考えてみてよ文章の中に
一々(いちいち)「私」と入れたなら
文章の中は「私は」だらけで
読み辛(づら)いったらありゃしない

考えてみてよ文章の中に
一つも「私」が無(な)かったら
誰が主役か解(わか)ら無い
気は入らずに魂(たましい)も籠(こも)ら無い

自我の塊(かたまり)?良いねえ其(そ)れ
手応え有って好ましい
自分が世界の真ん中に居ると思ってる?
良いねえ其れ
意思を感じる態度だよ

皆が皆他人と仲良くする為に
其の他に成ったらどう成るよ
誰も主役が居無くって
誰も責任取ら無いね

其々皆が主役を演じるんだ
其々皆が自分を行え
山が幾つも盛り上がる
主役と主役の譲り合い

其の他と其の他の譲り合いしたら
誰も遣(や)ら無く成るでしょう
主役同士の譲り合いならば
誰かしらは役を得るから

主役と主役が順番こ
目立つ順番決めようか
目立ちたく無い人なら
裏役の仕事の順番を決めようか

順番に活躍すれば
皆が皆自分が世界の中心だって思っても
ぶつかり合いが無いでしょう

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

主人公私

 文章では、私は~だと思いますと書く事がアイデンティティーを確率する為には必要だと私は考えて居ります。
自分はこうだと言う事は、もしかして相手は違うのかも知れ無いと思う事が出来るきっかけに成ります。
「私は」と自分と他人を区切る事は、他人のより深くを引き出す為に必要です。
自分と他人は違う。
其(そ)れを意識した上で、仲良く成る事は馴れ合いの仲の良さよりも格が上の仲の良さだと私は考えて居ります。

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投稿日:2013/06/14 23:26:51

文字数:442文字

カテゴリ:歌詞

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