ふっと隣を見ると、ちょうど20代半ば……私より2歳くらい年上に見える青年が、そこに立っていた。
仕事帰りなのだろうか、スーツを着ている。
そして……身長180cm位はあるだろうか?高い背丈と、服の上からでもわかる筋肉の量。
きっと普段から鍛えているのだろう、足にも腕にも充分に筋肉がついている。それでいて、ほっそりとした体格。
もしこれで高収入だったら、ほぼ8~9割の女性が結婚対象として考える男性の理想像であろう。
ちなみに顔はイケメンだった。

「……そうだけど」
「そっか、なら隣、空いてるよね?他いっぱいでさ。ここのカウンター席しか空いてなくて」

周りを見渡してみる。確かに席は全部埋まっているようだった。
いつもであれば、もう客も少なくなっている時間帯なのだが、今日はどういうわけか、客の数が多い。
雑談に興じている女子高生がほとんどだった。

「いいですよ、別に」
「おう、ありがとう」

男性は安心しきったように、手に持ったアイスコーヒーをテーブルに置いた。そして私の隣の席に腰かける。

「いやー、こまっちゃうよなぁ。こういうとこってさ、コーヒー飲み終わっても、お客さんはすぐには出ていかないよね。特に女性なんかは、世間話とかで盛り上がっちゃうしさ。席が埋まるわけだな」

彼なりの言い訳だろうか。向こうは、私が男にナンパされたのだと思い込んでいるらしい。

「ま、ここはそういうところだからなー。憩いの場所だから、別に悪いとは思わないけど」

ははは、と軽快な笑顔をこちらに向ける。
本来ならここで愛想笑いでも返すべきなんだろうが、私にはできなかった。
面白くて笑うという行為自体、私にはわからないから。

「憩いの場所、ですか」と、私は無難に聞き返す。
正直なところ、ターゲットや依頼者以外の他人とは極力接触するなと肝に銘じられている。
できるだけ自然な流れで、この場をおさめて、私は早く帰らなければいけない。

「そ、みんなの憩いの場所。アットホーム、って感じだよね」

アットホーム……、か。ふと考えてみる。
周りで談笑している女子高生やOLに、一人で読書をしながらコーヒーを飲む男性。
皆、自分の家のように、仕事や学校で張りつめた気を緩めている。
考えてみれば確かにそうなのかもしれない。

「みんなさ、色々背負っているものがあるんだろうね。で、ここは背負った荷物を、降ろすことのできる場所。
みんなが落ち着ける場所だと思うんだ」

アイスコーヒーに二つ分のシロップをいれ、マドラーでかき回しながら彼は言った。

「でも」

彼はその手をすっと止め、こちらに向き直る。

「君はどうしてだか浮かない顔をしてた。なんだか悩んでるように見えたよ、ここじゃないどこかを見つめて」
「……まぁね」
「まぁ、赤の他人がいうのもなんだけどさ。よければ、俺に言ってごらんよ。結構楽になるかもしれないぜ」

まさか。そんなので楽になったら、私は今こんなに思いつめていない。
仮に言ったとしてどうなる?
私は今、人を殺さざるを得ない生活環境で、悩んでる最中なんです。今まで何人も殺してきました。もうどれくらい人を殺めてしまったのか、覚えていません。きっと多分これからも殺し続けるでしょう。こんな生活にどうやったら区切りをつけられるのでしょうか、知っていたら教えてください。あとちなみに、人を殺しても何も感じないんです。

なんて言ったら、精神異常者か何かだと思われるだろう。
…いや、実際そうなのか。
人を殺しても何とも思わないなんて、相当な精神異常者だ。もはや疑いようもない。
……けれど、何とも思わないというその言い方には少し語弊がある。
私のプライドとして、少し説明させてもらうと。
確かに、眠っている人をそのまま殺す分には、もう何の問題もない。そのまま、眠ったように死んでくれるから。
ただ、意識のある人間を殺す事は、私には未だに出来ない。耳につんざく叫び声とか痛みに悶える様とか、あまりに痛々しくて、こっちが耐えられないから。
それでも、精神異常者には変わりないか。一般人から見たら、どっちにしろ危篤で、もう末期状態だ。
なす術なし、救いようのない犯罪者だと非難されること、間違いなしだ。

「……」

私が黙っていると、彼は独り言のように、言葉を続ける。

「言いたくないのなら、言わなくても構わないよ。でもひとつ言わせてくれ。
人生なんてのは、なるようになるもんだ。今が辛くてもさ、それが未来永劫続くとは限らない。辛いことを乗り切った後には必ず楽しいことが待っているもんだ。ものは考えようだってことさ」

そんな馬鹿な。そんなことを本気で言っているとしたら、この青年は、頭がお花畑か何かだ。
人生なんてなるようになる?辛いことの後には楽しいことがある?なんて、なんて薄っぺらい言葉。なんて白々しい絵空事。
辛いことの後に、楽しいことがあったことなんて、私には一度もない。むしろ辛いことしかない。
そんな苦しみを、きっとこの人は味わったことがないのだ。そんな考えがまかり通るなら、彼が歩んできた人生はその程度のものだってことだろう。
努力すれば報われると思ってたり、信じていれば叶うって思ってたり、そういう人間が私は一番嫌いだ。
一体何の根拠をもって、必ず、なんて言葉を使うんだ。そこまで妄信している理由は何だ?
世の中には努力したって信じたって、報われないし叶わないことだってある。私がいい例じゃないか。

きっとこの人は、そんな理不尽な思いを、今まで一度だって経験したことがないから言えるのだ。
私がいくら抗ったところで私の願いは叶えられない。きっとまた監禁されるだけ。最悪そのまま殺されるかもしれない。結局、私は奴の掌の上。
そんな絶望にも近い状況を、一度だって味わったことがあるのか?
そう問いただしたくなった。心の中で静かに燃えさかる怒りは、その沸点を通り越して、嘲笑へと変わる。
思わず声を出して笑ってしまいそうになる。

「あ、その目、信じてないな」

目に出ていたのだろうか。彼は私の心を読み取ったかのようにそう言った。

「当たり前でしょ?そんな使い古されたような謳い文句なんて、私には信じられない」
「だろうね。自分でも歯の浮くような言葉だとは思うよ。でもさ」

彼は一気に、シロップの混ざったアイスコーヒーを、煽る。そして、ふうとため息をついた。
そしてまた私に向き直り、言う。

「信じなければ、何も始まらないよ」

そう口にする彼はいたって真面目だった。
その言葉には確かに重みがあって、あまりの真剣さに私は少し気圧される。

「なんとなく、そう思うんだよな。別に何の根拠もないけどさ。でも、信じる気持ちって、大切だと思うんだ。
大切な人とか、想いとか、夢とか、ひたむきに想い続ける気持ちそのものが大事なんだよ。現実には起こりそうにないことでも、越えられないような逆境に立っても、信じ続けること。信じる気持ちって、ほとんど愛する気持ちと同じなんじゃないかな」

彼はそこまで言い切ると、途端にはっとなって、顔を赤くする。

「っと、また綺麗事に聞こえちゃったか?改めて言葉にしてみると、俺すげー白々しいこと言ってるな。うわ、恥ずかし」

照れるようにして、彼は笑った。

「でも、俺は真剣にそう思ってる」

彼は、カタリと静かに席を立つ。手の内にあるアイスコーヒーはもう空っぽだった。

「んじゃね。ま、あんまり思いつめないように。あと、そうだ」

その男は何か思い出したかのように、スーツの内ポケットから、何かを取り出す。
小さな、銀色のスチールケースだった。
それを開け、中から紙を一枚とってテーブルに置き、すっと私に差し出す。

「俺の名刺、ね。渡しとくよ。なんかあったら、話聞くからさ。ま、人生楽しんだもん勝ちだ。ストレスは溜め込んだら駄目だぜ」

そう言い残し、彼は去って行った。彼が消えたことで、私の周りには再び静寂が訪れる。
彼は…なんだかよくわからない人間だった。普通、コーヒーショップで出会った赤の他人に、名刺なんか渡してくるものだろうか。なんだか胡散臭い。

ふっと、外の景色を見る。私が座ったカウンター席の目の前にはガラス張りの窓があって、そこから外の景色がよく見えた。そこから目に入ってくるのは、ビルや、街の明かりがほとんど。帰宅ラッシュはもうとっくに過ぎていたが、それでも家路に急ぐサラリーマンや学生がちらほらとうかがえた。
その景色の中で、一際目立つのは、目の前の大きな桜の木。都会のコンクリートジャングルにどっしりと根を張ったそれは、私の目に一番に映り込んだ。
工場とか、自動車の排煙ガスが混ざりこんだ汚い空気の中でも、都会の喧騒にまみれても、木はたくましく育っている。その証拠に、桜の花がたくさん咲いていた。八分咲きといったところだろうか。このペースならば、じきに満開の花を咲かせて人を魅了するだろう。
実際、私も少しその桜に魅せられていた。桜の花ではなく、その木の逞しさに。
植物というのは強い。物言わぬその静かな強さには、ある意味尊敬する。
アスファルトとアスファルトの隙間に根ざしたタンポポとか、踏まれても強く生きるオオイヌノフグリとか、枯れても枯れても、繁殖し続けるホテイアオイとか。
そしてあのように、大都会という場違いな場所でも、堂々と生きる桜とか。
たかが植物、だなんて私にはあなどることができない。
特にホテイアオイなんかは、繁殖力が強すぎて「青い悪魔」だなんて恐れられるほどで。

一体どうしたら、あんなに強く生きられるんだろう。私はその強さがうらやましい。私もそんなたくましさがほしい。
もしも出来ることならば、分けてもらいたいくらい。そんなこと、出来るわけもないけれど。

「……」

少しボーっとしていた。そして、ハッと我に返る。
いけない。また見果てぬ夢を見てしまっていた。ないものねだりは悪い癖だ。

「ふう」

空っぽになったコーヒーカップを見つめる。
どうも今日は調子が狂う。昔のことを思い出したり、男にキザったらしいセリフを言われたり。
もう帰ろう。今度こそ帰ろう。そして寝よう。今日のことはもう忘れてしまおう。
そう思って席を立った時、テーブルに置かれた名刺が目に入った。

そんなもの、本当なら気にすることもなかった。このまま見なかったことにして、帰ってしまえばよかった。
でも私は、その名刺の存在に気づいてしまった。





『警視庁 捜査一課 課長(警視正)
   
     始音 海人 

  東京都千代田区霞が関2-1-1 085-×××-××』

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。1-3

閲覧数:79

投稿日:2014/08/12 23:55:18

文字数:4,388文字

カテゴリ:小説

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