「※※」
斬り込むような言葉に、私は黙って目を細める。
仰向けになった私の上に馬乗りになってひどく悲しそうな目でこちらを見つめるのは、私と同じ顔。
そう、同じ顔。
なのにどうしてこんなに違っているんだろう。
「なあ、リン…頼むから、※※でくれよ」
いつもは少年らしいボーイソプラノが、闇に沈んだかのように黒く濁っている。
ありとあらゆる負の感情をまぜこぜにしたような暗い声音。いつもの彼を知っているから、そんな声は聞きたくないと思う。
同時に、こんな声を出させているのは私なんだって事を感じて、残念な気持ちになる。
「おまえが、おまえさえ、いなければ」
喉に触れるのは、少しだけ冷たさを伴った圧迫感。多分レンの手だろう。
私の首を絞めようとしているのかな。
別に抵抗する気は起きなかった。
レンがそうしたいならそうすればいい。望むのなら、否はない。お好きにどうぞ、ってところ。
ゆっくりと手で作られた輪が締まっていく。
本当に、ゆっくり。まるで花が萎むような速度で首を絞められている。
「おまえさえいなければ、俺は」
陰になったレンの顔がよく見えない。なのに、その金髪は光に縁取られて天使の輪のように煌めいている。きれいだなあ、なんて私はぼんやりと考えていた。
こんなきれいな生き物に、私は※されてしまうのかな。
うん、それはかなりいい感じの終わりだろうなあ。少なくとも、バグに冒されてアンインストール、とかいう結末よりか断然素敵だと思う。
「俺は・・・誰に憚る事なく、『二番』でいられたのに」
ふる、と喉に震えが伝わる。
私じゃない。レンだ。
レンが震えている。
怯えているの?怒っているの?
どちらにしろ・・・
私はちょっとだけ笑みを浮かべた。
笑うだけの余裕はある。段々息がし辛くなってきたけど、まだ平気な範囲だし。
ふっ、と首に絡んでいた二つの手から不意に力が抜けた。
どうしたの、と改めてレンを見上げると、レンは呆然とした顔で私を見下ろしていた。少し角度が変わったせいで顔の右半分が光を受けている。見開かれた青い目が海のように光を反射しているのが印象的だった。
ぽたり。
頬の辺りに何かが滴った感触。
生温いそれが涙だと気付いて、私はそこでやっと口を開く気分になった。
「…なに…レン、どうしたの…?」
泣かないで、と言いたかったのだけど、そこまで口にする前にレンが急に俯せに覆いかぶさってきた。私の肩口に顔を埋めるようにして、身を震わせる。
じわりと服が濡れる感覚から、レンが泣いているんだって事が分かった。
慰めなくちゃ。私はできるだけそっと、レンの背中に手を回す。
触れた瞬間、レンは電撃でも受けたみたいに体全体を震わせた。
「…違う」
「…なあに?」
呻くように呟かれた言葉にぼんやりと応じる。
やっぱりいつもと違う暗くて低いレンの声が耳元で聞こえて、ああ、でもやっぱりレンの声だな、って思ってしまった。
レンはレン。私の大切なレン。こんなふうに※されかけてさえ気持ちが変わらないんだから、私も大概おかしい奴だと思う。
ぎゅう。体の下に無理矢理腕を捩込まれて、思いっきり抱きしめられた。
「違う…俺は、泣きたいんじゃない」
「…うん」
「優しく触れたいんでも、ない…」
「…うん…」
ぎゅう。私もレンの背中に回した腕に力を込める。
いいよ、言いたいこと全部吐き出して。苦しいなら、苦しみを少しでも軽くして。
掌に、両腕に、体全体に伝わるレンの温もり。じんわり感じるその温かさが悲しいくらい愛しくて、私は強く目を閉じた。
「…俺は」
レンの声が震える。
「俺は、リン、おまえが、心の底から憎いんだ…」
鳴咽混じりの言葉。
ああ、だから泣かないで。私に出来ることなら、何だってするから。
だから、ねえ、泣かないで。
「なのに…なのにどうして…」
私の服を握っていたレンの指に力が篭るのが分かる。力任せに握られた白い生地に皺が寄る。
分かってるよ、レン。
本当は…こうして握り潰したかったのは、私の喉だよね。
だけど、それは叶わないこと。
「どうして俺は…おまえを※せないんだよ…!?」
私達は、そういうふうに、出来ている。
お互いに相手を消すことの出来ない、よく似た二つのプログラム。私達をどうこうできるのは、主であるマスターだけ。
愛するのも、憎むのも、嫌うのも、困るのも、私達の勝手。
だけど、その存在をどうこうするという最後の一線だけは自己の判断で踏み越えることは出来ない。
客観的に考えれば、マスターの知らないうちにインストールしたはずのボーカロイドとそのデータが消えてるなんて、使いにくい以外の何物でもないし…当然といえば当然なんだろうね。
「…ちくしょう…ちくしょうッ!」
抱き潰そうとするかのようにレンの腕に力が篭る。
私も、今回はいけるかと思ったんだけどな…
再三言っているように、私はレンに※されても全く構わない。というか、レンがそれを望んでいるというのなら自分で自分を消してしまうことだって厭いはしない。
だけど、それすら叶わない。
「レン」
ぶるぶると震える金髪に、愛しさを込めて声を掛ける。
嘘でもごまかしでもない、本当の気持ちを、告げる。
「私…待ってるから」
考える度に私は幸福にうち震える。
きっとその瞬間、レンは満ち足りた顔をするんだろう。それを見るのが楽しみ…あっ、その時私には視覚とか無くなってるんだっけ。
じゃあ、想像するのが楽しみ、とでも言うべきなのかな。
「レンが私をその手で※す日を…ずっと待ってるから」
それがいつであっても構わない。レンが私の生殺与奪の権利を得る日が必ず来る事を信じて、私達二人は今日も歪んだ世界を生きていく。
耳元で鳴咽が響く。でも、私にはどうすることも出来ない。
レン、泣かないで。
そう言おうとして…やめる。言ったところでレンの涙は止まらないし、思いのはけ口が出来るわけでもないって充分分かってしまっているから。
だけど他に言える言葉も見つからなくて、私はただ黙って上の方を見上げていた。
ねえマスター。
私は声に出さずに、唇だけで呟く。
頑張るから、私達をアンインストールしないでね。
だって私は、レンの手で、私を殺して欲しいんだもの。
もしもそれまで何年何十年何百年掛かったとしても、私はそれを待っていたいの。
ずっとずっと、待っていたいの。
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