「……ゆっくりでいいよ。私はいつまでもここにいるのだから」
北西から吹く冷たい風とは裏腹に、暖かい午後の日差しが優しく私の体を包み込む。
私が君に出会ったのは、そんなアンバランスな日のことだった。
「ドサッ」
何かが私の上に落ちてきた。
ひんやりとした、肌を刺すような感覚に私は目を覚ます。
意識がはっきりしてくると、小さな声が私の耳に届いた。
「あれ? 体が上手く動かない……それに目もよく見えないや」
声の主は、鬼灯のような真っ赤な目を片方失い、体を歪に歪ませていた。
見窄らしい姿ではあるが、声を聞く限り、痛みの類はないようだ。
「ん? どうしたの?」
私が声を発すると、
「わっ! ビックリした。いきなり話しかけないでよ」
私の存在に気がついてなかったらしい声の主は驚きの声をあげた。
反応が返ってきたということは、辛うじて繋がっている緑の大きな耳は、まだその役目を果たしているらしい。
「いきなりって……私が昼寝をしているところに、いきなり君が降ってきたんだよ?」
私がそういうと、君はまたも驚き、残った片方の目を凝らして辺りを見渡した。
「えっ? 僕、学校でみんなが遊んでるの見てて、そしたらウトウトしてきちゃって……」
君は懸命に自分が置かれている状況を整理しはじめた。
簡潔に状況を整理してみると、君は学校でうたた寝をしているところを、誰かに運ばれてここまでやってきて、
そして私の上に落とされたところで目を覚ましたということらしい。
「そういう貴方はここで何をしてたの?」
一通り状況を整理し終えたところで、今度は君が尋ねてきた。
「昼寝かな? あとは何もしてないよ? 私は動けないからね」
「なんで? なんで足があるのに動けないの?」
君からの質問が続く。
「私の足を見てごらん。四本とも頑丈なネジで地面に固定されてるだろ? だから僕はここから一歩も動けないんだ」
「じゃあ、ずっとここに一人でいるの?」
少しだけ表情が悲しげになったが、君は言葉を続けた。
「……ずっと一人で寂しくないの?」
「うーん、寂しくはないかな? たしかに私は動けないけど、ここから見えるはいつも同じってわけじゃないからね」
寂しくないと口では言いながらも、やはり心の何処かで寂しさを感じていたのだろうか。
それとも、普段自分が感じていたこの感情を、誰かと共有したかったのだろうか。
いつしか私は、夢中になって君に、自分がいつも見ていた景色を話し始めていた。
ボール遊びをする子供、愛犬と散歩に来る老人、ジョギングをする青年、毎日同じようで違う景色。
春には桜が咲き、夏には緑が芽吹き、秋には虫が鳴く。
「そして冬には、君みたいな珍しいゲストにも会えたりするからね」
どれくらいの時間、話をしていたのだろう。
気がつけば真上にあったはずの太陽は斜めに傾き、色を変え始めていた。
私が話を終えると、真っ赤な目をこちらに向けて、話に耳を傾けていた君が、自分の異変に気がつく。
「あれ? 僕の体、小さくなってるよ?」
私と話し始めた時よりも、君の体は目に見えて分かるほど小さくなっていた。
「君の体は時間が経つと溶けてしまうからね……」
私の言葉に不安気になる君。
「溶けたらどうなっちゃうの? 僕、消えてなくなっちゃうの?」
そう言いながら表情を曇らせていく君に向けて、私はゆっくりと口を開いた。
「なくなったりしないよ? だから安心して。君はこれから旅に出るんだ。私が決して見に行くことができない景色を見に行く旅にね。
ずっとずっと長い時間をかけて、色んな所に行って、色んな景色を見て、いつかまたここに帰ってくるんだ」
君の表情が少し変わったのを見て、私は言葉を続けた。
「だから不安になることなんかないんだよ?」
私のそんな言葉を聞きながらも、君の体はどんどん小さくなっていく。
「うん、わかった! じゃあ今度会う時は僕が色んな景色の話、聞かせてあげるね」
残り少ない小さな小さな体で、君は笑顔を作って私に言った。
「楽しみにしてるね」
私も笑顔を作って返した。
そして君は「いってきます」の声とともに、私の視界からいなくなった。
君にはもう届かないかもしれないけど、私も「いってらっしゃい」と小さくつぶやいた。
いつか君が旅先での話を聞かせに来てくれる日を楽しみにしたいから。
「……ゆっくりでいいよ。私はいつまでもここにいるのだから」
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