【グミサイド】
目の前には、目隠しをされた男が倒れている。否、倒れているというよりも転がされて放置されているといったほうが正しいだろうか。
黒い帯で手足を縛られ、目隠しをされ、言葉も発せられないように口も縛られていたので、どんな顔をした男なのかは知らない。
しかし、状況が状況だったので、男が不快感に顔をゆがめていたことを想像するのは難しくない。
仮に百歩譲って、彼がマゾヒストだとしても、この状況には喜んでもいられないのだろう。
なぜなら彼の腹にナイフが刺さっているのだから。
つい今しがた刺されたばかりなのだろうか、その服が鮮血に滲んでくるのが分かった。
何かをひたすら訴えるような、叫び声が、その縛られた口を通して漏れ出る。
助けてくれ、とでも叫んでいるのだろうか。だが周りには助けるものなんて一人もいない。
その声は虚無となって消えていくばかり。
『さぁさ、"8番目"?教育を受けたい受けたいといっていたお前に、特別"いいこと"をさせてやる』
『い、……いい、こと?』
その不気味な声と状況に、私は正気を保っていることすら危うくなる。
ちょっと押されでもしたら、立ちくらんで倒れてしまいそうなほどに。
『あぁ、いいことさ、いいこと』
それは何……?なんて聞く勇気はなかった。聞いてはいけないような気がした。
この状況は、ヤバい。ここから逃げたい。だけど逃げようにも、足がすくんで動かない。
『これであいつの心臓を止めるんだ。なぁ?お前にならできるだろう?銃の撃ち方も教えたろう?』
右手に、ずしりと重いそれが渡される。銀色のリボルバーだった。
『こ、これは……ほんもの…ですか?』
『そうさ。射撃のセンスだけなら、他の誰にも負けなかったろう?』
ふざけないで。嫌だ。こんなものいらない。こんなの必要ないっ!!
私は、その銃を地面にたたきつけようとする。だが寸でのところで彼女が言った。
『乱暴に扱うと暴発しちまうぜ?間違って自分を撃たないようにしなあ?』
にやぁ、とやたらねっとりとした粘性の高い笑みで、そいつは笑った。
それを聞いてしまった瞬間、私はぶつける気持ちすらどこにやっていいのかわからなくなってしまう。
『そいつにぁもう実弾が入ってる。これはなぁ、こうやって使うんだ』
ひょいと私から銃を取り上げ、慣れた動作で撃鉄を引き起こし、引き金に指をかける彼女。その銃口は拘束された男に向いていた。
バァン!と鋭い音とともに火薬がはじける音がする。
その弾は、男の脚部に被弾していた。苦しそうに、男がもがく。
私は、目を覆った。弾を撃ったところから、鮮血がほとばしるようにあふれてきたからだ。
『さぁ、次はお前が撃ってみな?』
『……いやっ』
『すぐになれる。5番目なんかもう実戦登用してんだぜ?お前にもできるはずだ』
『いやっ!』
『まずは撃ってみろよ……さあ撃ってみろっ!!』
そこで、彼女は私の腕をがしりとつかむと強制的にその重心を握らされた。抵抗なんてできなかった。
同じ女のはずなのに、腕力の差がありすぎる。
すぐに私の指を通して撃鉄が起こされる。あとはもう引き金を引くだけで、簡単に弾丸ははじけ飛ぶ。
狙った照準のもとへ。
『いやだっ、いやだっ!』
半ば子供の用に駄々をこねていた。少しでも照準をずらそうと腕に力を込めてみるものの、がっちりとホールドされているようで全く動かない。その照準は、完全にその男を狙っていた。
私の意志とは関係なしに、指がその引き金にかけられる。
『いやだ、いやだああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!』
……。
「――っ!」
はっと目が覚める。寝るつもりではないのに、少し眠ってしまっていたようだった。
目の前には、テーブルに置かれたブラックコーヒーがあった。
ここは……どこだ。
周りを見渡してみる。女子高生や、仕事を終えたであろうOLの姿があった。
皆平和そうに談話したり、一人静かにカフェオレを飲んでいる。
そうだ。ここはコーヒーショップだ。いつものごとくコーヒーを飲んでいる途中だった。
「……」
嫌な夢を見た。私が初めて人を殺した時の夢。
夢だというのに、無駄に臨場感あふれていて心臓が痛くなる。
あれから数年たったというのに、忘れられない。
そんな夢を見てしまったからだろうか、何か嫌な予感がした。じっとしていたら何かが起こってしまいそうで。
急な焦りを感じ、足早に店を立ち去ろうとしたその時。
ポケットの携帯電話が鳴った。
「……もしもし」
「あぁ、私だけど」
「っ!?」
電話の向こうから、そんなおぞましい声が聞こえてきた。
電話越しといえども思わず息をのむ。その声は、サンタ野郎のものだった。
「なん……ですか?定例報告なら、昨日いれたはずですが」
思わず心拍数が早くなる。動揺を悟られまいと、なんとか声を張って冷静を試みる。
だが、次に発せられた言葉がその虚勢を脆くも崩してしまった。
「あー、ちっと別件でな。唐突にわりいんだけど、時間もねえから単刀直入に言うわ。おまえの大事ないいなずけを預かってる。二十分以内にこっちにこいや。じゃねーとあれだ。こいつの命はねえぜ?」
「……へ?」
思わずそんな声が出てしまう。私のいいなずけ?
そんなものはいないと答えようとしたところで、電話の向こうから悲鳴が聞こえてきた。
言葉になっていない、そんな悲痛な叫び声が。
「あーあーあー、なんか予想以上にレンが派手にやっちまってら。もって十分だな。十分以内にこっちこいや。あーでも、タクシーとか使ったらだめだぜ?ちゃんと自分の足で来い。お前がたどり着くのが先か、こいつが死ぬのが先か……それを楽しむのもまた一興だからな」
そこで一方的に電話は切られた。
……なんだ、今の電話は。いいなずけ?私にそんなものいないのだけれど……。
そこでハッと気付いた。
一つ、心当たりがあったからだ。
……海人。
海人は夏祭りの時、結婚も真剣に考えてると私にいっていた。
正式に婚約したわけじゃないけど、いいなずけなんて言われて思い当たる人物は海人一人しかいない。
となれば。
「まさか……」
最悪の状況が脳裏に浮かぶのを必死に振り払って、私はその店から飛び出した。
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