子供とは、純粋であるが故に異質な存在を拒む。当時小学五年生だった僕は、イジメを受けていた。ただ、小学生ならではの机をくっつけるルールで、十数センチほど離されるとか、今考えればちゃちな嫌がらせだ。だけど、一旦の拒絶を受けることは、子供にとっては耐え難い仕打ちだった。そんなネチネチしたイジメが一年ほど続き、僕の心は荒廃していった。
 
 六年生になって、同区に住む先輩から「チャット」なるものを教えてもらった。当時はインターネットの接続スピードが鰻上りに速くなっていた頃だ。そして、この「チャット」は、電子メディアでのコミュニケーションツールの先駆けだった。
 
 興味本位で始めてみると、みるみるとハマりこんでいった。学校で習ったばかりで、たどたどしかったタイピングも、あっという間に上達した。見ず知らずの人間でも、自分と対等に話をしてくれるのが、たまらなく嬉しかった。
 
 夏のある日、いつも通りにチャットをしようと、パソコンに向き合う。一種の廃人状態だったのかもしれない。普段会話をしている「普通部屋」を離れ、「中学生部屋」というところに会話の場所を移した。

「こんちゃ~♪小学六年生ですが、入っちゃいました(笑)」
「こん~。小六!?若~い!」

 この頃、小学生でチャットをしている人物は、自分以外に見たことがなかった。それを考えれば、当然の反応だった。そしてまた、部屋名の表記と学年が違う事を気にもせずに受け入れてくれる事が、嬉しかった。

 もはや中学生部屋の常連となった七月。普段のメンバーが入室する時間帯もわかっていたので、その時間帯を狙って入室する。

「ばんちゃ~。昨日ぶり(笑)」
「こん~♪アタシとは、初めてかな?」

 それは運命的な出会いだったのかもしれない。彼女のハンドルネームは、「褌美」といった。そこから会話を積み重ね、親しくなる。彼女が携帯電話、僕がパソコンで、メールアドレスを交換するまでの仲になった。そして、時は流れる。

 僕は、中学校に進学した。それまでの小学校の同級生に加え、他の小学校から大勢の面々が増えた。相変わらず異質な僕を見る視線は、奇異に触れ、どこか怯えている様だった。未だに、そのイジメは尾を引いていた。女子グループはすぐに仲良くなり、その虐げの輪を拡大してゆく。気付いた時には、僕はまた一人ぼっちだった。

 生活のサイクルは変わらず、暇があればチャットに明け暮れる日々だった。そんな僕に転機が訪れたのは、中学一年生の秋だった。携帯電話が手に入ったのだ。喜び勇んで彼女に報告して、メールを送る。

「ケータイ買ったよ~!」
「よかったやん♪」

 そうして次第に、チャットをするためにパソコンの電源を入れることが無くなっていった。彼女とのコミュニケーションを図りたい一心でやっていたようなものだった。メールのやり取りを重ね、ついにその時が来た。

「ちょっと、聞いて欲しい事があるんだ・・・」
「どうしたの、急に(笑)」
「実はね―――」

 そこに綴った想いは、自分がガン患者であったという事。その治療の結果、右眼球を失い義眼をはめ、隻眼であるという事。その事が原因で、イジメを受けているという事。彼女が初めてだった。僕の経歴を、偽りもなく話したのは。本当は、返信を見るのも怖かった。また拒絶されるんじゃないか、と。だけど、彼女は違った。

「・・・・・・バカみたい」

 ただ、一言。最初は訳がわからなかった。しかし、そのメールだけでは終わらなかった。少し呆けていると、連続してメールが届く。

「君がどんな過去を持っていても、関係ないじゃない」、「その人達、子供やね(笑)」。

 一瞬で、何かが吹っ切れた気がした。そして、自分の中で何か意味深な感情が芽生えた事を自覚した。

「好きです。付き合ってください」

 翌日、そう告げた。何故かはわからないけど、指先は迷いもなくその言葉を打ち込んでいた。しばらくすると、返事が来る。

「いいよ♪」

 彼女にしてみれば、軽い気持ちだったのかも知れない。ネットで出会った人から告白されて、困惑の色も無しに返事が来た。それは、半ば受け流された証拠だろう。けれど当時の僕にしてみれば、そんな推測は頭の片隅にもなかった。自分を受け入れてくれた人に告白して、認めても貰えた。その事だけが全てだった。

 そんな歪んだ恋仲が、いつまでも続く事は無かった。想いを告げてから三ヶ月程。普段の会話の中で、不意に彼女が口にした言葉だった。

「別れよう?」

 世間一般で言えば、「フラれた」というのだろう。だけど、不思議と未練も何も残りはしなかった。

「うん」

 一つ返事で送ると、すぐに次のメールが届く。その中に紡がれていた言葉は、僕と彼女の今の関係を物語っている。そしてそれは、それまで日常だった彼女が、僕の中で女神の様にかけがえの無い存在になった言葉だ。

『会えなくても、ずっと友達でいようね?』

 その言葉から、僕らの関係は友達以上恋人未満となった。それを告げられた時は丁度、冬休みだった。もちろん、数日もすれば学校が始まるような状況だ。喪失感などなかったし、遠くにいる彼女が、より近くに感じられる気がした。

 休みが明けて、無気力に学校との距離を縮める。いつも通りに教室のドアを開けて、自分の席に座る。上の空になっていると、一人の噂好きな女子が声を掛けてくる。

「あんた、彼女出来たの?」
「あぁ。でも、別れたよ」

 そこから、何やかんやと問いただされたが、彼女の素性は何一つ明かしていない。また、明かそうとも思わなかった。そこには、誰かに言ってしまえば彼女との日々はセピアに褪せてしまうのではないか。そんな想いがあったのだろう。僕自身、未だに彼女を好いていたし、何より大切だと思えた。

「へぇ~」

 最後には、あまりに口を割らない僕に対して飽きたのか、その級友は他の友人のところへと歩いていった。何かいつにも増して物騒に感じられたが、思い違いだった。それまでまともに会話をしたことが無かったクラスメート達と、会話があった。机の間隔を空けられるだけの、幼稚なイジメも姿を消していた。勝手な推測としては、僕が恋をするような全うな人間であるとわかったから、態度が変わったのだろうと思う。別に僕はそれを追及しなかったし、しようとも思えなかった。

 彼女との出会いがくれたのは、人間らしさという、僕に一番足りなかったものかもしれない。今では、当時のチャット仲間とも連絡を取っているし、それは彼女ともだ。

 勝手な信仰心のようなものかもしれないけど、彼女は僕にとっての礎であって全てだ。彼女と出会って、恋をしなければ、今も暗い暗い世界に閉じこもっていただろう。別れたからといって、関係が無くなるという訳ではないのだとも知った。僕はどこかで、誰かと交わって関係を失う事に恐れを感じていたのかもしれない。
 
 彼女との出会い、会話、日々の全てが、僕の荒廃した心に光となって降り注ぎ、枯れ果てていた希望、感情の木々に生命を吹き込んだのだと、今は素直に思える。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ch.Chat

channelには、「選局」「方向」などの意味があり。
chatには、「おしゃべり、談笑」「気軽に」という意味があります。
作中では、チャットというコミュニケーションツールを指す言葉にもなります。

閲覧数:165

投稿日:2011/03/14 22:26:17

文字数:2,940文字

カテゴリ:小説

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