僕がカノジョに対して何の不満も抱いていないのかと聞かれたら、けしてそうではないと答えるだろう。では具体的にカノジョのどこが不満なのかと聞かれたら、僕は暫しの沈黙を経たのちに、きっと「関係性」だと答える。
関係性は繋がりであり、また積み重ねである。よって、それを構成するひとつひとつの要素は些細なことであったり、別れ話の理由としては取るに足らないようなくだらない話であることがしばしば。だから、具体的にと聞かれたところで大きな衝撃を以て示すことのできる逸話は、実はそれといって無い。
しかし、関係性が繋がりであり、また積み重ねであるだけに、その些細な日常がこれからも同じように積み重なっていくのかと考えると、僕はカノジョに対して不満を持たざるを得ない。否、カノジョに対してのみならず、その関係性の修正を試みるも幾度となく失敗を繰り返してきた自分自身に対しても、僕は相当多くの不満を抱えている。
自分自身に対する不満は、畢竟自信の喪失にも繋がるものであり、それゆえ、その自分自身の自信の隙間につけ込まれて、僕はまたカノジョにいいように扱われる。そのようにして積み重ねられてきた関係性だから、それを恨むのであれば、カノジョに対してどうこう言うよりもまず、自分自身の自信を修復しなくてはならない。
そんな時分、自分自身に自信を与えてくれる御仁が現れた。
カノジョに日々少々乱暴な言葉でけなされ続けてきた自分の欠点を、その人は単にけなさないでいてくれるばかりでなく、なんと時に褒めてさえくれる。女神のような、救世主のような、その人が僕に与えてくれたものは、大きな自信であり、また安心感であり、そして信頼感でもあった。
ふと立ち止まって振り返ってみる。僕は今まで一体カノジョに対してどのような安心感を持っていたのか。思うにそれは、従順に、時に卑屈に、いつでも何でも言うことを聞いて従ってさえいれば、けしてこの人に捨てられることはないという安心感。
そんな、極端な言い方をすれば飼い犬にも似た安心感に、これまでずっと慰撫され続けてきたことに思い至ると、僕の視界のうちに、本当に捨て去らなければいけないものがぼんやりと見えてきた。女神のおかげで視界が開けた分、今まで見えなかった、いや見ないでいたものが、いつの間にか否応無しに見えるようになってしまった。
僕は女神から、悪魔の眼を手に入れてしまっていたらしい。
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