十月四日 翌朝十時にチェックアウトを済ますと駅ビルでBLTとアメリカン珈琲のブランチを取り十一時過ぎの特急北越5号で糸魚川に向かった。長田に会うのが目的だった。仁美の父方の祖父になる。廣川が死ぬ直前に区立図書館で貸出カードを作って迄して読んだ絶版の塔頭哲斗の小説学僧兵の主人公と同じ出身地という事が気になっていた。今回の調査のカギとなる目撃者である仁美の証言を搦め手から覆す為の材料を仕入れるのも目的だった。列車は北陸の秋の弱い日差しの中の殺伐とした刈入れ後の田園風景を走り続けた。進行方向の右手に迫りくる白い帽子を被った山肌に圧迫され乍、左手に日本海を垣間見て安らぎを覚えた。糸魚川には三時過ぎに到着した。海側に開けた駅前広場には高層ビルが全くなく、この町の経済力が窺い知れた。改札を出て右手の開いていた観光案内所で横町への道順を教えてもらった。まず駅前商店街を港方向に真直ぐ行った。商店街は五十メートル程ですぐ途切れた。国道に突当たってから左手に折れた。コンクリートの防波堤の向こうから潮の香りが鼻を突いてきた。国道の海側には海岸線しかない。陸側には夏には海の家になる民宿が、点在しているだけだった。町全体が鄙びた白埃に薄らと塗れている。十分程親不知方面に歩くと電信柱の住居表示に横町と書かれた看板があった。家並みの中に梁の少し傾斜した酒屋があったので暖簾を潜った。十坪程の店舗だった。壁際に酒瓶と味噌樽が並び中央にスナックの類が平積みになっている。商品の透明の袋に薄らと灰色っぽい埃が被っていた。地響きを立てて時折通り過ぎるトラックのタイヤを見て、その埃が国道から舞上がってきた物だと想像がついた。土岐は二、三分、漫然と店内を見渡していたが誰も出てこなかった。痺れを切らして「すいません」と奥に続く土間の暗がりに向かって声をかけた。暫くして、ゴマ塩頭の顔のどす黒い老人がどてらを羽織って出て来た。「はい何か」土岐は三合瓶の日本酒美山を手に取った。見た事のない銘柄だった。「これ包んで貰えますか」「おつかい物で」「いえ。何か袋に入れて貰えますか」紙袋を取出す老人の背中に土岐は質問した。「この辺に長田賢治さんがおられると思うんすが、お宅はどの辺すか」「ああ長田さんだったら、その先の路地を左に入った左手の骨董屋さんです」「どんな人かご存知すか」「わしよりだいぶ年上なんで、こまい事はよう知らんけんど戦前の若い頃は寺の小僧さんだったらしくて戦後になってから骨董屋始めた聞いとります」「その小僧さんだったというのはどこのお寺だか分りますか」「いや寺の名前迄は知らんけんど敦賀だか京都だかとか聞いた事があります」敦賀と京都という地名が土岐の頭の中で鳴り響いた。それだけ聞くと土岐は酒瓶の首を鷲掴みにして店を出た。言われた通りに行くと酒屋から五、六軒先に玉砂利の道沿いにそれらしい民家があった。よく見ないと通り過ごしそうな特徴のない住宅だった。骨董屋らしいと思えるのは通りに面して防犯用の鉄柵の奥の硝子越しにいかにも紛い物然とした古いだけの壺が二つ並んでいた事だった。その展示ウインドから薄暗い家の中を覗いても人の気配がしなかった。取敢えず玄関で声をかけてみた。「今日は。長田さんおられますか」屋内からの反応を待ったが一、二分しても返答はなかった。土岐はその家の裏手に回った。隣は住宅を改築した様な民宿で骨董店の裏手は民宿美山という大きな看板のある駐車場になっていた。ブロック塀越しに爪先立ちで家の中を窺うと池のある壺庭が見えた。その庭に面して居間の様な部屋が見えたが人の気配はなかった。「すいません。長田さんおられますか」土岐はもう一度声をかけた。ブロック塀越しに骨董店の屋根を見上げていると、民宿の二階の物干場から中年女の声が掛った。「長田さんだったらおられんみたいですよ」どことなく関西の訛りが聞取れた。そこはかとなく関西の文化の匂いがする。土岐は声の方向に顔を上げた。「何時頃帰ってこられますか」「どうだか。ここ何週間か見かけんけど」「どちらに行ってるか分ります」「ちいと待っとりんさい。家の者に聞いてみっから」土岐が4台ばかり停められる民宿の駐車場で枯れかけた雑草を踏み潰していると駐車場に面した民宿の裏口から着古した木綿の着物を着た猫背の老婆が出てきた。「あんさんかい、長田の父ちゃんに用がありなさるんは」「ええ東京から来た者す」老婆は右手の平を耳の後ろに添え乍土岐が言った東京という言葉に過敏に反応した。「急がん様なら上がって行きんさい」と言い乍老婆は片足を裏口の玄関に踏入れている。土岐はその言葉に従った。裏口から入った駐車場に面した部屋に通された。客室の様だった。八畳位の広さがある。夕刻が近づいた秋の陽光がすり硝子を通して弱々しく室内に落ちている。ささくれ立った畳表が竹林の様な文様に見える。老婆が湯呑を土岐の前に置いた。「一つお茶でも」土岐は手に提げていた日本酒を茶卓の上に置いた。「これ宜しかったら」老婆は眼をむいて酒瓶を手に取った。「長田さんとこへ持ちんさったもんでしょ」「ええまあ」老婆はポットのお湯を急須に入れて湯のみ茶碗に番茶をさした。「長田さんはずっとこちらにお住まいなんすか」「そう、先代からだからもう八十年超えとる。わしが歳をとる訳だ」「見城花江という人と結婚されたんすよね」「そうそう三反田のね。長田の父ちゃんが一の宮の喧嘩祭りで見染めんさって。家同士の折合が悪かったんで、いつだったか別れんさった」「長田さんはずっと骨董商やってたんすか」「終戦のどさくさが収まってから暫くして時計屋始めんさったけんど、客が来んので十年位でやめんさって、それから時計とか指輪とか腕輪とか首輪とかの貴金属の行商を始めんさって、その古物も扱っていなさったから骨董商の免許を取りんさって骨董屋も始めんさって壺だとか掛け軸だとか玉だとか香炉だとか。うちも一杯買わされた。ほれこの床の間の掛軸も長田さんに買わされたもんだて。安かったから多分、偽物だろうけんど」客室の造りの悪い京壁に南画風の掛軸が掛っていた。壁の所々の剥げ落ちて色変わりしている景色と掛軸の偽物風の景色とが妙に調和していた。土岐は離婚後の長田に女がいたかどうかを尋ねた。「見城花江さんと別れてからずっと長田さんは一人なんすか」「いいや、敦ゆうでけの悪い一人息子さんがいなさって店の商品を持ち出しちゃあ下手な麻雀で身上を潰しんさって。時計屋閉じたのはそのせいだとか言っておった。いつ頃だったか四十年位前だったか、とうとう勘当してそれからその息子さんは東京に出て行きんさった。それから一度も見かけん思たら還暦になる前に亡くなりんさったとか」土岐はお茶を啜り乍手帳を開いて仁美の家系図を見ていた。老婆は土岐の一人でという問掛けを一人住まいでと聞き取った様だ。土岐は改めて長田が離婚後、独身でいたかどうかを聞き質す事をやめた。「その敦さんは東京で中井愛子さんと結婚されたんすよね」「それは知らん。でもここ数年、孫だゆう可愛い女の子がちょくちょく、まあちょくちょくゆうても年に一回位だけんども見かける事があった。長田の父ちゃんはえらい可愛いがっとった」「見城仁美という女性ですか」「そう仁美ちゃんとかゆうとったわな」「長田さんは今回の様に年中家を留守にしている事が多いんすか」「うん、しょっ中だ。昔っから。花江さんと別れたもう一つの理由がそれだ。家をしょっ中留守するもんで、花江さんは舅と姑と三人で大変だった」「何でそんなに留守したんすか」「時計屋だけじゃ食えないゆうて行商もやっとりんさった。湯沢や小谷の温泉場で女将や仲居や芸者を相手に指輪やら時計やら掛軸やら壺やらを売り歩いていなさった。業者仲間の骨董市にもあっちこっち顔を出しとるって東京にも行っとると自慢げにゆうとったわな。その内小谷の小便芸者と出来ちまってそれが引き金になって別れたらしい」「話は戻りますが戦前の長田さんは何をされてたんすか」「ようは知らん。ここに越してきんさったのは戦後で戦時中は三反田の方に住んどったらしい。先代のばあちゃに聞いた話では五男がおなかにおった時に先代のとんちゃがのうなって兄弟が六人おって長男のあんちゃが父親代りやっとったけんども生活が苦しいんで一番学校の勉強がようでけた四男を一の宮の禰宜の世話で敦賀か京都の寺に小僧に出したらしい。それがそこの骨董屋の父ちゃんで長男は早うに脳溢血でのうなって次男は三重の久居に養子に出して、三男は満州からソ連に抑留されてかたわになりんさって帰ってきておった」と老婆は巾着の口の様な唇を窄めてお茶を飲んでいる。陽はとっぷりと暮れていた。窓外から冷気が徐々に部屋の中に侵入し始めていた。湯呑み茶碗を持つ手元の影が濃くなってきた。土岐は少し大きめの声で聞いた。「賢治さんが小僧に出されたお寺の名前分りますか」「さあ、一の宮の先代の禰宜の孫がそこの宮司でいなさるんで聞いて見たらどないかな」「ここから近いんすか」「近い近い一里もない」と老婆は梅干の様な眼を見開いてその方角を指差す。土岐は上がらない肩の下で手首だけを蛇の鎌首の様に持上げている老婆の指先を眼で追った。「その先代の禰宜の方の名前分りますか」「高野ゆうたかいな」土岐は今夜の宿をこの民宿に求める事にした。「この部屋今夜あいてますか」意外な質問だったらしい。老婆は部屋の外に声をかけた。「紀子さん」と呼ばれて先刻物干台から土岐に声をかけた女が薄桃のエプロンで手を拭き乍部屋に現れた。老婆が聞く。「今夜この部屋あいとる」「ええ」土岐は泊る旨を伝えて夕食迄一の宮神社に宮司を訪ねる事にした。民宿の若女将の話では一の宮の神社は山の方向に一キロ余り行った所にあり、一本道だから迷う事はないとの事だった。
■舗装されているのは道の中央だけで路の両端は砂利だった。時折、車が通る度に砂利道脇の用水路に落ちそうになり乍夕暮れの田舎道を急ぎ足で十分以上歩いた。なだらかな登りになっていた。右手に小学校の校庭を見て突抜けた所にこんもりとしたブナの林があり、その先に幽玄な社が薄暗がりの中に見えてきた。右手に飯場の様な社務所があり明りの灯っているプレハブの様な引戸の前で土岐は声を出した。「すいません。どなたかおられます」すぐに黄ばんだ白装束の若い男がのっぺりとした顔で出てきた。「はい、なんでしょうか」「ちょっと戦前の事で恐縮なんすが高野さんという禰宜の方がこちらのお社におられたかと思うんすが」「ええ祖父です。もうとっくに亡くなってますが」土岐は嫌な予感を覚えた。背後に迫る寒々とした夕闇が土岐の思いを暗くした。「実はそこの横町の骨董屋さんが子供の頃、高野さんに連れられて敦賀か京都のお寺に小僧に行ったという事を聞いたんすが、そのお寺は何というお寺か分りますか」「さあ祖父は戦前、副収入の為、特に昭和初期の不況の時は女衒みたいな事もしてたみたいで戦後も中卒の金の卵を大分東京に連れて行ってたみたいですが」と言い乍宮司は顎に手をあて一重瞼を細め首を捻る。土岐は宮司の返答を促した。「長田という骨董屋さんの事なんすが。分りませんか」「小僧さんに行かれたというお寺の名前はちょっと分りませんが祖父は糸魚川のお寺の檀家総代をしておってそのお寺は浄土宗なんで多分小僧さんに連れて行ったお寺も浄土宗のお寺だと思います。糸魚川のお寺は今もそうですが昔から農地も余り持っていなかった様で檀家数が余り多くないので多分連れて行ったお寺は戦時中は小作が一杯おった様な檀家数の多いお寺じゃないですかね。ここの住職は糸魚川高校の同窓生なんでちょっと電話してみましょう」と言って宮司は社務所の奥に消えた。土岐は薄ら寒い戸口で四、五分待たされた。耳の奥が痛くなる様な静寂が漂っていた。暫くして黄昏の社務所の奥から宮司が目尻を下げてにこやかに出てきた。「住職は敦賀のお寺じゃないかと言ってました。敦賀なら戦前、住職が係累だった法蔵寺じゃないかという話でした」法蔵寺と聞いて薄暗闇の中で眼の焦点が合って来る様な思いがした。簡単な礼を述べて、土岐はその社務所を辞した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「学僧兵」十月四日

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投稿日:2022/04/07 14:21:49

文字数:4,982文字

カテゴリ:小説

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