《1》
 地球の両極にある氷の塊はもう1/2が海へ溶け出してしまったらしい。
 “らしい”と言うのは俺が生まれてから毎年同じようなことを聞かされているからで、そんな極寒の地とは無縁の生活を送っている俺にはいまいち想像がつかない。
「この場所も50年前は分厚い氷の下にあったんです。信じられますかっ!?」
 南極の大地に立つ女性リポーターが、今朝テレビの中でそんなことを言っていた。
 10年前にも同じような風景を見た気がする。

 『100年経っても大丈夫!』とタフさを売り場でキャッチフレーズにしていた我が家のエアコンも、この暑さで今朝嫌な音をたてて停止した。現在2歳。メーカー修理はすでに3回経験している。
 ――今度は修理屋になんて言われるだろ。
 そんなことを考えながら、俺は地下鉄の構内から地上に出た。

 外を歩けば、まるで砂漠の中を歩いているんじゃないかと思えてしまうほど、ここ数日は猛暑が続いている。
 遠くの空にかすかな夕焼け色を残して、暗い青が一面に広がる。
 もうじき夜を迎えるこの街を歩く人々は、力なくさまよう亡者のようだ。
 誰もがこの暑さに負けて生気を失っているように見える。
 その亡者達の中に俺も加わった。
「雨でも降って涼しくなんねぇかな……」
 人ごみの中を歩きながら、ぽつりとそんな独り言がこぼれる。
 手ごろな避暑地を探そうと辺りに視線を巡らせた。
 道路沿いの店先ではすでに秋商品の宣伝が始まっていて、壁一面を使った大きなウィンドウディスプレイがとりわけ目立っていた。
 そこの前に差し掛かったとき、その中に佇む長い髪の少女の姿が目に入った。


 違う……人じゃない。
 少女の姿をした"それ”は、微笑みを浮かべたままどこか空中の一点を見つめていた。
 目鼻立ちにまだ幼さが残っているところからすると、人間にすれば十代半ばくらいだろうか。
 漫画の中から抜け出てきたような、街中を歩くには少し抵抗のある近未来的なコスチュームに包まれている。
 衣装の袖に付属しているパラメータ類が、彼女の正体を教えてくれた。
「VOCALOID……」

 それがこの動かぬ少女の正体だ。

 ある会社が開発した音声合成技術の総称であり、その技術を利用した人間そっくりの歌声を奏でるソフトウェアの製品名。
 そしてソフトウェアに設定されたキャラクター達の代名詞でもある。
 本体はCD-ROMに収められたソフトウェアそのものであり、これは手の込んだ宣伝用の立体映像のようだ。
 彼女の足元に置かれているソリッドビジョン・プロジェクタが忙しく稼動しているから間違いないだろう。

 しかし今では、どんな環境でもより簡単により人間らしく歌ってくれるVOCAL-AIが代頭し広く浸透しているため、VOCALOIDを使い続けている人間は、ごくわずかだろう。
 発売当初よりやや落ち込んだ価格を表示しているポップには、『ネギもついてこの価格!!』と手書きで書き足してある。
 当時流行ったこのネタは知っている人にしか通じないだろう、と俺は苦笑した。

 うちにもVOCALOIDがいる。
 いや……“ある”と言った方が表現としては正しい。相手はただのソフトウェア、ただのプログラムだ。
 でも、歌わせたことはない……一度も。

 俺は動かぬ少女に訊ねてみた。
「なぁ、おまえならどんな歌を歌うんだ……」
 けれど、彼女は空中を見つめたまま、言葉を返してくれない。当然だ。
 俺は自分が今したことを馬鹿らしいと苦笑して、足早にその場を後にした。

《2》
 家の前に辿り着いた頃には、暑さはだいぶおさまってきた。

 市街地の外れにある少し年季の入ったアパート。
 その2階の一番奥、一人暮らしには少し広い気もする一室が俺のいつもの帰る場所だ。

 入り口のドアを開けても、迎えてくれるのはいつも低くうなる家電の稼働音だけ。

 部屋の隅にあるデスクトップパソコンの電源を入れ、その動作の延長でそばの窓も開ける。
 日中の日差しで暖まった部屋の空気が窓の外へ逃げていく。
 代わりに外から運ばれてきた風には、湿った土の匂いが混じっていた。
 もしかするとこれから雨が降るのかもしれない。
 
 窓から見える夜空には、今にも消えてしまいそうなくらい弱く輝く星がいくつか見え始めていた。
 人口の光あふれる夜でも明るいこの街の空で、これだけ星が見えるのは珍しいことだ。
 薄暗い部屋の窓辺で、俺はパソコンが起動していく様子を眺めていた。

 しばらくして、見慣れたOSの起動画面が映る。
 もう何年も変化の無いディスプレイに映るのは、ごみ箱のアイコンと用途も覚えていないいくつかのDTMソフトだ。
 最終アクセス日時はどれも数年前から変わっていない。
 その中の一つに俺のVOCALOID――初音ミクがある。
 これまで発表されたどのアップデートも施されていない、まだ歌い方に不自然さが残る電子の歌姫。
 この歌姫は歌を知らない。

 ミクがこのパソコンにインストールされたその日、俺は音楽をやめた。
 きっかけは、今思い出すとひどく情けないものだったと思う。
 当時、地元ではそこそこ有名なバンドの中の一人として、俺は仲間と一緒に上京してきた。みんなでメジャーを夢見てひたすらに前へ前へと進んでいた。目の前をふさぐ壁にぶち当たれば、みんなでそれを乗り越えていった。
 しかし、ある日招待されたプロのライブを見て驚愕した。自分たちの実力と目指していたメジャーというハードルの高さを思い知らされたんだ。
 目指す高みに少しでも近づこうと俺たちは必死になって努力した。けれどどれだけ時間が過ぎても目標と俺たちの距離は縮むことはなく、俺たちのバントの勢いと音楽への情熱は徐々に失われていった。
 最後には、まるで脱け殻のように何事に対しても興味を持てず一人また一人と仲間は去っていき、自然消滅する形でバンドは解散した。
 残っているのは作りかけていたタイトル未定の楽譜だけ。
 ミクはその仮歌を歌わせるつもりで購入した。なのに初陣となる仮歌はおろか誰にも知られず一言も発せずに、ミクはDTMソフトとしての役目を終えた。
 それからずっと、俺は音楽から離れるように日々を過ごした。
 だからこの画面を見るのはそれ以来になる。

「少し冷えるな」
 窓から入ってくる冷たい風が俺を現実に引き戻した。
 気がつくと部屋の中は帰宅したときよりも冷たい空気に満たされている。
 温度計に目をやると、まだ夏だというのに10度を下回っていた。
「おいおい」
 エアコンが動き始めたのかと思ったが、それは今朝と変わらず沈黙したままだ。
 昼夜でがらりと気温が変わるのはいまに始まったことではないが、ここまで極端なのは体験したことが無い。
 窓を閉めようと枠に手をかけ、外の光景に言葉を失った。

 ……オーロラだ。

 近隣の家々からも同じような感想が聞こえてきた。
 写真やテレビでその映像を目にしたことはあったが、メディアを通さず直接見るのは初めてだ。
 赤い光の帯と白い光の筋が幾本も夜空を舞う。
 寒さも忘れてしまうほどのその光景にみとれていると、街の中心から次々に灯りが消えていくのが見えた。
 商店街の人間が気を利かせて照明を落としたのだろう。
 そう思った瞬間――パソコンのディスプレイが突然消えた。

「停電!?」
 玄関先でブレーカーを確認してみたが、やはり街全体で停電が起きているのか、どれも落ちてはいない。
 無音が支配するこの部屋のすべてを、窓枠に切り取られた色鮮やかな夜空が照らす。
 現実味を帯びないその不思議な光景はどこか不気味で恐怖さえ感じられる。

 電気は程なくして復旧したが、一秒も経たずに再び夜の闇が部屋中を覆った。
「なんだよ……発電所の故障か?」
 電気の回復を待つ間、あの絵画のような光景を眺めていると一箇所だけ変化が起きていることに俺は気がついた。

 パソコンがひとりでに再起動を始めている。

 だが、いつまでたってもOSの起動画面が出ない。
 黒一色の背景に、文字化けして意味不明な白い呪文のような記号がどんどん画面の下から現われ、上へ押し上げられるように消えていく。

 流れていくスピードはバラバラだが、一度として停止することはない。

 だんだん流れるスピードが速くなる。それに呼応するように、ディスプレイの発光が強くなる。
 あっという間にそれ一つで部屋全体を照らしだすほどの強さになっていた。
 眩しくて目を開けていられない。
「何……なんだ……一体?」
 顔を覆う手の隙間からかろうじて見えた視界の中で、拡散していた光が徐々に収束していく。
 それは最初はうっすらと、やがてはっきりと、まるで毛糸でセーターを編んでいるかのように、光の束を絡ませて空中に紛れもない人の姿を形成していった。

 胴体から手足へ。
 頭部を成すと次は異常に長いツインテール。
 指先まで形成が済むと、溶けたチョコレートでコーティングするように全体がくすみのない肌色で覆われる。
 ほぼ同時に独特なデザインの服もその上に形成された。

 “少女”の姿を形成し終えると、ディスプレイは役目を終えたかのように急速に光を失い、他の家電と同様に闇夜の一部と化した。あとに残るのは、窓の前に佇む一人の少女の姿のみ。
 暗闇とオーロラの夜空を背景に、そこにいるはずのない少女が立っている。
 その少女の名前を、俺は知っていた。

「……初音……ミク」

 呼び掛けに答えるように、目の前の少女――初音ミクが今、ゆっくり目を開いた。


――#1『8月のオーロラ -unlikely meeting-』完

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◇◆あとがき◆◇
 皆様はじめまして、U_1といいます。
今回初めて小説書かせていただきました。
 『8月のオーロラ -unlikely meeting-』いかがだったでしょうか?
 VOCALOIDほとんど出て無くてすいません……。
 っていうかVOCALOID台詞ひとつも無くてすいません……。

 この物語では、僕らのいるこの世界同様、VOCALOIDはアンドロイドでも妖精でもなく、ただのソフトウェアとして存在しています。
 なので、人と共存しているシーンはありません。
 ただのソフトであるためにVOCALOIDの台詞が無いんです。
 期待してくださっていた方すいません。

 偶然にもミクの誕生日にこの話を投稿することができました。

 この後も物語は続いているんですが、この物語の反応を見てから続きを投稿してみようかなと思います。

 ご意見、ご感想、ツッコミ等たくさんいただけたらうれしいです。
 では、次の話(あるのかな…)でお会いしましょう。

 2009.08.31

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

#1 『8月のオーロラ -unlikely meeting-』

あとがき追加しました。前のバージョンであとがき無し版が読めます。

初めて投稿しますU_1です。
"#1"とついているのはこのタイトルをサブタイトルの位置づけにしているためです。
メインタイトルは全部書き上げたら追加する予定です。
その全部がいつになるかわからないんですけどね……。

この話の続きは現在書きかけなので出来上がったらまた投稿したいと思ってます。
ご意見ご感想ツッコミその他もろもろ、お待ちしております。

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投稿日:2009/08/31 09:27:17

文字数:4,541文字

カテゴリ:小説

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