だと思いますか」「取引先は皆知っとったんちゃうかな」「大量にある事も」「わいは隠しとったけど他の工員はぽっろっと漏らしたかも知らん」「じゃ大量にある事知ってた外部の人間は」「そりゃ会計士は知っとった思う。だけど会計士は内部の人間ちゃうんか」「その時の監査法人はどこす」「監査法人?」「会計士が属してた会社す」「自動車の名前みたいな。確かセンチュリーとか言っとったなあ」「セントラルではないすか」「いやセンチュリーだ。車と同し名前だった記憶がおま」セントラルなら廣川に結付くと土岐は考えた。長瀬はセントラル監査法人の代表社員をやっていた。代表社員の立場であれば自分が直接監査しなくとも工場の製品在庫の棚卸の評価損について知りうる立場にある。その情報を廣川に漏らして大量の空売りで大儲けする。いや態々廣川に漏らす必要はない。誰でもいいのだ。廣川が坂本に態々情報を取りに来たという事は廣川が知らなかったからだ。とするとインサイダー紛いの株取引と廣川のインタビューは時期的に偶然だったという事か?吉野と玉井は偶然でないと見て坂本を問い詰めた。とすると坂本が嘘をつき通したのか。土岐は改めて坂本の目を観察した。純朴そうな実直そうな頑固そうな目をしている。純朴で実直で頑固だから吉野と玉井の厳しい取調べにも耐えたと言えない事もない。土岐はそろそろ辞す事を考えた。「長居しました。何か思い出される事があれば名刺の電話番号迄お願いします」立上がってドアに向かう時サイドボードの上の額縁に収められた褒章が目に入った。褒章の二文字が隷書体の様な書体で書かれ桜花で縁取られた円形のメダルが黄色の絹地の様な帯に下げられている。土岐は思わず感嘆の声をあげた。「ほう、これは何の勲章ですか」坂本が嬉しそうに額縁ケースの前の土岐の横に並んだ。

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