「ねぇ、遼くん。さっきの話の続きなんだけどさ」
開発セクションに続く純白の廊下を歩いている最中、傍らを歩いている恵が声をかけてきた。
「? 何?」
「私のルカと組んでみない? っていう話よ。私、あれ割と本気で言ってたんだけど、
さっきは上手くごまかされちゃったから。ここで念を押しておこうと思って」
祐樹と同じく、恵とも入社当時からの付き合いなので、眼と口調から推測すれば、その言葉が本気かどうか分かってしまう。
今の恵の言葉は本気のもの。どうやら、マジで俺とコンビを組みたがっているらしい。
ちなみに、恵が言っているルカというのはボーカロイド“巡音ルカ”のこと。ハイトーンボイスとあどけないルックスが売りのミクに対して、ルカは広範囲に渡る音域をカバーできるハスキーな声と大人びた外見が売り。一言でいえばお姉さま様系だ。
勝気な性格の恵にはぴったりな相棒だなとつくづく思う。
「誘ってもらえるのは嬉しいんだけどさ。何度も言ってる通り、俺はボーカロイドを連れてないし、
今のところは必要だなとも思っていないんだ。デュエットでコンテストに出たいなら、祐樹のミクと組めばいいじゃないか。ミクとルカのコンビは相性ピッタリだし、祐樹の作曲センスはかなり良いと俺は思うぞ?」
「まぁね。私も祐樹は良い感してると思うわ。・・・けれどね、私はあなたの実力を見てみたいわけなのよ」
恵が笑みを浮かべる。いつもとは少し雰囲気の違ったその笑みは・・・まるで、俺を挑発するかのような、意地の悪い笑顔に見えてしまった。
これは、俺の勝手な被害妄想なのだろうか・・・?
「実力って・・・、前に俺が作った曲を聞かせてやったこと無かったっけ?」
「あれは“曲”だけだったでしょう? あなたが本気で完成させた“歌”を聴いてみたいなって思ったから、私はあなたを誘ってみたのよ」
開発セクションの入り口。半透明のシャッター脇に設置されたカードリーダーにセキュリティーキーを差し込み、恵は言う。
「本気・・・ねぇ。曲を作ってるときはいつもマジでやってるつもりだけど」
スゥと左右に割れるようにスライドするドア。このドアはセキュリティーの関係上、一人ずつしか入れないようになっている。恵は室内に入ると、ドアの前で振りかえり、また、さっきの挑発的な笑みを浮かべる。
「だからぁ、本気で作ってはいても、あれは“完成”じゃあない。単なるBGMだったら私はこんなこと言わないわよ。あなたが作った曲には絶対に詞がついてるはずなんだから。
・・・ボーカロイドが信用できないっていうのなら無理強いはしないけれど、あなたには、
曲を完成させてくれるパートナーが必要だと私は思うわ」
言葉だけを残し、ドアが閉まる。
俺の後ろにも何人か詰まっているので、さっさとキーを読み込ませて入室することにしよう。
・・・カードのスラッシュを連続でしくじったのは、本当に久々の事だった。
仕事がきっかり定時で終わる会社はとても珍しいと、高校からの友達によく言われる。
まぁ、予定外の仕事が突然舞い込んでくることなど、そうそう無い内容なので当然といえば当然のことだ。
それでも、辛くない仕事なんてこの世界には存在しない、というのが俺の持論。
短時間で集中して新しい開発プランを考えださなければいけない開発セクションでは、身体はともかく、脳を酷使する。
特に、今日はプランの追い込みでいつも以上に頭を使った。
家事、食事、入浴を済ませてしまった今、このまま寝てしまおうかと考えている午後九時。
・・・だが、こんな日に限って、眠れない理由が存在してしまうものである。
「・・・遅い」
座椅子の背もたれに寄りかかりながら呟く。もう、約束の時間を一時間ほどオーバーしているにもかかわらず、待ち人からは連絡の一本すら入らず、こっちから連絡をしても一向に出やしない。
いくら身内とは言っても、もう少し気をまわしてくれてもいいんじゃないかと本気で思う。
しばらくの間預かってほしいモノがある、と母親から連絡が入ったのは二日前の事だった。話によると、明日から一ヶ月、懸賞で当たった“世界一周旅行”に行ってくるらしい。
・・・俺の両親は、こういった懸賞モノに対してのくじ運だけはメチャクチャ良い。
実家に置いてある電化製品はそのほとんどが懸賞であてたものだし、つい二、三ヵ月前も、
なにやら数十万円相当の製品を当てたとかいう喜びのメールが入ったりした。
それでも、宝くじだけは絶対に当たらないというのが現実の厳しさである。
というわけで、旅行で留守にする間、俺が預かることになる荷物が届くのを待っているのだが、いい加減、脳の限界が近い。
「寝てやろうかな、マジで」
何の気なしに天井の発光パネルを見上げていると、ふと、昼に恵に言われた言葉が頭を過ってしまった。
完成していない曲。自分でもその事は理解していたつもりだったのだけど、他人からハッキリ指摘されてしまうと、事の重大さに改めて気付いてしまう。
・・・作曲なんて、所詮は趣味でやっているだけの事。確かに、音感を鍛えるという意味合いで考えるなら、仕事に役立つ趣味ではあるだろうが、俺が生活していく上では無くたってとりあえず問題は無い。
だから、恵の言葉は気にする必要なんてない。俺は俺で、無理ない程度に何の当たり障りもなくやっていければそれでいいのだから。
・・・・・・そうやって、自分の本心を誤魔化していた最中だった。
室内にインターホンの音が響き渡る。
まどろんでいた意識が目覚めると同時に、俺は立ちあがって玄関へと歩みを進める。
居間から台所を抜け、ちょっと怒っている事を強調するように、やや乱暴に玄関のドアを開いた。
「遅い! 遅れるなら連絡・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
脳がこの状況を理解するまでの時間、互いに見つめ合う。
「・・・こんばん」
咄嗟にドアを閉めてロック。ついでに、チェーンもかけておく。その場から一歩さがって、大きく深呼吸を一つ。まずは、自分が正気であることを確認する。
・・・オーケー、落ち着け。落ち着けオレ。まずは状況の整理をしてみようじゃないか。
ドアの向こう側に見知らぬ女が立っていた。外は明かりが少ないので、顔しか判別できなかったが、
銀髪のポニーテールに赤い瞳などという、ゲームかアニメでしかお目にかかった事が無い風体をした女性だ。
知らないから、俺の知り合いではない。当然の事だ。
こんな時間に俺を訪ねてくる見知らぬ人物。かくして、その正体は・・・
「は・・・はは。幻覚なんて初めて見たけど、めっちゃリアルに見えるもんだな。
いや~、とても勉強になった。でも、怖いからもう二度と見たくないな~」
もう考えるのも面倒、という理由もあって、俺の気のせいだという結論に達する。
けれど、決して根拠も無しに決め付けたわけじゃないぞ? なぜなら、俺が理不尽な閉め出しをかましてから一~二分ほど経過しているというのに、外からは何のリアクションも返ってこない。
やはり、俺の仮説通りあの人影は幻で、このドアの向こうに人なんて・・・
「・・・あの~、ドア開けてくれると嬉しいんですけれど。私、何か良くないことしましたか?」
控えめなノックと共に、か細い声が響いてくる。やはり、あれを幻覚だなんて思いこむのは無理があったらしい。
「マジかぁ・・・。誰だよ、あの女?」
外に訪問者が居る事が分かった以上、このまま放置しておくわけにもいかない。
この辺一帯は市街地から少し外れているので、治安はそれほど悪くない。けれども、例え相手が女性であったとしても、むやみやたらにドアを開けるのは得策じゃあ無い気がする。
こんなときに限って、カメラ付きインターホンすらもついていない古アパートを妬ましく思ってしまう。
「・・・よし、とりあえず話だけ聞いてみるか」
チェーンロックはかけたまま、鍵だけを開ける。まさか、ドアを開けた瞬間にチェーンカッターを滑り込ませて切断、なんていう荒技を繰り出す事は無いと思うので、こうしておけば、いきなり押し入られることはないだろう。
大丈夫! 万能武具“フライパン”はすぐ手の届く位置にあるし、万が一、こっちが制圧されても金目の物は・・・無いとは言い切れないが、とにかく、死ぬことは無いぞ、と自分に言い聞かせる。
・・・べ、別に、ビビってるわけじゃないんだからね!
チェーンの長さ分。大体十五センチほどドアを開き、外を覗き見る。
「どちら様ですか?」
声をかけると、女性もドアの隙間からこちらを覗きこんできた。
さっき、ほんの数秒だけ見えたものと同じ顔は、とても沈み込んでいるような表情に見えた。肌は真っ白で血の気が薄いし、眼の下には薄らとクマが浮かんでいる。
今の時期には付き物の、幽霊みたいなその雰囲気に、思わず息を呑んでしまう。
「申し遅れました。私は型式ナンバーXMR-312922。モデルネーム“弱音ハク”といいます。私のマスター、大月 ユリからの指示により、一ヶ月の間、貴方のもとで暮らすことになりました。よろしくお願いします」
淡々とした自己紹介の後に、軽いお辞儀を交える女性。・・・否、この目の前の存在を女性と呼ぶには少々間違いがあるだろう。
「形式ナンバーって・・・お前、もしかしてボーカロイドなのか? いや、その前に、俺の母親がマスターだなんて、そんな筈は無い」
俺の両親は音楽とは全くの無縁。なので、わざわざ高い金を払ってボーカロイドを手に入れるなんていうことはあり得ない。
この、“自称”ボーカロイドが言っている事は非常に信憑性に欠ける。
「恐らく、あなたは私の言う事を信用しないだろうとマスターが言っていました。その時は、これを渡すようにと」
俺が明らかな不信を抱いている事を察したのだろう、ドアの隙間から、二つ折りにされた一枚の紙切れを差し出してきた。
特に変わった点も無い紙切れに見える。危険物ではないだろうと判断したので、素直に紙を受け取り、開いてみる。・・・それは手紙だった。あまりにも癖が強い丸文字から、母親が書いたものである事が一発で分かる。
・・・どうやら、預かってほしいモノというのは、俺の正面にいるコイツであり、その預け物を届けに来た張本人は、車から降りるのが面倒だったので、俺に顔も見せずにコイツだけ降ろしてさっさと帰ったらしい。
「信用して・・・頂けましたか?」
少しだけ不安そうな声がかけられる。
疑いの余地が無くなった以上、このまま立ち話をしていても仕方が無い。
俺は溜息混じりにチェーンロックを外すと、ドアの前でしょんぼりした様子で立ちつくしていた相手を招き入れた。
続く
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