その日は、特筆すべきことのない様な程に、平凡な当たり障りのない日常だった。いつもの様な流れていくように時間を履き捨てる日、だったはずなのに。
その時私は自分の部屋でベッドで寝転がりスナック菓子を摘みながら暇つぶしにラジオを聞いていた。さっきまでやっていたゲームはクリアしてしまった。クリアした後は全く面白くなくなったので暇つぶしにラジオでも、と。一回炭酸飲料を取りにリビングに行った以外特に何もしていない。
炭酸飲料を一口含み、何となくラジオに耳を傾けていた。
少年がトラックに轢き逃げされ、犯人は未だに逃走中。工事中だったビルの鉄骨がクレーンの操作ミスで約三十メートルの高さから落下し、下にいた少女に突き刺さる。コンビニで強盗があり、怪我人はいなかったものの売上金の十三万を盗っていった。そんな事件がラジオから流れていた。
人事の様に「へぇ、そうなんだ」とスナック菓子を摘む。外を見ると青く広い空。雲ひとつない。地面から沸き立つ陽炎。炭酸飲料を喉に流し込む。
どこかの国の大統領が「すみません」と嗚咽を微かに漏らしながらラジオ放送に割り込んだ。
「非常に残念なことですが、本日地球は終わります」
思い切り炭酸飲料を吹き出した。数回激しく咽せた後、口の周りを吹き、ラジオに耳をすませる。もうラジオは静まり返っていた。きっと皆逃げ出した。
窓の外を見ると鳥達が我先にと空を覆い尽くし旅立っている。途切れることない鳥の群れは渋滞中の車の大群のように見えた。いつもなら昼でも薄く光っている三日月は鳥達に飲み込まれている。鳥達はどこに向かうのだろう。
ため息をついて玄関に立つ。靴紐を固く結ぶ。二度と戻ってこない我が家を最後に眺めておこう。
ドアを開けて街に向かい、走り出した。街を抜けると大きな高台があり、そこに行こうと思ったのだ。
クリアした後にもう一度やり始めたゲームはノーセーブ。机の上に申し訳程度に放り投げていた参考書。勉強をしなければいけなかったのに参考書には殆ど手付かずだった。
立ち止まると膝がガクガク震えた。震える体を落ち着かせるようにポケットに入れていたヘッドホンを耳に当てる。音楽プレイヤーの電源が勝手につき、不明なアーティスト項目のタイトル不明のナンバーが途端に耳元で流れ出す。落ち着いた声。
「生き残りたいでしょう?」
それは勿論。生き残りたい。もう一度走り出し空をちらりと見る。
鳥は忙しなく羽ばたきながらどこかへ向かう。私も早く、早くいかなくては。
いれた覚えのない声に縋る想いで騒ぎ出した世界を背に慌てふためく人々の間を通り抜ける。
揺れる摩天楼。揺れているのは実際私なのだが、左に、右にゆらゆら揺れる。溢れそうになる涙が視界を狭める。それでも走らなくては、どこかへ向かう私。不明なアーティスト項目のタイトル不明のナンバーは聞き飽きた自分の声だった。
「あの丘を越えたら20秒で。その意味を嫌でも知ることになるよ。疑わないで、耳を澄ませたら20秒先へ」
残り時間は自分のつげる二十秒。高台の丘へと迎え。走って、走って。丘の、二十秒先へと、向かう。
交差点では勿論人々の大渋滞。ここでは老若男女関係ない。怒り狂う叫び声や泣き声、悲痛な叫び声、赤ん坊の泣きわめく声。色々な声が耳を埋め尽くす。そこに一際大きなブレーキの音が鳴り響く。目を向けるとトラックが血に塗れていた。そのトラックの前に横たわる少年。少年の近くで猫が鳴いた。
暴れる人、泣きわめく少女、泣きわめく少女の隣で信じがたいという表情の青年、祈り出した神父。それらを追い抜き人々の逆方向へ。誰かが「そっちは反対だ」と襟を引っ張る。首が締まりそうになる。その手を払いのけ、一人逆方向へと走る。
あの丘の向こうへ。
ヘッドホンから落ち着いた声で耳元で告げる。
「あと12分だよ」
このまま全て消え去る前に、早く丘の向こうへ。このまま全て消え去ってしまうともう術はないだろう。どうにかして食い止めなくてはいけない。それはきっと最後に私に託されたバトン。
ざわめき出す悲鳴合唱。耳を掠めて後ろへ飛んでいく。ちらりと後ろを見ると空を仰いで諦めたように、だけれども最後の希望を声に乗せて叫んでいた。
涙目で走る。視界がぼやけてしまう。手の甲で涙を拭いすっきりした視界で丘を睨みつける。僅かに見える丘の上の人影。
疑いたいけれど、疑ったところで終わらない人類賛歌。とにかく丘へと向かうしかない。あの人影がなんであれ。
「駆け抜けろ、もう残り1分だ」
その言葉ももう聞こえないくらい、混乱していた。ただ足が前へと確実に進むだけで。ただ目指していた丘はもう目の前に。駆け抜けて丘を登る。
息も絶え絶えにたどり着いた。肩で息をしながら周りを見渡す。壁に写る空の前に立つ科学者たちが「素晴らしい」と手を叩いた。その後に続くように「素晴らしい」「素晴らしい」と科学者たちが手を叩き、拍手をする。科学者の一人が私を一瞥した。そして意地悪そうな目をした。
「しっかりと見ておけ」
そう言われた気がした。街に目を向ける。
疑うよ。
そこから見る街は、まるで、実験施設のようで。
小さな箱のような世界。実験道具のような人間たち。作り物のような建物。計画通りに集められた人間の塊。実験施設のような街では悲鳴合唱が起きていた。
科学者の一人が街を見下ろしながら実験はもう終わりだ、と呟く。
「もう不必要だ」
科学者は片手に爆弾を持ち、そしてそれを街に放り投げた。響く悲鳴が耳から離れない。燃えていく街が瞳に写る。瞬きさえ忘れ、呆然とそれを眺める。溢れそうな涙が視界を曇らせる。
箱の中でずっと生きてきたんだな、と実感するにはもう充分すぎて。科学者たちに与えられてきた家族や友人の命が燃えていく。響く悲鳴合唱はどんどん小さくなっていく。
燃えつきていく街だったモノをただ呆然と見る耳元で、ヘッドホンの向こうから、
「ごめんね」
と声がした。私の声では、無かった。
【自己解釈注意】実験終了【ヘッドフォンアクター】
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